随想もしくは雑記
――ウェールズに関する、あるいは、ウェールズに関係ない、筆者の雑念――



2004年大晦日
 東京は朝から雪である。現在(19:00)になって、ようやく止んだが、外は一面白銀の世界だ。相変わらず私室は寒い。唯一の暖房器具であるエアコンの温度設定を26度にし、5時間以上連続稼動しているにも関らず、室温は16度だ。更に寒いのが足下で、12度以下である。

 何はともあれ、いろいろなことがあった2004年も今日で終る。終わりがあれば、始まりがあるとは、ケルトの輪廻転生思想だ。ケルトの輪廻は、時に回転する車輪に象徴される。円環には始まりも終わりもなく、故にケルトにとって終わりは始まりという思想が成り立つのである。従って、死は新しい生の誕生を意味する。そしてこの2004年も終ろうとする瞬間、世界は雪という名の死衣装を被せられ、静かに新しい年の誕生を待っている。

 来年こそは良い年でありますように。皆さまにとって素晴らしい1年でありますように。立ち上げの今年5月より7ヶ月間、当サイトをご訪問・ご支援いただいた方々にはお礼のしようもありません。来年もよろしくお願いします。

2004年最後の水曜日
 東京は予報どおりの雪。寒い。私室唯一の暖房器具である、エアコンを25度の設定にした。しかし室温は10度から14度に上がったのみ。故に、コートを着込んでいる。部屋の中だというのに。

 前々日に記した「年末の東京に雪が降るのは、久方ぶりのことだろう。」は、私の記憶違いであることが判明した。申し訳ない。去年、わずかながら年末に雪が舞ったそうだ。

 前々日にスノードニアについて触れて、初めて気づいた。なぜか、当サイトには1枚の写真を除けば、スノードニアの記述がない。これは至急改善せねば。

2004年最後の月曜日
 インドネシアの地震による津波の被害者は、現在わかっているだけで数百万人におよぶ。新潟の地震が記憶に新しいだけに、まさに「災い」の年という感じがする。イラクの戦後も終るどころか、混迷を極めている。それにもかかわらず、アメリカは責任をとろうともしない。

 個人的にも後半、特に最後の3ヶ月は「災い」一色だった。その時の心象は、この「雑念」記にある。

 今年も後数日を残すのみながら、雑事に追われてばかりいる。形ばかりの大掃除もせず、ゴミ回収の最終日を明日朝迎える。

 明後日に東京は雪の予報が出ている。年末の東京に雪が降るのは、久方ぶりのことだろう。2年前、R.S.トマスのサイトを準備していた正月に、雪が降った記憶があるが、それ以外はない。

 聞くところによれば、ウェールズは毎年ホワイト・クリスマスらしいが、今年はどうだったのだろう。1年のうち9ヶ月が冬といわれる、スノードニア山脈だけは確実にホワイト・クリスマスだったと思うが。

2004年12月降誕祭
 世界でミサが、24日から25日にかけて行われた。そこでは某国の主張する“正義”に対する言及は、かけらもない。ただあるのは、「世界中の平和を求める祈り」のみ。

 その某国にある宇宙局(NASA)が、23日に発表したところによると、小惑星2004MN4が300分の1の確立で、2029年4月13日に地球に衝突する可能性があるという。数年前に恐れられた、惑星直列の日付もこの辺りだったと記憶している。何たる偶然だろうか。しかしながら、このような事実を、クリスマス・イヴの前日に公表する国の深層心理には、世界破滅への恐怖心と願望があるように思える。

2004年12月国旗が掲げられない天皇誕生日
 東京は極寒の1日だ。新宿アルタ前などで観られる青色発光ダイオードのイルミネーションは、珍しくはあるものの、色自体が寒々しい。しかも豪勢でないために、ますますもって寒々しい。中途半端なイルミネーションと昼間以上に明るい街灯のために、夜空からは星が失われている。中部ウェールズや北ウェールズで体験した、満天の星空が懐かしい。

