随想もしくは雑記
――ウェールズに関する、あるいは、ウェールズに関係ない、筆者の雑念――



2006年12月31日(大晦日)
 サダム・フセイン元大統領の死刑が執行された。イラクで息子を亡くしたウェールズ人の父親は、「その代償は高すぎた」と述べた。

 推定では、ユーロ紙幣の流通量がドル紙幣を超えた。実際にこのところ、ユーロ高が続いている。明くる1月からは、スロベニアがEUに加盟、ユーロ通貨を使用する国は13カ国となる。

 韓国国防省によれば、北朝鮮が新たにプルトニウムを30キロあまり確保した。余計な心配はしたくないが、こればかりはどう転ぶかわからない。

 フランスでは太陽系外の惑星を探す目的で、人工衛星が打ち上げられた。宇宙の暗い深部に、新たな光がともるのはいつか。はたまた、我々地球人の孤独を確証してしまうのか。

 アメリカからの報道が、届いていない。フセイン元大統領の死刑は、アメリカには大きなニュースなのにも関わらずだ。報復テロを恐れ、情報操作をしいているのか。

 世界は動いている。これほど動く年の瀬も、珍しいだろう。

 私はというと、例年以上に忙しく年の瀬を過ごしている。先ほど仕事をひとつあげ、今は年賀状である。これでは元旦どころか、2日も危ないな。メールのほうは、即時に届くから問題はない。もっともメール用年賀状のデザイン(毎年、葉書とメール用に全く異なるデザインをしている)は、全く手をつけていない状態だが・・・ 。

 ところで去年購入したCDは、全部で282枚だった(シングルCDをのぞく)。ダウンロードしたものは含んでいない。買っていないようで、結構、買っていたのだな。ジャズ、ロック、クラシック、現代音楽ともに再発や初CD化、並びに、発掘音源が今年は多く出たため、それを一揃い購入していたらこの数になったというわけだ。新しい音楽も相当買っているのだが、それ以上に再発ものが多いのは、恐らく、再発モノや発掘モノは1枚につき数回しか聴かないので、次から次へと購入してしまうのだろう。

 映画館からは足が遠のいたが、その反面、DVDやパソコン・テレビで旧作を楽しんだ。その中で、先日映画館で観た『麦の穂を揺らす風』は白眉のできである。1920年代のアイルランド独立運動を描いた映画だ。かなりしんどく、重たい(人によっては不快感を覚える映像もあるだろう)映画だが、流石にパルムドーム賞をとるだけのことはある。現代の島のケルトがおかれた状況を学ぶには、格好の題材ではないか。

 では皆様、良いお年を。来年も当サイトをよろしくお願いいたします。

2006年12月28日(納めの不動)
 どういうわけか、ここ数日、頭の中をマイク・オールドフィールドの「ギルティ」がぐるぐる回っている。仕方がないので、今日は、何度もそれをかけた。

 どういうわけか、京極夏彦の『姑獲鳥の夏』を再々(以上)読して、ラストに感動した。もともとこの作品は京極夏彦の作品の中で最も好きな作品だが、事件の幕切れに感動したのはこれが初めてだ。この作品が他の作品と違うのは、関口巽という主要登場人物の自己発見の旅という側面をこの作品がもっていることだろう。変にキャラクターに頼りすぎていないのも良い。のちにプロローグ的な短編が書かれたが、あのような駄作は本作と別個に考えたほうがすっきりする。

 どういうわけか、更新が滞りがちである・・・ 。忙しいので仕方がない。がんばろう。

2006年12月21日(クロスワードの日)
 昼間は車内で、バッハの『マタイ受難曲』(抜粋)とマーラーの『復活』(第5楽章のみ)ばかりを聴いていた。帰宅して聴いているのは・・・ マリリン・マンソンである(!)。この場を借りて、一言、自分に言いたい。いい加減にしろ。この罰当たりめ。以上。

2006年12月19日(日本初飛行の日)
 1999年の今日、デスモンド・スレウェリン(Desmond Llewelyn)が死んだ。彼の名は知らずとも、映画007シリーズのQといえばわかるだろう。63年の「007ロシアより愛をこめて」以来、ボンド役は変れど、彼は出演し続けた。とぼけた味の、名脇役だった。

 99年の「007ワールド・イズ・ノット・イナフ」の出演を最後に、007シリーズより引退した。公開時に映画館で観た記憶に頼れば、確か、Qが引退する旨を007に語るシーンがあるはずだ。余生を暮らすはずだったが、映画公開の翌月に交通事故でこの世をさった。それが1999年の今日というわけである。彼は最後までQであったということか。

2006年12月17日(飛行機の日)
 日曜日である。唯一の休みである。なので、仕事である(!)。そして昨日の反動からか、今日は『展覧会の絵』(ラヴェル編)を聴いている。オランダのオーケストラにしようかとも思ったが、朝比奈隆が大阪フィルを99年に振ったものだ。「バーバ・ヤーガの小屋」の堂々たる様が、何とも素晴らしい。これが終わったら、アファナシエフのピアノ版にしよう。こちらは、「ブイドロ」と「キエフの大門」の重量感と透明感が、ずば抜けて素晴らしい。

2006年12月16日(電話の日)
 英文学史の授業が、今日にて終了した。授業日数はあと1日あるが、最後の時間は試験になる。そのため、今日が実質上授業は最後の日ということになる。ある種の達成感と、いくばくかの寂しさもある。そして今日は、朝からナイン・インチ・ネイルズ、マリリン・マンソン、TOOL、レディオヘッド、ステレオフォニックス、グリーン・デイとハードな音ばかりを好んで聴いている。帰宅した現在も、ナイン・インチ・ネイルズの傑作『WITH_TEETH』である。

2006年12月11日(百円玉記念日)
 @出勤・退勤時にはProjeKct関連ばかりを聴いていた。帰宅してビル・エヴァンスのピアノ・ソロ・アルバム『イージー・トゥ・ラヴ』を3回通して聴く。いや、これが良い。流れるような指使いと、緩やかな呼吸に載ったビートが疲労困憊した心と体に心地よい。そして今は、ニッキー・ワイアーのソロ・アルバムをかけている。

 A1282年の今日、スウェリン・アプ・グルフッズ(Llywelyn Ap Gruffudd)が死んだ。1246年から82年までの間、ウェールズの長であった。弟がイングランドに反旗を翻し、そのウェールズ独立戦争に巻き込まれる形で、死亡した。正真正銘の、そして最後の生粋の「プリンス・オブ・ウェールズ」だった。以後、プリンス・オブ・ウェールズの称号はイングランドのプリンスに与えられることとなる。

2006年12月7日(国際民間航空デー)
 移動中にコーヒー・ショップに立ち寄る。そこで腰を落ち着け、たまった手紙を数通したため、郵便局で投函する。どれも葉書かカードだが、メール隆盛の世の中にあって、手書きも良いものだ。

 それにしても下(12月6日)は、一体何を書いているやら。本末転倒だ。本当に壊れていたのだな。今日も然程変らないが。やれやれだ。

2006年12月6日(音の日)
 眠い。ついに睡眠時間が2時間を切った。それでも仕事は休まず。休めず。しかし、それにしても、ここまで来ると、眠気を感じない。目を瞑ると、「落ちる」だけだ。この状態で、今日の昼間は4コマこなす。夜はもちろん、家のパソコンの前に陣取り、別の仕事である。電話も、メールもできず。やれやれだ。

2006年11月29日(議会開設記念日)
 一昨日。往:ポーグスを聴いて、フランク・ザッパ。移動:バルトークと武満徹「11月の階段」。復:ビル・エヴァンスにザッパ。やはり、朝からザッパはよろしくない。特に、「ブラック・ペイジ」などという、難解な拍子の曲は特に。

 昨日。往:マイルス・デイヴィス。移動:ロバート・フリップ。復:ブーレーズからクセナキス。日付変更線近くを走る、各駅停車内で聴くブーレーズの「レポンズ」に感動する。

 今日。ポーグスでテンションをあげる。復:ビル・エヴァンスにザッパ。やはり、ビル・エヴァンスでやめておくべきだ。

 それにしても、この多様さ、というか、節操のなさ、というか・・・ 。もちろん、当然のごとく、随所にウェールズの国歌も流す。この無節操さには、我ながらあきれる。もっとも、この面々を見ると、疲れが酷くたまっているのだな、と実感してしまう。

 しかし、先日購入した、デジタル・リマスター版ヘンリー・カウ『コンサーツ』を聴くと、今まで何を聴かされてきたのだ、と思うぐらい、前回の盤は音が悪い。しかも、これが再発されなかったために、悪徳業者が1万円の値段まで値段を吊り上げていたのだからな。

 せて今日はというと、1日教えて、帰宅後、まずはメール・ラッシュ。ついでプリント作成。合間合間に雑記を書き、自分の仕事へシフト。・・・ が、もう23:30を過ぎている。さて、いつになったら寝られることやら。

2006年11月25日(憂国忌)
 今朝は、車内でフィーダーを聴いていた。帰りは、なぜかピンク・フロイド。それも、「エコーズ」だけで3回も。どうも、あのイギリス特有の陰鬱なメロディと、ギターにやられたらしい。『狂気』A面やら「ラーニング・トゥ・フライ」にも、不覚にもいれこむ。聴き始めて20年余り。このようなことはなかったのだが。どうした。疲れているのか。雑事が多く、仕事がはかどらないストレスか。そして帰宅後の今は、ヘンリー・カウを経て、アイリッシュ・ミュージック一辺倒だ。何とも節操のない・・・ 。

 ヘンリー・カウを聴いていたのは、名盤と世間が言う『コンサーツ』がリマスター盤で再リリースされたからだ。最初に出たCDは所有しているが、公式盤としては音が悪い。そこで、本盤がデジタル・リマスターされたと聴き、買いなおしたわけだ。紙ジャケしかなく、仕方がなく、それを購入した。

 帰宅後、案の定、CDは別売りのプラケースに入れなおし、ジャケットは放ってしまった。紙の軟弱さは保護ケースにもならず、プラケースより一回り大きいために棚に収容できない紙ジャケなど、無用の長物。ゴミが増えるだけだ。環境破壊のことも考えて、いい加減にやめてほしいのだが。

2006年11月23日(勤労感謝の日)
 ああ麗しきかな勤労感謝の日。旗日である。私は日々勤労できることに感謝しつつ、たまった仕事をパソコンの前で片付ける・・・ (終わるのか?!)。

2006年11月20日(世界の子どもの日)
 ウェールズの詩人は、英語で詠う詩人と、ウェールズ語で詠う詩人に、大別できる。ウェールズ語と英語という、ふたつの公用語を持つ宿命から、時にこのような残酷なわけ方が可能になる。

 そのウェールズ語で詠う詩人の中でも、エリス・ハンフレイ・エヴァンス(Ellis Humphrey Evans)は、もっとも悲劇的かつ有名な詩人ではないか。詩人名を、ウェールズ語で「白い平和」を意味するヘッズ・ウァン(Hedd Wyn)とする彼は、第1次世界大戦にフランスの戦地で亡くなった。1917年7月31日、それはアイステズヴォッドの椅子を勝ち取る、6週間前のことだった。

 その彼を採り上げたフェスティヴァルが、12月にウェールズで開催される。開催を告げるのは、ウェールズ文学にその人あり、と言われた、グィン・トマス教授(Gwyn Thomas)だ。詩人でもある彼は、12月2日にヘッズ・ウァンについての講演を行う。

 平和を愛しながらも、徴兵されて戦地へと赴いたヘッズ・ウァンは、死の直前に書いた'Yr Arwr'(「英雄」)で「椅子」を勝ち取った。ウェールズ詩人の最高の栄誉は、この「椅子」を勝ち取ることにある。しかし、ウァンはそれすら知らず、逝った。あるじの腰が座り心地すら確かめることがなかった椅子は、黒く塗られた。そして彼の名は、ウェールズ人には忘れえぬものとなった。

 ところでイギリス文学には、戦争詩というジャンルがある。主にそれは第1次世界大戦で詠まれた詩を指し、特にその詩を中心に詠った詩人を戦争詩人と呼ぶ。シーグフリード・サスーン(Siegfried Sassoon)、アイザック・ローゼンバーグ(Isaac Rosenberg)、ウィルフレッド・オーエン(Wilfred Owen)らがそうだ。中でも戦争終結1週間前に戦死したオーエンは、戦地の過酷な惨劇を肌で経験し、その今死ぬかも知れぬ恐怖から、ハーフ・ライムと呼ばれる半分しか韻を踏まない、不安定な詩を残した。彼の詩は多くの人の胸をうち、作曲家ベンジャミン・ブリテンは合唱曲『戦争レクイエム』でオーエンの詩を引用したほどである。

 英語で書いたオーエンは多くの人々の記憶に残り、ウェールズ語で書いたウァンは一部の人のみ知られる存在となった。同じ島に住み、同じ戦地に赴き、同じく詩を書き、同じ国のために戦い、戦死した彼らの後世の扱いは異なる。その根源は、言語の違いだ。たとえウェールズの血を引いていたとしても、その言葉で差別が起こる。オーエンは、ウェールズ人の血を引くのである。ウェールズ人が抱える言語に関する問題は、深い。

2006年11月18日(ミッキーマウスの誕生日)
 話題@。喉。今日は比較的、喉の調子が良い。あくまでも比較的だが、それでも連日の酷さから較べると、かなり楽である。さて、たまった仕事の山を片付けねば。

 話題A。ジャズには、現在、大まかに分けて3種類のジャンルが存在する。ひとつは伝統的なもの。もうひとつはフュージョンとジャズが合わさったもの。そしてもうひとつは、実験的なジャズである。

 この三番目が、実に面白い。エヴァン・パーカーやハン・ベニンク、ウィリアム・パーカーら錚錚(そうそう)たるフリー・ジャズの面々からDJまでも巻き込んだ、マシュー・シップのThirsty Earレーベルはもとより、シカゴ・アンダーグラウンド・デュオやトリオスクなどがそうだ。以前は、Thirsty Earレーベルの作品となるとそれだけで購入していたほど、私はその音に魅せられていた。

 そして最近、トリオスクのピアニストであるAdrian Klumpesがソロ・アルバムBe Stillをリリースした。本作がソロ・デビューとなるKlumpesだが、音響系の肌理細やかなノイズに、細微まで音にこだわったようなピアノを彼は被せていく。その様は、まさにアルバム・ジャケットにある凧が空に音もなく舞う姿のようで、非常に美しい。

 今日は、彼の音楽にはまっている。昨日は90年代初頭のテクノと、武満だった。さて、明日は?

2006年11月9日(ベルリンの壁崩壊の日)
 多忙さと喉の炎症のためについつい報告が遅れましたが、ページ冒頭にあるように、今年もひょんなことから『English Journal』様の1年を締めくくるイギリス特集記事に、加わらせていただきました。

 前回、大変好評を戴いた「ウェールズ・サウンド紀行」に続く今回は、その拡大版として実にウェールズ、スコットランド、北アイルランド、アイルランド共和国という、所謂現代ケルトの国の生の声を収録。インタビューに収録されたのは、高校生から謎のドラッグ・ディーラーまで。老若男女の声が収録されています。

 大変だったかって? そりゃもう。しかしインタビューを口実に、様々な人の声が聴くことができ、大変充実した旅になりました。私が何気なく使った一言をきっかけに、過去の紛争の傷跡が顔をのぞかせるなど、今年は、言葉の重みを久方ぶりに感じた旅にもなりました。本文、写真、CD(インタビュー)から浮かび上がる、現代ケルトの国々を、私の旅行記とともにお楽しみください。是非とも、お近くの書店でお手にとってみてください!

