ウェールズを感じる
――ウェールズから響く音楽1:ポピュラー・ミュージック――



■タスティオン(Tystion) 歌/ウェールズ語(英語もあり)
 ウェールズ語は詩的な言葉である、と言われる。しかしながら以外にも、20世紀が産んだ新しい詩の朗読方法である、ヒップ・ホップ(ラップ)に挑んだものは、かなり少なかった。その代表格が、スルーイーブル・スレイソグと彼らタスティオンだ。

 ウェールズ語で「目撃者」を意味する、Tystionの核となるのは、北ウェールズはカマーセン出身のMCスレイファー(MC Sleifar)(本名:ステファン・クラヴォス(Steffan Cravos))と、カーディフ在住のGマン(G Man)(本名:グルフ・メレディス(Gruff Meredith))である。90年代の初め、2人はアイステズヴォッドで知り合う。パブリック・エネミーに影響を受けたMCスレイファーと、サイケデリック・ミュージックを好むGマンだったが、その音楽的背景を超え、2人は意気投合する。家が北と南に離れていた2人は、手紙とテープで互いの音楽的アイデアを暖める。最終的にMCスレイファーがカーディフに移り住み、デュオが結成される。

 2人は制作したデモ・テープをレコード会社に送りつけるが、どれも無視される。そのため、MCスレイファーは自身のレーベルFitamin Unを立ち上げることを決意。このとき、未だ彼は19歳であった。

 2本のカセット作品(“Dyma'r Dystiolaeth”(1995)と“Tystion vs Allfa Un”(1996))を自らのレーベルからリリース後、ファースト・アルバムRhaid I Rhywbeth(97年)を発表する。続けて翌98年に、シングル“The Brewer Spinks EP”をリリース。数千枚の売り上げを記録し、メロディ・メーカー誌で賞賛される。この後メンバーが増えるが、同時にMCスレイファーの詞に、ウェールズ独立運動に影響を受けた政治的な方向が見られるようになる。

 “Toys EP”を発表後、Gマンは脱退。テュスティオンはMCスレイファーを中心に活動を続け、彼の政治的な思想を色濃く反映した、Hen Gelwydd Prydain Newydd(2000年)を発表。2002年8月、バンドは解散した。解散が公表されたのは、セント・デイヴィッズで開催されたアイステズヴォッドでのステージ上だった。





[アルバム(選)]
Hen Gelwydd Prydain Newdd (New Britain's Old Lies) (2000) (ankstmusik / ankstmusik cd 093)
 ウェールズ語による、ウェールズ復活を唱えた、非常に過激なラップ・アルバム。アルバムの至る所から、MCスレイファーの怒りが鳴り響く。そもそもヒップ・ホップはニューヨークのクイーンズ地区で、ギャング・スターたちがその行き場のない怒りを歌うことで生まれたが、MCスレイヤーの言葉からはこのヒップ・ホップ(ラップ)の原型に通ずるものが感じられる。所々英語交じりで語られる彼らの主張は、しかしながらウェールズ語をわからない者には、100パーセント伝わるとは言い難い。だがその過激さや怒りは、楽器の音やラップによって伝わる。アルバム最後に収録された「数千年のウェールズ文化」(“Thousands of Year of Welsh Culture”)冒頭では、映画『ツイン・タウン』の予告CMで使用された「あの」言葉が、引用されている。




[リンク]
 ankstmusik ... テュスティオンの作品を扱っているウェールズのレコード会社。簡単なバイオグラフィーあり。オン・ライン・ショッピング可能。その初期にはスーパー・フューリー・アニマルズやゴーキーズ・ザイゴティック・マンキもシングルをここから出していた。




ウェールズ?! カムリ!
文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2003-2013: Yoshifum! Nagata








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