 言ってはいけないことなのだろうが、あの人もあと2日後に生まれてくれれば、日本国民はもっと喜んだだろうに・・・ 。

 私の天敵にセールス・マンおよびウーマンがいる。彼ら彼女らは、相手の都合など一切お構いなしだ。自分の仕事のみを遂行できれば良いという、いわば、自己中の塊だ。非常識極まりない。今日など、勝手に家の敷地内に入ってきた。しかも玄関の鍵をかけ、急いで出かけようとしている私の前に立ちはだかり(実際に門の前からどこうとしなかった)、無理矢理話を聞かせようとする始末。もちろん、撃退。KDDI、手前のところだ。

2004年12月3回目の月曜日
 バンド・エイド20の"Do They Know It's Christmas?"は以外にも良かった(ウェールズには関係ないが)。タイトルを"Do the Bushes Know It's Christmas?"にしても、と思うのは私だけではないはずだ。"Bush"とは、もちろん、「藪」を意味するわけだが。

 R.S.トマスのサイトにクリスマスの詩を3点公開しました。イングランドはドーセット州のトマス・ハーディが残した"The Oxen"は、常にクリスマス詩マイ・ベスト3に入るほど素晴らしい。だがR.S.トマスのきつい詩のほうが、苛酷な現代にあっている。

2004年12月折り返し点を過ぎてすぐの金曜日
 寝違えた。首が痛い。回らない。借金をしているわけではないのに。もちろん五十肩の類でもないのに。内臓もボロボロ。

2004年12月2週目の日曜日
 アクセス・カウンターが5000を突破! ありがとうございます。そして、記念すべき5000番を踏まれた方、おめでとうございます。

2004年12月最初の火曜日
 3年ごとに行われる経済協力開発機構(OECD)によって2003年に行われた十五歳を対象に実施した「生徒の学習到達度調査」(PISA=ピザ)の結果が公表された。これによると日本は、「総合読解力」の分野で前回(2000年)の8位から14位に転落。本離れ、活字離れ、そして言葉の軽視を象徴する結果となった。全くもって笑えぬ結果である。

 なお、ウェールズは2000年と同様、今回もピサに不参加。ただし次回2006年には参加する予定である。

 そのウェールズは本日は雨のようである。イギリス特有の冷たい雨なのだろうな。

 日本、ここ東京では、11月の暖かさが12月に入ると同時に消えた。晩秋なくして冬に突入といった感じである。寒い。底冷えの寒さに、冬の本格的な到来を感じる。

 冬空の東京の街は、クリスマス商戦と忘年会一色だ。煌びやかなイルミネーションの裏では、その影が、しかしながら、キリストの不在を色濃く強調する。この不在は、言ってみればクリスマスという記号読解失敗の結果である。つまり、言葉や風習の本来の意味・目的の軽視の顕れのように思えてならない。

2004年11月その翌日の日曜日に
 しかし、何で休むと言うことを私はしないのだろうか。せっかく休みなのに、気づけば本を読みながらノートをとっていた。加えて、当サイトを更新するのだから。

2004年11月もあと残り10日という土曜日に
 体がギシギシ言う。疲れだ。細胞一つ一つが疲労を訴え、悲鳴を噛み殺しているような感じ。

 今日、都内でATMで金を降ろした時、先日発行された新紙幣を始めて手にした。しかしその10分後には使うことになったのだが、レジでその紙幣を掴むまでそれが新紙幣であることに気づかなかった。新紙幣の存在感など、その程度のものなのか。それとも私が注意力散漫になっているのか。

2004年11月それから2日後
 Rydw i wedi blino'n lan ... I am exhausted ... 疲労困憊。こうも疲れると、夏に訪れたウェールズの、特に北ウェールズの自然が懐かしくなる。海辺の暖かな日差しや、森の中の清々しい空気が懐かしい。4年通って始めて登ったマナーヴォンの丘(中部ウェールズ)の静けさも、懐かしい。こういう時には、自然の一面である癒し効果を求めてしまう。都下に自然はあるが、スケールではウェールズのそれには敵わない。

 関係ない話だが、以前、教師仲間内で「挨拶の出来ない教師がいる」と、話題になったことがある。本当だな、と、昨日思った次第。困ったものだ。

2004年11月の折り返し点の月曜日に
 東京は、午前中に強い雨に見舞われた。だが、昼を境に雨脚は急激に弱まり、午後15:00には太陽が顔をのぞかせた。

 暗い現状だが、今日の天気のような明るい兆しはないものか。少しの休憩でも良いから、ほしい。

 サイトの更新もしたいのだが・・・ 。出きることから、ひとつひとつ確実にやっていくか。

2004年11月それから更に3日後
 ストレスから来る免疫力低下が原因だろうか。昨日と一昨日は調子が戻ったかにみえたが、本調子ではなかった。あごのつけ根の腫れは引いたものの、今日はだるくて仕方がない。鼻が詰っているわけではないが、不快感あり。始終、眠気に襲われる。