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 最近、かなりの数の音楽を聴いているが、中でも白眉はジム・オルークの弾く、武満徹作曲「コロナ」(アルバム『コロナ――東京リアライゼーション』収録)である。

 「コロナ」の譜面は、図形楽譜と呼ばれる特殊なものだ。色違いの5枚の正方形の紙にそれぞれ指示が書かれており、これを自由に組み合わせることで生まれる楽譜を、演奏者は演奏する。作曲家の用意した音と偶然が組み合わされ、幾多にも変化する譜面を元に、ジム・オルークが1人多重録音で作り出した音宇宙は、武満という小宇宙を超え、それ以上の広さと奥行きを感じさせる。

 クラシックや現代音楽は、まずは譜面ありきという、再現芸術である。そのため演奏者による譜面の読みに、作品の質が左右されなくもない。武満も没後10年とあり、譜面の解釈が固定されつつあるようだ。最近では「優等生的な」演奏を聴くことは稀ではなくなったのである。それに対してオルークの弾く武満の「コロナ」には、平たく言ってしまえば、新鮮な驚きがある。

 この新たな解釈が、武満の小宇宙を更に深く、暗くしている。もちろん、それでいて、武満らしさは失われていない。すなわち、演奏者が作曲者の思想を十二分に音として表現しきっているのである。ジム・オルーク、恐るべし。最近出たアルバムの中で、もっともお勧めのアルバムである。

2006年11月4日(ユネスコ憲章記念日)
 文化の日(11月3日)周辺は、大学祭・学園祭のシーズンである。おかげで、今週は少しだけ休みを取ることができた。もっとも、休みは全て自分の仕事に振り返られたが、それでも、移動がない分だけ楽である。

 この休みの間に喉を治してしまいたいのだが、中々思うように治ってくれない。喉の腫れは、前回の1週間に4日しか飲めない薬のおかげで、嘘のようにひいた。何でもこの薬、医者によるとこれ以上飲めば体を壊す恐れがあるらしい。それほど強い薬を処方されていたのか。通りで、一緒に胃腸薬が処方されたわけだ。

 しかしながらまだ完治に至らない。極力声を出さないようにしているが、それでも時折、変な咳が出る。やれやれだ。

2006年10月25日(リクエストの日)
 症状報告。いっこうに良くならず。ついに医者は、強い薬の処方に踏み切った。処方された薬の中には、1週間に4日しか飲んではいけない薬もある。怖いな。早く完治してほしいのだが、何しろ、毎日喉を使っているために中々良くならない。

 今日の報告。レシートの山の中より、札を発見した。しかも、20ユーロ札である。アイルランドに行った時のものが、まぎれてしまったらしい。これはどうしようにも・・・ 。

 ウェールズ報告。1967年の今日、オズウェストリー近くのナントマウル(Nantmawr)で「口蹄疫」(Foot and Mouth)が発見された。これは、牛や羊など家畜がかかる病気である。

2006年10月21日(国際反戦デー)
 医者に処方された抗生物質の効果が切れたのか、症状が1週間前に戻った。すなわち、更に酷くなったということ。やれやれだ。加えて、いくつかの仕事が併走している状態だ。優先順位の高い順にやっているが、どれも先が見えない。従って、休みがほとんどない。これでは、いつになったら治ることやら。

 一緒に処方された他の飲み薬も、飲みつくした。医者は土日休業。処方箋を扱う薬局も、それに倣ってか休業だ。薬局だけでもやっていたら、薬を分けてもらうとおもっていたのだが、それも叶わず。やれやれだ。

2006年10月20日(新聞広告の日)
 喉は悪化。咳は薬で抑えているのか、喉が酷い状態にならない限りは、出ない。普通に話している分には、小さいながらも声が出るので気づかれないが、それ以上の声がでない。仕方がないので、火曜日から全ての授業でマイクを使用することにした。しかし、治る気配がない。それが辛い。

2006年10月15日(グレゴリオ暦制定記念日)
 ああ、まずい。咳が治らん。少しでも涼しくなると、咳が出る。その傷ついた喉を異物と体が判断するのか、まるで排除しようとするかのように、咳が立て続けに出る。喉だけかと思っていたが、どうも、肺も完治していないらしい。参った。休みはない。先日、ようやく行ってきた耳鼻咽喉科は、来週いっぱい診療休止である。やれやれだ。

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 ジェフ・ミルズの最新作『ONE MAN SPACESHIP』を聴く。「前作で宇宙に行ったはずでは?」と、突っ込みを入れれば、何と宇宙船からだそうだ。その宇宙船という空間に隔離された孤独な男の姿を描いたのが、本作だ。

 音に閉塞感はないが、決して開放的ではない。むしろ、全体的には無機質ですらある。細かく編まれたその音は、星の瞬きすらない宇宙の暗い空間に、閉じ込められた/閉じこもった男の、内省的な告白のようだ。中でも、リズムが繊細で雄弁である。わずかな音質の変化でリズムに表情をつけるドラムなど、無機質な彼の音楽の中に、血の通った音に似た感触がある。非常に無機質な音空間の中で、有機的な音を見つけるころには、この音に同化している自分を発見する。

 決してクラブのように集団にかける音楽ではない。むしろ、個々人が家のステレオで聴くべき音だ。CDショップで、音響系音楽のコーナーに置かれていても不思議ではない、クオリティの高さだ。

2006年10月11日(鉄道安全確認の日)
 肺のほうは、どうやら事なきを得た。だが、喉は炎症を起こしている。肺が弱っていた時に、無理をして喉から声を出していたためだ。状態はかなり酷い。今日は一度だけだが、声が全くでなくなってしまった。食べ物どころか、下手をすると、飲み物まで喉にひっかかる。加えて、寝ていると自分の咳で何度も起きる始末だ。もちろん睡眠時間は、相変わらずの3時間以内である。やれやれだ。

2006年10月5日(折り紙供養の日)
 酷く疲れている。そのたまった疲れが、一気に肺を責めに来た。昔、肺を患ったことがあり、そのおかげで今では弁慶の泣き所になっている。月曜日は声が出辛い、で済んだが、昨日には一瞬声が出なくなった。無理をして声を出したため、今度は喉に余計な負担をかけてしまったようだ。困った。休む暇はないし、現在の大学では休講が出来ない。

 正確に言うと、休講は出来る。だが、その後、休講1時間ごとにレポートか補講を必ずしなければならない。これはかえって体に負担をかけるばかりか、先の予定の変更まで強いられる(補講日はどの大学も学期末に数日しか用意していない)。従って、教員は体調を酷く崩しても、休むことは出来ないのである。なんて世の中だ。

 ところで、ものを書いている最中に、ハードディスクの中からアップロードをしていないページを発見した。更新しておこう。

2006年10月2日(豆腐の日)
 10(トウ)と2(フ)で豆腐の日だそうだ。健康食として一時期海外で脚光を浴びた(はずの)豆腐だが、果たして、現在はどうか。寿司ほどの派手さがなく、また、現地での製造や現地品での代替がきかない分、流通と浸透という面では不利ではあると思う。

 かつてウェールズのバンゴールで麻婆豆腐を食したが、その豆腐は日本のそれとは似つかないほどしっかりしていた。中国製だろうか。運搬や製造の面からも、海外で絹ごし豆腐を冷奴で味わうことは、難しいのだろう。また、トリュフのような高級食材でも、ツバメの巣のように珍味でもないため、壊れやすいこの食材を日本から苦労して運んでも、商売として成り立つだけの需要がないのかもしれない。

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 話題転換。ここ数日、エイドリアン・ブリューを中心に聞いている。特に、70年代終わりから90年代の頭にかけての、派手だったころのものだ。ブリューのフィードバックを駆使した唯一無二のギターのパワーは、すごい。他に並ぶものがいない。コード進行も音階も無視した不協和音満載のそれは、まさにクラスター(和音破壊)である。私はまじめに、当時の彼のギター奏法が、クラスターの一技法としてきちんとした形で紹介されるべきだと思う。

 それと同レベルで圧倒されるのが、実は今聴いている、ソフト・マシーンのMiddle Earth Mastersである。つい先日リリースされた67年のライヴ音源発掘ものだが、マイク・ラトリッジのオルガンが爆発するような悲鳴をあげている。これがまた、当時としては最高のレベルで音が残されているのだから、世の中は怖い。10年前ですら、このような音源が正式に、また、良い音でリリースされるとは考えられなかった。デジタル技術発達による音声補正のおかげもあるだろうが、このような音源が流通して採算がとれるような時代になったことが、これらの音源のリリースへとつながっていることは確かである。時代に感謝か。

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 実は、かなり忙しい。それに、疲れた。どうにも体が悲鳴をあげはじめている。さて、仕事に戻ろう。21:40だが、夕食も就寝もまだまだ先だ。

2006年9月27日(女性ドライバーの日)
 疲れた。あまりにも、疲れた。少々飛ばしすぎか。やることが多いので、次々と翌日以降に繰越になる。それにしても、時間がない。睡眠時間は3時間を切っている。これ以上短くするのは、難しい。ああ、休みが潰れていく。やれやれだ。

 秋の交通安全運動週間だ。不思議なのが、朝、主要交差点で交通整理をしていた警官が、夜になるといなくなることだ。朝の渋滞時よりも、夜中のほうが違反は多いはず。世間をにぎわせている飲酒運転などは、夜中に行われるのは明らかだ。従ってそのチェックも含め、夜中に交差点の中心に立ち、交通整理をすべきである。

2006年9月23日(秋分の日)
 実はスクーリングの成績を出してすぐに、3週間ほど、イギリス・アイルランドに行ってきました。もちろん、ウェールズにも。2、3日強い雨と、1ポンド≒230円には悩まされましたが、全体を通してみれば非常に良かったです! これから旅行先での収穫を、様々な形で反映させていきます。帰国後、忙しくなってしまい、ご報告が遅れましたが、これからも弊サイトともどもどうぞよろしく。

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 今日は秋分の日だ。それにも関わらず、海王星の日でもある。日本人の記念日好きが、よく現れている。

2006年8月19日(俳句の日)
 スクーリングに通われた皆さん、お疲れ様でした。慣れぬ大学生活で大変だったと思いますが、授業を通して何か少しでも残れば幸いです。良い週末をお楽しみください。

 それにしても、よく「あの」学食で我慢されていましたね・・・ 。他に選択肢がないとはいえ、あの味と質は、食べるものには拷問でしょう。私も数年ぶりにトライしてみましたが、2日目でリタイアしました。

2006年8月18日(太閤忌)
 お盆休みがあけ、都市には平常が戻ってきた。つい2、3日前まで道は空いていた。しかし今日は、いきなりの週末渋滞である。夏も終わりということか。そういえば車の窓を全開にしていると、つくつく法師の合唱が聞こえる。夏も終わりということだ。

 その私はというと、現在、昼間は通信教育のスクーリングで教えている。これも残すところ、あと1日だ。この成績を出してしまえば、ようやく夏休みである!

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 最近のささやかな楽しみは、家に帰ってまず飲むアイス・ティーである。これは大抵、前夜から当日にかけて作っておいたものだ。最近は、完全に水出しで行っている。このほうが、氷に熱い紅茶をかけて作るやり方よりも、風味と味が出る。何と健康的なんだ。

 睡眠時間は、相変わらず、約3時間ほどである。2時過ぎに寝て、5時過ぎに起床である。確かに睡眠時間は短い。だが、連日、一定の時間に寝て起きている。何と健康的なんだ・・・ ?

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 今、アルヴァ・ノト(Alva Noto)の新作For(2006年)を聴いている。ノトは、ラップトップ・パソコンを使用する、いわゆる音響系音楽の第1人者の1人である。そのアルバムの中の1曲“jr”は、葛飾北斎の木版画技術を音で表したものだそうだ。その音は、ノトにしてはメロディアスな、ミニマル・ミュージックである。これが外国人が見た浮世絵のイメージだとすると、中々興味深いものがある。

2006年8月17日(パイナップルの日)
 今日はナイターの日でもあるそうだ。日本で一番なくなったほうが良いテレビ生中継の日、というわけだな。

 外は暑く、室内は寒い。突然のスコールが降る。蝉は鳴けども、姿は見えず。そもそも、蝉を探せる木陰がない。町中を流れる川は、両脇をコンクリートで固められる。川風は吹かず。これが東京の夏だ。

 今、プリンスの『RAVE un2 the Joy fantastic』を聴いている。暑い夏の夜と、意外に相性が良い。昨日の夜は、ピアソラのライヴを聴いた。一度、アルゼンチンも行ってみたいものだ。東京とは時間の流れが違うのだろうな。――睡眠時間が相変わらず、連日3時間を切っている。しっかり食事をすれば、結構もつものだ。

2006年8月9日(長崎原爆忌)
 二度とこのような悲劇が起こりませんように。政治家の皆さん、よろしくお願いします。そして国民の皆さん、それ以上によろしくお願いします。

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 先日の話。私「(8月)9日ならば夜はいます」。相手「9日ですね」。――その相手は今朝から、3回も電話をしつこくかけてきている。何を考えているのだ? そして夜には、一切かけてこない。何を考えているのだ?

2006年8月7日(バナナの日)
 夕刻から夜にかけて車を運転していると目立つのが、無灯火の自転車である。そのほとんどが大人だという事実にも、驚かされる。反射板は自転車の後ろだけでなく、前面にもつけるべきだ。

 ところでこのところのガソリン価格の高騰ために、10キロちょっと走るごとに(私の車は1リッターで12キロほど走る)自然と金銭感情をしてしまう。すなわち、10キロ走るごとに140円の浪費、と、計算してしまうのである。

 イギリスでのガソリンの価格はもともと高いが、最近では1リッターが1ポンドを超える店も出てきているようだ。ネット上で調べた限りでは、無鉛ガソリン1リットルの平均価格が0.984ポンドである。

 さて、そうなると1ポンドの価格がいくら、ということになるが、このところ、イギリス・ポンドもユーロも値上がりしている。今調べたところだと、£1≒¥219という高値である。すなわち、イギリスでのガソリンの価格は、日本円にして1リットルが約215円という高値になる。やれやれだ。

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 バナナといえば、イギリス・ロック・ファンにとっては、ケヴィン・エアーズだろう。この自由奔放なヒッピー詩人であり、世紀の低音ヴォイスを誇る歌手のエアーズは、バナナを男性自身の象徴とみなした。ついには『バナナ・フォーリーズ』なる音楽劇のために『Bananamour』なるアルバムや、「導師バナナ」(“Guru Banana”)なるユーモア溢れる曲まで生み出した。通例、エアーズは音楽の主流舞台に現れない。だが、彼のユーモア溢れる楽曲は、「普通」を自認する音楽ファンにもっと聴いてほしい。

 エアーズの音楽は、ウェールズのそれとは全く異なる。ロンドンで花開く、ファッショナブルなそれとも異なる。常に自分に正直な音楽なのだ。

 自分の詩を聴いてもらうためにギターを手にしたエアーズは、ジャズとロック、そしてイギリス流ユーモアとヒッピー思想が混在したバンド、ソフト・マシーンの創立にかかわる。マシーンでファースト・アルバムを残した後、「疲れた」と音楽界から身を引くものの、ほどなくして、再び、69年にソロ・アーティストとして復帰する。

 ここからがすごい。現代音楽、サイケを取り入れつつ、突如、それらを放棄。そして72年の時点でカリプソを取り入れ、ボブ・マーリーに傾倒した80年代には、レゲエにこだわる。そして90年代に入ってからは、シンセ・ミュージックに反撃するかのように、アコースティック色を強める。しかし、その芯には、彼のヒッピー然たる「のんびり」とした精神がある。

 「スロウ」ライフが叫ばれて久しい。だがポピュラー音楽の世界は、過激さをましていくだけのようだ。それを悪いとは非難しないが、こんな暑い夜にはエアーズの「のんびり」とした音楽を聴き、「スロウ」ライフを楽しんではいかがだろうか。

2006年8月2日(タクシーの日)
 いつの間にやら、夏らしく暑くなっていた。ようやく、一昨日に前期の仕事を終え、一息・・・ といきたいところだが、そうもさせてくれないらしい。今日も一日、仕事でもないのにパソコンの前に座り続けである。先日は、某所への苦情のために丸々1日が、浪費された(書ける段階になったら、公表します)。結局、その日は仕事を再開したのが23時過ぎになり、朝までかかった。そしてあと1週間少々もすれば、スクーリングでの授業が始まる。ああ、数年前に、海に行っていたころが懐かしい!

