ウェールズを知る
――ウェールズ名物――



羊(sheep)
 ウェールズといえば、羊。街中から逸れ、少し田舎に入ってみよう。囲まれた草原や、丘の上に、必ずといっていいほど羊の群を見ることが出来る。しかし、もともと臆病な動物なので、驚かしたりしないように。カメラを向けただけで逃げていくほど、彼らは臆病だ(左写真は望遠レンズに驚き、餌を食べることを忘れた羊)。

 家畜の羊は、丘や山で放牧されている(右写真;撮影2003年中部ウェールズ)。そのため、非常に身が引き締まっている。エリザベス朝時代に、イングランド人の食卓にウェールズの羊が乗るようになり、その存在が他の国々で急速に知られるようになった。そのため現在ではウェールズ人の口に入るよりも、イングランドやヨーロッパ諸外国に出荷されるほうが多いといわれている。

 そのため、羊料理のレシピは伝統的なものを除けば、然程多くはない。肉の臭みが気になるので、羊の肉を敬遠する人もいるようだが、そこはハーブと一緒に調理するという生活の智恵で、彼らは克服している。

 レシピ本によく登場するのは、首や関節周りの肉を使った料理だ。また、いずれも肉の塊を煮たり、焼いたりするものばかり。内臓を使った料理や、ジンギスカンのような料理はないようだ。

 羊を使った産業といえば、もうひとつは羊毛を使った製品だ。セーターやマフラーなどの羊毛製品(左写真・パンフレットより)は、南ウェールズや中部ウェールズの工芸品を扱う店や、土産物屋で多く見受けられる。

 なお英語で羊の総称はsheepだが、大人のオス羊をram、メス羊をewe、そして肉をmuttonという。子羊はlambで、雌雄および肉かどうかを区別する言葉はない。


赤龍グッズ(Red Dragon)
 赤龍グッズとは、私が勝手につけた呼び名だ。ウェールズの国旗には中心に龍が描かれているが、それを象った商品のことだ。絵葉書、キーホルダー、旗、ティータオル(布巾)、人形などがある。飲料水の入った瓶やチョコレートなどの菓子類のパッケージに、この龍が印刷されている品物もある。

 中でも最も目を惹くのは、この龍を象ったぬいぐるみ。手乗りサイズの小さなもの(左写真)から、抱きかかえなければならないほどの大きなものまである。最近では、テディ・ベアのようなものもある。どれも可愛らしく出来ている。私が最もお勧めする、ウェールズ土産である。



ウェールズ土産の一例
[左→右]絵葉書、ぬいぐるみ、CD
CD、ラヴ・スプーン
[背景]ティー・タオル
(クリックで拡大)

土産物屋
(左→右)カーディフ、ニューポート、コンウィにて2004年に撮影。
ショーウインドウの中などに赤龍グッズや羊グッズなどが見て取れる。

様々な赤龍グッズ
(右→左)カフス、旗(小)、キーホルダー
置物、置物、皿
(いずれも2005年夏撮影)



町中で見かけた様々な赤龍
(右→左)パブの看板(プタリ、Pwllheli)、ケータリングの車に描かれた赤龍(カーディフ)、
ミレニアム・スタジアム(カーディフ)にて。
(いずれも2007年9月に撮影)

ラヴ・スプーン(Welsh Lovespoon)
 もともとラヴ・スプーンは、男性が女性に愛を告白するために、愛をこめ、一枚の板から切り出した木製のスプーンだ。柄に様々な模様(シンボル)を刻むことで、送り主/製作者の思いを伝える。南ウェールズで生まれた伝統だが、現在ではウェールズ全土で見られ、土産物の定番にもなっている。なお最も古い記録は、17世紀にさかのぼる。

 柄に彫られた様々な模様。これがこのスプーンの特徴だ。最も定番な模様は、やはりハート型である。ハートがひとつだと「愛」、ふたつだと「だんらん」(もしくは「相思相愛」)を意味する。錨は「確実なる貞節」、鍵だと「永遠にしっかりと結ばれたふたり」、鐘と指輪は「結婚」、リボンは「終わりなき愛」、葉は「育ちつつある愛」、蹄鉄ならば「幸運を祈る」、ケルト十字は「信頼」(「誓い」もしくは「結婚」)をそれぞれ意味する。