2004年11月更に2日経過して
 当サイト更新直後、何とダウン。昨日はそれほど酷くもなかったが、今日の昼間は臥せらねば辛いほど。今はかなり快復したが、喉(両方のあごのつけ根辺り)が腫れ、熱をもっている。○×は風邪をひかない、と聞いていたのだが、どうやら定説を覆してしまったようだ。

2004年11月文化の日から2日過ぎて
 (1) 世界のこと。アメリカではブッシュが大統領に再選。ウェールズ国民党からのケリー支持は、残念ながら力及ばず。そして当選後の演説で、ブッシュは対テロ戦争を継続することを強調。最低あと4年間、世界は地獄絵図を目の当たりにすることとなった。これから4年間世界が存続している、と仮定しての話だが。

 (2) 個人的なこと。強い閉塞感。苛立ちと不安。焦燥よりも絶望感。情報の錯綜。無力感。歯がゆさ。気だるさ。感情を締め出した心。無感動。無気力。暗闇にも似た濃く厚い鈍重な灰色。――「星一つなく聖書の表紙のような暗黒」(ディラン・トマス『ミルクの木の下で』)

 (3) 11月の暖かい秋の日差しが、窓より入ってくる。だがその光は弱い。中部ウェールズの丘の農夫を描いた、R.S.トマスの詩を思い出す。

  ... no one will tell you
  How I made fun of you, or pitied either
  Your long soliloquies, crouched at your slow
  And patient surgery under the faint
  November rays of the sun's lamp.

   誰も君には告げまい
   如何に私が君をからかったかを 太陽の燈火からの
   11月の微かな光線の下で 君のゆっくりとして
   辛抱強い外科手術に身をかがめ
   君の長い独白を哀れんだかを。


リンク:R.S.Thomas, priest and poet

 (4) 破壊的衝動。安らぎを求める反動。新しいものの追究。時に新しい芸術は、過去の遺産を十分把握した上での破壊と再創造から生まれる。ロードリ・デイヴィスの演奏を聴いていると、そんなことを時折考える。

 (5) しなければならないことは山ほどあるのに、全て後回しにされる。現地で仕入れた大量の資料を読む暇がない。ホーム・ページ更新のため執筆された原稿は、いずれも最終校正を待つ形でパソコンの中のフォルダに眠っている。だが、何とかマニックスのページのみ更新した。ほかは今しばらくお待ちください。

2004年10月台風23号がすぎて
 台風23号は、昨日のうちに関東地方を通過。十月半ばを過ぎて日本列島を縦断した台風は、大きな爪あとを残した。その一方で、人など敵わぬ自然の強さと、それゆえの自然への畏怖を強く感じる。東京では、午後に台風一過となる。関西はどうだったのだろうか。心配でもある。台風一過の青空を仰ぎながら、古代の人々は自然の猛威と優しさに神の存在を強く感じたのだろうと思う。

 強くならねば。強くあらねば。肉体的に、ではなく、精神的に。

2004年10月貧困撲滅のための国際デー
 (1) 日本では、カラオケの日でもある。カラオケといえば、現在では、歌好きなウェールズ人の娯楽のひとつ。南ウェールズを舞台とした、映画『ツイン・タウン』ではカラオケ大会の様子が描かれたが、極めつけは、90年代ウェールズを代表するバンドのひとつ、カタトニアの歌「カラオケ・クイーン」だろう。
リンク:ウェールズの映画
     ウェールズから響く音楽1:ポピュラー・ミュージック 「カタトニア」

 (2) 失意と絶望の日々。あの日から2日間、全く仕事が出来なかった。もっと打たれ強いと思っていたのだが。いろいろと重なったせいもある。断崖絶壁上で一人暗中模索。いや、暗闇の中で吊り橋を渡る、か。人のありがたさと同時に、人の本性を見る。