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 昨日、DVDで『デッド・マン』を観た。ジョニー・デップ主演となれば駄作なし、だろうが、これもその通り。

 舞台となるのは、開拓時代のアメリカ。そこにイギリス・ロマン派詩人の先駆けと言われるウイリアム・ブレイク(ジョニー・デップ)が職を求めて訪れるが、殺人を起こすはめになる。これが正当防衛なのだが、逆に賞金首となり、追われる身になったブレイクは、偶然出あったインディアンと逃避行に出る。

 この設定の面白さもさることながら、この映画の質を高めているのが、全編白黒の画面と洒落た会話のユーモア、そして、ニール・ヤングの即興演奏である。ヤングの即興演奏など全く期待していなかったのだが、エフェクターを通しただけのエレキ・ギターで奏でられるその音が、何とも良い具合に古きアメリカの様相を醸し出している。お勧めの作品である。

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 昼間は、ディジー・ガレスピーらバップばかり聴いていた。今、マリリン・マンソンの『アンチクライスト・スーパースター』を聴いている。これ、暑い夏の夜にはいいんじゃないかな。そういえば、レディオヘッドのトム・ヨークの処女ソロ・アルバムは、まだ数回しか聴いていないが、かなり良かった。ジェフ・ミルズの『コンタクト・スペシャル』は最近になってようやく聴くことが出来たが、非常にユニークだ。『ウェブ・フローム・トランスミッション』の頃から比べると、音に角がとれ、かなり丸くなっている。そうは言っても、一般のロック・ファン向けではないな。ひょっとすると、ノイ!が好きな人ならば受け入れるかもしれないが。

2006年8月1日(水の日)
 何とも8月らしくない。体が夏仕様になっているためだろうか。動かないでいると、26度でも涼しく感じる。

 先週末に、上半期最後の発表を何とか終えた。5月、6月、7月と毎月続いた最後の発表でもある。準備段階と発表中ともに無我夢中だった。これが予想だにしなかったのだが、好評だった。こんなに嬉しいことはない!

2006年7月26日(ポツダム宣言記念日)
 休みはまだかな。梅雨明けもまだだろうか。どちらもかなり先のようだ。今宵は、徹夜で仕事の予感がする。徹夜で終わればいいが。締め切り間際は、いつもこうである。やれやれだ。

2006年7月22日(著作権制度の日)
 著作権制度の日だ。しかし日本には、著作権は存在しないらしい。ネットや某都庁のお膝元の街を眺めていると、ことさらそう思う。そういえば電気の街で売り出したあの街も、80年代半ばからそうだ。都庁のお膝元は音楽関連だが、電気の街はパソコンのソフトだった。当時はソフトをコピーする製品が、販売されていたのだ。そのため、ソフトの頑強なプロテクトがかけられ、結果、メーカー純正品でしかソフトをパソコンに読み込むことが出来なくなった。それも昔話だ。

 実はかなり忙しい。睡眠時間が3時間以下の日々を送っている。いつものことと言えば、それまでだが。締め切りが近いので、かなり焦燥している。精神的余裕がないのが、実は辛い。時間的余裕がないのが、更に辛い。

2006年7月21日(破防法公布記念日・公安調査庁設置記念日)
 カーディフで犬の鳴き声が騒音公害と認定され、飼い主は£1000(≒215000円)の罰金が言い渡された――犬好きの人には耳の痛い話だが、7月10日に実際に判決が下りた実話である。何でもこの犬はジャーマン・シェパードらしいが、飼い主がいなくなると寂しくなるのか、吼え続けたそうだ。その鳴き声が、1990年に施行された環境保護法の下、公害と認定されたのだ。

 カーディフ議会には騒音公害の問題を専門に扱うチームがいる。彼らのところに持ち込まれる問題は、年間2000件にも及ぶ。そのほとんどが犬の鳴き声だといのうだ。

 ウェールズに限らず、イギリスの人は犬好きだと思っていた。だが、自分のペットの鳴き声はかわいくても、他人のペットの鳴き声は鼻につくらしい。やれやれだ。

 ところで、最近のイギリス・ポンドの急騰はすさまじい。つい先ごろまで、210円にいかないぐらいだったのだが、ここ数日で215円にまでなってしまった。

 これから海外旅行シーズンだが、予算は多めに見積もっておく必要がありそうだ。ガソリンも1リットルが210円近くになる。4、5年前の£1≒180円の頃が懐かしい。やれやれだ。

2006年7月17日(海の日)
 ハッピー・マンデー計画とやらで、もともとは7月20日だった海の日が、7月第3週月曜日となって久しい。しかしながら、残念なことにここ東京は雨が降ったり止んだりの天気だ。15日の突然の雷雨で、梅雨明けとなったとばかり思っていた。だが、どうもそうではないらしい。7月も中旬を過ぎた。夏らしく、からっと暑くなってほしい。だが、そうもいかないぐずついた天候である。もっとも自宅で仕事中の私には、丁度良い涼しさだが。

 今日は、東京の日でもある。1868年のこの日、明治天皇により江戸が東京に改称されたのである。

 以前も書いたが、1976年のこの日、スノードン・レースが始めて行われた(註:BBCはこの日付を掲げているが、公式サイトは19日としている)。これはイングランドとウェールズでもっとも高い標高を誇るスノードン山の麓を出発し、山頂を駆け抜け、再び麓まで降りる速度を競うレースだ。

 これまでの最速記録が、1985年の1時間2分29秒というのだから恐れ入る。更に驚くことに、頂上までの記録が39分47秒だ。スノードン鉄道でさえ、片道約1時間がかかるというのに。

 今年は30周年の特別なレースとなる。開催日は、7月22日だ。残念ながら参加するためには、7月1日までの申し込みが必要だ。この模様はDVDで発売予定とのことだから、それを待って足に自信のある方は来年挑戦してはいかがだろうか。なお、2005年の模様は既にDVDで発売されている。詳細は、公式サイトへ。

  リンク:Snowdon Race

2006年7月6日(サラダ記念日)
 1960年の今日、アナイリン・ナエ・ビーヴァン(Aneurin Nye Bevan)が死去した。1926年のゼネスト(General Strike)では炭鉱夫たちの重要な指導者として活躍し、その後、労働党の下院議員を経て、保険大臣を務めた。辞職後も、癌により死亡するまで、政治に関わった。彼の死は特にウェールズ人に大きな衝撃を与え、そして、2004年にはインターネット投票による「永遠のウェールズ人英雄」に選ばれた。

 しかし正直なところ、彼の名の認知度はここ日本では低い。しかしながら彼の名を知らずとも、ウェールズ・ロック・ファンならば彼の言葉を知っているはずだ。――“This is my truth, tell me yours.”(「これが私の真実だ。さあ、君の真実を話してもらおうか」)。そう、マニック・ストリート・プリーチャーズが、自分たちのウェールズ人としてのアイデンティティを世に突きつけたアルバムのタイトルに、彼の言葉が採用されている。

 炭鉱閉鎖は、イギリスでは地域共同社会(community)の崩壊を意味する。炭鉱が閉鎖されれば、その地域の経済基盤が失われる。そうなれば失業した村人たちは職を求め、他の地域へと移動しなければならない。その結果、地域社会は崩壊する。

 地域性を重要視するウェールズでは、ことさらその意味合いは強い。すなわち地域共同社会を崩そうとした国に対し、ビーヴァンは炭鉱夫の側に立ち、勇敢に戦ったのである。その彼が英雄視され、1985年の炭鉱閉鎖をトラウマ的な体験としてもつマニックスの面々が、自分たちのアイデンティティを問うアルバムのタイトルにビーヴァンの言葉を持ってきたのもむべなるかな。

 さて今の日本に、それだけ英雄視される政治家がいるだろうか。独裁者の虚構で彩られたかの国では、どうだろうか。

2006年7月4日(梨の日)
 帰宅をすると、だるい。風邪ではない。原因はただひとつ。そう、クーラーである。電車内はもちろんのこと、職場(教室と控え室)では、既にクーラーが効いている。クーラーに弱い私は、一日クーラーの冷気を浴びると、帰宅後その反動でだるくなる。数分前のことですら覚えていられないほど、集中力が低下する。文章は書けなくなる。手足や肩に冷気がまとわりつく感覚を味わうか、汗が出そうで出ない不快感に襲われる。帰宅して1時間が経つ。だが未だに足にまとわりついた冷気が消えない。

 その対策のおかげで、私は一人、ジャケットと長袖のシャツを着込んでいる。周りはもちろん、半袖かTシャツ姿である。今日は何人もの人に、声をかけられそうになった。もちろん、それは「暑くないですか?」という問いかけである。

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 1862年のこの日、ルイス・キャロル作『不思議の国のアリス』の初版が出版された。この物語の着想をキャロルが得たのが、北ウェールズのスランデュドゥノ(Llandudno)の海岸である。実在の幼い少女アリスを喜ばすために作った話が、『不思議の国のアリス』となった。ところでこの不思議の国は、「何もかもがあべこべ」の鏡の世界である。鏡の国といえば、ウェールズ伝説のアンヌンを思い出す人もいることだろう。そう、ウェールズ伝説の異界アンヌンは、鏡のように左右あべこべの世界である。

 それ故に、このふたつの世界の関連性を指摘する人もいる。すなわち、ルイスがウェールズ伝説から着想を得て、不思議の国を鏡の世界にした、と、言うのである。

 なるほど、面白い仮説である。しかし、残念なことにルイス自身がそのことについて、全く語っていない。この関連性が実証できれば面白い、と、思うのだが。

2006年7月2日(救世軍創立記念日)
 2006年の折り返し点を過ぎた。イングランドがワールド・カップで敗退した。私は休み無く仕事である。前半の総決算も反省もしている暇がない。資料と本で鞄は重くなる。相変わらず、寝る時間はない。おかげで電車で座れば、落ちるように眠る。自宅に居ればパソコンの前に座り続け。・・・ おっと、偶然にも前半の総決算ではないか。いやな振り返りだが。

2006年7月1日(童謡の日)
 1969年の今日、チャールズ皇太子がプリンス・オブ・ウェールズに叙位された。この称号は、イングランド王エドワード1世が息子のエドワード2世に与えた1301年以来、イングランドには友好の証として、ウェールズには屈辱として、存在してきた。

 この叙位式は、カーナヴォン城で行われた。1301年に叙位式が行われて以来、叙位式は様々な場所で行われてきたが、チャールズは故意にこの城を選んだのである。式の当日、チャールズに冠を授けたのは、他の誰でもないエリザベス女王だった。当然、ウェールズ愛国主義者が反対を唱え、騒いだ。一部では暴動もあったと伝えられる。だが式そのものは事故も無く、執り行われた。

 同年7月20日、月に人類が始めて降り立った。それを見越したかのように、デヴィッド・ボウイは宇宙飛行士を主人公とした歌「スペース・オディティ」を7月11日にリリースした。

 そしてこの年の夏、Anglo-Welsh Reviewで、一遍の詩が掲載された。以後、現在までどこにも再収録されていないその詩は、‘The Grave’と呼ばれる。R.S.トマスが、長年苦楽をともにしてきたキャラクター、ウェールズ人農夫のイアーゴ・プリザーフを葬った詩である。

 そしてこの年を境に、トマスは過激な行動を繰り返すウェールズ愛国主義者たちから静かに離れ、科学の発達した現代社会における神の姿を探し始める。プリンス・オブ・ウェールズの戴冠と暴動、そして、科学による月の支配の始まりが、トマス転機と果たして無縁であろうか。

2006年6月29日(聖ペテロの祝日)
 梅雨も明けぬというのに、暑くなってきた。東京の昨日の最高温度は30度。今日は31度である。それと反比例して下がるのが、電車などの冷房温度である。冷房に極端に弱い私は、ジャケットが手放せなくなっている。

 もともと汗かきの体質である。その汗が一瞬で引くのは良い。しかし汗を吸ったシャツが、急激に冷やされ、体に張り付く。汗が流れ続けるよりも、この冷たさのほうが私には耐え難い。ついで、足や肩が冷える。人工的に冷やされた足には、冷房を離れてもまるで怨念のようにまとわりつく。帰宅して1時間半。未だに冷気がまとわりついているようだ。これが辛い。

 一方でバーゲン・シーズンの到来でもある。これも辛い。いや、懐具合が、だが。

2006年6月24日(UFO記念日・ドレミの日)
 昨夜半、テレビをつければ、偶然にも井筒和幸監督の「辛口」映画評をやっていた。『虎の門』という深夜番組の中のコーナーで、井筒氏自ら身銭を切って映画を鑑賞し、その映画を評するというもの。自分で金を払っているのだから、何を言っても良いという姿勢で、歯に衣を着せぬ監督の感想が面白い。この日の批評対象は『フーリガン』だ。私が先日、絶賛したばかりの作品である。

 興味をもったので観ていると、最初から井筒氏は映画をこき下ろしてやろう、という姿勢で鑑賞している。あれあれ、と思い観ていると、案の定、映画終了後の評価は最悪だ。ただしその視点が完全にずれていて、映画に描かれた大学やイギリス社会をあげつらっている。言いかえれば、映画そのものを批評しているのではなく、イギリス社会に対して悪態をついているのである。イギリス社会に無知ゆえの発言だと思うが、それにしてもこれは酷い。

 喧嘩には哲学があると、自分の理想論を語るうちはまだ良かった。だが映画ではただ暴れているだけだ、とか、中年フーリガンを指して「まだこんなことをやっているのか」などと笑うなど、強気の発言を繰り返すほど、イギリス労働者階級(working class)の鬱屈した精神を知らないことが明らかになる。日本にも中年になっても野球基地外や相撲の熱狂的な支持者は居る。ただそれが、イギリスやヨーロッパではフーリガンという集団になるということだ。このような文化を知らずして、何を語ろうというのか? 

