ウェールズを感じる
――ウェールズから響く音楽1:ポピュラー・ミュージック――



■マイク・スティーヴンス(Meic Stevens) 歌/英語(-1971)からウェールズ語(1968-)へシフト
 同時代から活躍しているダヴィズ・イワンを、政治色の濃いシンガー・ソング・ライターと評すなら、マイク・スティーヴンスは、真に歌心溢れたシンガー・ソング・ライターだ。カンタベリー・ミュージックならば、前者がロバート・ワイアットで、後者がケヴィン・エアーズとなろうか。

 ジャズ、ブルース、ロックに若い頃から傾倒しながらも、自らをフォーク・シンガーと位置づける。それは、常にフォーク・ソングに興味を抱きつづけてきたからだ。多少サイケがかったフォーク・ソングを奏でるために、時にシド・バレット(ex. ピンク・フロイド)と比較され、また、「60年代ウェールズのサイケ・(ボブ・)ディラン」とも称されてきた。ディラン自身、イギリスでの好きなミュージシャンとして、彼の名をあげている。だが、スティーヴンス自身の発言によれば、ディランの影響は全くないという。

 マイク・スティーヴンスは、1942年3月13日、西ウェールズはペンブルーク州のソルヴァ(Solva)でマイケル・モルティマー・スティーヴンス(Michael Mortimer Stevens)として生まれた。

 65年にマンチェスターのクラブで演奏している時に見出され、マイク(Mike)・スティーヴンスという英語名で、同年にデッカ・レーベルからシングル・デビューを果たす。このシングル“Did I Dream/In A Field”は、後にレッド・ツェッペリンを結成するジョン・ポール・ジョーンズによってプロデュースされた。

 この時期に英語で歌われたシングルを数枚出す。その中の1枚、“Ballad of Old Joe Blind”(70年)は、UKチャートでトップ・テン入りを果たす。そして70年、ワーナー・ブラザースから処女アルバムであり、また、唯一全曲を英語で歌ったOutlander(70年)をリリースする。

 その彼に、転機が訪れる。フランスのブリュタニュー地方でケルト音楽を復活させた――当時、アイルランドではまだケルト音楽は盛んではなかった――アラン・スティヴェル(Alan Stivell)の活動に開眼し、この後、彼は英語で歌うことを止めるのだ。そして以後、ウェールズ語で歌うことに専念する。同時に、名前を英語のMikeからウェールズ語のMeicと改めた(註:読み方はどちらも「マイク」である)。

 ダヴィズ・イワンが69年に始めたサイン(sain)・レーベルとは、その立ち上げからかかわった。サインの最初のシングルをプロデュースしたのは、スティーヴンスである。スティーヴン自身のサインからの最初のシングルは、1970年(72年説あり)の“Y Brawd Houdini”だった。

 以後、スティーヴンスはウェールズ語で歌い、2011年までに20枚以上の数多くのウェールズ語のアルバムをリリースしてきた。1000枚限定でTenth Planetから97年にリリースされた、68年から69年の英語によるデモ曲を収録したGhost Town (97年)は異例中の異例である。2002年には、彼の60歳の誕生日を祝って、サイン・レーベルから、3枚組ベスト盤Disgwyl Rhywbeth Gwell I Ddodがリリースされた。

 この2002年にはアルバムysbryd solva (2002年)もリリースされているが、スティーヴンスはこれまでのウェールズ語音楽への貢献をたたえられ、自らの故郷であるソルバ(アルバムのタイトルにも採用されている)で行われたアイステズヴォッドにおいて、シルバー・ディスクを送られている。

 2011年にはアイステズヴォッドにダヴィズ・イワンと同じく、最終日のステージに登場。ベースとドラムを従えたトリオで、その健在振りをアピールした。


2012年アイステズヴォッド出演時(撮影:Yoshifum! Nagata)




[アルバム(選)]
Dim Ond Cysgodion - Meic Stevens Y Baledi (92) (sain / SCD2001)
 71〜91年までの歌から、バラッドのみを選んで編集されたベスト盤。選曲には、スティーヴンスの親友であり、彼の作品の権威でもあるゲーリ・メルヴィル(Gari Melville)があたった。よく言われるサイケ色は薄く、男っぽい歌心溢れたバラッドばかりが収められている。表題にも選ばれた1曲目は、しかしながら、77年の曲にしては少々古臭さも感じさせるが、それ以外は今聴いても遜色ない。嗄れ声で歌う3曲目や、声に力強さを感じさせる5曲目、牧歌的な6曲目など聴き所が多い。9、13-15曲目は、ウェールズ民謡の影が濃く、ウェールズ独特の暗さを感じさせる。その一方で、4、10、12曲目に聴かれる、強さの中に優しさを持った声こそが、彼の魅力に思えてならない。

ysbryd solva (2002) (sain / SCD2364)
 ずいぶんと感傷的なアルバムである。それもそのはず、ここに収録されたほとんどの曲は、生まれ故郷のソルヴァでのマイク自身の幼少期(1940年代から50年代初頭)を歌ったものだ。またここにはマイクが初めてウェールズ語で書いた曲も含まれる。その曲は、トラウエリン丘陵でイングランド政府によるウェールズ語撲滅のために、ダムの底に沈められたカペル・ケラン村を歌った“Tryweryn”だ。これらの曲を歌うマイク自身の穏やかなアコースティック・ギターの弾き語りが中心にあるため、非常に内省的に聴こえる。またジャズ・ヴァイオリニストのビリー・トンプソンがレコーディングに参加。タイトル曲(「ソルヴァの亡霊」)や3曲目“Merch o'r ffatri wlan”をはじめ、随所に、非常に印象的な演奏を残している。ビリーはこの演奏のみならず、録音やプロデュース(プロデュースはアンディ・マウレとの共同)でも多大なる貢献。マイクの内省的な世界を音として具体化するのに、全面的にバックアップしている。

Icarws・Icarus (2007) (sain / SCD2516)
 マイク自身の言によれば、ライドウェン・ウィリアムス(Rhydwen Williams)との共作になるロック・オペラを録音したかったそうだが、それは結実しなかった。代わりにサイン・レーベルからソロ・アルバムの以来を受け、その結果、完成したのが本作だという。ここに収録された多くの曲は、これまでに書き溜めたもの。その音は2002年のysbryd solvaとは異なる、非常にリラックスしたものだ。まるでマイクの大らかさをそのまま音で体現したかのようだ。聴いていると、自然と笑みがこぼれてしまう。その音の基本はアコースティック・ギターをかき鳴らしたニューウェーブ(フォークソング)だ。ここにフィドルやバンジョー、スティール・ギターが加わることで、随時、ブルースやケルト音楽の音が見え隠れする。たとえるならば、ニューウェーブというメインディッシュに、ブルースやケルト音楽というスパイス/副菜を加えることで、その相乗効果により何倍にも美味しくなっている。結果として非常に懐の深い音楽でありながら、身を任せたくなるような大らかさが感じられる。非常に良いアルバムだ。






[リンク]
 Sain ... サイン・レーベルの公式サイト。オンライン・ショッピングあり。

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ウェールズ?! カムリ!
文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2003-2013: Yoshifum! Nagata








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