――ウェールズで飲む―― Drink water like an ox and wine like a king (Welsh proverb) 水は牛のように飲め、ワインは王のように飲め (ウェールズの諺) 基本的にウェールズは、水資源豊富で、その水質は極めて綺麗だ。水道水は良質なことが知られており、飲料に問題はない。しかしながら日本のそれに較べて硬質であるため、一度沸かさずそのまま飲む場合には、胃腸の弱い人は幾分注意が必要となる。 ウェールズでは山岳地帯の豊富な水資源を活用し、ミネラル・ウォーターが制作、販売されている。ただしいくら綺麗だからといって、川や清水を直接飲むことはしないように。腹を壊すもとである。 ミネラル・ウォーターには2種類あって、“sparkling”が炭酸入り、“still”が炭酸なし(つまり普通のミネラル・ウォーター)である。炭酸なしの場合は、“no gas”と表示されていることもある。以下にウェールズ原産のミネラル・ウォーターをいくつかあげておく。このうち、ティナント(Ty Nant)は日本にも輸入されているようなので、興味のある方はインターネットなどで検索してみてほしい。 それからネット・サーフィン中に、興味深いミネラル・ウォーターを見つけた。“Ancient Druid Water”(古代ドルイド僧の水)がそれである。ネーミングも奇抜だが、何とこの水の源泉はウェールズの国歌の作曲者ジェームス・ジェームスが飲んで育った水とのことだ。興味のある方は、こちらのリンクからどうぞ。
(この写真はイメージです。本文と直接関係はありません) イギリスといえば紅茶を思い浮かべる人がいるほど、そのイメージは強い。実際にイングリッシュ・ティーの習慣は、イギリス人にとってやめられないものらしい。 そこで我々は、ウェルッシュ・ティーといこう。ウェールズでブレンドされた紅茶の銘柄があるのだ。Murrough'sのWelsh Brewは、伝統的なウェールズ・ブレンドの紅茶だ。スウオンジーでブレンドされている。下の写真はティーパックだが、リーフティーも存在する。是非ともウェルッシュ・ケーキかバラ・ブリスと一緒に味わってみたい。 ウェールズのミネラル・ウォーターでウェールズ産の紅茶を飲めば、美味しさ倍増(2005年撮影)。 アルコール ビールは様々な種類・銘柄に分かれている(別記)。中級以上のレストランやクラブでは、ウィスキーやワインも品数多く揃っている。パブは23時ごろに閉店註。24時以降で酒類を扱っている店も、0時にはその売り場だけシャッターを閉める。これは法律で0時以降は許可された場所以外酒類の販売が禁じられているからだ。 0時以降酒類を楽しめるのは、入場料を払うクラブ。ジャズ・クラブでは0時以降も酒を飲みながら、生演奏を楽しむことが出来る。ただし、飲みすぎには注意。外国にいるということを、忘れてはいけない。大虎になって日本の評判を落すぐらいならまだ良いが、店からたたき出されたり、あとで警察のお世話になるようなことはないように。 註・・・ 2005年2月にパブの24時間営業を許可する法案がイングランドとウェールズの議会で通過した。しかしながら現地の世論はこれに対し否定的である。 ビール イングランドやスコットランド同様、ウェールズにもパブでビールを飲む習慣があり、パブはいたるところで見受けられる。パブやレストランでビールを頼む時は、ビールの銘柄とサイズで注文するのも、他の王国と一緒だ。サイズは1パイント(pint)(568mlで、日本の居酒屋で中ジョッキくらいの量)か、ハーフ・パイント。銘柄はイギリス全土でで何十種類とも何百種類とも言われ、それぞれ味や香りが異なる。ひとつのパブでも、それらを数種類づつ揃えているので、銘柄指定で注文するわけだ。 ビールはドイツ式のラガー(lager)とイギリス式のエール(ale)に分かれる。ラガーは日本のビールに近いく、バド・ワイザーのように日本と同じ銘柄の品もある。 エールは、イギリス独自の手法によって作られたビールだ。これは更に、ビター(bitter;左写真)、スタウト(stout)、ペールエール(pale ale)など細かに別れる。ビターは一般的に味が良く、アイルランドのギネス(写真右)に代表されるスタウトはかなり濃厚だ。 そこで本来ならば銘柄で頼むのだが、ビターやスタウトといった種類で頼んでみても良い。気のきいたバーテンならば、お勧めの銘柄を教えてくれる。そうでなくともその種類に属する銘柄を、教えてくれるはずだ。カウンターで飲んでいる人に話し掛けられたら、この時を逃さず好きな銘柄を聞いておくと、次の注文時の参考になる。 Felinfoel社のエール、3種類勢ぞろい! (クリックで銘柄部のみ拡大、撮影:2011年8月) ウェールズ産のビールには、Albright Bitter、Brains Bitter、Brain's Celtic Dark Ale、Brain's Reverend James Original Ale、Bullmastiff Welsh Gold、Ceredigion Yr Hen Darw Du(Staut)、Cwrw、Dylan's Smooth Ale、Felinfoel Dragon、Snowdonia Ale、Tomos Watkin OSB、Ysbrid Y Ddraigなどがある(アルファベット順)。 中でも1773年にカーディフで蒸留をはじめ、1882年に現在の経営体制となったS.A. Brain & Co. Ltd acquired Crown Buckley LtdのBriansブランドのビールは、有名だ。このブランドのスムース・タイプを冷やした1パイントは、滑らかな喉越しと豊かな味で2005年の旅の途上、何度もこの私を唸らせてくれた。パブに入る度に、真っ先に探したほどである。 The Brainsのロゴ(撮影:2011年8月18日) Felinfoel社のロゴ(撮影:2011年8月13-18日) Cwrwはサンデイロ(スランデイロ)(Llandeilo)で作られている。製造業者はEvan-Evansといい、Buckley一族によって経営される、一族経営の会社である。何とそのBuckley一族は1767年以来、ビールの製造を続けている。1998年に一旦、醸造所は閉鎖されたが、2003年に復活。2004年よりビールの醸造を再び始めている。 なおSnowdonia Aleはポースマドック(Porthmadog)で、Ysbrid Y Ddraigはブレコン(Brecon)で製造されている。 これらのビール、ウェールズを訪れる機会があれば、地元のパブで是非試してみては?
