ウェールズを感じる
――ウェールズから響く音楽1:ポピュラー・ミュージック――



■カール・ジェンキンス(Karl Jenkins) サックス、オーボエ、キーボード奏者/作曲家
 カール・ジェンキンスは、アディエマスでの成功のおかげで、作曲家としての顔の方が知られている。だがその実、彼の名前はイギリス・ジャズ・ロック史を語る上で、決して忘れることが出来ない。

 カール・ジェンキンスは1944年2月17日、南ウェールズのペン=クローズ(Pen-clawdd)で、ウェールズ人とスエーデン人のハーフとして生まれる。父親は学校で教鞭をとるかたわら、地元の教会でオルガン奏者兼合唱団団長も務めていた。その父の下、カールは6歳からピアノを習い始める。父はカールへの音楽教育に熱心だったようで、父を通じて、カールはクラシック音楽やウェールズの教会音楽、特に、合唱に親しんでゆく。
 11歳からオーボエを手に取り、グラモーガン若者オーケストラ(Glamorgan Youth Orchestra)とカーディフ国立若者オーケストラ(National Youth Orchestra of Wales, Cardiff)で演奏した。カーディフ大学に進学し音楽を学ぶかたわら、カールはジャズに興味を示すようになり、サックスを吹き始める。大学卒業後は、ロンドンの王立音楽学院に進学。大学院で音楽について更に深く学ぶようになる。

 こうして音楽的素養を基本から学び、発展させた彼は、ジャズの世界での活動を始める。イアン・カーが69年に結成したジャズ・ロック・グループのニュークリアス(Nucleus)に参加し、演奏のみならず、作曲家としてもバンドに貢献する。72年にこのバンドで、モントリオール・ジャズ・フェスティヴァルで首位に輝いている。

 次にカール・ジェンキンスが加わったのは、ソフト・マシーン(右写真:左から2人目がカール)である。72年のことであった。
 ソフト・マシーンでは、稀代のサックス奏者エルトン・ディーンが脱退し、それに代わる才能のあるミュージシャンを必要としていた。そこに白羽の矢が立てられたのが、カール・ジェンキンスだったのである。
 長年マシーンのメンバーだったヒュー・ホッパーの推薦による加入だったが、加入後ほどなくしてホッパーとカールは仲違いするようになる。それがもとでバンドには亀裂が生じるのだが、バンドを去ったのはホッパーだった。それほどカールのマシーンにおける力は、強かったのである。

 ウィリアム・バロウズの同名長編から名を採られたソフト・マシーンは、当時、多様化するイギリスのロック/ジャズ・シーンで、最も注目度が高かったジャズ・ロック・バンドと言っても過言ではない。しかしながら、デビュー直後からメンバーの入れ替わりが激しく、また、アルバムを出すごとにその音楽性が変化することでも知られていた。彼が加わった時、バンドには、既に創立時のメンバーは1人しか残っておらず、また、その音楽はジャズ・ロックからフリー・ジャズへと移行し、また、マイルス・デイヴィズの『ビッチズ・ブリュー』の影響から、脱皮しようとしていた。ここにカールが加わることで、ソフト・マシーンの音楽はジャズ、ロック、そして現代音楽(ミニマリズム)が混ざったものとなる。アルバムを追うごとにカールの発言力は、バンドの中で力を増していく。そうして、カールが次第にバンド内で主導権を握るようになると、バンドはギタリストを迎え(カールは演奏よりも作曲に集中したかったため、バンドは他のソロイストを必要とした)、フュージョン色が強いものとなる。


オーボエを吹くカール・ジェンキンス
(ソフト・マシーン加入当時)


 カールはソフト・マシーンのオリジナル・アルバムでは、『6』(Six)(73年)から最後のアルバムとなった『ランド・オブ・コケイン』(Land Of Cockayne)(81年)まで合計6枚(編集盤は除く)に参加した。これらのアルバムを順を追って聴くと、次第にカールの音楽が前面に出てきて、最終的に彼がバンドを掌握する様子が伺える。