 (3) あの日から4日後。思いがけない便りあり。嬉しいこともあるものだ。そう言えば、本日は快晴。太陽を見たのは、久しぶりのような気がする。

2004年10月万国郵便連合記念日
 (1) ウェールズのこと。今日は世界的に、万国郵便連合記念日(世界郵便デー)だそうだ。イギリスが国内全国一律配達料による郵便の発祥の地であることは、知られている。だが、1879年10月に最初の郵便事業を始めたサー・プライス・プライス=ジョーンズが、ニュータウン生まれのウェールズ人であったことは以外にも知られていない。

 (2) 日本のこと。台風22号が直撃。今年の秋は滅茶苦茶。

 (3) 個人的なこと。踏んだり蹴ったり。泣きっ面に蜂。覆水盆に帰らず、その盆までも割られる。七転び、もう起きれず。七乞食ならぬ未来乞食。溺れるものの藁をも奪う。etc, etc ...。

 (4) 「私が目を閉じる時 私には見える/あの苛酷な空の下で 畑を耕しているあの男(イアーゴ・プリザーフ)がいる/あの丸裸の丘が・・・ 。その男は決してそこから姿を消さない だがまるで奴隷のように/あの心の命令に応える まるで秋が/自分の知るひとつの季節だったというように/永久に畑を耕す。」(R.S.トマス、「あの顔」(『ピエタ』収録))

“When I close my eyes, I can see it,/ That bare hill with the man[Iago Prytherch] ploughing,.../Under a hard sky. ...He is never absent, but like a slave/ Answers to the mind's bidding,/ Endlessly ploughing, as though autumn/ Were the one season he knew.”(R.S.Thomas, ‘The Face’, Pieta, p.41)

参照
「イアゴ・プリザーフが彼の名、まあ、言ってみれば、/禿あがったウェールズ丘の普通の男」(「農夫」)

「11月の暗く寒いある日、トマスは農夫の兄弟が畑でビートを削っているのを見た。そのことは重大な印象をトマスに与えた。訪問を済ませた後、トマスは「農夫」という詩を書き始めた。その詩は、自分の周囲にある現実に直面しようとした最初の詩である。」
「「農夫」・・・ 丘の農夫の象徴であるイアーゴ・プリザーフについての最初の詩」

cf.,
"Iago Prytherch his name, though, be it allowed,/ Just an ordinary man of the bald Welsh hills"('A Peasant')

"On a dark, cold day in November, ... he[Thomas] saw the farmer's brother out in the field, docking mangles. The thing made a profound impression on him, and when he returned to the house after the visit he set about writing 'A Peasant,' the first poem to attempt to face the reality of the scenes around him."(R.S.Thomas, 'No One', p.52)
""A Peasant," the first of my poems about Iago Prytherch, my symbol of the hill farmer. (R.S.Thomas, 'Autobiographical Essay', Miraculous Simplicity, p.9-10)
 行ってみたかった。

註:R.S.トマス・・・ 20世紀の英語で詠うウェールズ詩人。その初期において、中部ウェールズの過疎の村マナーヴォンの丘を舞台としたかず多くの詩を残した。イアーゴ・プリザーフはその主要登場人物。
リンク:R.S.Thomas, priest and poet

 (5) 次の詩(妙)が今朝浮かんだ――“You always/ Slowly unfolds the tapestry of the life/ On the bare hill. ... / Before and after his leaving .../ The world swiftly chages..../ You always/ With an unnamed angel in the same field. / And I always/ a watchers to you/ From the distance.”

 (6) 個人的なこと。手紙2通を含め、5つの配送品あり。そのうちのひとつは、非常に喜ばしいもの。こんな日でも、嬉しいこともあるもんだ。

  2004年10月2回目の金曜日
 台風が22号を数えた。今年、日本の秋は大荒れである。いつになく仕事が手につかないのは、この秋のためか。

2004年9月最後の木曜日であり9月最後の日
 日本上陸をした台風は予想以上の速さで関東を通り過ぎたようだ。今朝は台風一過、一転して快晴・秋晴れである。やはり、秋が好きだ。

 今回のウェールズ旅行で購入した、ブリン・ターフェルのセルフ・タイトルのCDを聴いている。ピアノのみを伴奏としたこのCDでは、非常に彼の声が心地良く響く。いずれ、このサイトでもレビューを書くことになるだろう。