 仕舞いには自分の映画『パッチギ』を引き合いに出し、自分の映画では喧嘩を人種差別の延長として描いている、と、自分の映画の宣伝と弁護をし始める。フーリガンをある種のコミュニティの延長として描き、そのコミュニティの対立から喧嘩や諍いが生まれることには、全く触れられなかった。また映画の序盤で描かれる、このコミュニティ特有の階級やアメリカ人に対する差別には、全く触れられず仕舞いだった。差別について語るなら、この点に触れなければ片手落ちである。

 挙句に、他の出演者が口を挟もうとすると、怒鳴って発言をやめさせる始末だ。喧嘩には理由が必要とか、日本の仁侠映画を見習え!と怒号する場面には、失笑した。

2006年6月22日(かにの日)
 公開されたばかりの映画『フーリガン』を、仕事帰りに観て来た。イギリス人がアメリカに渡り、カルチャー・ギャップを感じる映画は『Go! Go! L.A.』などがあるが、これは珍しくアメリカ人がイギリスに渡る。一部で「イギリス版仁侠映画」と評されたが、全くそのようなことはない。むしろストーリーを追わなければ、半ばイギリス(ロンドン)の文化紹介映画とも呼ぶことが出来るかもしれない。

 フーリガンというと、「乱闘」「暴動」などのイメージで語られるが、実際のところどのような人たちなのか外国には伝わってこないのが現状である。この映画では、フーリガンと呼ばれる人たちが、地域コミュニティにも似た信頼関係で「ギャング」の生活を続けていることを、赤裸々に描いている。誰もが仕事を持ち、一方で、フットボール(サッカー)の試合と相手チーム側フーリガンとの対決となると熱狂する彼ら。その姿を、ハーバード大学を卒業間じかで中退となったアメリカ人の青年の眼を通じ、彼の成長と一緒に描いているのである。

 登場人物が多いものの、一人一人のキャラクターが丁寧に描かれている。一見すると関係のないような人たちが水面下でつながっており、その関係が明らかにされることでストーリーが展開される。この表面上は隠された人と人とのつながりと、それが明らかにされるタイミングが見事であり、プロットの素晴らしさに唸らされた。早くも、今年観た映画の中でベスト3入りしそうな予感がする。お勧めの映画である。

2006年6月19日(ベースボール記念日)
 修理に出していた携帯型DATレコーダーが、修理を終えて戻ってきた。モーター等を交換し、しめて55440円也。かろうじて原価を超えない修理代である。

 去年の11月に市場を独占していたメーカーのSonnyが生産終了を発表したため、向こうの言い値に従うしかないが、それにしても高い。しかしながらその音や機能には、その金額をはるかに超える価値がある。

 また海外旅行には、同機にはいつも同行してもらっていた。もちろん、ウェールズ初訪問時からイギリス旅行には、欠かせない存在である。去年の『English Journal』のウェールズ特集記事も、実を言えば、それ以前に私が現地で集めてきた会話や音を焼いたCD-Rが存在した(身内にのみ配布)から出来たような面もある。

 様々な局面で集められた貴重な音源の数々は、これなしには再生することができない。加えて10年近く使用しているが、修理に出したのはこれが始めてである。それを考えれば、この値段も高くはない。

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 そのソニーだが、現在の会長兼最高経営責任者は、ハワード・ストリンガー卿である。ウェールズはカーディフで生まれ、アメリカで実業家として身をなした人だ。ベトナム戦争にも従軍し、1985年にアメリカ市民権を獲得している。その彼が肥大化したソニーの事業をスリム・アップし、再生させるためにDATの生産廃止を決定したのだから、不思議な縁を感じる。

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 6月10日の発表は、理論もハンドアウトも完璧だった。それにもかかわらず、話に失敗した。一番の原因は、理由はわからないのだが、途中で急に声が出なくなったことだ。それでも時間は決まっている。休まず、無理をして絞り出した。そうしたら飛ばす箇所を見失ってしまった。それでも、何とか結論はつけた。司会の先生をはじめ、周りに助けられた。しかし、これでは終わらせない。この経験をバネにして、次につなげる。そう誓った。

2006年6月5日(環境の日・世界環境デー)
 発表原稿が遅々として進まず。連日、9:00-17:00近く(時に10:30-17:45)の仕事終了後、帰宅して翌日の予習をしてから、パソコンに向かっている。次から次へと書かねばならぬことを思い出し、あれやこれやと文章・構成を捻くりまわしているうちに、深夜になる。それから慌てて風呂と食事である。やれやれだ。

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 メインで使っていたパナソニックのCDプレイヤーの寿命が、ついに尽きた。旅行で出かけていなければ、スイッチが入らぬ日はなかった。多い時で1日24時間連続再生をしたこともあった。この使用に耐えてくれた、ツワモノだった。

 確かにCDの読み込みエラーが特に最近、頻出していた。トレイの開閉が数年前よりおかしくなっていた。それから、時折、思い出したように高速でモーターが回転することがあった。だがこれ以外はどこもおかしくなかった。

 今朝、ステレオのスイッチを入れた時、CDを読み込もうとしてうなりをあげたのが、最後の音だった。いや、最期の鳴き声か。

 使用者と製品の両方に優しいメーカーであるパナソニックのおかげで、調子がおかしくなるたびに修理をしてもらっていた。しかし、今回はもう駄目だ。数年前に修理の相談をしたところ、部品が代替品も含めてないとのことだった。仕方あるまい。15年以上もの長い間、よくぞ酷使に耐えてくれた。R.I.P.

2006年6月1日(写真の日)
「私のものでない国のために サッカーをするくらいなら、いっそ、
国際試合でサッカーをしたくない。
私はウェールズ人だ。それだけさ。」
ライアン・ギッグス
 2005年9月にロンドンの地下鉄駅で見た、リーボックの広告は“I Am What I Am”を掲げていた。自分は誰なのか? 自分のアイデンティティとは、一体何なのか? サッカー選手のギッグスは、力強く“I am Welsh”と言い切った。

 R.S.トマスは、自分を“Neb”と語った。“Neb”とはウェールズ語で、“No one”(誰でもない)と“Some one”(誰か)の両方を意味する。

 そしてトマスは、自伝(85年)にその言葉を被せた。そこで“Neb”(誰でもない)が“Neb”(誰か)になる過程を描いてみせた。すなわち、生まれたばかりのまだ物心すらつかぬ「誰でもない」人間が、詩人/牧師のR.S. トマスになる過程を描いたのだ。ゆえにこの自伝は、三人称である「彼」という言葉を自分に充てた。

 その3年後、彼は再び自伝を書く。英語による散文と詩からなるその自伝The Echoes Return Slow(木霊はゆっくりと返る)では、“Neb”で語った言葉の「木霊」がゆっくりと返ってきた。アイデンティティを掴んだトマスは、今回は「私」を使った。――自分をウェールズ語で「彼」と呼び、英語で「私」と呼ぶ。これが英語を第1言語として生まれ育った、ある時代のウェールズ人の宿命なのかもしれない。

 ワールド・カップで浮かれているイングランドを見ていたら、ふいにギッグスの言葉が頭をよぎった。

2006年5月26日(ル・マンの日)
 日本の電車の特徴のひとつとして、座席に腰掛けている乗客が眠っていることがあげられる。朝の通勤時などでは、運良く座席を確保できた人たちのほとんどが、眠っている。大抵の場合、無防備な姿のままだ。ヨーロッパなどでは、治安の関係から、まず車内で寝る人を見かけない。それだけ日本は、まだまだ安全だということだ。

 だが、それを“みっともない”と非難する人もいる。一人で座席を二人分とり、さらに足を投げ出して眠りこけている姿を見かけることがあるが、あれは身の安全に対する危機感がないばかりか、恥を必要以上にさらしている。

 かくいう私も、最近、睡眠時間が連日3時間をきっていることと、疲れから、座席に腰掛けると5分ももたないで眠ってしまう。寝ている間は、意識が無い。それほど深い眠りに入っている。何とかしたいのだが、少なくとも次の学会が終わるまではそうもいかない。

 そこで発表する「トマスとイアーゴ・プリザーフ」の原稿を書き始めようとして、1週間たつが、まだ1語も書いていない。論理の流れが出来ていないわけではない。使用する詩が選べていないわけでもない。資料が足りないわけでも、多すぎて手に余っているわけでもない。ただ、先ごろ入手したTony Brown のWrites in Walesと、雑誌welsh writing in englishの2005年の年鑑に収録された論文に、知的好奇心を十二分に刺激され、頭が常に興奮状態なのである。いわば暴発寸前というところで、何とか抑えながら書こうとするので、かえって1語も書けないのである。リミッターを外せば良いのだが、外せば今度は抑制が利かない。やれやれだ。

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 地元紙が伝えるところによると、カーディフとスウオンジーではカジノの開発を計画しているらしい。ウェールズ国務大臣のピーター・ハインは、これにより、雇用促進など地域における経済的高価を期待しているとのことだ。個人的には、ギャンブル産業の肥大化は、あまり良いとは思わないが。しかし、各国にはそれぞれの事情がある。特に成長した大人の国では、個人個人の行動は自己責任が前提とされている。成長していない国ほど、法律と取締りを強化することで国民の自由を奪う。その結果、自己責任が果たせない人間ばかりが増えることになる。問題は簡単ではない。鶏が先か。卵が先か。ようはその間のバランスの問題だと思うのだが。

2006年5月21日(リンドバーグ翼の日)
 今日は既に仕事をしているが、昨日は1日、久々の休みを楽しむことにした。のんびりしようと思っていたのだが、結局はパソコンのメンテナンスやら部屋の掃除やらで、労働をしてしまう。それでも夜には、DVDでアンソニー・ホプキンス主演の『レッド・ドラゴン』を観たが。

 以前に映画館で観たので、筋は大方頭の中に残っている。そのため、演技や物語の伏線に注目した。やはりこのウェールズ人俳優は、怪優である。

 ホプキンスが演じるレクター博士は、芸術を愛する知識人であり、また、食神鬼である。ともすれば品格を失いそうになる(そうなれば、安っぽいホラー映画になってしまう)この難しい役を、ホプキンスは違和感なく演じている。かつてハリウッドの映画関係者がレクター博士を悪役第1位に選んだが、それも納得である。

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 1887年のこの日、T.H.パリー=ウィリアムス(Sir T.H. Parry-Williams)がカーマーゼンシャー生まれた。1920年から1952年までの間、パリー=ウィリアムスはアベリストウィス大学で教える傍ら、随筆家や詩人としても活躍した。特に詩人としての才は秀でていて、1912年と1915年のアイステズヴォッドで椅子と王冠の両方を獲得しているほどだ。

 彼の詩は、ロマンティシズムから離れ、より現実的で自然なスタイルで紡がれた。特にアイステズヴォッドでは、パリの道徳とは無関係な生活をリアリスティックに描き出し、審査員を驚かせたという。ウェールズにおける現代詩が開花するのには、さらに時間がかかるが、彼はその先駆けだったのかもしれない。

2006年5月18日(国際親善デー)
 報告が遅れましたが、5月13日にカムライグ学会での発表「R.S.トマスとウェールズ語――ふたつの言葉の間で」を。無事に終えることができた。反省点がなかったわけではない。だが、それでも論点となるふたつの言語の間で揺れ動くトマスの心情と、苦渋の選択に悩みながらも出したトマスの結論については、述べられたと思う。私とすれば、それなりに好評だったと思う。ただし、聴く側からしてみれば、質問にもあったトマスの理想と現実のギャップについて更に聴きたかったかもしれない。時間や枚数がもっとあったら! とは、いつも思うことだ。

 そして、次はイアーゴ・プリザーフの詩についてだ。実に、もうあと3週間しかない。今度はこれを、ウェールズのことをあまり知らない人たちの前で話さなければならない。プリザーフの誕生と名前の由来に始まり、プリザーフが、そして、トマスがたどった約25年間の道が行き着いた先について述べる。キーワードとなるのは、ギャップ(隔たり)である。

2006年5月10日(愛鳥の日)
 気づけば、15時間労働である。大学で教えて、帰ってきてから発表原稿を書く。今は、「トマスとウェールズ語」に集中している。睡眠時間は3時間を切った。発表原稿は多くのことを詰め込みすぎ、現在、シェイプ・アップの最中だ。今宵も仕事の切り上げは、早くて24時を回るだろう。いつものことだが、食事抜きである。キーボードの叩きすぎで、肩は痛むし、右手の筋がまたおかしくなった。やれやれだ。

2006年5月8日(松の日)
 連休が終わって、肩で息をしている。実はプリザーフの発表以前に、もう1本がある。トマスとウェールズ語だ。今週末に行われるカムライグ学会での発表なのだが、やれやれ、やっかいなテーマを与えられたものだ。

 実を言えばこの問題は、現地の研究者でもあまり採り上げないテーマである。トマスのアイデンティティに非常に深くかかわるテーマである上に、トマスが残した数多いウェールズ語の散文原稿は、地元紙に掲載されたままになっているものばかりだ。加えて、牧師であるから説教をしていたわけだが、その原稿が一切公開されていない。そして決定的なのが、散文を集めた全集がないのである。ウェールズ語で書かれたもので単行本として出版されたのは、自叙伝Neb『何者でもない』のみである。

 従って、トマスとウェールズ語について語ろうにも、ウェールズ語の原稿がほとんど手に入らないのである。現地でもその状態だ。それを、日本にいてどう扱うか。腕の見せ所である。

 正直に言えば、今年のゴールデン・ウィークはこれとプリザーフに全て費やされた。まだ、これから原稿を清書しなければならないのだが、もう息があがっている。

 AOLから、ようやく返事が来た。しかしそれは質問に対する解答ではなく、担当部署に再度調査を依頼しているところとのこと。遅くはないか? しかしそれでも、一歩前進である。とりあえず、AOLからの解答を待とうとしようか。

2006年5月7日(博士の日)
 結局、ゴールデン・ウィークは発表用原稿を作成するので費やされてしまった。つまり、仕事のし通しというわけだ。昨日、今日ぐらいは休みたかったが、結局、昨日半日休んだのみである。加えて、今日は雨だ。気分転換に少し外を歩こうと思っていたが、それも延期だ。

 R.S.トマスとイアーゴ・プリザーフに関する発表は、かなり以前から暖めてきたものだ。実際、去年の秋口に発表のほうを申し込み、この春になって抄録の審査もおり、発表にこぎつけた。そのこともあって、始終このことが頭から離れない。

 もっとも、トマスとプリザーフといえば、半端なことでは済まされない。プリザーフは、トマスの現代詩人としてのキャリアのうち、初期から中期までの長い間、継続的に詩に登場し続けたキャラクターである。その期間は、25年にも及ぶ。時にトマスの話し相手として、時にトマスの思想を映す鏡として、そして時にトマスの理想とする本物のウェールズ("true Wales")の一部分として機能してきたプリザーフ。それについて語ろうと言うのだ。自然と力も入る。

 そのため、マナーヴォンの丘のことばかりを考えている。そうするとウェールズが懐かしくなる。今すぐにでも行きたい。しかし、仕事がある。困った。

―― ―― ――

 ウェールズ議会は、本格的にウェールズ・バイリンガル化("a bilingual Wales")を促進し始めた。専門家による協議会が、5月12日より5月27日まで行われる。同時に、ウェールズ語のフォーラムも開催されている。担当相によれば、国民の意見を幅広く聞きたいとのこと――たとえそれが、ウェールズ語を喋る人であろうとなかろうと。R.S.トマスは、晩年、バイリンガル化を推した。今、ウェールズに人々はどのような答を出すだろう? ウェールズの未来がここに託されている。

 そして日本国内に目を向ければ――果たして日本は、どうなるだろう? アイヌ民族存続に命をかけ、アイヌ語で国会質問に立つなどした萱野茂の訃報に、そう思った。ご冥福をお祈りします。

2006年5月5日(こどもの日)
 世間ではゴールデン・ウィークだが、私は連日コンピューターの前に12時間以上座って仕事である。ほとんど缶詰状態だ。それというのも、学会発表がこの5月と6月にあるからだ。ともに主題はR.S.トマスである。一方はR.S.トマスと言葉、もう一方は、R.S.トマスとイアーゴ・プリザーフである。現在、両方の発表用原稿を平行して作成中である。

 唯一の救いは、自宅で作業をしていることだ。資料は手近におくことが出来るし(というより、床一面に広げた状態だが)、好きな音楽をかけ放題だ。だが、そのほとんどは右から左である。従って、ひとつのソロを聴きたくても、肝心のそれを聞き逃し、同じ曲を何度もかけている有様である。

 目次にも書いたが、それにしてもAOLの態度は、解せない。事態の収拾がつかないばかりか、私に責任をなすりつけ、後は解答拒否である。アクセス・カウンターがリセットされたのは、AOLいわく、アクセスをしていない私がファイルを移動したか壊したとのことだ。アクセスをしていないことは、サーヴァーの記録からも明らかだろうに、この解答は何だろう? AOLは自分のところで用意したCGIしか、使用を許可していない。それが壊れて、こちらに多大なる損害を与えているというのに、すべての責任をこちらになすりつけ、後は放置している。高い料金を払って、この対応では先が思いやられる。

2006年5月1日(メイ・デイ)
 話題@。Winnyの使用によるウィルス感染の結果、使用者の意思に反して個人情報を含む重大な情報がネット上に漏れる問題は、いまだ解決に至っていない。現在でも、新聞などのメディアで情報漏れが報じられる。それらを読む限りでも、普通では開示されないような情報までもが、Winnyを使って探せば見つかる可能性がある。別の見方をすれば、Winnyによる暴露ウィルス感染は、情報開示を求められる時代のニーズに即したものかもしれない。などと、のんきなことは言っていられないのが現状だが。

 話題A。日本でもガソリン価格の高騰が続くが、イギリスでも現状は同じである。先日、イギリスではガソリン1リットルの価格が、最高値をつけた。その額は無鉛で96.26ペンス、日本円に換算すると約198.29円だ。ディーゼルは98.9ペンス。日本円で203.73円(いずれも1ポンド=206円で計算)。イギリスはガソリンの価格が高いことで有名だが、これはいくらなんでも高すぎる。ウェールズでは車なしの生活を考えるのは、難しい。この価格では日常生活に支障をきたすのではないか。