パブについては、こちらを参照のこと。 ウィスキー ウィスキーとは、もともとゲール語(註:ケルト語の一種で、ウェールズ語の元となったブリトン語より一世代前の言語。アイルランドやスコットランドで使われている)で「命の水」をさす。世界一古いウィスキーの蒸留所は北アイルランドにあり、スコットランドのウィスキーは「スコッチ」の名で世界中で愛飲されている。 さて、同じケルト民族としてウェールズはどうかというと、356年に北ウェールズはバージー島(The Bardsey Island)でレアウスルト・ヒル(Reaullt Hir)が、ブラゴット(Braggot)と呼ばれる蜂蜜酒(mead)とイースト、大麦(つまりビール)を混ぜたものから、最初の蒸留酒を造ったという。バージー島はキリスト教巡礼の目的地であり、かつては数多くの修道士たちがここで生活をし、修行をしていた。この修道士たちが作ったブラゴットから、ヒルは蒸留酒を作り出したのだ。その後、修道士らはこの蒸留の方法を発展させたという。これが本当ならば、非常に魅力的な話だ。アイルランドでウィスキーが蒸留されるようになったのが12世紀とも、15世紀ともいわれているからである。だが、残念ながらこの話には確証がない。 いずれにせよ、その後、ウェールズでは蒸留酒が作られてきた。だが残念ながら、ウェールズの蒸留所は19世紀にそのほとんどが閉鎖となった。メソジストが信者に飲酒を禁じたためである。また最後の蒸留所は1984年に閉鎖された。 その後、ウェルッシュ・ウィスキーを復興させようという動きがでる。その結果が、ウェルッシュ・ウィスキー会社によって、ブレコン・ビーコンズのお膝元、ペンデリン(Penderyn)で開かれた蒸留所である。現在、彼らはPenderyn WhiskyやMerlyn Cream Liqueurを生産している。 果実酒(ワイン) ワイン(wine)といっても、必ずしも葡萄酒というわけではない。日本の梅酒を思い浮かべていただきたい。果実と酒を合わせ、寝かせることで作られる果実酒がウェールズにも残っている。そのレシピをいくつか、紹介しよう。なお実際に作る際には、くれぐれも自己責任で行ってほしい。いずれもウェールズのレシピそのままである。ゆえに気温や湿度、材料の関係で上手くいかないものもあるかもしれない。その場合は、日本の風土に合わせて改良しても良いのではないだろうか。 ティー・ワインアルコールとキリスト教? タイトルを見て、「何だ、禁止でしょ」と思われたかもしれない。しかしそれは早計というもの。少し先を読んでほしい。 ケルトのキリスト教とアルコールは、当初、切っても切れない関係にあった。蒸留酒をスコットランドに伝えたのはキリスト教の伝道師であったし、また、バージー島でブラゴット(蜂蜜酒)や蒸留酒を修道士たちが作っていたという事実も残っている(上記「ウィスキー」の項目参照)。 時が下って18世紀から19世紀にかけて、1534年に設立された英国国教会はウェールズでの力は弱くなった。代わりに台頭したのが、非国教徒のキリスト教宗派である。 メソジスト、独立派(会衆派)、バプティスト、ユニテリアン派などがその主なところだが、何とアメリカで1820年代に起こった禁酒運動がイギリスに渡ってくる以前は、これら聖職者らは飲酒(特にエール)を支持していたという。 実際に非国教徒の教会(chapel)での集まりが終わった直後、パブに移動することは稀なことではなかったし、集会そのものがビール・パーティになってしまったことも多かった。メソジストが禁酒を強く打ち出すのも、アメリカから禁酒運動が渡ってきた後のことである。 禁酒運動が盛んになったからといって、すぐに禁酒が民衆の間に浸透したわけではない。カーディガンシャーのスレックハリード(Llechryd)にあった会衆派の教会では、牧師が禁酒運動支持を表明した途端、教会から締め出しを食った事件が残っている。1880年のことだ。それにしても牧師を追い出したのは、他でもない信者らと副牧師だと言うのだから・・・ 。 アルコールと18世紀の労働者階級 「合唱とエール好きの炭鉱夫」というイメージは、18世紀から19世紀の工業地帯で作られた。合唱好きとなった原因として、メソジストが信者の労働者に飲酒の代わりに賛美歌の合唱を推奨したことがあげられる。 