随想もしくは雑記
――ウェールズに関する、あるいは、ウェールズに関係ない、筆者の雑念――





2005年12月31日(大晦日)
 1937の今日、ウェールズで一人の子供が生まれた。彼は後に俳優となる。そして世界でその名を知らずとも、銀幕の中の彼を観た事がないものはいない、とまで有名になる。彼の名は、アンソニー・ホプキンズ。サー(Sir)の称号をつけて呼ぶべきかもしれない。レクター博士の怪演で有名な彼は、スノードニア・ナショナル・トラスト友の会の会長でもある。

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 今年の極私的5大ニュース(社会ニュース含まず)。

  @「ウェールズ・サウンド紀行」執筆。
  Aポップ・カルチャー学会理事就任。
  B当サイトのアクセス数が10000件を超える。
  CT 教授の訃報が届く。
  D7年ぶりに電車通勤をする。

 @はやはりこの1年で一番大きい仕事だった。これまでの仕事の集成でもあり、更なる大きな1歩への足がかりとなったのだから。Aも大きい。ポップ・カルチャーを民衆の中からの自然発生現象としてみた場合、一民族の意図や嗜好性を探る大きな手がかりとなる。Cは8月13日参照。Dは23区内の短大で授業を持つこととなったため。これまではどの大学も車で通勤していた。

 映画ベスト3

  @スター・ウォーズ エピソード3
  Aシン・シティ
  Bロング・エンゲージメント

 今年はあまり映画館で映画を観なかった。TVからのビデオ録画やDVDの購入が、その間接的な原因だったと思われる。その中で、劇場で観た作品から特に選んだ。
 @は言わずもがな。典型的な悪や文芸的な悪の描き方からは一線を画す、現実の悪の描き方が成功していた。CGなども見事。本当はAはなくして、B以下にしようと思ったのだが、そうはいかないだろうと。そのAも悪を描いた作品。3本の連鎖するストーリー描くのは、ヴァイオレンスに満ちた近未来社会。『北斗の拳』や映画『人造人間キャシャーン』など、日本のポップ・カルチャーの影響が感じられる。映画『ブレード・ランナー』で固定された近未来の様相を、大幅に変えた。Bは『アメリ』の監督と主演女優による作品。これまでにない戦場の現実的な描き方と、愛と自分の直感を信じる、したたかな主人公のキャラクターが、今年観た映画の中で群を抜いていた。ストーリーも秀逸。
 ほかに次点としては、『ヴェニスの商人』と『まだまだあぶあない刑事』が挙げられたことも追記しておく。後者はTVシリーズから生まれた作品が、一本の映画として成立した作品。これを面白く感じたのは、自分が疲れていたせいとしか思えないが、逆に言えば日本映画のどれもが原作やTVの人気に強く寄りかかっていることの現われだろう。同じような条件でありながら、世界中の人に訴えるアメリカやヨーロッパの作品との力量の差が、ここに現れている。

 CDベスト10。アーティスト名/作品名(日本盤のあるもののみ二重鍵括弧にて表示)で記載。今年買ったものの中から選出した。

  @Ianis Xenakis, orchestral works vol. W
  ARyoji Ikeda, dataplex
  BEvan Parker Trio & Peter Brotzmann Trio, The Bishop's Move
  CManic Street Preachers, 『LIFEBLOOD』
  DDerek Bailey & Evan Parker, The London Concert
  ENine Inch Nails, 『[WITH_TEETH』
  FSoft Machine & Heavy Friends, BBC IN CONCERT 1971
  GJeff Berlin, LUMPY JAZZ
  HV.A., Back Against the Wall
  IErast, Cyberpunk

 今年購入したCDの総数は、138枚(ボックス・セットなど複数組みのものは1枚として計算)と非常に少なめ。これは従来の友人が焼いてくれたCD-Rという入手経路のほかに、ネットからのダウンロードという入手経路が増えたことと、自制のためである。またここに挙げた順序は、どれも大差ないと思っていただきたい。
 @は日本でその名を高く知られるギリシャ生まれの作曲家(1922-2001)の作品集。非常に高度な演奏技術を要求する曲が多く、そのため、これまでも録音されることがなかった作品が多い。その意味合いからして、世界初録音の"Erikhthon"を含むこの作品集は高く評価できる。Aはこの年末にすべり込んできた作品。個人的嗜好からすると彼の『matrix』に軍配を上げたくなるが、やはりこの極度に研ぎ澄まされたミニマルの感覚は捨て去りがたいものがある。また彼の近年の作品の中では、もっとも聴きやすい作品であることも記しておこう。日本が誇るべき、世界規模で活躍を続けるアーティストでありながら、どうも我が国では認知度が低い。そのためか本作品の日本盤流通の予定はないと聞く。Bは夏前に良く聞いた。怒涛のフリー・インプロヴィゼイション73分の傑作。
 Cの1−5曲目は、本当によく車の中で聴いた。D75年のライヴに4曲の未発表曲を追加しての再発。まったく期待していなかったのだが、想像をはるかに超えるすばらしさである。Eもよく車の中で聴いた。特に2曲目は最高。Fの30分を超えるメドレーは、演奏に拙い部分もありながら、その迫力と勢いはこれまで聴いたマシーンの作品の中でも最高級。Gは本来、もっと上の順位でも良い。だがここ数年、私はこのようなソフト・ジャズはあまり聴かなくなっている。それが下位に置かれた理由だが、このようなジャンルを聴かなくなった人間が推すだけ良い出来の作品なのである。先ごろ出た『エース・オブ・ベース』もすばらしい作品だったが、それよりもはるかに良い。
 Hはピンク・フロイドの問題作『ザ・ウォール』全曲を様々なアーティストがカヴァーした作品。売れないミュージシャンの救済措置となることの多い、いわゆる「トリビュート」作品だが、これは驚くほど充実している。ピンク・フロイドの原作はアイデアは良いものの、いかんせん、彼らのお世辞にも高いとは言えない演奏能力が、作品の足を引っ張っていた。言い換えれば、アイデアは良いものの、演奏の質が悪かったために、出来が非常に悪かったのである。それを卓越したミュージシャンが再演奏することで、アルバムの持つ魅力が最大限に発揮された。クラシックの世界では演奏による再解釈などでこのような現象は起こるが、ロックの世界では稀。Iは「この時代にサイバーパンクか・・・ 」と思いながら買ったのだが、非常に内容が充実している。小説のサイバー・パンクは80年代にその隆盛を極めたが、その世界を再現するには映像や音楽のハードが追いついていなかった。それが2005年に来て、ようやく追いついたということか。音響系の音楽でありながら、非常に卓越したメロディを持つすばらしい作品。
 以上、10枚を選んでみた。武満徹の作品があれば、ここまで悩むことはなかったのだが、小学館の『武満徹全集』全5巻が完結して以来、武満作品の新録音作品のリリースはとまっているのが現状である。かつては月刊武満徹と冗談で呼んでいたくらいの量の作品が、毎月リリースされていたのだが。全集に収録された演奏を超えることは難しい、ということか。タワーレコードからリリースされた、武満の「クロッシング」を含む『Program of Steel Pavilion at EXPO'70』は非常によく聴いたが、購入が去年の12月30日とあって選考からはもれた。またキャサリン・ジェンキンスのLiving a Dreamと武満徹の『映画「愛の亡霊」の音楽』は、先ごろ入手したばかりで、あまり聴いていないことからこれも選考外となった。
 この他にKTU『8 Armed Monkey』、Vermeer Quartet, バルトーク『String Quarets (Complete)』、Kentucky AFC, same、Robert Fripp, Love Cannot Bear、John Coltrane, blue train、Miles Davis,『VOL. 1』、King Crimson,『新紅伝説 vol.2』なども最終選考に残ったことを記しておく。特にKing Crimson,『新紅伝説 vol.2』は一度10以内に入りながら、過去の選曲集であることが理由に、改めて外されたものである。

 以上であるが、皆様、良いお年を。来年も当サイトをよろしくお願いいたします。

2005年12月30日(地下鉄開業の日)
 年末も押し迫り、今年も残すところ後2日となった。正月の支度どころか、年末のことすらしていない。唯一済んだのが年賀状書きだ。それも今(23:40)投函してきて来たばかり。eメール用の年賀状のデザインですらまだだ。大掃除どころの話ではない。

 来年もモノと資料のあふれた部屋で正月を迎えるのかと思う一方、これを後1日でどうやって片づけたら良いのだ、とも思う。したがって何もせずに、年が明けてすぐに仕事ができる状態にしておいたほうが精神衛生上良い、との例年と同じ結論に達する。どうしようもないね・・・ 。

 さて、ぼちぼち夕食にするかな。

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 1994年の今日、南ウェールズの炭鉱がすべて民営化された。委託先はケルティック・エナジー(Celtic Energy)という民間企業である。この企業は95年1月に起業された。まさに炭鉱民営化のためだけに作られた会社である。84年のグレート・ストライキに幕を開けた炭鉱閉鎖も、ここで一段落を見た形となったわけだ。

 そしてその約1ヶ月後に、マニック・ストリート・プリーチャーズの中心人物だったリッチー・ジェイムスが失踪する。そして1年後に、ステレオフォニックス、スーパー・フューリー・アニマルズがデビューし、新生マニック・ストリート・プリーチャーズのアルバムが出る。

 炭鉱閉鎖のその後を歌ったリッチーは消えた。ステレオフォニックスのデビュー・アルバムの世界は、炭鉱閉鎖により過疎と化した村の姿が凝縮されたものだった。スーパー・フューリー・アニマルズは、そのような南ウェールズに北の風を運んできた。炭鉱の閉鎖と父ら炭鉱夫の誇りが無残に折られ、破れるさまを目の当たりにした彼らの反動が、時を同じくして表面に出てきたのは、果たして偶然だったのだろうか。私には、時が呼んだような気がしてならない。

2005年12月28日(納めの不動)
 先週の月曜日に年内の授業が終わった。ようやく連日睡眠時間3時間以下の日々から、脱出できた。3、4日、連続して休みもとることができた(そのうち3日はパソコンのセッティングに追われたのだが)。現在は4、5時間は寝ることができる環境である。さて後は年内中締め切りの仕事を終わらせるだけだ。大掃除・・・ ? 来年でも良いだろう。というわけでレポートを採点していたら、某所にて年末飲み放題開催の知らせが・・・。・・・。・・・ 。(さらに120通のレポート1セットの採点が、丸々残っている故に、23:23現在、ここにいる・・・ )