2006年4月26日(リメンバー・チェルノブイリ・デー)
 あれからもう、20年の月日が経つ。旧ソ連邦のチェルノブイリで、人類史上最悪の原発事故が起こったのは、1986年の今日だった。今でも大地は放射能に汚染され、被爆の後遺症に苦しむ人々がいる。それにもかかわらず、未だに原子力発電所はなくならない。既に何度か雑記に書いてきたことだが、ウェールズはヨーロッパで非核宣言をした一番早い「国」である。MOTTAI-NAIもいいが、核もなくならないものか。

 ―― ―― ――

 去年の『English Journal』12月号で「ウェールズ・サウンド紀行」の編集を担当していただいた方が、退職された。その節はどうもお世話になりました。CDに収録された音声は、私がリストを上げた中から、氏が最終的に選んで採用されたものばかりだ。私の書いた記事、撮った写真、そして音声からウェールズという「国」が立体的に浮かび上がる構成は、すばらしかった。新天地でもご活躍を期待しています。

2006年4月23日(サンジョルディの日・世界本の日)
 筒井康隆『小説のゆくえ』読了。ぎょっとするタイトルだが、断筆宣言後に書かれたエッセイを集めたもの(2003年3月刊行、2006年3月文庫化)で、安心して読める。筒井流文学理論に始まる100偏のエッセイは、皮肉と毒に満ちた筒井随想ワールド全開である。愛読者にはお馴染みの筒井流口語エッセイを除けば、堅めの文章が並ぶが、その中に口語をちりばめることで文章が凝り固まらないように配慮されているのが、流石である。巻末の青山真治が記した「拝啓ミヤギ社長殿」には、彼から見た筒井康隆像が描かれている。本書の内容には全く触れられていないので、なぜこのような文章が、通常解説のあたる位置に置かれたのか理解に苦しむが、一ファン・レターを読むのも筒井ファンとしては面白い。

 話し変わって、本日はサンジョルディの日である。スペインのカタルーニャ(英語名:カタロニア)では、この日に女性は男性に本を、男性は女性に赤いバラを贈る風習がある。カタルーニャは、スペインの一地方と記される。だがバスクと同じく、かつては一国であった。かの地に暮らす人々は、スペインの公用語スペイン語と、当地の公用語カタルーニャ語を話す。まるでそう、ウェールズのように。

2006年4月21日(民放の日)
 話題@去年まで、金曜日は山の中にいた。冗談でも比喩でもなく、本当に山に囲まれていた。駐車場に車を止めてまず最初に見るのが、山の切り崩された斜面だったのだ。建物の窓から見えるのが内庭でなければ、山の斜面だった。すなわち、山の谷間で仕事をしていたのである。

 仕事場から奥多摩渓谷や東京で唯一の村、桧原村まで、車で十数分の立地である。近くには天然記念物の山椒魚の生息地と産廃処理施設、そして杉林があった。去年のこの時期は、朝に車を止めておくと、昼にはフロントガラスが黄色に染まっていた。敷地内に野生の狸やリスが現れることも、しばしばあった。

 対して、今年は海のそばである。初めて最寄り駅の改札口を出た時、潮の香りを嗅いだ。建物の最上階からは、海とその海岸に広がる工業地帯が見渡せる。変われば変わるものだ、と、海辺の工業地帯にかかる夕焼けを見ながら思った。同時に、R.S.トマスの軌跡と偶然に重なる部分を感じた。トマスも丘の村から、海岸沿いの村へと移ったのである。

 話題A。20日付けの記事によると、ウェールズの警察犬と警察馬の扱いは、すばらしく良いらしい。これはボランティアが2005年4月1日から2006年3月31日までの間に、41回、実際に施設を訪れて確認した結果である。その報告書によれば、犬と馬の扱いのみならず、飼われている環境も「非常にすばらしい(excellent)」。

 話題B。どうも、ひどく疲れている。文章をごらん戴けばわかるように、しまりがない。やれやれだ。

2006年4月20日(青年海外協力隊の日)
 おかげさまで、授業が始まって2週間が過ぎようとしている。事務的な決まりごとや授業方針が学校によって異なるので、それを覚えるのに一苦労だ。

 その一方で、これが新鮮でもある。この新鮮さは、何ものにも変えがたいものがある。また学科や学部ごとに学生の特徴や性格が異なり、それを眺めているだけでも面白い。もう少し時間がたてば(まだどこも始まって2週間目に入ったところである)、学生個々人の個性が見えてきて、さらに面白くなるだろう。

 目下の悩みは、電車通勤が週の半分以上となったため、JRの遅延や運行中止に悩まされることだ。止まってしまうと、文字通り何もできないのである。車ならば他の道を探すこともできる。電車では車内に缶詰にされたまま、運行再開を待つしかない。

 ウォークマンも悩みの種のひとつだ。脅しつけたので調子良く動いてくれるが、何しろテープがかさばる。加えて、最近は音楽編集に全てCD-Rを使用していたので、テープの内容が古いものが多い。とりあえずは懐かしさで聴いているが、それもいつまでもつことか。

 もうひとつの悩みは、プリント製作や予習、そして自分の勉強に追われることだ。結果的に夕食が、未だに連日早くて23:30である。連日深夜2時すぎに寝て、早朝の5時から6時の間に起きる生活である。もともと睡眠時間は短く、連日3時間少々だったが、最近になってそれが応えてきた。体も辛いが、楽器が弾けないのがさらに辛い。

―― ―― ――

 1871年の今日、ウェールズの詩人であり小説家でもあったW.H.Daviesが生まれた。ニューポートで生まれ、学校を退学し、そして、ロンドン、ブリストル、アメリカを放浪した。カナダで急行列車に飛び乗ろうとして失敗し、片足を失ったことが人生の転換期になった。彼は作家に転向し、ロンドンに戻り、労働者の声を詠うよになる。そしてかの有名なThe Autobiography of a Super-Tramp (1908) を記すのだ。彼はまた、20世紀に確立されたアングロ=ウェルッシュ詩(英語で書くウェールズ人の詩)の創始者の一人に数えられる。

  What is this life if, full of care,
  We have no time to stand and stare?
              ('Leisure')

  この人生は何なのだ? もし心配ばかりして
  しっかりと立ち、じっと見つめる時間がなければ。
              (「余暇」)

2006年4月17日(恐竜の日)
 一昨日のこと。メインで使用しているCDプレイヤーの修理をしようとして、素人の手には負えないことが判明。何しろ、15年近くも使っている。金属疲労もあるだろう。蓋を開けてみると、CDをはさむアームとトレイが不安定になっている。時折、回転が超高速になるのはこのためだろう。またピック・アップ自体も劣化しており、読み込み時にエラーを出すことが多い(いつもではない)。時にはノイズが出ることもある。ぼちぼち買い替え時か。カタログを集める時間と、新製品を選んでいる時間的な余裕がないのが、目下の悩みである。

2006年4月16日(ボーイズビーアンビシャスデー)
 東京は雨が降ったかと思えば、いつの間にかやんでいる、という不安定な天気だ。加えて4月半ばを過ぎたというのに、肌寒い。部屋にいながら、セーターを着込んでいる。

 そして日曜日だというに、仕事である。ほとんどは自分の勉強と授業の予習だが。その合間を縫って、サイトのほうも更新。

 その間、ブライアン・イーノばかりを聴いている。実は先日、『マイ・ライフ・イン・ブッシュ・オブ・ゴースツ』をはじめて聴いた次第である。未発表曲7曲を加えた、デジタル・リマスター盤を入手したのだが、これが良い。今聴いても、現在のイーノ音楽に通ずる、斬新な内容である。しかし逆に言えば、本作とこれに先立つアンビエント・シリーズで、その世界が確立されてしまったような印象も受ける。現在のイーノ音楽にすばらしさを求めることは出来るが、斬新さを求めることが出来ないのは、そのせいだろうか。

 話題変わって、昨日のことだが、グレッグ・イーガン著『ディアスポラ』(翻訳)を読み終わった。鳴り物入りの作品だが、果たして、内容は面白い。ソフト・ウェア化された世界に住む人間(平たく言えばコンピューター・データーと化しながらも意思を持つ人間)と、現実の地球上に住む人間のコンタクト(接触)から始まり、最後は数学の世界で終わる。

 途中で繰り返される宇宙理論が非常に高度な数学を使っており、正直に言って難解なハードSFである。解説に「(文系の読者は)理論を読み飛ばして読んでも良い」と書いてあったが、実際に読み飛ばしても(というか、読み飛ばさずにはいられない)面白い。しかし、理論がわからないと感動はない。

 4月14日、戦後最大のウェールズ詩人の一人、レズリー・ノーリス(Leslie Norris)がアメリカで死去。84歳だった。ノーリスは南ウェールズの炭鉱の村マーサー・ティッドヴィル(Merthyr Tydfil)に1921年に生まれ、体を壊しながらも勤勉だった父の姿を見ながら、貧困の中で育った。20歳の時に『美の言葉』(Tongue of Beauty)を処女出版して以来、多くの詩と短編小説を発表した。1974年に作家に専念する以前は、教師と詩人という二重の生活を送っていた。1983年にアメリカのユタ州にあるブリガム・ヤング大学(Brigham Young University)の専任教授となって以来、アメリカに住み、その地で最期を迎えた。ご冥福をお祈りする。

  He sang for us once only,
  our mother away from the house, ...
  For the first time raised
  his voice, in pain and anger

  sang. I did not knowing his song
  nor why he sang it. But stood
  in fright, knowing it important,
  and someone should be listening
          ("His Father, Singing")

   家から母が去り
   父はたった一度だけ私たち兄弟のために歌った
   初めて声をあげ
   痛みと怒りで

   歌った。父の歌が何であるか、また、なぜ
   その歌を歌ったのか 私にはわからなかった。だが
   恐怖で立ち尽くし その歌が重要な歌だと
   誰かが耳を傾けるべきだと知った。
          (「父、歌う」)

2006年4月14日(タイタニック号の日)
 世界史。1912年の今日、イギリス客船タイタニック号が氷山に衝突し、沈没したことは世間一般によく知られた事実だ。これから後の4月24日に、トマス・ハーディが詩“The Convergence of the Twain”をこの悲劇に捧げたことは、世間一般には知られていない。もっともその内容は、ハーディの運命論を披露したもので、哀悼の詩には少々遠いものを感じずにはいられないだろう。また、当時は、被害者の家族救済に充てられた基金のプログラムに掲載されるなどして、認知度は高かったと思うが、現在ではタイタニック号の悲劇といえばディカプリオになってしまうか。

 ある歴史。1240年のこの日、ウェールズ皇太子のスウェリン・アプ・イオルエールス(Llywelyn ap Iorwerth)が死去。彼は「偉大なる」スウェリンと呼ばれた、ウェールズの生粋の王子である。彼の像は、今もコンウィの広場でこの村を見守っている。

 私事。今年の前期は、ほぼ毎日違う大学へと行くことになった。金曜日に出校する大学は、今日が初日である。それにもかかわらず、電車の運行が途中で止まってくれた。全く、JRはよくやってくれる。15分ほどの運行停止だったのと、初日ということがあって早めに家を出ていたので助かったが、危うく初日から遅刻をするところだった。やれやれだ。

2006年4月10日(駅弁の日)
 今日が授業初日となる。今日の授業は、どれも通年の授業だ(最近では、半期で単位をひとつ修得する、セメスター制を導入する大学も出てきている)。初回なので今年1年間の授業のイントロダクションを行う。約80分以上、一人肉声で喋り続ける。流石に最初の時間は、途中で声が変わってしまった。

 そして理由はわからないが、朝の出勤時からジャズを聴き通しである。マイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカー、ハービー・ハンコック、キャノンボール・アダレイ、ウェス・モンゴメリー、アルバート・テイラーなどなど。途中、ブリン・ターフェルの歌も聴いたが、終日、ジャズである。今は、ビル・エヴァンスのライヴを聴いている。どれもアルバム1枚だが、ほとんどが通しで聴いている。しかし、よくもこれだけ聴いたものだ。

2006年4月6日(白の日)
 さて、本格的に忙しくなってきた。正確に言うと、焦りを感じ始めてきた。理由は簡単で、どの大学も来週から授業が始まるからである。まとめて予習をする性分にもかかわらず、締め切り近くにならないと動き出さない悪癖があるので、この時期はいつも大変なのだ。他の仕事がストップして、予習に専念・・・ と言いつつ、3日前に丸1日休みをとっていたけれどね。

2006年4月4日(トランスジェンダーの日)
 日ごろ映画館に行けない鬱憤を晴らすため、時間を作り、見逃した映画ばかりをビデオで観る。その中で、『ジョゼと虎と魚たち』には素直に感動した。確かに、出来すぎた話ではある。だが、それ以上に胸を打つものが、ここにはある。障害者の現実と、普通の若者の現実を冷静に描いた監督に喝采を送りたい。私自身としては、最後の独白を少なくしたほうが、説明調にならずに良かったと思う。それでも、傑作には間違いない。

 『息子の部屋』には、キャッチ・コピーの行き過ぎを感じた。レビューと書く身として、反省と技巧の両方を学ぶ。

 『SAW ソウ』は、単純に楽しめた! このような結末ありか、と問う方もいるかもしれないが、中々骨太な作品である。私は完全にやられました。私はてっきり、犯人が2人(一人がオリジナルで、もう一人は「その世界にはまってしまった」人)だと思っていました。公開時に観ていなかったことが、残念だ。さらに、第1部を見送ったために、第2部も劇場で観なかったことが悔やまれる。

2006年4月2日(国際子どもの本の日)
 2日付けの毎日新聞の紙面によると、日本は景気が良いらしい。この景気のよさは、当分の間続くという。実感どころか、説得力もないが。しかしながら、日本の総務省によると失業率が4.1%だというから、一時期に比較してよくなってはいるようだ。それでも失業とその恐怖に苦しんでいる人々はいる。痛ましい事件も、報道されている。現状を見て、果たして景気がよくなったと言えるかどうか。また、果たして景気だけで国と国民の健康度を計って良いものだろうか。先日、ヒルズから獄中へと転落した人がいたことを、忘れたわけではないだろうに。

 失業率というデーターも大切だが、愛国心率や道徳率といったデーターもあれば面白いのだが。愛国心は諸外国に比べ、がた落ちだろう。道徳率は、アメリカと肩を並べるのではないか。

 ウェールズの3月17日付けのデーターを見ると、失業率は5.0%だ。前年の4.2%よりも上昇した形である。そしてここに来て、航空会社とフェリー会社が事業縮小を発表している。どうなることか。まあ、1985年の炭鉱閉鎖時よりも状況はかろうじて良いのだろうが。

2006年3月31日(教育基本法・学校教育法公布記念日)
 話題@。どうもここ数週間、調子が悪い。気分や体調が悪いわけではない。だが、何を決めるのにも、何をするのにも時間がかかる。加えて、書こうと思っていたことを忘れる始末だ。やれやれだ。

 話題A。Winny使用者のパソコンがウィルスに感染し、各種の重大な情報がネット上に漏れたことが、連日、新聞の見出しをにぎわせている。販売店の顧客情報から、防衛庁、住基ネット、警察の捜査資料、そして学生の成績などまで、到底、考えられない重要な代物が流出している。

 これに対して、毎日新聞の記者に警察関係者が「報道しなければここまで広がらなかった」と詰め寄ったことが、先日、報道された。しかしながら、紙面で記者が反論しているように、メディアが報道しなくても、これらの情報はネット上で十分知れ渡っている。むしろ、報道されなければ、これほどの重大な過ちがうやむやにされてしまったのではないか。そもそも機密データーを入れたパソコンで、ウィニーを使用するという、個々人の自覚のなさが招いた事件ではないか。

 君子危うきに近寄らず、という諺がある。なるほど、危うきに近寄らないのは君子だけか。

 話題B。本当に「雑記」で、話が飛んで申し訳ないが、別の話題である。1920年のこの日、イングランド国教会(もしくは聖公会)から、ウェールズ聖公会が分離・独立した。すなわち、ウェールズ聖公会誕生の日である。イングランド国教会(Church of England)からの独立は、1536年にイングランド融合以来の、ウェールズ独立運動の一環であるといえよう。