 興味深いのが、作曲における方向性の変化である。カールが在籍する以前のソフト・マシーンは、デビュー・アルバム(68年)とそれに続く『ヴォリューム・トゥ』(Volume Two)(69年)を除けば、どちらかと言えば10分を超える、長めの曲が多かった。
 『6』はその延長線上にあるが、その後『7』(Seven)(73年)では小曲が中心となり、続く『バンドルス』(かつては『収束』という邦題だった)(Bundles)(75年)では、30秒から3分に満たない短い曲をメドレー形式でつなげている。このメドレー形式は、この後、バンドの方向性となるのだが、これら小曲を作曲したのはカールなのだ。従って、カールが演奏と作曲の両面からバンドの主導権を掴み始めたのは、『7』や『バンドルス』の時点においてと見て良いだろう。
 特に最後のアルバムでは、彼が演奏のほかに、全ての作曲、編曲、そして、指揮までおこなっており、バンドは完全に彼のものとなっている。余談ながら、バンドが解散した現在でも、ソフト・マシーンの名義はカールが所有している。

 ソフト・マシーンがバンドとして機能しなくなって以来、カールは作曲の仕事に勤しむようになる。そのほとんどは、BBCなどのテレビ番組やコマーシャルの音楽だった。ここで彼はD&ADの賞「ベスト・ミュージック」を2回勝ち得るなど、作曲家として飛躍的な活動をしている。

 80年代は、いわゆる裏方としての仕事が主だったが、90年代半ば、彼の名が再び表の世界へと浮上する。デルタ航空のCMの依頼から端を発したアディエマスのデビュー・アルバム『ソング・オブ・サンクチュアリ』(Song Of Sanctury)(95年)は、世界各国でヒットした。このことで、どちらかといえば、ある種通好みの間でのみ名を知られていた彼の名は、世界中に知れ渡るようになる。彼はこのプロジェクトを継続し、現在までに6枚のアルバム(編集盤は含まず)をリリースしている。

 カール個人の作品としては、『ダイアモンド・ミュージック』(Diamond Music)(96年)、『イマジンド・オーシャンズ〜幻想の海』(Imagined Oceans)(98年)や『平和への道程』(The Armed Man - A Mass For Peace)(2001年)がある。この『平和への道程』は、リリース以来、20カ国で1000回近く演奏されている。

 またこれだけ多忙にもかかわらず、ウェールズ語の放送局S4Cの番組“Y Celtiaid”(ケルト)(2001年)や 番組“Pwy Ysgrifennodd Y Testament Newydd?”(「誰が新約聖書を書いたのか?」)(2003年)でBAFTAウェールズ(イギリス映画テレビ芸術アカデミー・ウェールズ)で賞を勝ち得ている。 いずれも、演奏家としてではなく、作曲家として活躍している。

 2004年にはクラシックFM(※クラシック音楽を専門的に放送するFMラジオ局)のホール・オブ・フェイムで、8位に選ばれる。これは生存している作曲家としては、最も高い位置だった。そして2005年にはOBEに叙され(※OBEは大英帝国勲章のひとつで、5つある位のうち上から4番目にあたる。ジミー・ペイジやデビッド・ベッカムもこの位に叙されている)、2010年にはそのひとつ上にあたるCBEに叙された。

 2005年3月、自身の父親に捧げられた「レクイエム」(Requiem)と、ウェルッシュ・ミレニアム・センターが委託した“In These Stones Horizons Sing”を収録したRequiemがリリースされた(註:日本盤は2006年2月22日発売)。これに伴い「レクイエム」はアポロ・ヴォイスズと西カザフスタン・フィルハーモニック・オーケストラで初演され、9月17日から10月29日まで、イングランドとウェールズで演奏された。




[アルバム(選)]
■Nucleus / Elastic Rock (70) (Virtigo /6360 008)
 イアン・カーとカール・ジェンキンスによって結成された、6人編成のジャズ・ロック・バンドが、ニュークリアスである。60年代末から70年代初頭は、ジャズ的なハーモニーとメロディ、そしてロック的なリズムの融合が盛んに行われていた。その先端をマイルス・デイヴィスが担っていたわけだが、ニュークリアスはイギリスの音楽シーンでその最先端を走っていたバンドである。全13曲のうち7曲をカールが作曲を手掛け(うち2曲は共作)、そこでは既に後年ソフト・マシーンで展開される、浮遊感のあるジャズ・ロックが展開されている。特に8曲目「1916-ザ・バトル・オブ・ブーガルー」や9曲目「トリッド・ゾーン」(ともにカールの作曲)では、浮遊感のあるリフの繰り返しと長音符のメロディという、後のカールの作曲方法が既に確立されている。「アース・マザー」でのオーボエ・ソロも、既に完成の域に達しているというのだからすごい。