2005年12月23日(天皇誕生日)
 天皇誕生日に思う。1938年の昨日、シーラカンスが発見されたな、と。文字通り煮ても焼いても食えない魚だった(それゆえに原住民の言葉で「使えない魚」と呼ばれていた)シーラカンスが、古代からその姿を守りぬいてきたことがわかり、「生きている化石」と呼ばれ、一転して高価な値段で取引されるきっかけとなったのが、この日である。

 ウェールズの丘では、R.S.トマスがウェールズの原型と呼んだIago Prytherchが未だ労働にいそしんでいることだろう。トマスは彼を、同時に、キリストと重ねて描くことがあった。そしてトマスによれば、彼こそがウェールズを復活させ、ウェールズの民を導く人物である。しかし現実では、未だそのような話は聞かない。彼が「発見」されるのはいつか。ウェールズが王国として復活するのはいつか。

 降誕祭を2日後に控え、そのようなことを考えた。

2005年12月20日(少年を非行から守る日)
 明日は休みだ! 実に17日ぶりである。信じられないが、本当の話。年内試験の採点もほぼ終了。年が明けてからの試験問題の作成も、何とか締切に間に合った。あとはレポートの採点だが、これは数日後に回そう。その他、山ほど仕事がある様な気がする(ということは、あるのだ)が、それは脇に置いておこう。何が何でも休みますので、そのあたり、よろしく。

 1990年の今日、南ウェールズの炭鉱の村として有名なロンザ谷の最後の炭鉱が閉鎖された。その結果、炭鉱夫320人が職を失った。かつては5万人以上の炭鉱夫が働いたこの村で、最後の炭鉱閉鎖だった。

2005年12月15日(観光バス記念日)
 昨日が赤穂浪士四十七士討ち入りの日であった。ということは、本日の明け方、雪景色の中、大石内臓助率いる浪士45人(1人の浪士が大石の命をうけ身を引いている)が浅野内匠の墓前に報告に向ったことになる。この2日で急に寒くなるわけだ。

 偶然とは恐ろしいもので、2005年6月27日にライヴ録音された、佐渡裕の指揮するNHK交響楽団の演奏による、ホルストの『惑星』を手に入れた。演奏はもちろんのこと、音が非常に良いので驚かされた。1曲目の「火星」などは、冒頭の低音楽器による弦を弾く(はじく)音が、まるで1本1本目の前で鳴らされているようである。

 一昨日まで、ここ数年の間、かつてはあれほど好きだったのに『惑星』は聴くことがなかった。それが偶然、昔のテープに入っている「海王星」を聴き、今日は新録音を手に入れた。こうなると偶然も必然に思えてくる。また、その録音された会場というのが、東京オペラシティのコンサートホール・タケミツメモリアルというのだから、偶然も必然に思えてくるというものだ(註:既にご案内のこととは思うが、私の武満熱は異常なほどである)。この2日で急速に冷え込んだのも、必然かもしれない。

2005年12月13日(ニュージーランドが「発見」された日)
 かつてよく聴いた曲のひとつに、ホルストの「海王星――神秘」がある。当時は、この和声が非常に現代的に、故に、神秘的に響いた。その和声の進行は、ある種、難解でもあった。その難解さが気に入って、テーマ曲にもしていた時期がある。12、3年前の話である。

 それほど気に入っていた曲であるにも関らず、ここ数年――ことによると7、8年――、全く聴いていなかった。今日、昔編集したテープを聴いていたら、偶然、この曲に出くわした。曲に難解さはなかった。まるでロマン派の曲のように、甘美に響いた。10年の時は、無駄ではなかった。

2005年12月7日(大雪)
 ウェールズ人の小学校低学年の男の子(知りあいの子供)からメールをもらった。曰く、「日本人はクリスマスと新年のどっちをより祝うの?」。父親の職業が牧師だけに、答えづらい。ありのままを教えるわけにはいかない。とりあえず、「日本ではクリスマスは恋人や友人と祝って、正月は家族と祝うんだよ」と答えておいた。間違ってないですよね?

 さて、これから仕事を続行・・・ 。最近は、夜中までぶっつづけでやることが多い。それから風呂、夕食と来て、翌朝は大抵5時起きである。外からの仕事から帰れば、再びパソコンの前に座り、家での仕事を再開する。その間、ほとんどメインのパソコンはつけっぱなし。

 これまで健気に耐えてくれたパソコンだったが、昨日は、さすがに反乱をおこした。例の、パソコンのスイッチを入れると、ハードディスクを読みに行ってそこで止まる(即ちパソコンが起動しない)、というストライキ行動である。早速、コードなどをつなぎなおし、スト破りを強行する私であった。悲鳴をあげるのはわかるが、休ませるわけにはいかない。何しろ、こちらに休みがないのだから。

2005年12月5日(ディズニー生誕の日)
 走っています。師走ですからね。いちおうこれでも、「師」のつく職業なので。もっとも、師走だから走るのか(大学の教師にとっては本当に追い込みの時期である)、これまでのツケが原因で走るのか、それは定かではない。恐らく、その両方だと思うが・・・ 。

2005年12月2日(日本人宇宙飛行記念日)
 メール・ラッシュ。仕事関連がほとんど。学会ホーム・ページの更新に、授業で使用するプリント作成。講義用ノートの書き足しに試験問題作成。昼間はもちろん授業。これだけでもすごいのに、ここに来年度(4月から)の講義予定作成が入り・・・ 。すべてパソコンを使っているので、とりあえず、瞳と肩(特に重たい荷物をかける右肩)から激痛の信号が届くが、大脳に無視させるように精神からの命令が下る。睡眠時間は連日3時間を切った。あとは・・・ (逃避か?)

 地球管制塔より太郎少佐へ・・・ 地球管制塔より太郎少佐へ・・・ 「惑星地球ハ青イ。僕ニデキルコトハ何モナイ・・・ 」――灰は灰に。憂鬱はイカしたものに。僕たちは太郎少佐が中毒患者だということを知っています。
(参照:デビッド・ボウイ「スペース・オデティ」「アッシュズ・トゥ・アッシュズ」)

2005年11月28日(太平洋記念日)
 仕事から帰宅して約2時間。メールに追われる! そのほとんどは、返信。しかも、仕事がらみばかり。これがもし全て電話だとしたら、そのかかる時間を考えただけで、空恐ろしい。パソコンはフル回転。私も同様。さて、21:25だがまだ当分の間、夕食がとれそうにもない・・・ 。また睡眠時間は3時間を切るかな。風邪の治りが悪いわけだ。

 1941年の今日、ニューヨークで映画『わが谷は緑なりき』(How Green Was My Valley)が公開された。ご存知、南ウェールズの炭鉱を舞台とした映画である。同年のアカデミー作品賞、監督賞、撮影賞、男優助演賞、美術賞、装置賞を総ナメしたことでも知られる。まあここまでこの映画が受賞できたのは、舞台はウェールズながら、アメリカで作られた映画だからだろう。

2005年11月27日(ノーベル賞制定記念日)
 まだ風邪が治らない。だるさや熱などはない。つまり、快方には向っているわけだ。だが連日の喉の酷使のせいか、完治にはいたっていない。ことによると、既に風邪は治って、喉および肺がおかしくなっているのだろうか、という不安にかられる。

 そのようなわけで、今日は喉のみ休み・・・ 1週間で唯一の休日を返上である。既に私の中では年末進行が始まっているのか、それとも今までのツケか。両方のような気がする・・・ 。

2005年11月23日(『スター・ウォーズ エピソード3』DVD発売日)
   “You were the Chosen one!”−“I hate you!”−“You were my brother, Anaki. I loved you.”−“...”(he is burned and agonize)

   「選ばれし者だったのに!」−「お前が憎い!」−「アナキン、弟のように思っていたのに。愛していたのに」−「・・・ 」(体が焼かれもだえ苦しむ)

 『スター・ウォーズ エピソード3』のハイライトのひとつ、オビ=ワンとアナキンの最後の闘いの場面である。映画館で観た時は、コンピューター・グラフィックスのことばかりが気になったが、DVDで改めて見直すと、非常に丁寧なディテールが複数用意されていることがわかる。

 アナキンの暗黒面への取り込まれていく様(人は大抵、気づいた時に悪に取り込まれているのだ。)は、そのひとつだ。選択肢がないというアナキンの不運から、それを巧に利用し、心の隙間に入り込む悪のやり方を見ていると、ぞっとはするが、同時に現実の悪もそうだ、と気づかされる。オビ=ワンがアナキンを倒した時、最初は憐れみを請う目で見ていたアナキンが、次第にその目を憎しみ一色に染めていく様は、もう、取り返しのつかない程、悪のどん底まで落ちてしまったことを感じさせる。

 本当の悪とは、心の弱さなのである。アナキンの不幸は、その心の弱さだった。そして悪はその心の弱さにつけこんでくる。

 かつて弟のように思っていた(原語は「弟だった」)アナキンが溶岩で焼かれ、死ぬ様を見るのがしのびなく、その場を去るオビ=ワンの優しさ、そして、その後にまるで救世主のように現れ、アナキンを救う悪の権現シスの狡猾さは、善と悪の縮図でもある。

2005年11月22日(『スター・ウォーズ エピソード3』DVD発売日イヴ)
 たまには時の首相も良いことをするもので、明日、『スター・ウォーズ エピソード3』のDVD発売日は、ここ日本では国民の祝日となった。恐らく、誰もが待ち望んだ『スター・ウォーズ』完結編のDVDを1日、心ゆくまで楽しんでほしいという、政府の配慮だろう。

 増税、圧制、人種差別、選挙時における問題のすり替えによる一党独裁制の確立、道路の開発による自然破壊、自衛隊の戦争参加、軍国主義・戦争賛美、戦争神社である(註:アメリカではこのように報道されている)靖国神社への首相参拝など、現在の政府は首相の下、常に国民のことを考えてくれる政策を数多くやってきた。年金未納も率先してくれた首相・閣僚だが、これほどの偉業はこれまでなかったはずだ。

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 風邪が治らない。授業中喋るのが、時に辛くなる。しかしながら昨今、大学の授業は休講できない。1回休講したら、1回補講をしなければならない決まりになっているところが多いのだ。後、残すは約1ヶ月。今日行っている大学では、今年度補講の申込締切が今週末までだ。その後は、補講が出来ないことになる。故に、休講も出来ないわけだ。頑張れ、俺。

(少々、今日は皮肉な私でした)