 またこの同年同月日に、アイルランド統治法(Government of Ireland Act)が施行された。これはアイルランドを北と南に分け、それぞれの自治権を認めるというものだ。後に北は現在の北アイルランドとなり、南はアイルランド自由国を経てエール(アイルランド共和国)となる。

 この法案の影にいたのは、時の宰相、ロイド・ジョージである。並み居る強敵を押しのけ、宰相まで登りつめた唯一のウェールズ人の複雑な心境は、私にはわからない。しかしウェールズの炭鉱夫たちに、合唱をすることでウェールズ人としての民族魂を保て、と、熱く演説した彼である。彼の未来を見詰める瞳には、ウェールズ王国独立の旗が映ってはいなかったかと、私は思う。

2006年3月24日(壇ノ浦の戦いの日)
 1981年の今日、ウェールズ生まれでネオ・ロカビリーの火付け役、シェイキン・スティーブンスが“This Ole House”でイギリス・チャートの1位を獲得した。80年代には隆盛を誇ったシェイキン・スティーブンスだったが、90年代には低迷する。しかし去年(2005年)5月、ITVの番組“Hit Me Baby One More Time”(私にもう一度ヒットを)で見事、再起を果たした。

 ・・・ と、明るい雑記を書き始めた矢先、ウェールズ・ニュースの欄にも書いたが、Air WalesとStena Lineが営業を縮小するというニュースが飛び込んできた。

 カーディフ国際空港を拠点とする航空会社のAir Walesは、一般乗客を扱う便を全便取りやめ、今後はチャーター便と貨物便のみの運行となるとのこと。一方、フェリー会社Stena Lineはホーリーヘッドとダン・レアリーを結ぶ便を縮小するとのこと。これにより、両者合わせて最大110人が職を失うと見られている。

 どちらも原油価格の高騰と、格安航空券の加熱する競争を理由にあげているが、大手会社の競争に中小会社がしわ寄せを食った感じだ。いつも泣かされるのは、弱者だという事実は未来永劫に変わらないのだろうか。好景気を謳歌しているイギリスですら、この状況である。日本はどうなることやら。やれやれだ。

 ここまで気にするのは、判官びいきだろうか。壇ノ浦の戦いの日に、そんなことを思った。

2006年3月23日(世界気象デー)
 22日にウェールズ国民党は、ウェールズをバイリンガルの国にする方針を発表した。同時にその発言には、現在のウェールズ語法に欠点が多くあることも指摘している。

 そして来る25日に、Cymdeithas yr Iaith Gymraegの年次会議が開かれる。このCymdeithas yr Iaith Gymraegとは、新しいウェールズ語法のための運動である。ここでどのような決断が下されるか、私は見守っている。ウェールズ党がモノリンガル(単一言語使用者)ではなく、バイリンガルを選んだことは、時流として仕方がないこととはいえ、かなりの決断だったのではないか。

 現実問題として、ウェールズは言葉に対する問題を、気の遠くなるほど長い間抱えてきた。言葉に対して敏感なウェールズの民だからこそ、ふたつの言葉の間で揺れ動いてきたのだろう。

 その一方で英語至上主義とでも呼べる人々が、ここ日本にも存在するのも事実である。支配者の言葉として押し付けてきた英語の歴史を鑑みず、マイナーな言語のことなど知らぬと豪語する輩には、強い怒りを感ずる。言語の否定は、その民族の文化と民族精神の否定であることに気づかぬのか。最近、このような暴言のメールを受け取り、怒りを禁じえていない。

 話題転換。今日は世界気象デーという。世界気象機関(WMO)が発足10年を記念して制定した、いわば国際デーである。日本もイギリスも加入しているが、このような日に天気予報をはずした日本気象協会に盛大なる拍手を送りたい(東京の予報は1日雨だったが、ものの見事に晴れた)。いやみかな。

2006年3月22日(世界水の日)
 話題@。RBS6ネイションズ(ラグビーの国別対抗戦)では、去年1位に輝いたウェールズが4位という結果に終わった。2連覇ならず。残念である。

 話題A。WBCで日本代表が1位に輝いた。審判問題など、いろいろと次回大会に向けての課題も残ったようだが、何はともあれ、初大会の初優勝を飾ったのだから、喜ばしいことだ。だが、これに便乗して、テレビでの野球中継延長放送だけはやめてほしい。あれほど迷惑なものはない。最初から、大目の時間枠をとっておけばいいだけの話なのだから。もし時間が余れば、世界のニュースを放送すれば良い。今度は逆に時間が足りなくなるかもしれないが。

 話題B。どうも忙しい。やることも多いのだが、時間の使い方が下手なのも、原因のひとつかもしれない。移動時間によるロスも大きい。気づけば、3月下旬だ。世間では、いつの間にか梅が咲いているではないか。夜に降られた雨も、いつの間にか、春の雨になっていた。「梅は咲いたか、桜はまだかいな」と、風流にいきたいところなのだが、そうもいかせてはくれないようだ。代わりにコートを脱いで、少しでも春を感じよう。

 話題C。この時期にしか出来ないことをやろうと思っていたのだが、どうも上手くことが運ばない。話題Bにかかわることなのだが、時間の使い方が下手なのだろう、と、つくづく思う。かねてより考えていた対策を、実行するかな。加えて、最近、運動不足気味だ。もっともこれは4月になれば、多少は解消されるかもしれないが。

 話題C。ウォークマンが、どうも寿命のようだ。いまだ頑張ってくれてはいるのだが。アナログ・テープだからわかり辛いのだが、どうも再生速度がぴったりでない時があるような気がする。音叉の音を録音したテープを流せばわかるのだが、頑張っている姿を見ていると、そこまでするのは酷なような気がしてきてしまう。

 話題D。そういえば、いろんなものが壊れかかっている。CDプレイヤー(2台あるうち2台とも)、カセット・テープ・デッキ、アンプ・シュミレーター、シンセサイザーなどなど。最も、一番壊れかかっているのは、私自身かもしれないが・・・ 。

 ―― ―― ――

 一旦アップロードしてからの、書き足しである。時計を見れば、0:52だ。すなわち、もう日付は23日に変わっている。風呂も夕食もまだなので、ここいらで切り上げようか。雑事ばかりで、本当にやろうと思っていた仕事が何もできなかった。本格的に対策を考えるかな。

2006年3月18日(精霊の日)
 以前ここでも話題にしたPSEマークだが、今日仕入れた情報によると、今回の施行ではACアダプターを使用する製品は除外されるとのこと。ただし、2008年4月1日からは、これも含まれる。しかしながら今回の施行では、アンプなどACアダプターの部分を内蔵した製品は、対象だというから、楽器や周辺機器の再度チェックが必要だ。電池を内蔵バッテリーに使用したギターやベースなどの楽器類も、この2008年までは大丈夫だが、その後はわからないということだ。楽器に限らず、電化製品の修理は早めにやっておいたほうが、無難かもしれない。やれやれだ。

2006年3月16日(国立公園指定記念日)
 メールの返事を書く前に、少々調べもの、と、ネットサーフィンをしたら、ウィルスに感染した。別に変なサイトに行ったわけではないのだが。常駐しているMcAfeeが、感染を教えてくれたのだが、ウィルスの駆除も、隔離も、何も出来ないと言う。そこで仕方なく、手作業へと切り替える。つまり、自ら疑いのあるフォルダをひとつひとつ調べる行動に移したのである。

 だが、そのファイルが見つからない。結局、ウィンドウズをセーフ・モードで立ち上げなおす。7時間近くかけて、徹底的にハード・ディスクを走査した。その結果が、先ほど(もう日付変更線を超えているが)に出た、「ウィルスは発見されませんでした!」というMcAfeeの能天気なメッセージである。

 どうやら、Temporary Internet Filesに感染ファイルがとどまってくれたらしい。おかげで、ここのファイルを削除したことで、我知らずのうちに、ことは解決していたらしい。あくまでも「らしい」でとどまっているのだが、McAfeeがウィルスおよびそれに感染したファイルを全く発見できないのだから、これ以上、何もしようがない。やれやれだ。

 ところで、今日届いた手紙を先ほど封を切ったばかりなのだが、その中のひとつで、また名前を間違われた。しかも、個人名指定の重要な書類である。間違ったのは、何度もここでも触れている某大学である。本当に、名前出すぞ。その前に、明日、どのように文句を言ってやろうか、考えなければ。

 ウィルス感染のおかげで、出来なかった仕事をしながらだから、今日も何時に食事が出来るか、はたまた、何時に眠れるか。やれやれだ。

2006年3月15日(世界消費者権利デー)
 話題@。ケネディ大統領はこの日、「消費者には権利がある」と言った。だが、日本ではその権利保持は難しいらしい。以前(3月8日)に話題にした家電リサイクル法に、変更はないとのことだ。

 ただし、国側が若干譲歩し、ビンテージのクラスに入る、希少価値の高いもののみ例外とする旨を発表した。では、ビンテージに入らないものはどうする気かね? 大抵の楽器は、ビンテージにならない。また、ビンテージ品の定義も不明確だ。このままでは、愛機が朽ちていくのを、私たちはただただ眺めることしか出来ない。死に行くものを放っておけ、というのか。納得がいかない。

 話題A。最近、睡眠時間が1、2時間ほど延びた。おかげで、5時間は寝ている。4月になればまた3時間(以下)に逆戻りになるのだが、それまで、惰眠を少しだけむさぼろう。

 睡眠時間が増えたせいか、最近よく夢をみる。この夢が厄介で、実に現実そのものなのだ。うっかりすると、夢で見たことを現実にあったことだと、2,3日の間、思いこんだままでいる。虚虚実実。それもまた楽しい。

 話題B。北ウェールズのバンゴール大学で、リチャード・ダグラス・ペナント(Richard Dougles Pennant)なる詩人が、3月30日に、アレグリ弦楽四重奏団(Allegri String Quartet)とギリシャに活動の拠点を置く演奏家ロス・ダリー(Ross Daly)の生演奏をバックに詩の朗読を行うとのこと。音楽はこの詩の朗読のために書かれたものとのことだ。これだけでも興味がそそられるが、うらやましいのは、その入場料である。大人が£8.00(約1600円)で、学生は何と£3.00(約600円)だ。加えて、家族チケットもあり、大人1人に子供2人までが£9.00(大人2人と子供4人までは£17.00)という破格値である。日本のチケットも、せめてこのくらいまで安くならないものか。

 話題C。東京は急に春めいてきた。外界が誘うが、そこには花粉症と言う罠が待っている・・・ 。

 話題D。どうも仕事が停滞ぎみだ。どれも進んではいるのだが。とある仕事先からは、別々の人が複数、仕事を依頼してくる。どうなっているのだ。そのせいか、メールの返事がかけない。必ず書きますので、もう少々お待ちを。

2006年3月13日(サンドイッチデー)
 珍しくダウン気味。本日、そのため、まことに珍しく外出をキャンセルした。原因はなんだろうか。過労か。不摂生か。この急激なる寒さのせいか。花粉症か。風邪菌培養者が、家の中を大手をふるって歩いているせいか。それとも日ごろの行いの報いか・・・ 。どれも当てはまりそうだ。

 結局、大して仕事がはかどらず。どれも確実に前進してはいるが、ここ数日は遅々たる足取りだ。やれやれ。

2006年3月8日(国際女性デー)
 PSE。BSEではない。2006年4月より、家電リサイクル法が強行に施行される。そのため今年の4月以降、PSEマークをつけた電化製品以外の販売が、国内生産品/輸入品および新品/中古を問わず禁止される。恥ずかしながら全く知らなかったのだが、2001年に電気用品安全法の設立により、この法が採用されたようだ。現在は、その猶予期間とのことだが、毎日新聞で読む限りは、販売店の人ですら知らぬほど法の周知がなされていない。

 リサイクルには、当然、人件費などの費用がかかるのだから、それを消費者が負担するというのは納得がいく。しかし納得がいかないのは、この対象電化製品のなかに、電球などの生活必需品や、ステレオ機器、電気楽器や電子楽器が含まれていることだ。

 現在、電気を使用しない楽器は、数少ない。シンセサイザーのみならず、アンプやエフェクター、エレキ・ギターやベースなどは全て電気楽器の範疇に入ってしまう。所謂「アンプラグド」ブームの時に活躍した、アコースティックと呼ばれて販売されているギターも、実は内臓マイクで使用する電気をアンプから供給している電気楽器である(正式名称はエレクトリック・アコースティック・ギターという)。そうすると施行以後は、これらのPSEマークのついていない楽器は、一切の店頭販売が出来なくなることになる。すなわち、ヴィンテージのみならず、80年代や90年代に製作された良質の楽器の流通が不可能になるのだ。そればかりか、PSEマークがついていない今日(すなわち猶予期間)製造された電気製品は、4月以降販売が出来なくなる。大変だ。

 実は、問題の根はもっと深刻なのだ。今現在、私の部屋には5本のエレキ楽器、4台のシンセサイザー(モジュラーと呼ばれる鍵盤なしの音源部のみも含む)、数々のエフェクターをはじめ、数多くの電化製品がひしめいている。これらのPSEマークがない愛用品は、家電リサイクル法施行後は修理が出来ない。法の条文によると電気的な部分を含む修理は、新たなる製造とみなされ、新たな安全基準審査(費用が必要)を受けねばならない。もし独自に修理した場合は、法に違反したものとみなされ、罰金か罰則が科せられる。

 このような不条理があろうか? ものは捨てるより(リサイクルに出すより)、修理に出すほうが良いのは、自明の理である。それをこの法は妨げる。その結果、少しでも壊れた製品は修理が出来ずに破棄されるという、信じがたい無駄が生じるのだ。

 無駄であるだけではない。楽器を演奏する人ならばわかるだろうが、愛着のある楽器は演奏者の体の一部と化す。決して、使い捨ての道具ではない。だからブリッジ(弦を留めるボディ側の部品)がひとつ壊れれば修理に出し、ノイズが出るようになれば、ピック・アップ(楽器についたマイクのこと)の電気系統の修理を依頼する。これが――不可能になるのだ。他の部分は健在でも、破棄せざる終えない。一体型のミニ・ステレオでは、CDの読み取りエラーが出れば、ラジオもテープもアンプも一緒に破棄される。

 外に目を向ければ、業務用冷蔵庫などもこの法の対象となる。自動販売機や電気トイレもそうだ。

 これを不条理といわず、なんと言おう? これがノーベル賞を受賞したマータイさんが提唱する「もったいない」という言葉を、生んだ国の成れの果てである。

(この文章をいかなる理由であろうと、一部および全文引用かつ政治的な使用を一切禁ずる。)

2006年3月6日(ジャンヌ・ダルクの日)
 いくつかの仕事を同時進行することがある。そのため、常にそれぞれの仕事がどれだけ進んでいるかを気にしながら、仕事をしている。たまには見切り発車をしたくなるのだが、それは禁物と心に楔を打ち込み、仕事に励む。

 しかしひとつ悪い癖がある。それは、連絡を怠ることだ。インターネット常時接続とメールのおかげで、かなり連絡がしやすくなった(電話だと、相手の時間やら何やらを考えなくてはならない)が、かえって先延ばしにしてしまうことがある。現在、どの仕事も着々と前進しているので、ご心配なく・・・ 。これで疲れがたまりキレかかると、ひとつひとつの仕事を馬に見立て、レースをしたくなるのだが。

2006年3月3日(桃の節句)
 昨日(3月2日)、ロードリ・ディヴィスのライヴを観てきた。秋山徹次氏との3部構成のジョイント・コンサートで、ロードリは第2部と第3部で演奏した。詳しくは当サイト内のロードリのページで書くが、一言で言えば、静寂の美しさを実感した夜だった。あれほど、音とその余韻に耳を傾けた夜も珍しい。今回の来日では、ライヴは昨日の夜限りとのことだが、次回来日の際には、(もしくはロンドンを訪れることがあれば)是非とも多くの人に足を運んで聴いていただきたい。百聞は一見にしかず、とは諺にあるが、その場に居合わさなければわからないことも多いものだ、とも実感させられた夜でもあった。