 現在では、ウェールズを代表する工芸品として売られており、土産物屋や専門店で手に入れることができる。ウェールズの民族の祭典アイステズヴォッドならば、かならずやその出店がある。なお小さいものなら値段は5ポンドくらいからあるが、少しでも形のこったものだと楽に10ポンドから30ポンドはする。50ポンドおよびそれ以上の値段のものもある。

様々なラヴ・スプーン



(上3枚、2007年8月10日、アイステズヴォッドにて)

伝統衣装:女性(Welsh Costume for Women)
 文明が進化し、様々な文化が交錯した現在でも、多くの民族はその民族独自に伝わる衣装をもつ。それを民族衣装/伝統衣装という。

 人はその独自の民族衣装をまとうことにより、ある民族の同胞であることを示すことができる。同時にそれは、他の民族と自分を差別化することも可能となる。たとえば数人のアジア人が一同に集ったとする。その誰もが洋服を着ていたとしよう。しかも誰もが無言を貫き通す。そうすると誰がどの民族に属するか判別・区別するのは困難となる。しかしそこで、誰もが民族衣装に着替えるとしよう。日本人は着物、韓国人はチマチョゴリ、中国人がチャイナ・ドレスを着るという具合に。そうすると誰がどの民族に属するかが一目瞭然となる。

 つまり民族衣装は、その人が属する民族のアイデンティティ(独自性)を確立させることを手伝う。極端な言い方をすれば、ある民族衣装を身にまとうことは、民族アイデンティティを確立させる。日本人の着物しかり。韓国人のチマチョゴリしかり。スコットランドのキルト(タータン・チェック)しかり。

 ウェールズ人女性の伝統衣装は次の通り。背の高い、黒い山高帽にエプロン、白いワイシャツに赤いガウン(もしくはショール)。そして幅広のチェックのスカート。現在では、街中/町中よりも、土産物屋でその恰好を身にまとった可愛らしい人形(下写真)と出会うことのほうが多い。


伝統衣装をまとった人形(2007年9月4日、カーディフにて撮影)

 しかしながら実際のところ、これは時代的にかなり新しいものだ。しかも18世紀のイングランド人の衣装をとりいれたものなのである。彼女らが旅をするときに民族衣装として身にまとった衣装が、ウェールズで残った。それがこのスタイルだ。つまりこの衣装は、厳密な意味で、ウェールズの独自衣装ではない。

 このように目で見たり、実際に触れることのできる、古くから伝わる有形文化が少ないのが、ウェールズの特徴でもある。

伝統衣装:男性(Welsh Costume for Men)
 ない。

サンヴァイアプスグウインガスゴゲルアフイルンドロブースサンタジリオゴゴゴッホ
<スランヴァイアプールグウインゲルゴウゲールウクウィールンドロブウーリスランダスイリオゴゴゴ>
(Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch)

 サンヴァイアプスグウインガスゴゲルアフイルンドロブースサンタジリオゴゴゴッホ<スランヴァイアプールグウインゲルゴウゲールウクウィールンドロブウーリスランダスイリオゴゴゴ ※以下、この欄のみ旧標準表記は略>は、北ウェールズのアングルシー島(Anglesey)にある町の名前。アルファベットにして、全58文字。世界で1番長い町名だ。それにも関らず、世界で2番目に長いと言われている。

 これは英語のアルファベット数としては58文字だが、ウェールズ語のアルファベット数にすると51文字になるためだ(“ll”や“ch”はウェールズ語では1文字扱いになる)。そのためギネスブックには、別の地名が世界一として登録されている。

 ギネスブックにはふられたが、それもウェールズらしいのかもしれない。一方でイギリス国内では、最も長い地名であり、駅名もイギリスでは最も長尺となっている。

 もともとこの町の名前はもっと短かった。しかし1860年ごろに(※1880年代説あり)、観光客を呼び寄せる目的で、現在の長尺のものに変えられた。

 とにもかくにも、このような事実から、この町の名前を関したブリットレイルの駅は、ウェールズで有数の観光地となっている。駅にある看板で記念写真を撮る人が多いためか、イギリスの駅にしては珍しく、電車が来る時間以外のホームの立ち入りは禁じられている。駅前には駐車場と、免税品店(右写真;撮影2002年、クリックで拡大)があるが、空港のない場所の免税品店は珍しい。何しろアイルランドとウェールズを結ぶフェリー港のあるホーリーヘッドですら、免税店はないのだから。