2005年11月20日(「神は6日労働し7日目に休まれた」の7日目にあたる日)
 「しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。」(聖書)。逆らって仕事をしてました/してます/し続けるでしょう。悪気はないんです。ただ、時間が足りないだけなんです。私だって休みたいんです。許してくれますよね?「間違いを犯すのは人、許すのは神」(アレクサンダー・ポープ)

2005年11月19日(鉄道電化の日)
 ついにきた。朝起きると、喉が痛い。腫れている! これも不摂生の賜物、というか、過労の結果というか。症状からして、まず鳥インフルエンザではないようなので、とりあえず安心・・・ していいわけなく、今日の仕事のことを考える。

 今日はとりあえず、すぐに喉の腫れをとる薬(ぺラックT錠)を服用。1時間ほどで痛みがなくなってくれたので、授業には差し支えがなかった・・・ と思うが。終ったら、声が変わっていたからな。聞き辛かったら、ごめんなさい。

 とりあえず対策として、早寝、早起きを心がけたい。だが、早起きはともかく(1週のうち4日が5時起床)、早寝は難しい。何せ、夕食が早くて23時である!(太るぞ、という周囲の声を余所に・・・ )

 それにしてもここ数年の間、風邪をひく時は、職業柄始終喉を使うせいか、決まって喉から症状がくる。私室での唯一の暖房器具がエアコン、そしてまた、職場での暖房器具もエアコンときて、電気で乾燥した空気を吸いつづけていることも喉への悪影響となっているのだろう。やはり冬の暖房は、石油ストーブと行きたいが。その上にヤカンをのせて、時に厚手のスルメでも焼いて・・・ etc。

 うっかり「冬」と書いてしまったが、まだ「秋」のはず。2週間前には暑くて、薄い上着を着ていたというのに、今日はもうコートを着込んだ。これはやはり異常気象ではないだろうか?

2005年11月16日(録音文化の日)
 疲れ大。連日睡眠時間が3時間を切っているせいか。それとも、昨日、久しぶりに4時間ほど睡眠時間がとれたせいか。本人は疲れていないつもりだったが、朝、車を運転中にふつふつと怒りが湧くあたり、かなり疲労が蓄積されている証拠だろう。会った人には「疲れてる?」と珍しく言われる始末。それにもかかわらず、授業を90分やってしまう・・・ 。

2005年11月14日(11月3回目の月曜日)
 かつての知り合いを名乗るメールが、届いていた。しかも名無しで。しかもほんの数人にしか教えていない、プライヴェート用メール・アドレスに。メールの送り主曰く新しい携帯電話を買ったとのことで、その電話番号が書いてある。・・・ これは新手の“オレオレ詐欺”の手口か? そこに電話をかけると、架空請求されるとか・・・ ? 謎である。

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 東京は急に寒くなった。先週の7日、8日には、昼間は暖かくて、夏物の上着でも良かったぐらいだった。だが今日は暖房がないと辛いほど。明日は北海道で雪の予報も出ている。寒いのは辛いが(苦手!)、一気に街中の木の葉が紅葉し始め、赤、黄、緑の織り成す景色には心を奪われる。

 ウェールズでは、山や丘が一気に黄色に変わり、それは美しいと聞いた。その間が儚いとも。今ごろは紅葉も終わり、R.S.トマスが称した「微かな太陽光線」でもありがたいのだろう。――イアーゴ・プリザーフは、まだその太陽の下、ゆっくりと体を癒しているのだろうか? きっと、そうだろう。彼こそが、トマスが残した“ウェールズ人の原型”なのだから。

  イアーゴ・プリザーフ、勝手に名付けたのを許しておくれ。
  君は 雲がかかった 切り立った崖の上で
  刃を磨ぎながら 世界の目から遠く離れ
  狭い一画の大地に居る。誰も君には告げまい
  如何に私が君をからかったかを 太陽という天体の
  11月の微かな光線の下で君のゆっくりとした
  辛抱強い外科手術に屈みながらの
  君の長い独白を哀れんだかを。
              R.S.トマス「イアーゴ・プリザーフ」

2005年11月13日(うるしの日)
 1978年の今日、午前6時30分、BBCラジオ・ウェールズが開局した。ウェールズ語の国営放送の始まりである。これにより、ウェールズ語という“見えない妖精”が電波にのって、ウェールズ国内へと羽ばたくようになったわけだ。

2005年11月9日(コロンビア独立記念日)
 2005年イギリス旅行より帰国して、早2ヶ月が経った。怒涛のような日々だった。別の意味で怒涛の日々がまだ続くが、とりあえず、今日が一区切りである。

 今年のウェールズ旅行は、普段以上にどたばたな旅だった(去年の旅行記とともに、いずれ書きます)。だが例年以上に、ウェールズで暮らす様々な人々と接し、話を聞いた。それが非常に有益な経験だったことは言うまでもない。その一部が、今日発売の月刊『ENGLISH JOURNAL』12月号に「ウェールズ・サウンド紀行」としてまとめられた。是非とも、お手にとって見ていただきたい。非常に綺麗で丁寧なつくりのレイアウトの中で、私のウェールズへの熱い思いと、現地で暮らす人々の生の(時に生々しい)声が調和している。これも『ENGLISH JOURBNAL』編集部担当者のおかげである。

 旅でお世話になった人をはじめ、関係者各位にどのようなお礼を言っても足りないほどであるが、この場を借りて、深くお礼を申し上げる。これからもどうぞよろしく。

 これが一区切りだが、もちろん、そのまま終るわけではない。ケルトでは「終わり」は「始まり」。「始まり」は「終わり」なのだから。

 東京の夕暮れにウェールズの夕焼けを重ね――"To Live in Wales is to be counscious/ At the dusk of the spilled blood/ That went to the making of the wild sky"(R.S.Thomas, 'Welsh Landscape')――、『ヒューマントラフィック』に流れたオービタルの「ベルファスト」を聴きながら。――「ウェールズ・サウンド紀行」宣伝&あとがきにかえて。

2005年11月4日(ユネスコ憲章記念日)
 今、新宿パークタワーで“Made in Wales-Showcase of Walsh Design”と題された展覧会をやっている(入場無料;6日まで)。何とか時間を割き、観てきた。中でも素晴らしかったのは、北ウェールズはポースマドック(Porthmadog)在住のBill Swann氏のガラス工芸品。岩に打ち寄せる波のようなガラス・アートに、私は北ウェールズの冷たい風を感じ、感銘を受けた。週末、都内に出かける方は是非。お勧め。

 いや、忙しい。自分がいけないのだけれど。自業自得というやつ。それ以外も横から後ろから(?)仕事が入るし。今週やるように1ヶ月以上前から計画していた仕事が、全く出来ない。夕食は連日23時過ぎ。就寝時間は3時間未満。夏頃から書かねばと思っていたメールも書けていないし。それに、「タイガースの日」ときて、武満の話題がすぐに出てこなくなるようでは、もう私は駄目なのかもしれないな。しかも、週に2、3日は武満の秋の曲を聴いているというのに。そう言えば、「11月の階段」の時がやってきたではないか。と、わかる人にしかわからない話を延々と書くあたり、もう・・・ 。

   註:「11月の階段」・・・ November Steps。琵琶、尺八、オーケストラのために武満が作曲した曲。初期の代表曲のひとつ。武満はこの曲に限らず、秋にまつわる傑作を残している。

2005年11月2日(タイガースの日)
 『失楽園』を読んでいる。大学生時代に読んだ時は、神と悪魔の戦いとしてか読まなかった。この先の見えた戦いに、筆圧に関心こそすれ、然程面白みを感じなかったと、正直に告白しておこう。

 しかし、何年も経った今読み返してみると、これが非常に面白い。作者の清教徒の立場からすれば、かつて天使長の地位にありながら、堕落したルシファーは許しがたい存在となる。

 だがその堕天使を、作者はあえて主人公においた。その結果、読者は堕天使の行動を通じて物語を読むことになり、そこに神や天使が彼の行動を予言し、先回りして現れる様をみて、神や天使の優越性を強く感じる。このあたりの物語の構成力は、並大抵のものではない。

 しかしこの作品のすごさは、その先にある。即ち、神や天使の優位性を説く内容で作者が清教徒と来れば、説教じみてきそうなものだ。しかし、作者の強い宗教心は作品の中枢をなしているものの、決してこの物語は説教臭くない。物語性のほうが優先され、時に出てくる作者の宗教的な文言がむしろ筋運びを盛り上げている。狡猾なルシファーが自分と共に地獄に落ちた妻ラミアの醜悪さに驚き、また、かつて自分が天界にいた頃にもっていた天使の美しさが失われたことを嘆くあたりは、ぞくぞくする。このあたりが、この作品を名作と呼ばしめる所以だろう。

 余談ながら付け加えておくと、私が呼んでいるのはミルトンの『失楽園』です。数年前にTVで流行した同名のものとは違いますので。そのあたり、よろしく。

2005年11月1日(紅茶の日)
 最近、カンタベリー・ロックの発掘音源にはまっている。ソフト・マシーンの驚異のBBCライヴ、ロバート・ワイアットが車椅子生活を余儀なくされた後に初めて行った伝説のコンサート、ケヴィン・エアーズのBBCライヴ・アンソロジー、デビュー・シングルをようやく公式に収録したソフト・マシーンの2枚組ベスト盤などなど。こんなに古い音源のみにはまることは、私にしては珍しい。だが、逆に言えばそれほど貴重な音源がでている証拠である。現在頑張っているウェールズ勢にも、30年後にも語られるほどになってほしいが。それよりも、現時点でライヴ盤が出ないものか。

 1982年の今日、ウェールズ語放送局SC4が開局した。ウェールズ語のみの放送は週に22時間だが、それでも公共の電波でウェールズ語を放送する意義は大きい。また、この放送局がウェールズのポップ・カルチャーにもたらした影響は無視できないものがある。カタトニア、ゴーキーズ・ザイゴティック・マンキ、スーパー・フューリー・アニマルズなど、デビュー以前の彼らが、この局の音楽番組で仕事を得て、また、番組の制作費でプロモーショナル・ビデオを制作できたことは、90年代に花開く新しいウェールズ・ロック&ポップス・シーンの礎になったのだから。

2005年10月31日(ハロウィーン)
 20:57。仕事から帰宅したばかりである。メール・チェックをして、土曜日にきていたあるメール(土・日にメール・チェックが出来なかった)に、正直、戸惑う。簡単に言えば、こちらの予定の打診もなく決めたスケジュールが、メールで送られてきたのだ。その予定にあわせることが出来ない旨を、返信しなければならないのだが、どのようにしたら先方に誤解がなく伝わるか、悩むことしきり。連日睡眠時間が3時間を切っているほど予定が切迫している旨をつげて、果たして納得する相手かどうか。