―― ―― ――

 人に頼んでおいた仕事が、返ってこない・・・ 。困った。先に進むに進めない。

2006年2月26日(二二六事件の日)
 久々にメール・ラッシュ。ここ数日、東京では比較的暖かい日が続いたが、今日は雨が降っている。だが、雪にはならない。気候が暖かくなっている証拠だろう。

 先日、大量にCDを買い込んだ。先月にはほとんど購入していなかったのと、武満の新録音が一挙に2枚組みCDが5巻も出たせいだ。某Tower Recordsがポイント2倍セールをやっていたことも、あるが。

 その中で1枚、変り種ながら面白い作品がある。ZAVOLOCA-AGFというウクライナのミュージシャンと、ドイツの詩人のコラボレーション作品Nature Never Produces The Same Beat Twice (Nexsound/ ns44)だ。全50曲収録で、それぞれが約1分の長さというアイデアも秀逸ながら、その短い曲が絡まりあいながらひとつの世界を作りあげてゆく構成は見事だ。

 また、武満徹の新録音CDは、全集完結以来、ほとんど出ていなかっただけに嬉しい。また、一聴してそれとわかるほど素晴らしい演奏と録音に、大満足である(実際にはまだ最初の3巻しか聴いていない)。全てが武満没後のライヴ録音から採用されており、そのため、そのどれもが新鮮に響く。そして、何よりもどの演奏も武満に捧げられるように、丁寧に、大切に演奏されているのが良い。没後10年。あの時私は、23時のニュースで武満の訃報を知った。月にCDを何枚も買えなかったころの話だ。その時の長さを、実感する。

 さて、日本では二二六事件のあった日だが、ウェールズでは1915年のこの日、イングランドの命によりウェールズ近衛歩兵連隊(Welsh Regiment of Foot Guards)が編成された。イギリスの軍隊の中では、一番若い連隊であった。時は動乱、第1次世界大戦内のことだった。

2006年2月22日(猫の日)
 猫の日である。それだけで良い。今日ばかりは、愛猫たちが主となる。飼い主は愛猫たちを主賓としてもてなし、ご馳走を振舞ってやらねばならぬ。時に召使として、奉仕せねばならぬ。これは、いつものことかもしれない。だが、それで良い。いや、それが良い。

 全く関係のない話なのだが、昨日の夜中、映画『トリプル・エックス』を観た。とにかく、むかついてしょうがない。いや、主人公に、ではない。テレビ・ゲーム好きで、マッチョなラッパーの主人公には、好感さえ感じた。だが、映画の根底にある「アメリカさえ助かれば、チェコなんて崩壊しても良い」という姿勢・態度に、腹が立った。後味が悪いなんてもんじゃない。これがアメリカの基本姿勢だというのならば、テロリストと同じだ。娯楽作品にそこまで怒らなくても良いのかもしれないが、これが「娯楽」で、それをアメリカ国民が支持したとなると、話は別だ。

2006年2月20日(歌舞伎の日)
 知らなかった。デレク・ベイリー、2005年12月25日死去。エルトン・ディーン、2006年2月7日死去。ともにロンドンにて。ともにイングランド出身。ともにフリー・ミュージックという枠を超えて、音楽の歴史に大きな足跡を残した人たちだ。

 エルトン・ディーンは、カール・ジェンキンスが加入する前のソフト・マシーンの立役者だった。カールとは対照的な、非常に激しいサックスを吹く人だった。『4th』やその周辺のライヴ・アルバムでの演奏を聴くと、今でも気分が高揚することがある。享年60歳。ご冥福をお祈りする。

 ベイリーは75歳だったそうだ。現時点で最新のリリースは、2005年7月だったのだから(内容は同年のバルセロナでのソロ・レコーディング)、彼は死の直前まで我々に音楽を届けてくれていたわけだ。この姿勢には、全く頭が下がるばかりだ。

 ベイリーの妥協しない、凛とした音楽には常に感銘を受けていた。即興音楽の演奏家としては珍しく、数多くの音源を残してくれたが、あの唯我独尊的なギター演奏を生で聴くことができないのは、残念な限りだ。ご冥福をお祈りする。

―― ―― ――

 フリーつながりなのだが、ウェールズ出身のフリー演奏家であり、シャルロット・チャーチのハープ奏者としても知られる、ロードリ・ディヴィスが来日する。詳しくは、ウェールズ・ニュースのコーナーにて。

2006年2月11日(建国記念日)
 最近、何度か名前の誤記について書いてきた。その甲斐あってかようやくなくなってきた・・・ と思った矢先、今朝方拝受した、某大学(ミスと不祥事ばかりだ。仕舞いには名前出すぞ)から届いた手紙には、驚いた。

 確かに封書の宛名も名前も間違っていない。だが、梱包物(書類)が同じ苗字の先生宛である。つまり、肝心の内容そのものが誤配というわけだ。これに対する返信は、20日厳守とのことだ。どうする気かね。厄介なことに今日は祝日で、一応電話をかけてみたが、誰も出ない。加えてこのご時世にもかかわらず、メールでの連絡先が記されていない。大学のホーム・ページでも確認したが、公表されていない。

 この大学(特に某課)は、毎回毎回、重要な書類を連休前に送ってくることで、周りの先生方からも非常に評判が悪い。故意に問い合わせをさせなくしようとしているかのようだ。それにしても今回は、どうするつもりかね。ちなみに私は、月曜日から非常に忙しくなるので、電話が出来ない可能性が高い。たとえば電話が出来たとしても、正式な書類が私と、私に間違われた先生のもとへ届くのは、早くてその翌日である。どうする気かね。

2006年2月9日(河豚の日)
 @伊福部昭氏2月8日死去。一般には『ゴジラ』の映画音楽を担当したことで知られるが、童謡のメロディを引用した「日本狂詩曲」など、東と西を融合した特異な交響曲を残した。こちらこそ、伊福部の真骨頂と言えるだろう。

 彼の弟子は多いが、その中でも既に鬼籍に入っている黛敏郎は、伊福部の思想・作曲に深く影響を受けている。黛の名作「涅槃交響曲」などは、伊福部の思想に影響なしには誕生することはなかったのではないか。黛がテレビ『題名のない音楽会』で、伊福部の「芸術家たる者は地蔵の頭に付いた鳥の糞にさえ美を感じなければならない」という言葉に深く感動した旨を語っていた場面が、私の頭の中にこびりついている。ご冥福を祈ります。

 A韓流スターが、政府が発表した韓国における外国映画参入緩和に反対し、抗議行動に出た。何のことはない、これまで保護されていたのか。逆に、外国の映画をもっと見たいという韓国人映画ファンによる、外国映画参入緩和賛成運動でも出ないかな。

 Bイギリス軍がイラクから一部撤退を決めた。日本の自衛隊も、ぼちぼち戻ってきて「自衛」に当たってほしい。何しろ日本では今、アメリカ軍がやりたい放題なのだから。殺人、交通事故、暴行、何でもありだ。

 これでイギリス、日本、オーストラリアが撤退すると、残るはアメリカ一人舞台か。インドネシアでのテロが絶えないのも、アメリカに対する反発だと聞く。アメリカはすでに「正義」ではなく、「悪役」だということをそろそろ自覚すべきだ。

 C2月18日に、ウェールズ民謡協会(the Welsh Folk Song Society )設立百年を記念して、コンサートが開かれる。Rhes GanolとRobin Huw Bowenが出演。ともにウェルッシュ・ハープ奏者として名高い。観に行きたい・・・ が、もちろん、そんなこと叶わないのが現実である。ライヴ録音のCDがリリースされないものかな。

 D右手の痛みがなくなった! まあ、他にガタはいろいろと来ているが。

2006年2月7日(北方領土の日)
 メール・ラッシュ。メールだけで4,5時間近く費やす。一息に7,8通書く。疲れた。返事が複数来る。その返事を書く。疲れた。そうでなくとも、どうも調子が今ひとつ。どうも物事に決断が下せない(あまり重要でないことは特に)。肩は凝る。積もった疲労感は抜けない・・・ 。パソコンの前から離れたいのに、離れることも出来ず。なんてことだ。

―― ―― ――

 今のキーボードに変わってから、早1ヵ月半が経過した。しかし、どうもまだ完全に慣れていない。[Back Space]のキーを押しているつもりで、[Num Lock]を押してしまう。体に染み付いた癖は、怖いものだ。なんてことだ。

―― ―― ――

 本当は明日から出かけたかった。現在、その明日(8日)である。0:36だ。何だまだそんな時間か、と思うむきもあるかもしれない。しかし、夕食も風呂もまだだ。食事は13:00にとって以来だ。間食もなし。今、コーヒーが空腹(さほど感じないのだが)の胃に染み渡っていく。この分だと、まだ仕事を続行しそうな雰囲気もある。したがって、何時に寝られるかわからない。ということは、何時に起きられるかわからない。なんてことだ。

2006年2月5日(長崎二十六聖人殉教の日)
 残念。ウェールズは初戦敗退。イングランドに47-13だった。次の試合は、12日、対スコットランド戦である。次は勝つぞ!

―― ―― ――

 しかし、何でこう・・・ ゆとりがない、というか、何と言うか・・・ 。一言で言えば・・・ 疲れた。かな?

2006年2月4日(銀閣寺の日)
 昨日は、グルーヴのある音楽ばかり聴いていた。ただし、マーカス・ミラーなどの、いわゆるフュージョン系ばかり。今日は、80年代後半から90年代初頭までの音楽ばかり。ただし、渡辺香津美やらマイルス・デイヴィスの『doo-bop』やらと、フュージョン系だ。どうしてこう、古い音楽ばかり聴きたくなるのだ。――どれも、若いころに聴いた音楽ばかりである。

 ところでRBS6ネイションズ(ラグビーの国別対抗戦)が、今週の土曜日(すなわち今日)から始まる。ウェールズよ、がんばれ! (Saburo, thank you for the information!)

2006年2月2日(国際航空業務再開の日)
 第2次大戦後、日本は国際航空線の営業が認められていなかった。擬似鎖国状態だったわけだが、1954年のこの日、国際線の営業が再び認可されるにいたったのである。しかしその後も、円の持ち出し限度額が決められていたりして、不自由だったと思う。何しろ現在のように、国際間のデーター通信で金銭の受け渡しが出来るわけではないのだから。

 その国際間の金銭に関することだが、三菱東京UFJ銀行がインターナショナル・キャッシュ・カードの海外における1日の出金限度額を、これまでの50万円から10万円に引き下げた。このインターナショナル・キャッシュ・カードのおかげで、海外旅行の際に多額の現金を持ち歩かなくて済んだのだが、これからは日本円をかなり持ち歩かなくてはならない。もしくは、別の銀行で同様のカードを作るか。何しろ、クレジット・カードをあまり使わない人間である。普段でも使用額がわからなくなるのに、旅行の最中など更にだ。これは困った。

 時事問題をいくつか。ドイツ・ボン大学の観測結果、太陽系10番目の惑星の外観がわかった。直径約3000キロで、その質量は冥王星の1.3倍とのこと。これからこの天体が惑星と認められるかどうか国際天文学連合が決める(ここまでは事実)。しかし、すでにこの惑星の正体は判明しているのである。この天体は、かつての惑星ミネルヴァの核戦争後の成れの果てである(参照:J.P.ホーガン、『ガニメニデの優しい巨人』。同、『巨人たちの星』;いずれも翻訳本は東京創元社より出ている)。

 その戦争にまつわる話。31日に行われた、アメリカ大統領一般教書演説の際に、逮捕された人間がいる。彼女の名は、シンディ・シーハン。平和運動活動家である。彼女がしたことは、反戦Tシャツを着ていただけだ。警備員がそのTシャツを隠すように言ったが、彼女が聞き入れなかったために大統領演説開始前に連行された。どうもアメリカは、人種差別的大量殺人を続行させたいだけでなく、表現の自由までも奪ったようである。

 指揮者小澤征爾氏が、ウィーン国立歌劇場音楽監督の仕事を、今年末まで休むことを公表した。健康上の理由とのことだが、残念この上ない。それにしてもこの報道のおかげで、小澤氏がもう70歳を迎えていたことを知った。普段非常に元気な姿ばかりを見ていたので、まったく気づかなかった。武満も黛(ともに作曲家だが)もいなくなった今、いつまでも長生きをされて、指揮棒を振るってほしい。出来ることならば、もう一度武満徹の作品を振ってほしいのだが。

 私事でなんだが、右手の調子が非常に良くなってきた。もう痛みはほとんどないのだけれど、何せ右利きである。どうしても、何をするにも右手が中心となる。そのため、念のためではあるが、サポーターと湿布をしている。

 これも私事だが、昨日、ネット上で調べ物をしていたら、ウィルス(トロイの木馬)に感染した(!)。一応書いておくが、別に変なサイトに行ったわけではない。このウィルスが、これまでの感染経験の中で、最悪/最凶だった。ウィルススキャン・ソフトが進入と同時に検知してくれたものの、駆除、削除、隔離のいずれも不可能である。

 私自らハード・ディスクの内部にもぐり、探すが、今度はファイルそのものが見つからない。加えて、ウィルススキャン・ソフトが表示するウィルス名をデーター・ベースから検索するが、その名前が見つからない。

 仕方がないので、様々な方法を試した後、ウィンドウズをセーフ・モードで起動することにした。そして再びウィルススキャン・ソフトでハード・ディスク内を走査する。走査に約2時間かかった後、ようやくひとつのウィルスに感染したファイルを見つける。このウィルス、なんと名前を変えていやがった。そしてウィルスに感染したファイルの削除に成功したのが、夜中の2時過ぎ。他のファイルが感染していないか不安なので、再び全ハード・ディスクをウィルススキャン・ソフトで走査する。

 感染していないことが確認されたのが、朝の4時過ぎである。かくして、昨夜のうちに書こうと思っていたメールが書けなくなる。やれやれ。

2006年1月31日(生命保険の日)
 しまった。メールの返事が書けない。明日には書くことにしよう。それにしても今日は、仕事をしながら、特徴的なギター中心の音楽(デレク・ベイリーやらエイドリアン・ブリューやら、マサクールにギターの音に凝っていた時分の渡辺香津美やら)や、一癖も二癖もあるウェールズのパンク・バンドを大音量で流し続けている。気づけば日付変更線をまたぎ、1:24だ。明日は(というよりもう今日だが)映画の日なのに。どうするか。まだ風呂も夕食もまだ(!)である。

2006年1月30日(3分間電話の日)
 昨日は失敗。会の待ち合わせの場所まで行って、よく確認しなかったために(自分では確認したつもりだったのだけど)2時間以上別の場所を探し回るはめになった。結局、会に出席できず。まさに自業自得だが、それにしてもこの手のポカミスが最近目立つ。自省しきり。ご迷惑をおかけした皆様に、申し訳ない思いでいっぱいである。

 さて、そのような私が言うのも何かもしれないが、また名前を間違われた。「嘉」ではありませんのでよろしくどうぞ。しかも今回は、発表プログラム上の名前と、源泉徴収書の名前である。前者は、実はまったく承諾した覚えはないのに、発表者リストに勝手に入れられていた。それで名前が間違われたのである。困惑しきりである。後者は電話をして、正しいものを大至急送ってもらうように依頼する。

 話題転換。右手は、まだ完治には遠い。かなり良くなったのだが、ひねったり、重いものをつかむと痛みが走る。仕方がなく、また湿布の日々である。せっかく多少なりとも時間が取れるようになったので、楽器が弾かれると思いきや、お預けである。やれやれだ。

 話題転換。なぜかキース・エマーソンのクリスマス・アルバムを聴いている。別にそのような気分ではないのだが。単純に、デジタル・シンセサイザーを弾くエマーソンが聴きたいだけなのだろう。

 それから、先日のソウヤーの本が売っていない云々の話だが、これはソウヤーの本だけに限った話ではない。翻訳本そのものの売り上げが低下し、出版社が翻訳本から手を引いているのである。寂しい話だ。