■Soft Machine / BBC In Concert 1972 (2005) (Hux Records LTD /HUX070)
 1972年7月20日に、BBCラジオ1の番組「ライヴ・イン・コンサート」のために収録されたライヴを、2005年になってリリースしたもの。カール加入直後のライヴで、まだバンドに亀裂が生じていない貴重な時期のライブ音源である。ライヴは短いイントロで幕を開け、前任者エルトン・ディーンの一人舞台だった「オール・ホワイト」へとメドレーで続くが、ここですでにカールのオーボエが席巻している。「スライトリー・オール・ザ・タイム」や「ドロップ」といった、相方の鍵盤奏者マイク・ラトリッジのオルガン・ソロが活躍する部分では、一歩後退して幻想的なエレピを聴かせるが、一旦オーボエを手にすると、誰も真似できないような独特なフレーズを吹きまくる。こうなるとカールの一人舞台である。ディーン抜きでは考えられないほどだった名曲「アズ・イフ」なども、すでにカール彼独自の世界の色に染まっている。

■Soft Machine / Six (73) (CBS /68214)
 ソフト・マシーンのオリジナル・アルバムは、どれをとってもハズレがない。その中でも、最も特異な音楽性と人気を持つのが、このアルバムである。CDでは1枚だが、LPでは2枚組でリリースされ、AB面(CDだと(1).-(11).)に72年10-11月に行われたライヴ演奏を、CD面(CDだと(12).-(15).)にスタジオ録音の曲が収録されている。フリー・ジャズから、ミニマル・ミュージックの影響を受けたジャズ・ロックへと、ソフト・マシーンが変貌する様子をとらえた作品だ。加入直後でありながら、カール・ジェンキンスの浮遊感溢れるキーボードやオーボエの演奏が、既にソフト・マシーンの音楽の中心にいる。特にミニマル・ミュージックの手法を取り入れた、「ソフト・ウィード・ファクター」と「クロー・アンド・パイレーツ」は彼なしには考えられない。作品としても完成度が非常に高く、「クロー・〜」の美しさは他に類比を見ない。

■Soft Machine / NDR Jazz Workshop, Hamburg, Germany May 17, 1973 (73) (Cuneiform Records /Rune 305/306)
 CDとDVDをカップリングした2枚組。何とこのおかげで正規盤で、前作『6』リリース直後のライヴ映像を観ることができる。既にカールをバンドに招き入れたホッパーはバンドを去っており、ベースにはロイ・バビングトンが迎えられ、曲によってはサックスとギター奏者を加わるなど既に『6』で確立した音からバンドが抜け出そうとしていることが窺える。DVDに収録された映像を観ると、まずはライヴでテープを駆使していたことに驚かされる。実に白熱したインタープレイだと思っていたオーボエのソロの一部があらかじめ録音されたテープによる演奏で、そのバックでカールとマイク・ラトリッジの二人がキーボードでのミニマルなフレーズに専念、浮遊感溢れる独特の音を作り出している。非常に演奏も良いばかりか、音も良く、また、映像も余計なエフェクト処理などが行われていないので安心して当時のライヴを楽しめる。