―― ―― ――

 本日はハロウィーンである! 妖精に地位に押し込められ、地上を追われ、地下(註:ケルトでは地下の世界は冥界や別世界を意味する)で暮らさねばならなくなったケルトの神々が、1日だけ地上へと現れる日だ。アイルランドの祭りだが、この祭りが大々的に行われるのは、アメリカである。アメリカでこの祭りを知らぬものはいないほど、定着した国をあげての祭りである。勝手な推測だが、アメリカに渡ったアイルランド移民が故国を懐かしんだために、ここまでこの祭りが大きくなったのではないか。

 そしてここ10年ほど、この日本でもハロウィーンを根づかせようとする動きがあるが、果たして、今日、家々の扉をお化けの仮装して叩いて回る子供たちを全く見ない。形ばかり輸入しても駄目だということだろう。

2005年10月28日(日本ABCの日)
 忙しかった/忙しい。理由の一つは、先日公開したポップカルチャー学会のホーム・ページ作成のため。

 昨日、久しぶりにイタリアンをご馳走になる! 白/赤の両ワインに前菜の盛り合わせ(カルパッチョが特に美味)、そして渡り蟹のパスタに舌鼓を打つ。いやいや、クリーム系の濃厚ソースに包まれた太めのパスタが、中々結構な味だった。知る人ぞ知る蟹好きの私としては、大満足の味。ただし、甲羅より身を穿り出す時は、無口になってしまったが。これはまあ、蟹料理の宿命ゆえ仕方ないだろう。それにしても、ご馳走様でした。

 その1914年の昨日、ディラン・トマスがスウオンジーで生まれた。同郷の詩人R.S.トマスより1年以上遅れて生まれ、先に名声を博し、そして、1953年11月9日、ニューヨークで泥酔し死亡した。短命、酒好き、英語を喋るウェールズ人、そしてウェールズより外界へと向う視線は、まさに、ひとつのウェールズ人の典型である。同じトマスだがR.S.が、長命でその思想の方向を内側に向けたウェールズ人の典型であるのに対し、彼はまさに視線を外に向けたウェールズ人の典型となる。この対照的な二人のトマスのあり方が絡み合いながら同時に存在する、いわば螺旋構造は、ひとつの国でふたつの言葉とふたつの呼び名をもつウェールズの縮図そのものである。

2005年10月14日(鉄道の日)
 パソコンは反乱する(4日と同じ症状)。10日は授業日数調整日とやらで出勤。休みがない。平均睡眠時間3時間以下。これだけ少ない日が続くと、知らぬ間に寝ているから怖い。私の授業ではごく稀だが、眠っている学生(大抵同じ人間)は、相変わらず、教壇からから怒鳴って起す。だが、マイクを使っている授業では、この技も使えず。悩みひとしきり。

 鉄道の日だが、ウェールズとは関係がない。ウェールズで世界最初の旅客鉄道が開業された(「ウェールズを知る――ウェールズ名物――」“狭軌鉄道(Narrow Gage Railways)”参照)のにも関らず。それにしても今回のウェールズ旅行で感じたのが、ウェールズ内での廃路線の多さ。路線開拓が途上で止まったために、結果として湖水地方と同じく、自然が守られることになったのだが、それはその反面、南ウェールズの象徴でもあった炭鉱の衰退・閉鎖(当初列車は炭鉱から資源を運ぶ目的で敷かれた)と、ウェールズ人の車所有率の急増と密接な関係がある。地元の人が複雑な心境になるのも、無理はないだろう。

 1913年のこの日、南ウェールズの炭鉱で爆発のために400人以上の命が奪われた。これはブリテン島の炭鉱事故で最悪の惨事といわれている。日本の鉄道の日とウェールズ炭鉱での過去の惨事が、偶然にも同じ日となる。この偶然の一致に、歴史の悪戯を感じる。まあ、私だけだろうが。

2005年10月10日(体育の日)
 意外なミス(変換ミスです)が、ご指摘により発覚。ご指摘、ありがとうございます。意外にも、全く気づきませんでした。謹んで訂正させていただきます。

 ハッピー・マンデー計画(何が「ハッピー」なんだ)の施行により、体育の日は10月2週目の月曜日となった。10月10日が体育の日になるのは、実に8年ぶりだそうだ。10月10日は7〜8割の確立で晴れになるという、晴れの特異日ゆえに、東京オリンピックの開会式に選ばれたのだが、今日はあいにくの雨だ。そうなると、今日という日は非常に珍しいのかもしれない。

2005年10月9日(世界郵便の日)
 休みなので、部屋の掃除(ものを動かし、諦め、戻しただけ)にメール・ラッシュ。それにも関らず、数件送れず。そして仕事。休みなのでね、仕事は夕方より夜半まで。一部原稿は出来上がり、メールにて提出。1週間で唯一の休みはこうして過ぎ去る。明日は仕事につき、もう寝ようか。現在、2:11。いやはや、慌ただしく過ぎ去った1日だった。

2005年10月4日(都市景観の日)
 昨夜半、パソコンが反乱を起した。スイッチを入れると、ハードディスクを読みにいき、そのまま諦めてしまうのである。つまり、今年の5月に経験したクラッシュと同じ状態。恐らく原因は、ここ3週間の酷使。私の体もボロボロだが、パソコンもボロボロになっていたのだ。

 仕事から帰宅後、パソコンの中を開け、ハードディスクのコネクターをつなぎなおしてみる。再びパソコンの蓋をしめ、コンセントなどをつなぐ。そして恐る恐るスイッチを入れると・・・ 成功! 依然、動作が時折不安定になることは否めないが、とりあえず、データーのバック・アップに尽力する。

 それにしても、つなぎなおしただけで持ち直すとはね・・・ (不幸中の幸いだが)。

2005年9月30日(クレーンの日)
 講師室での会話。某先生「学生は寝不足のようだね」。私「私たち教師は寝不足ではなく、寝る時間がないんですけどね」。若人よ、人生を楽しめ。ただし、もう大学生となれば大人。そのけじめは自分でつけること。

 なお、私の今日の睡眠時間は1時間少々+電車内の20分ほど。昨日は3時間。前の日も、その前日も3時間(あったかな?)。

2005年9月27日(9月最後の火曜日)
 某大学の大教室Aは、設備が良い。プロジェクター、ビデオ、CD、DVD/レーザーディスクの各デッキはもちろんのこと、パソコンまで備え付けてある。プロジェクターは1台で、OHPシート(透明のシート)と書画カメラを兼用できる。ただし、大スクリーンの画像が不鮮明。映画の字幕が、ようやく読めるほど。従って、その内容をあらかじめプリントに書き出しておいてやることになる。

 また別の大学のB教室のプロジェクターは、OHPシートしか使えない。その教室には、DVD、ビデオ、カセット、CD各プレイヤーが標準装備されているにも関らず、だ。同大学のC教室では、鮮明な大型モニターが設置されているが、プロジェクターがない。またD教室では、これらプレイヤーとプロジェクターを備えているにも関らず、画像が不鮮明で映画の字幕が厳しい。別の大学のE教室では、DVD、カセット、ビデオの各デッキとプロジェクターがあるが、CDプレイヤーがない。なんともまあ、上手く行かないものである。

 そこで最近思いついた手が、プロジェクターの代りに、デジカメを機材に接続し画像をスクリーンに映し出す方法だ。これならばプロジェクター不要である。また、重たい思いをしてノート・パソコンを持ち運ぶ必要もない。ただし、パソコン上で画像データーをデジカメで見られるように加工するなどの手間がかかるが。これでプロジェクターの問題はほぼ解決できるが、画像が不鮮明なのは、どうしようもない。何とかしてくれ。

2005年9月24日(清掃の日)
 疲れた。あれから休みなし。ということで、帰国後ほとんど休みなし。連日、2時、3時まで仕事。朝は5時起き。よくやるよ。明日は、何としても休むぞ! ということで、今(20:35)より気合を入れて仕事をするぞ〜!

2005年9月17日(9月第3土曜日)
 テンヤワンヤの状態である。去年のイギリス旅行記を書かぬうちに、今年も何とかイギリスに行って帰って来たばかりである。往きの飛行機の隣席のポーランド人は、乗っている間中、咳とくしゃみばかりしているし、湖水地方では半日以上、冷たい雨に見舞われた。しかし、ウェールズでは天候にも恵まれ、また、いろんな人と話すことができ(高橋さんとAledに感謝!)、ロンドンでは暑くて宿で扇風機を回し・・・ 。

 そして帰国直後、疲労、時差に悩まされながら、仕事を再開。学会はある、後期の授業は始まる、締切まじかの仕事はある(ちゃんとやってます!)、暑い、予習をせねば・・・ etc., etc.,。そんなこんなのうちに、ポップ・カルチャー学会の理事になりました。ちかぢか、そちらのホーム・ページ(私が制作・担当)を公開しますので、どうぞ、よろしく。

2005年8月17日(プロ野球ナイトゲーム記念日)
 いかん。どうしても友人・知人関係へのメールが後回しになる。急ぎでないメールも後回しだ。申し訳ない。しかしながらこちらもフル回転(以上・・・ )なので、どうか平にご勘弁の程を。

 プロ野球テレビ中継の「時間延長しての放送」ほど迷惑で、苛立たしいものはない。そもそも毎回のように延長放送するのだから、テレビ局側としては、最初からそれだけの時間枠をとるなどの処置が必要だろう。プロレス中継のように、録画して編集したものを放送するのも手だ。もしくは、テレビ中継の時間に合わせて、野球の試合を打ち切りにして勝敗を決める処置などはどうか。後の番組を待っている人、ビデオ予約録画している人が、一体どれだけいると思っているのだろう。どう考えても、その試合を観ている人よりも、その後の番組を待っている人のほうが多いはずだ。

2005年8月15日(終戦記念日)
 このようなことが二度とないように。世界中の終戦記念日が訪れますように。

2005年8月13日
 訃報は突然にやってくる。8月6日、一通のメールが私のメール・ボックスに届いた。開いたのは翌7日。非常に暑い日だった。訃報だった。あまりの突然のことに、呆然として仕事が手につかなかった。

 T教授が亡くなられた。T教授は、私が現在教えている大学のご専任を長い間勤められた。その大学の数少ない良心だった。定年まであと数年残されてのご逝去は、遣り残したことも多く、さぞかしご無念のことだったであろう。