2006年1月28日(初不動)
「これまでにも死んだ人びとはいたが、われわれは復讐を求めなかった・・・ 死んだ人びとのためにも、そして、これから戦争で死ぬかもしれない人びとのためにも、われわれは手遅れになるまえに戦いをやめなければならないのだ」
(ロバート・J・ソウヤー、内田昌之訳、『スタープレックス』(早川書房、1999), p. 409)
 ソウヤーにはまった。数日前に話題にしたSF作家、ロバート・J・ソウヤーにである。ソウヤーの小説は、これまでに『イリーガル・エイリアン』を含め4冊読んだが、『イリーガル・エイリアン』が決定打だった。

 そして昨日、『スタープレックス』読了。読み始めは、禿頭の主人公に数々のエイリアンの登場に、「これは・・・ ブルース・ウィルス主演で映画化狙いか?」と思い、やや引きかけたのは事実。しかし、途中から(緑色惑星の登場あたりから)話に夢中になる。

 冒頭の引用は、人類と他星人が宇宙戦争に突入する直前に、主人公が地球の首脳に戦争を止めるように演説する一部。赦しや赦免を説く宗教を持ちながら、戦争を続けるアメリカの矛盾。奇麗ごとでは終わらないのだから、それに勝る対話と赦しが互いに必要なことが、アメリカとテロ組織にはどうしてわからないのだろうか。

 そして今日、新たなる本を探しに街に出かけた。そこで、よほど大きな本屋でなければソウヤーの本は、多くが扱われていないという事実を知る。映画やテレビの話題作の小説版でなければ、翻訳本の売れ行きは厳しい事実を知ってはいたが、ここまでとはね。

―― ―― ――

 ソウヤーともウェールズともまったく関係のない話題なのだが、数日前より、右手とそのつけ根が痛む。どうも炎症をおこしたか、もしくは、筋を違えてしまったようだ。最初は疲労から来る痛みだと思い、ほうっておいた。

 だが一昨日より痛みに我慢が出来なくなり、温湿布をしている。文字を打つのは、軽いキーボード・タッチのおかげでほとんど問題はないのだが、重いものをもつと鋭い痛みが走るので困る。ちょっとひねっても、痛みが走る。医者に処方してもらった湿布でないためなのだろうか(薬局で相談して購入した)、湿布の温度がぬるい。もっとも熱すぎるとカブレルので、このくらいが良いのだろうか・・・ ? やれやれだ。

2006年1月25日(左遷の日)
 まさに砂上の楼閣。逮捕翌日にライブドア社長堀江氏解任とは。左遷の日、なんてもんじゃないが。――もっとも、同情は少ないだろう。何もないところから這い上がってきたことを自負し、「金をもっているやつが偉い」と豪語してきた男だ。全てが終わった後で、マイナスからやり直すことは容易いのではないか。次は、鉄骨の数も数えた上で、楼閣を建ててくれ。

 現在、25日午前6:21。昨日より起き続けである。ぼちぼち仮眠するかな。

2006年1月24日(ゴールド・ラッシュの日)
 まさに砂上の楼閣だ。――現在のライブドア社長堀江氏の処遇のことである。一夜にして、彼はまさに六本木ヒルズの楼閣から追われる身となった。彼の逮捕は誰もが予想したことだろうが、昨日の夜とは早かった。ライブドア本社の強制捜査開始からわずか1週間の社長逮捕とは、異例中の異例の速さであろう。

 「人の心はお金で買える」「金を持っているやつが偉い」との語録を残した彼だが、自分の運命までは金で買えなかったようだ。濡れ手で粟の一攫千金の力をもってしても、この逮捕劇は未然に防ぐことは出来なかったか。衆議院選挙に出馬したぐらいなのだから、企業買収のみならず、もう少し別の買収にも気ならぬ金を配っておくべきだったかもしれない・・・ 。もっとも大阪の某議員の例を見れば、最近の永田町の住人は半端な額では動かないことは明らかだが。

 ゴールド・ラッシュの日に、そんなことを思った。

2006年1月22日(JAZZの日)
 今日はJAZZの日! 思う存分、JAZZを聴いて良い日だ。ところでJAZZといえば、ウェールズにゆかりの深いJAZZの巨人がいる。誰であろうそれは、ビル・エヴァンスなのだ。エヴァンスというウェールズ人に多い名で、彼のことを思いついた人もいるかもしれない。

 残念ながら、彼はウェールズ生まれではない。しかし、彼の両親はともにアメリカに移民したウェールズ人である。そしてその両親がアメリカはニュージャージーで生んだのが、ウィリアム・ジョン・エヴァンス――後のビル・エヴァンス本人なのだ。彼の両手が生み出す、どこかヨーロッパ大陸の香りを感じさせるリリシズムは、生粋のアメリカ人の演奏とは明らかに一線を画す。これはウェールズの血がなせるものか。それとも、文字通り身を削ってまで(彼は慢性肝炎を患いながら、ぎりぎりまで病院に行くことを拒み、ステージに立った)音楽に情熱を注ぎ、自分を限界まで高めたためか。

 とにかく、彼はアメリカJAZZ界でもっとも成功したウェールズ系の人間であることだけは、間違いない。

2006年1月21日(料理番組の日)
 19日、フランスのシラク大統領が、「フランス領土に対するテロ攻撃には核(兵器)で反撃する用意がある」と発言した。国際的な議論に発展してもおかしくない発言だが、未だ各国の反応は鈍い。他国の対応を互いに伺っているのか、それとも、いつ無差別テロが行われるかわからない現状がそうさせるのか。冷戦時代にまことしやかに囁かれた核戦争が、今、目前にある。核兵器の応酬となれば、結果は自ずから見えてくる――「息子は/すさまじい色をして焼け焦げた大地を/見た。光がその大地を/焼いた。古風な建物が/影を投げ掛けてた。・・・ 丸裸の丘/の上で 丸裸の樹が空を/悲しませていた。」(R.S. Thomas, "The Coming")

 なおウェールズは1982年、ヨーロッパで最初の核廃絶国(nuclear free country)となった。

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 料理番組の日とは、1937年の今日、イギリスのBBCで料理番組が始まったことに由来する。今日は同時に、暦の上では大寒だ。その暦どおり、今日の東京は大雪である。寒い。指がかじかむ。昨夜はまったく降らなかったのだが、17:40現在、かなりの降雪量だ。ところで雪は音を吸い取る。おかげで昼間だというのに、静寂を楽しむことができた。

2006年1月19日(家庭消火器点検の日)
 年賀状を下さった皆様、本当にありがとうございました。宛名にある「善」「嘉」「史」どれも違いますので、どうぞよろしく。私の名前はワープロ変換で出ませんので、ご迷惑をおかけしますが。

2006年1月15日(小正月)
 ロバート・J・ソウヤー著『イリーガル・エイリアン』昨日読了。エイリアンが殺人を犯した理由と、それとともに明らかにされる地球に来た目的には、少々落胆した。正直に言えば、またこれか、とも思った。だがそのまま読み進むと、話が二転三転する。結局最後まで話にひきつけられ、読み終わってみれば、大満足である。

 克明に書かれた惑星の姿やエイリアンの生態は、宇宙や地球外生命体に興味のない方は受け付けないだろうが、そうでない方にはお勧めできる。むしろ小説の中で展開される、惑星の軌道に関する理論などは読み飛ばして結構。結論のみしっかりと押さえれば、ちゃんとストーリーについていかれる。昨今の妖怪を使ったミステリー物に飽きた方は、読まれてみてはどうだろうか。

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 1839年の今日、カーディフでデヴィッド・アイヴァー・ディヴィースが生まれた。後にアイヴァー・ノヴェロ(Ivor Novello)と名乗る彼は、第1次世界大戦時にイギリスで流行した“Keep The Home Fire Burning”の作曲をしたことでも知られるが、実に数多くの曲を残している。また劇やミュージカルを書き、サイレント時代から映画にも出演した。ヒッチコック監督の『下宿人』(The Lodger)には、下宿人の役で出演している。

 これほど多才な彼であるが、“Keep The Home Fire Burning”の歌詞は手がけていない。イギリスがはじめて徴兵制を実施した第1次世界大戦という背景を考慮し、「兵隊たちは山腹から召集された/兵隊たちは峡谷から集められた」(“They were summoned from the hillside/ They were called in from glen”)という歌詞を読んだ時、その「丘」や「峡谷」という言葉が描く情景から、てっきり彼の手によるものかと思った。

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 現在、実は15日午前1:03。昼食をとったのは、前日の13時過ぎ。この時間にして、それ以来、コーヒーと菓子パン以外口にしていない。さすがに、腹も減ってきた。そろそろ夕食にでもしようか。

2006年1月13日(13日の金曜日)
 話題@:かつて13日の金曜日といえば、金曜ロードショーで必ず映画『13日の金曜日』シリーズを放映していたのだが。最近では、ジェイソンのジェの字も見ない。時代は変われば変わるものだ。

 話題A:ここ数日、ロバート・J・ソウヤー著『イリーガル・エイリアン』を読んでいる。久々にSFを読んでいるのだが、いやはや、これが面白い。

 友好的なエイリアンが地球上に現れ、人類はファースト・コンタクトに成功するが、殺人事件が起こる。その容疑者としてエイリアンが逮捕され・・・ という話。話はそこからすぐに法廷に移り、裁判での尋問と弁論を通じてエイリアンの生態が描かれていく。この設定と描写が詳細で、見事。どうやらエイリアンの生態が真犯人の決め手となるらしいのだが(まだ読み終わっていない)、それを解き明かしていく段階で、未だ公民権問題がくすぶるアメリカの現実が重ねて描かれる。このおかげで、物語が鮮明で現実味が帯びたものとなる。見方によっては、『Xファイル』シリーズよりもリアリスティックだ。

 話題B:ここ数日、またモノが壊れ始めた。まずは教室のマルチ・メディア(!)。それも2日続けて。他の先生が使ってもなんともないのに、私の時だけ、コンピューター立ち上げ時にハード・ディスク・エラーを起こす。職員の人に応急処置をしてもらったのだが、その人曰く「これは業者に来て(直して)もらわないと・・・ 」。続いてチェーンが切れ、一昨日は風呂の給湯器が壊れた。ワックス(整髪料)を落とさねばならず、おかげでこの時期に冷水シャワーを浴びるはめに。まあ、イギリスの安ホテルのシャワーだと思えば・・・ 。

 これで終わらず。今日はカメラ用三脚の脚が一本もげる。第一関節から先だったことと、足場がでこぼこだったことがあり、しばらくの間、気づかずに撮影をしていた。

 これらは全て突然、音もなく、まるでそうなることが当然かのように、壊れる。もちろん、金属などの疲労はあるだろう。しかし、そのものに対して何か特別な負荷を与えているわけではない。

 どうも私の場合、良いことがあると、その逆の悪いことが生じる。運勢全体のバランスをとろうとする傾向があるようだ。現時点で詳しくは書けないが、一言で言えば、捨てる神あれば拾う神あり、か。感謝、感謝。

2006年1月10日(十日ゑびす)
 ああ情けない。ポカ・ミスをしてしまった。2005年12月30日の雑記で「ジェームス・ディーン・ブラッドフィールドが失踪」とあったのは、「リッチー・ジェイムスが失踪」の誤りである。これを書いたときは、頭の中ではリッチーの顔が浮かんでいたのだけれどな。なぜだ? ご指摘ありがとうございました。臥してお詫びし、訂正させていただきます。(雑記のほうは書き直してあります)。

2006年1月6日(出初式)
 昨日購入したCDの中に、『ベスト・オペラ100』という6枚組みCDがある。普段ならば、このようなコンピレーションCD(なぜ素直に「編纂CD」と呼ばないのだろう?)など買わない私だが、これは別。何しろ、100年以上の歴史を誇るEMIの音源の中から選ばれた、6枚組み、贅沢な約8時間なのだから。それにしても、もう少し選びこんでくれるとありがたかった。このCDだけを聴くわけではないのだから。個人的な事情を更に言えば、去年のちょうどこのくらいの時に買ったアストール・ピアソラの10枚組みCDは、まだ全部聞いていない。それ以前に買ったピエール・アンリのボックス・セットも完全踏破はまだだ。

 しかしながら、文句を言うのはやめようか。これだけのヴォリュームで3000円という破格値である!

2006年1月5日(小寒)
 暦では小寒。本格的な寒さの始まりだが、本当に今日は寒い。都内を歩けば、ロング・コートが薄い一枚の布に思えてくるほど! 加えて、わが部屋の古びたエアコンは、この寒さに負けている。温度設定を27度にして、寒くて私は震えているのだから(風邪ではない・念のため)。

 北ウェールズのバンゴール(Bangor)の気温をウェブでチェックしてみたら、体感温度が-3度とのこと。寒いだろうな。

 一方で今日は、12夜である。12夜とは、クリスマスから数えて12日目の日のこと。今日の夜から明日1日にかけてが、12夜だ(明日はエピファニーでもある)。この日は仮面劇を行う日でもある。シェイクスピアの喜劇『12夜』は、この日に演じる目的で書かれたため、このタイトルがつけられたと言われている(実際に劇中に12夜に関する言及はない)。

 話は飛ぶが、今日、歩道を徒歩で帰宅途中、前方より来た車がけたたましくクラクションを鳴らした。何かと思えば、私のすぐ後ろにいた車が、右側通行をしていたのである。しかしながらその車は、別に歩道の私を避けようとしたわけではなかったようだ。対向車が走り去った後、またその車は右側通行を始め、そのまま右側を走り去った。いつの間にやら、日本でもアメリカに倣って車が右側通行になっていたようだ。ちなみに運転をしていたのは、品のよさそうなマダムであった。

 またこれも違う話。今朝、仕事の用があって某大学の教務課に電話をした。誰も出ない。不思議に思い、念のために総合案内にかけなおしてみると、1月9日まで休みとか。すごいね。それでいて、こちらには1月10日提出締め切りの書類を、12月27日着で送ってきているのだから(つまり、その書類に関する問い合わせが一切出来ない)。仕事をする気があるのかね。

2006年1月4日(金の鯱鉾の日)
 1月2日に『スター・ウォーズ クローン戦争 VOLUME 2』『同 エピソード3/シスの復讐』を、DVDで未公開シーン(一部)つきで観る。1日あけて本日、『エピソード4』『エピソード5』(部分)『エピソード6』を続けて観た。

 『エピソード3』の最後の1時間は、不覚にも感涙してしまった。改めて観て思ったのは、この作品のストーリーを理解するには、未公開シーンとアニメ『クローン戦争』が是が非でも必要ということ。そのうち、未公開シーンを入れた完成版(注:現行では未公開シーンは別ディスクでのみ観られる)を作ってくれないだろうか。

 続けて鑑賞して感じたのは、エピソード4〜6の喜劇性である。C3POとR2D2のやり取りをはじめ、随所に笑いの要素が盛り込まれている。これが製作の映像を見る限りでは、脚本のせいのみでなく、俳優とスタッフの遊び心のおかげでもあるようだが、いずれにせよ、これら笑いの要素が作品の娯楽性につながっている。完全悪(ダース・ベーダー)と息子(主人公)の運命的な対決など、深刻なテーマがそこにあるものの、これらの喜劇性のおかげで、エピソード4〜6は肩の力を抜いて楽しめる作品に仕上がっている。

 しかしながらこれらの作品に較べ、『エピソード3』は相当悲劇的だ。『エピソード3』を観ると、ダース・ベーダーは望んで悪になったのではなく、選んだボスが悪だったことがわかる。もっとも現実に即した悪の描き方であり、それ故にダース・ベーダーの悲劇性が際立つ。

 この悲劇を描く監督やスタッフの思い入れも、相当なものだ。だが、この思い入れ(愛情)がなければ、『エピソード3』は成功しなかっただろう。

2006年元旦
 0:15。2006年が明けたばかりである。去年から今年は、武満徹「弦楽のためのレクイエム」(小沢征爾指揮)を聴きながらあけた。昨年から去年の場合と同じである。

 今はブリン・ターフェル『歓迎しよう/ウェールズに伝わる歌』を聴いている。遠くで花火の音が聞こえる。それ以外には何も聞こえない。静かなる新年の幕開けだ。実に静かな年明けである。

 今年も良い年でありますように。まことの平和が訪れますように。




文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2006: Yoshifum! Nagata






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