 それにしても秋だ。本当に私は秋が好きなのだな。

2004年9月最後の水曜日
 英語で詠うウェールズ詩人(Anglo-Welsh poet)であるR.S. Thomasの初期の詩に見られる、ウェールズの秋のイメージを集めてみた。いずれも、中部ウェールズを、特にマナーヴォンの丘を、その舞台としている。

「君は思い起こすのか、樹の暗がりにいる一羽の鳥のように 騒々しい天狼星シリウスの秋の夜を?」
("Do you recall .../the autumn night with Sirius loud as a bird/ In the wood's darkness?")('Memories')

「収穫期、収穫期だ! 頭を持ち上げるには茎が細すぎる/大麦は刈り取られ、/貯蔵庫に収められた。・・・ /男たちは、美しい女神である小麦を/その髪の毛を掴んで採り入れ、大地へ投げ付けた。」
("Harvest,harvest! The oats that were too weak/To hold their heads up had been cut down/And placed in stocks. .../The men took the corn, the beautiful goddess,/By the long hair and threw her on the ground.")(The Minister)

「男、野原、静寂――何か言うことはあるか?/男は生き、男は動き、そして、十月の日は/ゆっくりと燃え落ちる。」
("A man, a field, silence--what is there to say?/ He lives, he moves, and the October day/ Burns slowly down.")('Autumn on the Land')

リンク:R.S.Thomas, priest and poet

2004年9月最後の火曜日
 昨日の冷たい秋雨もあがり、日本の秋空に思う。それは、やはり、私は秋が好きだということだ。

2004年9月秋分の日の翌日
 ああ、秋だな。本当に、秋だ。秋、秋・・・ 。

2004年9月秋分の日
 つい先日まで連続した夏日は、昼夜が同じ長さになるこの彼岸の中日におさまりをみせた。「暑さ寒さも彼岸まで」とは日本の諺だが、よくぞ言ったものだ。
 暑さがひくと同時にやってきたのは、寂しさの募る、物悲しい秋の長い夜である。これまで暑さが紛らわせてくれていただけに、こたえる。

2004年9月秋分の日のイヴ
 昨日、帰国後初めて車を運転した。体はまだイギリスでの運転感覚を覚えており、したがって、ウィンカーを出そうとするたびに、右手ではなく、左手が動く。イギリスの車は日本と同じく右ハンドルだが、ウィンカーの操作レバーがハンドルの左に、ワイパーが右にあるのだ。

2004年9月帰国後4日目
 満たされぬ、満たされぬ・・・ 。

2004年9月ニューヨーク同時多発テロ発生より3年後
 実は――というほどでもないのですが――8月下旬よりイギリスに旅に出かけており、昨日、無事に帰国しました。1日経ちましたが、未だに疲れが抜けません。
 ウェールズには約1週間滞在しました。5回目になる現地訪問ですが、やはり新しい発見が多く、フィールド・ワークの重要さを改めて感じました。おいおい、書き足して行こうと思っています。

 それにしても5回目の訪問となると、やはり向こうの人に驚かれます。話の途中に5回目だと言うと、大抵、「なぜ?」と聞かれました。「自然が多いし、ウェールズが好きだから」と答えていましたが。

2004年8月終戦記念日より5日後
 今年の7月から8月にかけて、日本は猛暑に見舞われた。終戦記念日の前日まで、連続40日間真夏日を記録したほどである。
 しかし終戦記念日当日、天候が変わり、冷たい雨が降った。かつての大戦の犠牲者と、イラクにおける現在進行形の戦争に対して、日本列島がまるで涙を流しているような雨だった。
 ウェールズ出身の詩人、R.S.トマスは広島や長崎で起った惨劇を非常に嘆き、憂いていた。その気持ちが原発に反対する行動へと、トマスを駆り立てたのだと、ポースマドックの牧師は以前私に語った。実際、トマスはスリン半島の先端に位置するアバーダロンに牧師として赴任して以来、核兵器の恐怖をその詩に詠みこむことがあった。晩年には、「反原子力のためのキャンペーン」(The Campaign for Nuclear Disarmament)の地方支部メンバーにも、トマスは選出されたほど発言力を持っていた。