 そして2014年4月、この町に新たなる歴史が加えられることとなった。町は公式に、公の場での禁煙を人々に呼びかけることを決定。4月8日より、実行に移した。これにより、たとえパブの外でも喫煙は不可能となる。ここまでの措置は、禁煙が進むイギリスでも珍しいと言える。公の場での禁煙が徹底されれば、この町はイギリスで初の禁煙町となる。

 ちなみにサンヴァイアプスグウインガスゴゲルアフイルンドロブースサンタジリオゴゴゴッホは、「赤い洞窟の聖テシリオ教会と激しく渦巻く渦巻きの近くの白いハシバミのそばの窪地にある聖マリア教会」と言う意味だ。サンヴァイアプスグウインガスゴゲルアフイルンドロブースサンタジリオゴゴゴッホは、普段は長いのでサンヴァイアP.G.と略されて呼ばれている。本当に長いですよね、サンヴァイアプスグウインガスゴゲルアフイルンドロブースサンタジリオゴゴゴッホって(しつこい?)。

駅の看板

イギリスで最も小さな家
 サンヴァイアP.G.<スランヴァイアーP.G.>が最も長い地名ならば、こちらは最も小さな家。左写真の赤い家がそうだ。城壁都市コンウィにあるこの家は、間口1.8mで奥行きが2.5m。16世紀に建てられ、1900年まで実際に人が住んでいた。
 最後の住人はロバート・ジョーンズと言う漁師を生業としていた、身長約187センチ(6フィート3インチ)の男性。実際にこの家で煮炊きしていたというのだから、驚きである。彼のレシピは後に、彼のひ孫の一人によって1冊の冊子としてまとめられた。

 更に驚いたことには、ジョーンズ氏の前には年老いた夫婦が2人でここに住んでいた、と言うのだから・・・ 。


イギリスで最も小さなシティ
 ウェールズ南西部の西端に、イギリスで最も小さいシティ(街)がある。それは大聖堂を中心に据えた、非常に歴史のある街だ。ご存知、セント・デイヴィッズ(St. David's)がそれである。

 なおセント・デイヴィッズはもともと町(town)だった。それが16世紀にシティと認められるものの、1888年に再び町となる。この町を女王陛下が正式にシティとして認めたのは、1995年。なお2013年の現在でも、列車が通っていない。最寄り駅はハーヴァーフォードウェスト(Haverfordwest)かフィッシュガード(Fishguard)。どちらも10マイル(16キロ)以上の距離がある。それでもここはシティなのだ。


シティの中心的存在、聖デヴィッドの大聖堂
(クリックで拡大)
(撮影:2011年08月16日)

男声合唱団(Male Choir)
 ウェールズといえば、力強い男声合唱団だ。同じケルトの国アイルランドでは、伝統的な音楽といえば、アイリッシュ・ダンスの伴奏にも聴かれる、テンポの速い踊りの音楽だ。しかしウェールズの伝統的な音楽といえば、教会、特に、非英国国教徒の教会で歌われる、男声合唱となる。炭鉱夫や農民、そして漁師などが集い歌うその姿と歌からは、屈強なウェールズ人の姿が浮び上がってくる。

『丘陵地帯』(Valleys)
 ウェールズは起伏の富んだ土地で構成される。たとえば北部。そこにはスノードンを中心とした山岳地帯(moutains)が構える。その一方で、南部、中部、西部には、丘が多く見られる。イングランドの大半が平坦な土地で占められていることもあり、この丘陵は特にウェールズを現す代名詞にもなっている。

 ところで英語では丘のことを“hill”という。しかしその他にも丘を表す言葉がある。そのひとつが“valley”だ。正確には「山と山のなだらかな谷間」や、「渓谷」を表すこの言葉、ウェールズでは特に南部の丘陵地帯を指す場合に使われる。

 南部の丘陵地帯といえば、ロンザ丘陵やスウォンジーのあたりが有名だ。これらの地帯は、いずれも鉱物資源が豊富である。そのため産業革命でイングランドの鉱山が開発されると、次にその目はウェールズに向いた。そこでまずは鉄鋼業が開かれた。ついでその鉱山の多くは、石炭を採る炭鉱へと代わった。これら工業地帯の丘の連なりを、特に最初のスペル“v”を大文字化し固有名詞的に“Valleys”と呼ぶのである。