■Soft Machine / BBC Radio 1971-1974 (2003) (HUX /047)
 バンドとしてソフト・マシーンは人気が高く、BBCには何度も出演している。当時、日本でもこれらの音源の一部が、NHK-FMで放送されたので、記憶にある方もいるだろう。そのBBCでのスタジオ・ライヴ音源が、ここ数年の間に、発掘・リリースされているが、このアルバムはその中の1作だ。しかしながら、2004年現在ではカール・ジェンキンス在籍時の音源としては、唯一のものとなっている。時期としては、『6』リリース以前から次々作『バンドルス』(Bundles)リリース10ヶ月前となる。加入直後となる72年では、これまでのソフト・マシーンのレパートリーの「オール・ホワイト」「MC」「ドロップ」がメドレーで演奏されているが、ここからもうカールのオーボエのソロが炸裂している。テクニカルな面のみに走る――これは演奏者にとって最も抵抗し難い誘惑だ――のではなく、他の誰も考えつかないような音の選び方が、この後のソフト・マシーンを「異色」たらしめるわけだが、その異色さがここに現れている。73-74年の音源では、彼の存在なしには考えられないところまで、バンドの音楽の中心になっているのがわかる。

■Soft Machine / Floating World Live (2006) (strangedaysrecords /SDCP-1002)
 ギタリストのアラン・ホールズワースが加わった75年1月29日のライヴが、20年以上の時を経て、CDとしてリリースされた(左が日本盤特性ジャケットで、右が欧州盤のジャケット)。全13曲を収録。独奏も含みながら、5分ほどの曲が次々とメドレーで演奏される。
 全編を通じて怒涛のソロを聞かせるホールズワースの加入のおかげで、カールの演奏における負担は軽くなっている。カールのオーボエ・ソロは、6曲目「ペフ」のみだ。当時、カールは既に管楽器でソロを取ることよりも作曲に傾倒し始めており、演奏も管楽器よりもキーボードに集中している。したがって、これまで以上にもう一人のキーボード奏者マイク・ラトリッジとのツイン・キーボードの比重が増え、そのため音に厚みと独自の浮遊感が出ている。中でも「バンドルズ」での2人の絡み(カールのキーボードはステレオの左チャンネルに、ラトリッジのそれは右チャンネルに、それぞれ振り分けられている)は、聴きモノだ。

■Soft Machine / Bundles (75) (See for Miles /SEECD283)
 当時はまだ知る人ぞ知る存在だったギタリスト、アラン・ホールズワースを迎えて製作されたアルバムだ。74年夏に録音されたが、リリースは翌75年3月まで待たねばならなかった。最古参のマイク・ラトリッジの曲は、それまでのソフト・マシーンの音楽性をうかがわせる。だが一方でアルバム冒頭18分を占める、カール作曲の5部構成の「ハザード・プロフィール」がバンドの方向性が変わったことを強く印象づける。それまでの主役だった管楽器は一歩後退し、代りにギターがその場に踊り出ていることも、そのように感じる一因だろう。だが決定的なのは、それまでのジャズ・ロックがフュージョンに取って代わられたことだ。それまでのバンドの音楽性は、リフ(繰り返しのフレーズ)とテーマ、そして時にそこの範囲を超えて繰り広げられる、各人のインプロヴィゼーションに頼ってきた。これが作曲と、その範囲内でソロを演奏するという音楽に代った。これをもたらしたのが、他でもないカールその人なのであり、この事実がカールのバンド内での主導権の強さを物語る。

■Soft Machine / British Tour '75 (2005) (Major League Production LTD /MLP10CD)
 75年10月11日に収録されたソフト・マシーンのライヴを、2005年になってリリースした、いわゆる発掘ものだ。ギターが、突然辞任してアメリカに向かった前任のアラン・ホールズワースからジョン・エスリッジに交代(ホールズワースからの推薦だったらしい)した以外は、面子は『バンドルス』と変わりない。すなわち、シングル・ギターと、カール・ジェンキンスとマイク・ラトリッジによるツイン・キーボードを前面に押し出したラインナップである。実際にはもっとも古参のラトリッジとカール&マーシャル組みの対立が激化し、エスリッジはその間で苦悩したらしいが、そのようなことを微塵も感じさせない白熱のライヴである。途中で2回中断する以外は、新旧の曲が各人のソロを挟みながら、メドレーで展開されていく怒涛の78分間である。ラストの即興演奏を中心とした“Sign of Five”では、荒々しいマシーンが聴かれる。