 なおウェールズは1982年に、ヨーロッパで最初の核兵器廃絶国を宣言している。

 ここからは、私信です。文体も話題も代ります。先週1週間、私は大学の通信教育のスクーリングで教えていました。受講生の皆さま、連日の暑い日々の中、お疲れ様でした。テキストには映画『ウェールズの山』を使用したのですが、授業終了後に行ったアンケートの中で最も多かった私への質問は、「なぜそこまで(私が)ウェールズに深い興味をもつようになったのか」でした。
 お答えすることが出来なかったので、この場を借りて答えさせていただきます。「R.S.トマスの詩に感動したから」――答はこの一言に尽きます。

リンク:R.S.Thomas, priest and poet

2004年7月最後の月曜日
 知らなかった、Hertzの営業所がバンク・ホリデイ(Bank Holiday)に休みだとは。

2004年7月、海の日イヴ
 本日の午前0時をもって、私の使っているウィルス・スキャン・プログラム及びファイアー・ウォールの使用期限が、切れてしまった。モニターの中央に契約終了とのメッセージとともに、ウィルス・スキャンとファイアー・ウォールのプログラムが作動を止めた。その瞬間、日常から切り離されるような感覚を味わった。

 慌ててプログラム会社のサイトを訪問し、契約更新を行おうとした。しかし、ソフトを流通させる会社が去年と変わっていたことに気づかず、以前のIDとパスワードを何度も入力するという始末。ようやく気づき、改めてメンバー登録が済んだ時は、メッセージが流れてから小1時間がたっていた。その上で品物(この場合はダウンロード形式のプログラム継続ソフト)と支払方法を確定し、決済を済ませる。・・・ のだが、この時点でメールが2通送られてくる。ひとつはID収得の確認メール。もうひとつは、注文の確認メールだ。
 この後、プログラムがダウンロードできる旨を知らせるメールが届くのを、待たねばならない。ものがものだけに一刻を争うのだが、この最後のメールが中々送られてこない。

 仕方ないので、メールを待つ間、インターネットの接続を切り、パソコンの電源を落す。小腹が空いたので夜食を食し、たまったビデオ・テープを観る。そうこうしているうちに、2時間が過ぎた。パソコンを立ち上げ、無防備な状態のままでインターネットに接続すると、ようやく最後のメールが届いている。それからメールの指示どおりに、エクスプローラーのセキュリティ・レベルを下げ、2回に渡って新しいプログラムをダウンロードしては、パソコンを指示どおり再起動する。これらの作業を完了して、ようやく日常に戻ることが出来た。様々な機関から個人情報が流出する昨今、個人情報を守るためには金も労力も惜しまないが、もう少し手順を簡略化できないものだろうか。

2004年7月、七夕から1週間がすぎて
 関東では梅雨も明け、猛暑たる日々が続く。本日の気温は34度だが、体感温度は38度と、人の体温を超えている。去年の冷夏が嘘のようだ。
 この暑さを倍増してくれるのが、湿気をたっぷりと含んだ空気だろう。湿度は46%である。
 そこでウェールズの気温は、と、インターネットの天気予報サイトをのぞくと、北のカーナヴォンで14度。南のカーディフでも、16度である。うらやましいかぎりだ。

 しかし、驚くことがある。湿度がカーナヴォンで100%、カーディフで94%と日本の倍以上あることだ。いくら気候のが雨でも、この数字はすごい。晴れの予報の日の予想湿度を見ても、60〜70%と日本と較べて高い。
 気温の低さで、救われているのだろう。だが今の日本でこれだけ湿度が高かったら、と思うと、気が遠くなる。

 ここで話題が変わる。

 昨日、OMRというフランスのユニットのCD、Side Effectsを購入した。エレクトロニカとノイズを基調とし、そしてそこに少々気だるげな女性ヴォーカルが乗る。いわゆる、アヴァント・ポップと呼ばれる音だ。
 作品としての質が非常に高く、既に昨日から何度も聴いている。デジタルの硬質な音が、クールに組み上げられており、夏の暑さを冷ましてくれるようなところが、特に気に入っている。