 即ち“Valley”とは英語文化圏であり、産業革命と同時に急速に発展した元炭鉱地帯を指す暗喩になっている。

 北部の山岳地帯が古くからの伝統を守る一方で、近代に急速に発展した『丘陵地帯』は、ある種近代化したウェールズの代名詞でもあった。実にこの地から、エール好きの炭鉱夫というウェールズのステレオタイプや、賛美歌の合唱、chapel(非国教徒の教会、特にメソジストを指す)、一連の公営住宅(※一時期炭鉱は国営企業だったために、炭鉱夫とその家族の住宅も国が保障・運営した)、ラブスプーンなどこれまでのウェールズにはなかった文化/伝統が生まれている。

 なお日本語では特に二重カギ括弧を伴い、『丘陵地帯』と記すことがある。


『丘陵地帯』と公営住宅
(撮影:2007年09月03日)

山岳地帯(Mountains)
 平坦なイングランドと比べても、ウェールズには山や丘陵が多い。その中でも北部のスノードニア山脈(Snodonia Mountains)と南部のブレコン・ビーコンズ(Brecon Beacons)は、ウェールズを占める二大山脈(二大山岳地帯)といえる。どちらも国立公園だ。

 特に北部のスノードニア山脈は、イングランドとウェールズをあわせた中で最も高い標高を誇るスノードン山(1085m / 3560ft)を内包することでも有名だ。

 この山を中心に、アル・アラン(Yr Aran)、スリウェッズ(Lliwedd)、クリブ・ア・ジスグル(Crib y Ddysgl)、クリブ・ゴック(Crib Goch)の5つの山からスノードニア山脈は形成される。


スノードニア山脈とグイナント湖(Llyn Gwynant;左端)
画面向かって右手の雲のかぶった高い頂がスノードン山(撮影:2011年8月8日)

 この辺り一体は1951年にスノードニア国立公園(Snowdonia National Park)に指定され、ナショナル・トラストが管理している。現在、その総面積は800mile2を超える。

 スノードン山の頂上へは徒歩で登ることもできるが、蒸気機関車がサンベリス<スランベリス>から季節運行している。この蒸気機関車は1896年より運行している。


スノードン山(撮影:2011年8月8日)

アイステズヴォッド(Eisteddfod)
 アイステズヴォッドはウェールズの伝統芸術と文化を祝して行われる、ウェールズ民族を挙げての祭典だ。メインとなるのはウェールズ語詩のコンテストだ。その他にもウェールズ語学習者向けのコンテストをはじめ様々なコンテストが行われるが、このウェールズ語詩のコンテストを勝ち得たものだけが、アイステズヴォッドの語源である“椅子”に座ることが許される。これがウェールズ人として最も名誉なことといわれる。

 なおこの本戦のコンテストに出場するには、各地方毎に行われる地方大会(小文字のeisteddfodと表記される)を勝ち抜かねばならない。

 アイステズヴォッドでは、これらコンテストの他、現在では歌、演奏、踊り、劇、詩の朗読などがステージで披露される。また会場中には数多くのパヴィリオンが開かれる。これらパヴィリオンでは食文化の紹介から本や楽器、伝統工芸品やウェールズグッズなどの販売や展示や、彫刻や絵画の展示なども行われている。そしてウェールズ文化/ウェールズ語の祭典だけあって、ここで中心となる言語はウェールズ語である。

 アイステズヴォッドが最初に開催されたのは1176年だ。ウェールズ内に存在する王国付のバルズ(職業詩人)の力量を競わせるのが、その目的だったといわれる。現在のようにウェールズをあげてのフェスティヴァルになったのは、19世紀末のこと。現在では毎年7月下旬から8月上旬にかけて、開催地を変えて行われる。

 なお、2006年のアイステズヴォッドは8月5〜12日に、スウオンジーの郊外ヴェリンダー(Velindre)で行われた。2007年は8月4〜11日にフリントシャー(Flintshire)で行われた。2008年は8月2〜9日。グラモーガン・クリケット・クラブとソフィア・ガーデンの裏手にあるポントカンナ・フィールド(Pontcanna fields behind Glamorgan Cricket Club and Sophia Gardens)が会場となる。2009年は8月1日から8日、北部のバラ湖近くのリウラス・エステイト(Rhiwlas Estate)で開催される。 2011年の開催はレクサム(Wrexham)のLower Berse Farmで、7月30日から8月6日まで。詳しくは、アイステズヴォッドの公式サイトにて確認されたし。