■Soft Machine / Softs (1976) (Harvest /SHSP 4056)
 76年春にロンドンはアビーロードスタジオで録音され、同年7月にリリースされた。アラン・ホールズワース、マイク・ラトリッジはすでにバンドを去り(マイクのみ2曲に参加)、代わりにジョン・エスリッジ(G)と、アラン・ウェイクマン(Sax)が加入している。全11曲のうち、7曲がカールのペンによる。実にここで聴かれる音は、硬派だ。『6』や『7』の頃の音に決別したかのようで、居住まいを正したという言葉がぴったりとはまるようなリフが、アルバムの中心を貫いている。そう思わせる要因のひとつに、カールの硬質な音がある。特にピアノに顕著で、まるで水晶のようだ。またジャジィでハードなエスリッジのギターと、タイトなジョン・マーシャルのドラムの絡みもスリリング。

■Soft Machine / Alive and Well - Recorded in Paris (78) (Harvest / SHSP 4083)
 創立時のメンバーは既に全員去っていたが、バンド結成10周年を記念して行われた、パリでのライヴを収めたアルバムだ。全11曲が新曲という、ロックの分野では破格のライヴ・アルバムで(ジャズでは珍しくない)、そのうち9曲がカール・ジェンキンスのペンによる。ライヴ全編を通じて、演奏のテンションが高く、一丸になって演奏する様子がうかがえるが、その実、短期間にメンバーが3人も交代している。バンドの運営は、それほど良くなかったのだろう。しかし、それにもかかわらず、アルバムに統一感があるのは、カールの作曲のおかげだといえる。短い曲を次々とつなげ、曲が変るごとにその表情をがらり、と、変える1-7曲目(アナログ盤ではA面にあたる)は、まさに音の絵巻だ。長いマシーンの歴史の中でも傑作のひとつに数えられるだろう。対して8−11曲目(B面)は、これからの方向性を探るような、暗中模索の感もある。そこがかえってスリリングでもある。
 バンドは後にスタジオに入り、このライヴ音源にオーバーダブを施しているが、その時に制作されたのが、アルバムの最後を締める「ソフト・スペース」だ。驚いたことにテクノ音楽で、クレジットはされていないが、マイク・ラトリッジがシンセサイザーで参加している。この曲はソフト・マシーンの新たな展開を垣間見せ、非常に面白い。だがその一方で、ソフト・マシーンがバンドとしては機能せず、カールのソロ・プロジェクトに既になっていたことを暗示するようでもある。

 なおこのアルバムは2010年に再発売された際に、2枚組に拡大された(Esoteric Recordings/ ECLEC 22234)。1枚目にはかつてのアルバムのリマスター版を収録し、2枚目に1977年7月7-9日の未発表ライヴ音源と、「ソフト・スペース」を2ヴァージョン(いずれもシングル盤のA/B面としてのみリリース)収録。未発表ライヴ音源には、各人のソロと既発曲の生演奏が収められている。

■Soft Machine / Land of Cockayne (81) (EMI / EMC3348)
 CD時代に入ってからの音源発掘作業を除けば、本作はソフト・マシーンの最後のアルバムとなる。ここではカール・ジェンキンスが作曲、編曲、そして指揮までもとっている。メンバーも、カールより先にバンドに加わっていたジョン・マーシャル(ニュークリアスでの同僚でもある)以外は、全てゲストとなっており、バンドとしての作品ではなく、その後のカールの方向性が色濃く現れた、ソロ作品と見るべきだろう。つまりバンドとしてのソフト・マシーンの事実上の最後のアルバムは前作『アライヴ・アンド・ウェル』であり、本作は、90年代に入ってから大きく展開される、アディエマスも含んだ、一連のカール・ジェンキンス・プロジェクトの始まりと見られる。オーケストラも大胆に導入された本作の音楽性は、それまでのマシーンの作品とは、明らかに一線を画す。変拍子も駆使した演奏で聴衆を圧倒し、しびれさせるるのではなく、耳障りの良いメロディとハーモニー、そして緩やかなリズムで、聴く者を楽しませてしまう。時にミニマル的な展開も見せるが、かつての浮遊感や昂揚感はない。つまり、強烈な個性や特異性は失われたが、代りに万人受けする出来となっている。それが、本作である。