 御人柄はお優しく高潔。またこの世知辛い世の中にあって、義を非常に尊ばれる稀な方だった。厳しいながら、毎年、受講生が大教室から溢れるほどの人気を誇るような人だった。非常勤の私たちのために、常にいろいろとお骨を折って下さった。私は専門が違うにも関らず、様々な面で可愛がってもらった。その恩を返すことができないまま、ご逝去されてしまわれたのが悔んでも悔みきれない。

 3月に緊急入院され、その後、度重なる手術も成功し、療養中と聞いていた。それだけに、信じられない思いでいっぱいである。

 実はこれを記しているのは、8月12日。これから先生の通夜に向うところである。ご冥福を祈ります。

2005年8月10日(帽子の日)
 e-mail rush ... again!! 一日に何通もメールを書いていると、そのこと自体が仕事に思えてくる・・・ もちろん、その中には仕事のメールも含まれるわけだが。依然、返事が書けない方へは申し訳なく思っている。

2005年8月7日(花の日)
 もう5時だ。もちろん朝の5時である。まあ、いつものことか。正確には5:46。まあ、いつものことか。

2005年8月6日(広島平和記念日)
 秒読みが始まる。「あの日」への。だが「これ」を正義とは呼ばせない。現実をアメリカは視たのか。今、長崎も広島も知らない(本当!)アメリカ国民はイラクを搾取している。イラク国民の命を搾取している。

 昨日(5日)、14:00から仕事をはじめ、約4時間の打ち合わせ兼食事をはさみ、3:00まで仕事をしていた。15時間労働。いつものことさ。4:00近くからナイト・キャップ。しかし6:15現在、別の仕事をパソに向ってしている・・・ 。

2005年8月5日(タクシーの日)
 e-mail ... rush!!

 ここ1日、2日の間に、沢山の方からメールを戴いてしまって(しかも昨日、メール・チェックが出来なかった!)、返事が書ききれない。申し訳ない。必ず返事書きますので、お待ちの程を。

2005年8月4日(橋の日)
 疲れた。いろいろな意味で。本当に。

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 1613年の今日、イングランドの船が長崎の平戸に入港し、イングランドと日本の国交がはじまった。この時、ウェールズは既にイングランドに統合されている。即ち、イングランドとの国交の始まりは、ウェールズとの国交の始まりでもある。

2005年8月2日(学制発布記念日)
 肩が痛い。目が痛い。連日、休憩を挟みながらも朝の4時、5時まで仕事をしていれば、おかしくもなるわな。

2005年8月1日(花火の日)
 日本の夏の風物詩のひとつ、花火の日である。今年は――いや、今年も、か――残念ながら花火見物と洒落こむ暇がない。風鈴売りもなければ、金魚売りもない。何とも夏らしいのは、暑さだけか。

 開け放した窓から、夜風に乗って盆踊りの音が聞こえてくる。どこか然程遠くない場所でやっているのであろう。いかにも日本の夏ならではの風習だが、残念ながら、海外向けのメディアで紹介されたのは見たことがない。櫓(やぐら)の上で太鼓を叩き、それにあわせて浴衣を着た人々が輪になって踊るその姿は、いかにも異国情緒が感じられるではないか。欧米人の喜びそうな光景ながら、町規模で行われるなど、規模が小さいことが紹介されない原因かもしれない。

 しかしながら、盆踊りを見た外国人は、驚くかもしれない。大衆の遊びだというのに、規則正しく輪になり、無表情で寸分違わず手を振る集団の踊りは、外国人にとって最初は珍しいだろうが、次第に異様な姿に映るだろう。また太鼓は実演ながらも、歌や楽器の演奏がレコードやテープなのは、変に感じられるだろう。加えて、何のために夏の夜に屋外で踊るのか、その理由を誰もわからないという事実には、驚嘆するかもしれない。

 従って、あまり盆踊りは外国人に紹介しないほうが良いのかもしれない。

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 メールを送らなければならないのに、送れないでいる。申し訳ない。しばしお待ちのほどを。

2005年7月30日(露伴忌)
 太陽系第10惑星の存在を、NASAが公表した。かなり以前から噂されていたこの惑星、漸く公式発表にこぎつけたか、という感じである。冥王星よりも大きいこの惑星の名はまだなく、「2003UB313」と番号で呼ばれている。

 中部ウェールズのウェルッシュプール周辺の村では、電灯がないため、天体観測に適している場所が多く存在する。そのためかこの近くの村マナーヴォンに赴任したR.S.トマスは、幾度か星座のことを詩に詠んでいる。かくいう私も、ウェールズの山の中で、泊まった宿の主人から天体に関する質問を出されたことがある・・・ (2001年の旅行記参照)!

 先日の火星の氷河発見やスペース・シャトル打ち上げなど、最近、急に宇宙のことが話題になっている。大抵、政治が混乱してくると、アメリカ政府関係筋は宇宙の話で話題を逸らしてきた経歴がある。今回の発表も全てがアメリカからというのが、少々気にかかる。

―― ―― ――

 露伴忌とは、岸部露伴ではなく、幸田露伴の死去した日である。

 また今日は、明治最後の日でもある。このような暑い夏の日に、怒涛の明治は幕を下ろしたのだな。

2005年7月28日(乱歩の日)
 ようやく、民放放送で放送された『ライブ8』を観ることができた。さすがに、もう、音楽が世界を変えられると盲信するほど若くはない。民衆が団結したからといって、物事が常に好転すると想像するほど、社会を知らないわけではない。見てみよ、1984-85年のウェールズでの炭鉱閉鎖に対するストライキの結末を。見てみよ、広島や長崎で何が起ったかも知らぬアメリカを。見てみよ、今の渋谷を。

 そう思う私だが、ペット・ショップ・ボーイズの“Go West”とスティングの“Every Breath You Take”には胸が熱くなった。純粋な音楽的感動が、この凝り固まった精神を少しでも揺り動かした。

―― ―― ――
 1965年の今日、江戸川乱歩が死んだ。イギリスの詩人/作家エドガー・アランポの名前をもじった男は、その最期の日に「自分が誰か」という確信を持てたのだろうか? 自国の名を捨て、アイデンティティをひたすら隠した男。その男はあまつさえその名さえも、別国の作家の名をもじることで、もうひとつアイデンティティを隠す仮面を被った。そこまでしてこの国で生きねばならなかった一人の男は、戦後の日本の民衆が「日本人らしさ」を保つのに大きな役割を果たした。小林少年、明智探偵、怪人二十面相・・・ 彼らが、アメリカに焼かれた廃墟を飛び回る姿は、何よりも日本人に勇気を与え、明日への希望を与えたはずだ。

2005年7月22日(てんぷらの日)
 現地時間で21日午後0時過ぎのことだ。再びロンドンで爆破騒ぎが起きた。今回もテロだと断定された。一部の爆破が小規模だったことから、模倣犯との見方もある。いずれにせよ、犠牲者がいなかったことが幸いだ。

 どうやら今回も若者による仕業らしい。若者を狂行に駆り立てるのは、何か。一昔前ならば、体制への反発だった。それとも、人種差別か。社会に対する苛立ちか。今は原因とされるものが多すぎ、皆目見当もつかない。

 余談ながら、爆破現場のひとつシェファーズ・ブッシュという駅は、ロンドンに2つある。路線が異なる上に、このふたつの駅はかなり離れている。その片方のすぐ側には、移民のマーケットがある。小さいながら移民の生活の支えとなる、素晴らしいマーケットだ。そこに足を踏み入れると、異空間に迷い込んだような感覚に襲われる。このような場所で、差別による更なる事件が起きぬことを、真に願う。

2005年7月21日(自然公園の日)
 アメリカの原子爆弾製造に従事した物理学者、マカリスター・ハルは、「私を含めた原爆製造にかかわった人間は全員、原爆投下による多数の市民の死に責任がある。・・・ 60年たった今も無念でならない。とんでもない兵器の製造を手伝ってしまった。」と語る。アメリカが唱える核兵器廃絶論に対しても「(アメリカ自体は)核兵器を破棄する意思がないにもかかわらず、他国に「核を持つな」と言うが説得力がない」と重々しく語る。いつの世も国に民衆は翻弄される。(引用は、2005年7月21日付毎日新聞3面「原爆使用 責任と無念 今も」より)

―― ―― ――

 自然公園といえば、イギリスではナショナル・トラストの存在が大きいだろう。ナショナル・トラストは自然を守る目的のために土地を買収し、個人や企業からの寄付でその管理にあたっている。ウェールズ内だけで5万エーカーにも及びナショナル・トラスト所有の土地は、全て無税となっている。現在、日本では世界遺産に登録された土地の住民への行政から待遇がマスコミで問題視されているが、この際、徹底的に話し合い、今後の対応を真剣に考えた方が良い。遺産が、バーミヤン遺跡のように破壊されてからでは遅いし、そこに住む民衆の生活を国が弄ぶなど愚の骨頂なのだから。

2005年7月18日(光化学スモッグの日)
 先週末、仕事に一区切りがつき、連休を貪っている。土曜日は何もせず、ひたすら横になったまま過ごす。昨日の日曜日になって、本をようやく読み始めた。今日は午前中に、テレビで録画した映画『ブロウ』を観た。非ハリウッド的な映画の画面が、なんとも嬉しい。

 先日、部屋に簾を2本かけた。簾の作る日陰が、なんとも優しい。この日陰に横たわりながら、夏の暑さを楽しんでいる。そしてこの淡い日陰が、日本らしい夏を演出しているのだとつくづく思う。

 昨日の7月19日は、スノードン・レースがはじめて行われた日である。このレースの参加者はスノードニア山脈のお膝元スランベリス(Llanberis)のパダーン湖(Lake Padarn)を出発し、ブリテン島で最も高いスノードン山の山頂で折り返し再び出発地点に帰ってくる。その走行距離は10マイル。過酷なレースと言えるだろう。

 初年度には86名が参加し、その頂点に立ったのはブリストル出身の男性だった。彼は1時間12分5秒という驚異的な速さで、駆け抜けた。

 今年2005年には、スノードン・レースは30回を数える記念的なレースとなる。開催日は7月23日である。

リンク:The International Snowdon Race

2005年7月11日(『スター・ウォーズ エピソード3』日本公開より3日目)
 未だ『スター・ウォーズ エピソード3』を観に行けていない。これまで雑誌等の特集記事は、全く読んでいない。テレビでCMが始まれば、その時間だけ席を外す。我慢のしどうしである。それもこれも、先入観なしに楽しみたいという思いからである。おかげで募るのは、苛立ちばかり。今回ばかりは、仕事が手につかないのも、仕方ないだろう。