アイステズヴォッドにおけるバルズの儀式
(パンフレットより)
バルズについては
「ウェールズとケルト?――以外に身近なケルトの国・ウェールズに渡ったケルト人――」
の「古代ケルトのウェールズ社会」および「バード:その後」を参照のこと。



バルズ団。2007年アイステズヴォッドより。

サンゴセン<スランゴスレン>国際音楽アイステズヴォッド(Llangollen International Musical Eisteddfod)
 国際音楽アイステズヴォッドはサンゴスレン<スランゴレン>で行われる。世界平和を訴えるために、1947年から毎年7月に開催されている。2004年にはその偉業をたたえられ、ノーベル平和賞にノミネートされた(惜しくも受賞はならず。受賞者は、「Mottai nai」を唱えたケニアの環境保護活動家ワンガリ・マアタイ氏だった)。2006年は、7月4〜9日に開催され、開催60周年を迎える記念的な祭りとなった。2007年は7月10〜15日に行われた。2013年は7月9日より14日の開催予定だ。
 詳しくは国際音楽アイステズヴォッドの公式サイトで確認のこと。

ラグビー(Rugby)
 ラグビーは産業革命後にもたらされたウェールズの近代化が、民衆の間に根づかせたもののひとつだ。1870年代に学校教育でも熱心に取り上げられるようになり、ものの本によるとラグビーが根づいたのは、南ウェールズ・サッカー・クラブ(the South Wales Football Club)が設立された1875年以後のことだ。

 ラグビーは、当初は中流階級のスポーツだった。だがウェールズでは、瞬く間に労働者階級の間で楽しまれるようになった。そしてクラブ設立の6年後にあたる1881年には、ニース(Neath)のキャッスル・ホテル(Castle Hotel)で、ウェールズ・ラグビー協会(Welsh Rugby Union)が結成されている。このことからも、ウェールズ人のラグビー熱の高さが伝わってくるだろう。

 そしてラグビー熱がウェールズ中に蔓延するようになったのは、1893年にウェールズのチームがトリプル・クラウン(Triple Crown)を勝ち取って以来のことだ。トリプル・クラウン(ウェールズ語ではY Goron Driphlyg)とは世界最古とも言われるラグビー協会で、年に1回行われるシックス・ネイションズでイタリア、フランスを除く他の国に勝利したチームに与えられる。

 ウェールズは1910-12年の間には6回、トリプル・クラウンを獲得し、1976-79年には4年連続してトリプル・クラウンに輝いた。なお4年連続でトリプル・クラウンを獲得したのは、他にはイングランドだけである。

 ステレオフォニックスのメンバーやマニック・ストリート・プリーチャーズのメンバーの中には、ラグビーを通じて「ウェールズらしさ」を吸収した者もいる。それほど、国民的なスポーツなのだ。

大きな試合では、必ずウェールズ賛歌や賛美歌がスタジアムを上げての大合唱となる。中でも民謡「小さな鍋」("Sospan Fach")はラグビー協会クラブ・スラネッスリRFC(rugby union club Llanelli RFC)のニックネームになるほど、ラグビーの試合では好んで歌われる。

ヒラエス(Hiraeth)
 他の言語に訳すことができない、ウェールズ語の言葉のひとつ。感情を表す言葉。故郷を離れたウェールズ人が、故郷へ強く憧れるさまを表す。そのため「望郷の念」や「憧憬」などと日本語には訳される。

 これだけならば簡単だ。数多の言語に訳すことも可能である。しかし、実にウェールズは12世紀のイングランドからの併合時より、自治を失ってきた。つまりウェールズ人による王国ウェールズは、この時より喪失している。この“失われた”王国ウェールズに戻りたい、と、ウェールズ人が感じる。この願いを表す言葉でもあるのだ。

 つまりこの言葉ヒラエスは、物理的に離れた故郷のみならず、時間的空間に離れた故郷に戻りたいと強く願う感情を表す。なるほど、ウェールズ人でなければその感情は完全に理解しがたいであろう。ウェールズから響く音楽4. ウェールズ音楽のキーワード ■ヒラエスも参照のこと。