Palladio〜Diamond Music (96) (The Sony Classical / SICP510)
 意外にも、これがカール・ジェンキンス初のソロ・アルバムとなる。演奏はロンドン交響楽団とスミス・カルテットで、カール本人は作曲と指揮を担当している。ソフト・マシーンやニュークリアスで展開された、前衛的な手法は影をひそめ、いわゆる、クラシック・タイプの曲が並んでいる。つまりここには、ブーレーズや武満といった、カギカッコつきの「現代音楽」の要素はない。ライヒらのミニマリズムもない。あるのは、情感溢れるメロディと統一感あるハーモニーだ。「現代音楽」が失った(それが悪いとは皆目思わないが)、古典的な調和と秩序が曲の主体にあり、それを現代的なハーモニーで再構成したのが本作と見てよいだろう。それは、カールの作曲法に基づくものだ。アルバムと曲のタイトルにもなっている、16世紀のイタリア人建築家アンドレア・パラディオの建築にある、数学的調和と古典的な建築要素と共通する。なお、この曲はデ・ビアス社の「ダイアモンドは永遠に」のキャンペーン用音楽として委託され、作曲された。

Imagined Ocean (98) (The Sony Classical / SK60668)
 月の13の特徴を音楽的に解釈したのが、このアルバムである。オーケストラに女性コーラス、2人の打楽器奏者、そしてカール本人の作曲と来れば、アディエマスの音を連想するかもしれない。だがこの音楽は、アディエマスとは性格が異なる。マイナー調の曲が多いこともあるが、歌がラテン語の曲タイトルやその断片の繰り返しとなっていることだ。ここが、架空の言葉を歌のテクストに用いたアディエマスとは、最大の異なるところだろう。カール本人によれば、これによって音楽の「映像的な」要素を強めることが出来る、という。本作に参加しているミカエラ・ハスラム(Micaela Haslam)を、カールが初めて聴いたのは、ミニマル・ミュージックの大御所スティー・ヴ・ライヒのロンドン公演での「テヒリム」(“Tehillim”)だったそうだ。本作には、ユダヤ語のテクストを繰り返す「テヒリム」の影響が、あるのかもしれない。

Requiem (2005) (EMI Classics /7243 5 57966 2 2)
 本アルバムはカール・ジェンキンスを音楽家に育て、導いた父親に捧げられた、弦楽と合唱のために書かれた「レクイエム」全曲と、ウェルッシュ・ミレニアム・センターが委託した“In These Stones Horizons Sing”全曲からなる。前者はアディエマスで聴かれる優しさも垣間見せながら、全体を包む雰囲気は、重く、暗い。テキストには英語、ラテン語、そして、日本語が使われている。日本語はすべて、彼が選んだ俳句であり、それぞれ沢吾山、小杉一笑、葛飾北斎、加賀の千代、蕃山の作だ。ここでカールが目指したのは、東と西、クラシックとポップ、伝統と革新の融合である。そして後者“In These Stones Horizons Sing”では、グラハム・デイヴィス(Grahame Davies)、メンナ・エルフィン(Menna Elfyn)そしてグィネス・ルイス(Gwyneth Lewis)ら3人のウェールズ詩人の詩をテキストに選んでいる。伝統的なハープを伴い、これらテキストを主導して歌うのは、かのブリン・ターフェルである。雄大に歌い上げるターフェルの姿が目に浮かぶような、素晴らしい出来となっている。





[リンク]
 Karl Jenkins ... 公式ホーム・ページ。バイオグラフィーのほか、短いながらもストリーミングによる視聴サーヴィスあり。
 Sonny Classical : Karl Jenkins ... ソニー・クラシカルのカール・ジェンキンスの公式英語ページ。
 Calyx - The Canterbury Web Site ... カンタベリー・ミュージックを扱ったサイトでは、最も良い英語サイト。ソフト・マシーンのことを知りたければ、まず、ここを訪れるべし。
 COLLAPSO-Canterbury Music Family Tree ... 複雑なカンタベリー・ミュージックの歴史を、バンドごとのファミリー・ツリー形式で追った優良サイト。初心者には掴みづらい、カンタベリー・ミュージックの流れを概観できる。作者は日本人だが、大半が英語のみのページとなっているのが非常に残念だ。




ウェールズ?! カムリ!
文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2003-2013: Yoshifum! Nagata








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