 セメスター制の授業の試験前日にも関らず、昨日観てきた学生が居た。その彼によれば、『エピソード2』と『エピソード3』をつなぐ話が存在するという。既にDVDで発売されている、『スター・ウォーズ クローン大戦』がそれである。

 『スター・ウォーズ』シリーズは公開当初から全て映画館で観ている。そのため、私にしては珍しいほど思い入れの深い作品である。しかし『スター・ウォーズ』関連であっても、アメリカでテレビ公開された作品、特に、アニメ作品は眼中になかった。しかし、こう聞いては見過ごすわけにいかない。早速、帰宅途中にDVD『クローン大戦』を購入した。

 さて、これと先日テレビで放映された『エピソード2』(ビデオ録画)で予習をして、『エピソード3』に臨むつもりだ。もちろん、『ヒューマン・トラフィック』を事前に観ることも忘れてはいけない(7月8日参照)。

―― ―― ――

 イギリスでは先日のテロの影響で、ムスリムに対する反感がものすごい勢いで上っていると、ウェールズ人の知人がメールで報せてくれた。魔女狩りにならなければいいのだが。

2005年7月8日(『スター・ウォーズ エピソード3』日本公開記念日)
 マスコミは、今回のロンドンでの爆破事件を、同時多発テロと断定報道している。確かに犯行声明も出ているが、まだ真偽の程は未確認である。情報だけが先走ることがないことを祈る。

 しかしながらこの3件の地下鉄の爆破時刻が、全て8:50より50秒以内であることがロンドン警視庁の調べでわかった。これにより、組織的犯行であることは疑いなくなった。憎むべきはこの凶行におよんだ犯人組織と、その背景にある思想である。

―― ―― ――

 ついに『スター・ウォーズ エピソード3』日本公開! 今日の日を記念・祝して、国民の祝日とすべきだろう。それほどの事件だ。

 『スター・ウォーズ』シリーズは、スペース・ジャンキーの映画だった?! ・・・ これは映画『ヒューマン・トラフィック』のモフによるかなりの珍説である。

 彼は、パーティのシーンで延々と『スター・ウォーズ』について語る。だが、これは台本があったわけではなく、モフ役のダイアーが即興で行ったとのこと。ウェールズと『スター・ウォーズ』の関連は深い?!

2005年7月8日(『スター・ウォーズ エピソード3』日本公開イヴ)
 昨日起きたロンドンでの同時爆破事件は、テロだとイギリス政府が発表した。2駅、地下鉄の1車両、1台の二階建てバスを襲ったこの卑劣な行為のために、現在までに50人の死者が確認された。深いお悔やみを申し上げるとともに、ご冥福を祈る。

 それにしても情報が入ってこない。かなり強い報道管制がひかれているようだ。日本のテレビ・ニュースでは、ブレア首相の演説の全貌は流されていないようだ。現場そのものも、あまり報道されていない。9−11発生直後の報道と較べると、その差の大きさに驚く。

2005年7月7日(七夕)
 さて、今日は七夕である。親の勝手で引き合わされ、そしてまた親の勝手から、蜜月期に、別れさせられた恋人たちの日である。即ち、七夕の伝説の教訓は、「怠けていては駄目」ではなく、「恋人を引き合わされても油断するな」である。

―― ―― ――

 2012年のオリンピックがイギリスで開催されることが決定した。困った。これじゃ、いつもの時期にイギリスに行けないじゃないか。

 現地7日の朝、ロンドン市内の地下鉄で爆発騒ぎがあった。死傷者は90人を超えるとも言われている。この決定に対する抗議行動なのか、また、現在、スコットランドで行われている首脳国会議に対するものなのか、まだわかっていない。

―― ―― ――

 長崎に原爆が落とされた約1ヶ月後、現地を訪れたアメリカ人がいる。ジャーナリストのジョージ・ウェラー氏である。彼は9月6日に長崎を訪れ、約3週間に渡り滞在し、詳細なレポートを書いた。 最初に「戦争の荒野」('wasteland of war')と化したその現状に驚き、そして、被爆者の惨劇に驚嘆するウェラー氏。この被爆地長崎滞在は、ウェラー氏に75ページものレポートを書かせ、そして、彼を晩年まで「惨劇の語り部」にするのに十分だった。

 しかし、これは軍の目を盗んでの行動だった。後にGHQにより、そのレポートは発禁となった。カーボン紙によるコピー(註:当時、タイプライターで原稿を書く場合、2枚の紙の間にカーボン紙を挟み、複写しながら原稿を清書した)は、失われたと思われていた。

そのコピーが、今年の5月に彼の息子によって発見された。戦争が終ってから60年の月日が流れていた。ウェラー氏自身の死から3年が経過していた。

 日本では、毎日新聞が6月17日付の新聞で大々的にこのことを報道した。 イギリスではインディペンデント紙とガーディナー紙が、アメリカではニューヨーク・タイムズとUSAトゥデイなど3紙が報じた。私はそのうち、毎日新聞、インディペンデント紙Independent)、ニューヨーク・タイムズ( New York Times)を入手、その扱いを比較した。

 毎日新聞は、ウェーラー氏による写真とレポートの日本語訳を詳細に渡り分析し、レポート訳の一部はそのまま掲載された。そのために紙面が5面も割かれた。

 イギリスのインディペンデント紙は、6月21日付けの紙面で、見開き2ページに渡り、ウェラー氏の息子さんや有識者の話も含めながら、詳細にこのことを報道した。見出しは、“NAGASAKI WASTELAND OF WAR, BY THE FIRST WESTERN REPORT TO WITNESS IT”(長崎――戦争の荒野、それを目撃した最初の西洋の報告による)だ。この記事は、ウェラー氏の詳細な描写の引用と3枚の写真(内1枚は紙面の半分を占有する)とともに、大きな衝撃とともに迎えられたことに違いない。

 対してアメリカのニューヨーク・タイムスは、6月20日付けの紙面で、“60Years Later, the Story As lived in Nagasaki”と題した記事でこのことを報道した。紙面の4分の1にも満たないような、小さな記事だった。その内容は、ウェラー氏のレポートの解説が半分で、後の半分はレポート周辺のこと。 ウェラー氏の克明な描写は、一切、引用されていない。写真は1枚も使用されていない。代りに広島が先で長崎はその次、というご丁寧な注釈がある。文章はあまりにも簡素。前のほうのページに載ったイラクにおけるアメリカ兵の記事と較べると、まるで、記事に覇気がない。

 これがアメリカという国である。核兵器根絶を心から望んだ詩人R.S.トマスが憎んだという、アメリカという国である。これが原爆で多くの非戦闘員の命を奪い、枯葉剤でベトナムの大地を汚し、現在もイラクで戦争を続けている、アメリカという国である。

   そして神は御手に
   小さな天体を抱えた。見てみよ、と神は言われた。
   その息子は見た。遠く離れたところで
   まるで水面から底をのぞきこむように 息子は
   すさまじい色をして焼け焦げた大地を
   見た。光がその大地を
   焼いた。・・・
        丸裸の丘
   の上で 丸裸の樹が空を
   悲しませていた。多くの人々が
   まるでなくなってしまった4月
   がその十字に交差した枝に
   戻ることを待つように
   そのか細い腕を空に
   差し出していた。息子はその人々を
   じっと見た。そこに行かせて下さい、そう息子は言った。
   (R.S.トマス、訳・Yoshifum! Nagata、「到来」(‘The Coming’))

 「息子」は来るのだろうか。それとも来て帰ってしまったのだろうか。

※本文章の全部もしくは一部の転載、引用及び政治的目的への使用を、一切禁じます。

2005年7月4日(アメリカ独立記念日)
 ウェールズには常に2本の線がある。ひとつは、「ウェールズの内側に向う」線。もうひとつは、「ウェールズの外側に向う」線。前者は最終的にウェールズ国内に留まろうとする。後者はウェールズ国外へと向う。言い換えれば、前者はウェールズ人とは何かを常に捜し求める姿勢。従って、そのベクトルは民族の歴史や言葉、ひいては、深層心理の奥深くへと潜っていく。後者は、ウェールズ人であることを自認しながら外の幅広い世界へと飛翔する姿勢。即ち、そのベクトルは外国へと向かい、そこで他民族の中でウェールズ人らしさを見出す。

 前者がR.S.トマスなら、後者はディラン・トマスだ。前者がダヴィズ・イウーアンやメイック・スティーヴンスならば、後者はメアリー・ホプキンであり、ジョン・ケイルである。前者がマニックスならば、後者はステレオフォニックスとなる。

 即ち、究極的には、前者はウェールズ語の路線。後者は英語の路線。前者はウェールズ人であろうとするためにウェールズ語を使い、後者は英語やその他の媒体を使うことでウェールズを表そうとする。この二つの動きは、まるで螺旋のように互いに絡み合いながら、先へ先へと進んでいく。現状では、それが1本化され強靭な1本の縄になることはない。事実、英語とウェールズ語の両方を使ったR.S.トマスや、英語のみでウェールズを描きながらウェールズを出入りするマニックスのように、この2本の動きの間で揺れ動く人たちも少なくない。またウェールズの町や村、そして駅などでよく見受けられる英語とウェールズ語の二重表記は、この二つの動きの象徴と見ても良いだろう。そしてこの2つの線による螺旋構造こそが、カムリとウェールズとのふたつの国名/地域名という問題を抱える土地の構造を象徴する。そしてこの螺旋構造は、ウェールズ人の中にあるDNAとして存在する。

2005年7月1日(童謡の日)
 去年の旅行記を書く暇がない。あれこれしなければならないことばかり。ぼやいていても始まらないが。

―― ―― ――

 I was once wise -- I cried when I was born.
 私はかつて賢かった――生まれた時、泣き叫んだのである。

 Milk for a child, meat for a man, and beer for the old.
 子供には乳を、男には肉を、そして、老人には酒を。

 以上、ウェールズの諺より。それにしても日本の教訓的な諺と違い、ウェールズのそれは痛烈な皮肉がこめられている。そこが面白い。民族性から来るものだろうが。

2005年6月30日(アインシュタイン記念日)
 1905年の今日、アインシュタインが相対性理論を発表した。新しい科学時代の幕開けである。

 1852年の今日、ニュージーランドでは自治政府が発足した。ニュージーランドは1840年にイギリスに併合されている。そして1907年に人口が100万人になったのをきっかけに自治領となり、1949年にはイギリスから独立した。