 ただ、気にかかることが、1点だけある。歌詞と曲のタイトルが、全て英語なのである。CDジャケットのスレーヴ・ノートすらも全て英語だ。

 彼らが英語を選んだ理由は、わからない。彼らは、英語しか喋られないフランス人ではないだろう。もし、これがレーベル側の要求ならば、一抹の寂しさを感じる。
 メンバー全てがウェールズ語を第1言語とする、スーパー・フューリー・アニマルズも、大手レコード・レーベルと契約を結ぶにあたって、英語で歌うことが契約条件にあったのだが、この英語重視という風潮は、改善されないものだろうか。本人が自国語ではなく、英語を望んで選択した場合は問題ない。だが、相手側から強要、もしくは、勧告されるということは、個性重視の現代にあって、逆行だと思うのだが。

2004年7月、香港返還の翌日
 英語では、「1日1個のリンゴを食べれば医者はいらない」(“An apple a day keeps the doctor away”)という有名な諺があります。夏、ロンドンを訪問した際に、小さな売店の軒先に、リンゴが山積みされているのを見るたびに、私はこの諺を思い出します。ロンドン子の中には、忙しい朝、朝食代わりにリンゴを食べたりする人もいるそうで、まさにロンドン生活の中から生まれた諺なのだ、と、思っていました。

 しかし、意外なことに、この諺の初出はウェールズだったのです。Random House Dictionary of Popular Proverbs and Sayings(1996)によれば、1866年にウェールズの民衆たちの間に伝わる諺として記録されているとのこと。もとの文章は、“'Eat an apple on going to bed,/ And you'll keep the doctor from earning his bread”( 「寝る時にリンゴをひとつ食べなさい、そうすれば、医者がパンを買う金を稼げなくなるよ。」)。

 ネット・サーフィン中に見つけました。

2004年6月最後の月曜日
 昨日、寝る前にテグゥイン・ジョーンズ(Tegwyn Jones)編『小冊子:ウェールズの諺』(A Little Book of Welsh Proverbs)を読んだ。

 この本では、ブライアン・フィッツジェラルド氏による素晴らしい挿絵とともに、ウェールズ語の諺とその英語訳を楽しめる。解説が無いので、内容がわからないものもあるが、それでも、ウェールズの先人たちの風習や生活の智恵が、文章を通じて伝わってくる。

 いくつか、例をあげてみよう。

   Haw dywedyd "mynydd" na myned drosto.
   It is easier to say "mountain" than to climb one.

 直訳すれば、「『山』を登ることよりも、『山』と言うことは易し」。日本の諺ならば、「言うは易し、行うは難し」だろうか。「山」という言葉をもってくることが、国土の多くを山岳地帯が占めるウェールズに生きた民らしい。

   Nesaf i'r eglwys, pellaf o baradwys.
   Nearest to the church, furthest from paradise.

 訳せば、「教会に最も近ければ、楽園から最も遠い」。何とも、痛烈な皮肉だ。これは、他民族に虐げられ続けた民ゆえの黒い嗤いから生まれたのだろう。“church”はイギリスでは英国国教会の教会を指す言葉であるから、英国国教会そのものを嘲笑った諺なのかもしれない。

 楽園に対して、地獄に関してはこのような諺がある。

   Y cyw a fegir yn uffern, yn uffern y myn drigo.
   The bird reared in hell, there he will choose to dwell.

 直訳ならば、「地獄で育てられた鳥は、地獄を住処に選ぶ」だろうか。
 この諺は子供の養育に関するものだ、と、言う人もいる。その人はこの諺を、子供が悪しき環境で育てば、悪の世界で暮らしていくことをその子は望む、と解釈する。なるほど、一理ある。

 しかしながら、私は、「住めば都」が近いのではないか、と思う。しかし、ことがウェールズであることを考慮すれば、諺のニュアンスは、日本のそれと多少違ってくるかもしれない。
 即ち、ウェールズの痩せた大地でも、ウェールズの民はその地を捨てずに、しがみつくようにして生きてきた。それは、他者から見れば、たとえ「地獄」のような世界であっても、ウェールズの民は故郷を見捨てることはしない。むしろ彼らは、ウェールズから離れれば、ヒラエスと呼ばれる望郷の念を感じるのだ。
 そのようなウェールズ人が長年抱き、親から子へ、子からそのまた子へと、代々受け継いできた感情から、この諺が生まれたのでは、と私は一人、推測を楽しんでいる。





文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2004: Yoshifum! Nagata






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