狭軌鉄道(Narrow Gage Railways)
 またの名を、「偉大なる小型列車」(Great Little Trains)という。産業革命時代に生まれ、発達した蒸気機関車の路線を一部保存したものだ(詳しくはこちら)。そもそも鉄道路線の開発は、炭鉱から資源を運び出す目的で行われ、その後に旅客列車が作られた。

 世界最初の旅客列車路線は、ウェールズのスウオンジーで開かれた。これは蒸気機関車ではなく、馬が線路上の客車を引く、馬車鉄道(略して馬鉄)だった(下写真;パンフレットより)。



 最初の蒸気機関車のエンジンを発明したのは、コーンウォール出身のリチャード・トレヴィシック(Richard Trevithick) (1771-1833) で、そのエンジンが使われたのはウェールズのグラモーガン州だった。マーサー・ティドヴィル(Merthyr Tydfi)からクォーカーズ・ヤード(Quaker's Yard)までの路線を、10トンの鉄と70人の乗客を乗せて走った。

マリ・ルイード(Mari Lwyd)
 南ウェールズは炭鉱の発達とともに、鉄道など近代的な施設の開発が進んだ。その一方で、奇妙な風習が生まれもしたのである。マリ・ルイード(Mari Lwyd)はそのひとつ。文字通り訳せば「灰色のメリー」だが、特定の人間をモデルにしたものではない。
 これはクリスマスから新年にかけて行われる風習で、馬の骸骨を被り、体を白い布で覆ったマリ(Mari)と呼ばれる人間を連れた一団(下写真・パンフレットより)が、家々を訪問してまわるというものである。



 一団はまず、家の戸口に立ち、詩を朗読し一団の中で競いあう。歌を歌う場合もあるという。家の中へ一団が入ることが許されると、マリは家の女の子を追い掛け回す。逃げる女の子を捕まえては、馬の骸骨の顎を使って噛み、大騒ぎをする。家族が一団に振舞う食事と酒の用意ができると、マリは大人しくなる。そして一団は家族と共に宴に入るのだ。

 非常に変った習慣だが、ウェールズには家々を戸別訪問する習慣があるという。特に、長く寒い冬の間にこれらの習慣は集中している。これらの習慣は、人々が家にこもる冬の間に親交を暖めるのみならず、その家の人が元気で暮らしているかを確認するための作業でもあるのだ。同時に、娯楽の少ない時代に、娯楽を提供する方法でもあったのだろう。まさに生活の智恵から生まれた習慣だ。

 余談ながら、日本のそれにあたるのは獅子舞であろうか。

雨(Rain)
 ウェールズといえば雨、と言われる。それほど、イギリス国内でも有数の降水量を誇るのがウェールズだ。1988年から1997年の平均年間降水量は、1029mmである。ロンドンの平均年間降水量が610mm、非常に雨の多い(very wet)で有名なマンチェスターでさえ、859mmだ。このことからも、いかに雨が多いかわかるだろう。

 そのウェールズの中でも最も降水量が多いのは、北部山岳地帯の中心をなすスノードン山である。スノードン山は一日に四季があるとまで言われるほど天候が変わりやすいが、ここでの年間平均降水量は3000mmを超える。だが一方で1日の最大降水量の記録は、南部にある。1929年11月11日、南ウェールズのロンザ丘陵では211mmを記録した。

 なお長い間イングランドの侵略を防いできたのは、標高の高い山を持つ地形だ、と信じられてきた。だが、その実はイングランドの軍隊は、野営中に突然振り出す冷たい雨に悩まされ、その度に本国に引き返していたのである。





ウェールズ?! カムリ!
写真と文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2003-2014: Yoshifum! Nagata




主要参考文献
EMYNAU CYMRU / The Hymns of Wales, edited by Gwynn Ap Gwilym and Ifor Ap Gwilym, (Y Llolfa, 1995)
The Green Guide: Wales, (Michelin Travel Publications, 2001)
Smith-Twiddy, Helen, Celtic Cookbook, (Y Llolfa, 1970)
Favorite Welsh Recipes, (J. Salmon LTD)
Freeman, Bobby, Traditional Food From Wales, (Hippocrene Books Inc., 1997)
Jones, J. Graham, The History of Wales, (University of Wales Press, 1990)
Middles, Mick, Manic Street Preachers, (Omnibus Press, 1999)
O'Connor, Stereophonics, Just Enough Evidence to Print, (Virgin, 2001)


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