 ウェールズは1284年に併合された。1901年の時点で人口は200万人を超えた。ウェールズ議会政府が設立したのは1999年である。

 そのウェールズでは、1986年の今日、マイルディ炭鉱(the Maerdy Colliery)が閉山した。ロンザ谷で最後の炭鉱だった。1984年3月から約1年の長きに渡った炭鉱閉鎖に反対するストライキの、悲しい結末のひとつだった。

 1984年からの2年間で、南ウェールズの炭鉱地帯の失業率は、一説によれば80%まで達した。これがイングランドが、サッチャーが強行した政策である。諸外国の安価な鉄鋼資源の輸入によってコストを下げることが、労働者階級の生活よりも重要という訳だ。鉄の女と呼ばれる所以か。

 そしてステレオフォニックスやマニック・ストリート・プリーチャーズのメンバーは、このサッチャーリズムの被害にあったロンザ谷で、多感な青春時代を送った。父親達の炭鉱夫としての誇りが、無残にも崩れていくのを目の当たりにした。学校の休み時間に、寄付を求める缶が回った。しかし政治家達は何もしなかった。若者は怒りと無力感を感じた。それらは、彼らの初期のアルバムに封じ込められている。

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 連日、梅雨だというのに30度を超える猛暑だった。快晴続きの日々だ。そのため、「梅雨」や「梅雨寒」といった言葉を忘れそうな今日この頃である。そして今朝は、昨夜の雨のためか、一転して部屋の中でも28度。この温度で涼しく感じるのだから、体の馴れは怖い。

2005年6月29日(呉服の日)
 全国の大学図書館に言いたい。あまりにもその施設によって、設備/サーヴィスの違いが多すぎる! 開館時間もそうだ。

 以下、今まで胸の内にしまっておいた希望。・・・ 『ニューヨーク・タイムス』ぐらい、1週間遅れで良いから、標準装備しておいてくれ。できれば、G8加盟国の主要新聞は揃えておいてほしい。それから、ネットワークのデーター・ベースも作ってほしい。各大学図書館のデーター・ベースをつなげば良いだけなのだから・・・ 。どの新聞をとっているかぐらい、検索できるようにしておいてくれ(某大学図書館の係員によれば、本はデーター・ベース化されているが、新聞はなっていないとのこと)。教員用の読書室を完備してほしい。各自が持ち込んだノート・パソコンを、無線LANでなくても良いから、インターネットにつなげるようにしてほしい。大学図書館間での本のやり取りを簡略化してほしい。コピー機だけでなく、PDFファイルを作成できるようにスキャナーも備えてくれ。ファックスでコピーを送ってくれ・・・ 。図書館入館カードを共通にしてくれ・・・ 。云々・・・ 。

2005年6月28日(貿易の日)
 折りしも、東京は選挙間近である。各候補者は選挙カーで、手を振りながら名前を連呼しながら通り過ぎるそしてこの時だけ、お仕着せの演説をマイクに向って叫ぶ。彼らの口から流れる政策は表面だけを着飾り、民衆が本当に必要としている内容まで踏み込まない。一方的にマイクに向って自己主張を喋るだけだから、民の声など聞こえない。○×市民会館で何時より演説を行います、と、話を聞きたければ有権者の方から足を運んで来い、と、言わんばかりの高慢な態度では、民衆の声など聞こえるのだろうか。イギリスのように個別訪問が認められていないのが、日本の選挙だが、それならそれで、何か方法を考えるべきだろう。

 加えて、これだけの候補者がいるにもかかわらず、誰もが目先の利益を追求したような政策を述べるに留まっている。今、日本人という民族性が揺らいでいる時期に、誰も民族性など深い問題に踏み込まない。現代日本の軽薄さを象徴しているいかのようである。

2005年6月21日(夏至)
 夏至である。1年で昼間が最も長く、夜が最も短い日である。夏の始まりでもある。

 ケルトの民にとって、夏至は1年の区切りのひとつであり、大切な日だ。彼らによれば、この日、現世と異界を隔てる境界線が薄まる(地下にある異界を押さえている蓋の力が弱まるとの説も在る)。この1日の間だけ、異界から妖精や悪魔が現世に現れるのである。

 思い出してほしい、ケルトの妖精や悪魔の出自を。彼らは皆、元来はケルトの神、即ち、地母神であった。しかし一神教というキリスト教がこの地に入りこんだため、ケルトの神は妖精や悪魔の地位に押し込められ、異界で生き続けることを余儀なくされたのだ。即ちキリスト教化されたケルトの民にとって、夏至の日とは、古代の地母神が妖精や悪魔の姿を借りて、現世に1日だけ現れる日なのである。

 この夏至の民間信仰をもとに、舞台を5月1日移して描かれた劇が、かのシェークスピア作『真夏の夜の夢』(A Mid-Summer Night Dream)だ。この主要登場人物であるパックは、もともと特定の妖精を指す言葉ではなく、妖精全体を指した言葉であったとする説もある。

 さてその夏至の夜、私は試験問題作成に追われている。寝ている間に靴を作ってくれる小人たちはいたが、試験問題を作ってくれる妖精はいないものかな・・・ 。

2005年6月15日(暑中見舞いの日)
 6月も半ばを迎えた。この頃になると、大学生は疲れが出てくる。教師の側は、疲れが頂点に達しはじめる。その証拠に、先週までは教師は皆、溜息をついていた。今週になると、溜息すらつく元気がない・・・ !

 暑中見舞いの日とは、1950年に暑中見舞い用葉書が初めて発売されたことに由来する。それにしても、6月半ばに暑中見舞いのことを言われても・・・ ねぇ。

2005年6月14日(フラッグ・デー)
 話題@。日本政府の2005年版観光白書によると、2004年に日本を訪れた外国人旅行者は613万8千人で、その7割が韓国、台湾、中国などアジア諸国だった。現在、中国をはじめ反日ムードが高まっている。この数字を見ると、本心からの反日なのか?と疑いたくなる。マスコミや政府に踊らされているだけなのか? それとも、最近のトレンド?!

 話題Aフラッグ・デーとはアメリカの休日。1777年の今日、星条旗がアメリカの国旗となったのだ。

 そのアメリカの2004年度軍事費(6月9日参照)を教えても、何の反応もない学生いることには困ったものだ。ことによると、あまりにも額が多すぎて実感がないのかもしれないと思ったものの、日本の軍事費にも興味を示さないとなると、これは本当に困った。何とかしないと、小泉さんをはじめとする戦争推進派内閣の思い通りになってしまう。

 話題B。ロジャー・ウォータースがピンク・フロイドに合流する、と、発表された。2005年7月2日のライヴ・エイトでのステージでのことである。実にウォータースと他3人が衣を別って以来、20年以上の歳月が経過している。加えて、バンド名の使用権を巡り彼らは裁判まで起こしたほどの険悪の仲である。その彼らが再び一緒のステージに立つことは、ロック・ファンを驚かせるのに十分だ。そのニュースと共に、朝の7時にピンク・フロイドの「マネー」を流したインターFMに更に驚いた私である。

 雑記は数分で書ける。アップ・ロードを含めても数十分。しかし、たまった仕事が中々片付かない・・・ 。

2005年6月13日(FMの日)
 Fがアルファベットで6番目の文字で、Mが13番目の文字ゆえに、今日はFMの日だそうだ。

 FM放送といえば、UKロック・ファンに、特に70年代周辺のUKロック・ファンにとって忘れられないのが、イギリスの放送局BBCで放送されたライヴ音源だろう。この音源の一部は後に輸出され、かつて日本でもNHK−FMなどを通じて放送された。それらを週間番組表などで調べ、エア・チェックした記憶もまだ新しい。また90年代に入ってからは、これら過去のライヴ音源が、いわゆる蔵出という形で次々とCDのフォーマットで発売された。その恩恵に預った人も多いだろう。

 かくいう私もその一人である。今ではエア・チェックもしなくなったが、それ以上に、最近の驚嘆に値する発掘音源のCD化には、心ならずとも期待している。もっとも、中には証拠提出に近い、音質・内容とも誉められたものでない代物が出ていることも、確かだが。それにしてもウェールズ勢が少ないのは、残念だ。

2005年6月9日(ロックの日)
 2004年に世界中で最も軍事費を費やしたのは、アメリカだった。その額、4553億ドル。日本円にして、約48兆9447億5000万円。全体の47%を占めた。次いでイギリスが1桁下がって474億ドル(≒5兆955億円)。5%の割合を占めた。3位がフランスで462億ドル(≒4兆9665億円)。4位に日本の424億ドル(≒4兆5580億円)と、5位の中国の354億ドル(≒3兆8055億円)(推定)が続く。(いずれもスウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の発表による。1ドル≒107.5円で計算。)

 “戦争を破棄した”日本の軍事費にも驚いたが、最も驚愕したのはアメリカである。やはり、アメリカ人は自分たちさえ良ければ、それで良いらしい。かなり短絡的であり、利己主義的だ。正直言って、全てのアメリカ人がそうというわけではない。だが実際に付き合ってみると、金のことをすぐ口にするアメリカ人は、普通では考えられないような利己主義を己の当然の権利と考えているのがわかる。そして彼らは、それを正当化する。

 先の金額で奪われた多くの命は、イラク国内の人たちのものなのである。誰が何と言おうと、これは金に糸目をつけぬ大量虐殺である。

 しかしながらアメリカは、自国を守るためにこれだけの軍事費をイラクで使っているのだ、と、反論することだろう。しかし、では、その軍事費で殺されるイラクの人は、どうなるのだ? この金額の1割でも難民のために使えば、一体、何人の人が餓えずにすんだのだろう? 