一方で、ウェールズの特に労働者階級がエール(ビール)を好んだ理由として、主に水周りが良くなかった(水質汚染など)事実のみを挙げる人がいるが、ことはそう簡単ではない。 確かに工業地帯では、水質汚染は深刻な問題だった。飲み水の確保は困難であったし、何より、急速に工業地帯として発展したために、下水処理施設の完備が追いつかなかった。一言で言えば、不衛生だったのだ。おかげでコレラが伝染したこともある。 だがエールが好んで飲まれたのには、他に理由がある。まず第1に、エールは他の飲料より安価だったことが挙げられる。また、当時、他に娯楽がなかったこともその要因になるだろう。ウェールズの特に産業地帯で売られていたエールは、他の地域に較べてアルコール度数が高かったという話も残っている。 一攫千金やより良い生活を求め、以前の仕事を捨て、工業地帯に移ってきた労働者は大半は貧困にあえいでいた。その彼らにとって、安価で快楽が求められるエールは、非常に魅力的に映ったことだろう。また飲酒は、体力増強やスタミナ源となるとの噂が蔓延していた。肉体労働者らが、この噂を実しやかに信じたのは想像に難くない。 そして大きな要因となったひとつは、炭鉱内の環境であろう――。坑内は危険と隣り合わせであり、炭鉱夫らは緊張を強いられていた。そして何よりも熱かった。一度、地中深くへと潜れば、次に外に出るのは作業終了時である。昼食も坑内でとった。日がな一日、彼らは熱い地中で過ごしたのである。そのため外に出た時、まず彼らは喉のひどい渇きを訴えた。鉱からパブへと直行し、エールをその渇いた喉へ流し込む炭鉱夫も、珍しくはなかった。 まだ他にも要因はある。競売やバーゲン会場でもエールが販売されたばかりか、選挙の候補者らは有権者の票獲得のためにエールを振舞った。同時に、エールを提供する場であるパブは、人々が集う場であり、社交場であった。 これらの要因が複雑に絡まり、ウェールズの肉体労働者らの間に飲酒癖は根づいたのである。 1830年のビール店法 Beerhouse Act 1830ともBeer Act of 1830とも言われる。これはビールやエールの醸造およびリンゴ酒の製造、そしてそれらの販売を個人が行うことを許可した法律。ビール製造のライセンスがこの法律により、わずか2ポンド(!)で買えることとなった。このライセンスの安さが、パブを爆発的にイギリス中に広めることとなった。ウェールズもその例外ではない。 その後、この法律は幾度か修正を加えられ、1993年まで効力を持ち続けていた。 禁酒運動 禁酒運動が熱心に始まったのは、1835年のこと。地元に協会が開かれ、過剰な飲酒が「堕落行為」として絶つ試みがなされた。この背後にいたのは、メソジストであったと言われる。 しかしながらこの禁酒運動が最初に盛んになったのは、南部ではない。北部だった。それというのも、北部にはアングルシー島のジョン・エリアス牧師(The Rev. John Elias of Anglesey)のような強力なメソジストの指導者が居たためと言われる。そこから運動は南下。ウェールズ全土に広まっていった。 この禁酒運動は、多くの人々を惹きつけた。ただ、アメリカのように禁酒法がウェールズ全土を支配することはなかった。ウェールズにおける飲酒癖は、禁酒運動に負けるほどヤワではないのである・・・ 。 アイステズヴォッドと飲酒 アイステズヴォッドは本来、詩の祭典である。しかし同時に、ウェールズ国をあげての民族の祭典であり、様々なコンサートを会場内で擁する1週間連続するお祭りにもなっている。そう来れば、エール片手に・・・ と思うのが人情。しかしながら、ここに驚愕の事実がある。2004年以前は会場内で一切の飲酒が禁止されていたのだ! 現在は安心召され。ウェールズ名産のエール、ザ・ブレインスをはじめ、エールが専門のブースで販売されている。 所でアイステズヴォッドを車で訪れる人は多いと思う。これもひとえに郊外で行われるからだ。会場内でアルコールが解禁されても、会場の外では飲酒運転は違法。また酔って運転をして、事故でも起こしては目も当てられない。会場で気持ち良くなって、外で青ざめることなどないように! アイステズヴォッドで出店しているザ・ブレインスの専門ブース (撮影:2007年) |