 支持率が下がったとはいえ、未だその戦争を起し、継続しているブッシュを国の長に据えたままでいるアメリカ人は、私にとって理解の範疇外にある。――「悪は善に変装する」(Evil will disguise itself as goodness)(ウェールズの諺より)

2005年6月7日(6月最初の火曜日)
 1940年の今日、ウェールズの炭鉱の村でトム・ジョーンズが生まれた。1958年の同じ日に、アメリカではプリンスが生まれた。・・・ 何とも濃い人たちの誕生日である(笑)。

2005年6月2日(うらぎりの日)
 授業は平常どおり滞りなくやっている。だが、その実、2回のシステム・ダウンのあおりを食って、内情は右へ左への、上へ下への、大騒ぎである。そのようなわけなので、申し訳ないですが、メール等の返事は今しばらくお待ちください。

 なお「うらぎりの日」とは、本能寺の変に由来するとのこと。このような記念日まで、日本にはあるとはね。

2005年5月28日(百人一首の日)
 最後のアップ・ロードをした翌々日、初めてパソコンのシステム・ダウンを経験した。パソコンを起動するとハード・ディスクを読みに行ったまま、止まってしまう。フロッピー・ディスクからの起動も出来なければ、セーフ・モードでの起動も出来ない。

 メインで使用しているパソコンであり、そのままでは仕事ばかりか私生活まで大きな影響を及ぼす。しかしながら、症状を訴え、解決策を訊ねたパソコンの電話サーヴィス・センターには、ディスプレイが故障している、と告げられ(実際、そのような事実はない)、修理に出すように強く勧められる。しかしその際、最も大事なハード・ディスクのデーターは保障しないとのこと。現在、ハード・ディスクに入っているデータの移し変えや他の記録媒体への保存作業は、一切行わないそうだ。

 仕事で使っている者には、そこに記録されているデーターこそ全てだ。そのデーターを別のパソコンに移すことが出来さえすれば、仕事が続行できる。なければ、数年かけて構築したデーターをいちから作成しなおすか、仕事を変えるしかない。

 次に有償でデーターの復旧を行っている会社に電話すると、何とも親切なことに、いくつか解決策を考えてくれる。そこで、その中のひとつを実行することにした。

 その方法とは、パソコンに内蔵されたハード・ディスクを取り出し、外部アダプターに装着し、別のパソコンでそのハード・ディスクの内容を吸い出すというもの。試してみると、古いハード・ディスクの調子が思わしくなかったこともあり、もう一台のパソコンに認識させるだけで丸1日かかったが、それでも、必要なデーターを移し変えることができた。これと加えて、サブのパソコンでプリンターその他周辺機器を動かすことが出来るように、ドライヴァーをセット・アップする。メインのパソコンとOSが違うこともあり、また、こちらの使用目的は別だったこともあり、これらの設定をしていなかったのだ。幸い、どの機器もこちらのOSで動いてくれる。これを自宅での仕事の時間を費やし、やるのだから、1週間ほどかかった。

 さて、あとはハード・ディスクを取り外されたパソコンの処置である。試しに電源を入れてみると――フロッピー・ディスクより再セット・アップができるではないか。そこで、いくつかカタログを入手し、検討の上、新たにハード・ディスクを購入。これまでの20ギガから、大幅に内容量を増やし、80ギガを導入。自分で取り付ける。

 パソコン購入時についてきた再セット・アップ用ディスクでは、このサイズのハード・ディスクは完全にフォーマットが出来ない。やむをえず、サブのパソコンより新しいフォーマット・プログラムをフロッピー・ディスクに吸い出し、これをメインのパソコンに読み込ませることで解決。そしてシステムを再インストール。この作業だけで、丸々1日かかる。

 あとはプログラムのインストールと不要なプログラムのアンインストール。それと、インターネットやドライヴァーなどの環境設定。そしてデーターを移し変え、ここで改めてスキャン・ディスクとデフラグを行う。これで丸々2週間を費やし、再セット・アップが完了した。

 それから1日経過した昨日の夜、突然、2週間前と全く同じ形で、起動しなくなった。再びパソコンの中を開け、ハード・ディスクをつなぎなおしてみる。これで今回は、万事解決した。ただし、いつ又何時同じ状態に陥りかねないだけに、不安は残る。

 以上のような理由から、メールの送受信、及び、当サイトの更新が全く出来なかった。なお偶然だと思いたいのだが、どちらのクラッシュが起ったのも、某McAfeeがソフトを自動更新した直後のことである。

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 1999年の昨日、ウェールズ議会が公式に発足した。13世紀にウェールズの法律がイングランドのそれに取って代わられて以来、初めての、そして、念願の議会発足である。

2005年5月10日(愛鳥週間)
 ここ日本では、本日(5月10日)より5月16日まで愛鳥週間となる。普段見ることのない野鳥を求めて、川原を散策したり、萌える新緑に分け入ってもいいかもしれない。

 鳥といえば、私は2人を連想した。一人は、チャーリー・パーカー。そう、愛称バードのサックス奏者である。もっとも、こちらはバードと言ってもジェイル・バードからそのあだ名は来ているらしいが・・・ (ジェイル・バードとは囚人の意味)。そうだ、彼を聴こう。アルバムは、定番だが、『ナウズ・ザ・タイム』が良い。このアルバムは、去年、ウェールズを車で走りぬけた時に、始終かけていた。一方で、『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』も捨て難い。

 思い出したもう一人は、R.S.トマスである。英国国教会の牧師でありながら、ウェールズ愛国主義者としても、20世紀のテクノロジーが進んだ現代社会において神の探求を行った詩人として知られるが、その一方で自然を愛し、特に鳥を愛でた詩人である。

 彼は、午前中を勉強の時間にあてながら、窓の外に稀な鳥が訪れることを望み、時には書物よりも窓の外のほうが気になった。そしてついには、海の彼方からその稀な鳥が訪れることを、神の訪れに重ね合わせて詩‘Sea-Watching’を描く。稀な鳥も、神も人が見ている時には来ない。故に、海の彼方へと眼を凝らすことと、教会の中で跪くことは同じと、また、「不在こそは存在」(“its absence/ was as its presence”)と彼は結論づける。

 このパラドックスこそが、テクノロジーの進んだ世界での神の存在の証明となる。そしてこのパラドックスの間には、それを耐えるだけの忍耐しかない。見えぬ神を理由に、見えぬ大量破壊兵器を理由に戦争を行う現代には、その忍耐こそ欠けている。

2005年5月8日(世界赤十字デー)
 弊サイトが本格運営開始より丸1年を迎えることが出来た今日は、日本ではゴールデン・ウィークの最終日であり、また、5月の第2日曜日とあって母の日でもある。

 その母の日と言うことで思い出したのは、もちろん、フランク・ザッパである。民族的に複雑な背景を持つあのアメリカ人のデビュー・バンド、ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション(The Mothers of Invention)が結成されたのは、64年の母の日であった。バンド名は、その日が母の日であったことと、諺「失敗は発明の母」にちなんで名づけられた。その後の彼の活躍ぶりと、(特にアメリカの)マスコミからの攻撃はご存知のとおり。

 重ね重ねになるが、弊サイトが1周年を無事に迎えられたのも、皆様方のおかげである。深くお礼を申し上げるとともに、これからもご愛顧もお願いする所存である。

2005年5月6日(ゴムの日)
 1999年の今日、初のウェールズ議会の議員が選挙により選出された。13世紀にウェールズがイングランドに併合されて以来、初めてのことだった。700年以上にも渡る歳月は、しかしながら、ウェールズ人に自分たちの領土が王国であるという誇りや民族性を、挫くことはあっても、完全に失わせることはなかった。

 たとえその決定権は限定されてはいても、独立した議会をもてたことは、彼らの厳しい逆境にあっても決して諦めない粘り強さ、そして、子々孫々まで伝えてきた反骨精神の賜物である。

 昨日、イギリスでは総選挙が行われた。日本時間の5月6日19:00現在(現地時間6日10:00)、ウェールズ国内全40議席のうち、ウェールズ党は3議席を獲得。残念ながら、前回の議席から1つ減る結果となった。詳しい結果は、ニュースのページにて。

2005年4月30日(図書館記念日)
 1945年の今日、ヒトラーは秘書らとスパゲッティを食した。その後、部屋に入り、拳銃で頭部を打ち抜いた。結婚したばかりの秘書エバ・ブラウンは、毒を飲んだ。

 その前日、日本軍は圧倒的な力の差を知りつつも、攻勢を決議した。その前日、ムソリーニは愛人と銃殺された。結局、戦争は暴力と破壊、そして大量虐殺でしかない。加えて戦争が生むのは無残にも傷つけられた心と、そして計り知れない量の、十分に弔われることのない遺体である。

 「図書館が我々に力を与えてくれた」と、曲「デザイン・フォー・ライフ」で掲げて再出発をきったのは、マニック・ストリート・プリーチャーズである。それ以前のマニックス(マニック・ストリート・プリーチャーズの愛称)と言えば、暴力と退廃的な世界に苦しむ若者だった。そして中心メンバーの失踪と、バンド解散の危機を乗り越えて出された声明が、先のものだ。知が、まさに、暴力に勝った瞬間である。その後の彼らの活躍は、ご存知のとおり。

 1907年の今日、ウェールズの有名な賛美歌である「ロンザ谷」(“Cwm Rhondda”)がはじめて歌われた。南ウェールズはホプキンスタウンのロンザ教会(Capel Rhondda)でのことだ。復活祭だった。その歌詞には、「天の糧よ、今そして永久に、我を養いたまえ」(“Bread of heaven, / Feed me now and evermore”)とある。

 即ち人に必要なのは、まずは食料(パン)であり、そして知である。暴力や殺傷を実行することを必要とするのは、いつの世も、一部の、一握りの人たちだけである。

2005年4月29日(みどりの日)
 ここ日本では、今日はかつての天皇誕生日だ。そして海外脱出組みなど早い人たちの間では昨日から始まっていたらしいが、4月29日と言えば、ゴールデン・ウィークの始まりである。

 さて、休める人は休もう。出掛けて人込みや渋滞に疲れるのも良し。また、家の大掃除をしたり、室内のインテリアを集中的に変えるのも良し。出かけずにCDやネット配信での音楽鑑賞やDVD、ビデオ鑑賞に励むも良し。私のように、たまった仕事に徹夜覚悟で取り掛かるのも良し・・・ 。

 余談ながら、英語で“golden week”と言っても英語圏の人には全く通じない。英語圏ではこのような呼び方はないからだ。この表現を使った場合、ひょっとすると、ゴールド・ラッシュ週間と勘違いされるかも?! 英語で説明するならば、“holidays we Japanese call "Golden Week"”が適当だろうか。

2005年4月25日(国連記念日)
 ここ半年以内(推定)に購入し(発売日不問)、よく聴いているCD5枚。

  • Jeff Berlin, Lumpy Jazz, (J.Jazz, NIC 900032) (トリオ編成で、ベースの限界に挑戦しながらも、それでいて流麗かつ洗練された傑作! ジェフ・バーリンのこれまでの集大成と言っても、過言ではない。)
  • keiichiro shibuya, ATAK 000, (ATAK, 000) (文句なしの最先端音楽。これを形容するのに、ミニマル・ミュージックと言う言葉が古臭く感じる!)
  • Miles Davis, 1969 Miles - Festiva De Juan Pins, (Sonny Records, SRCS 6843) (恥かしながらこれまで未聴でした。怒涛の演奏に感動!)
  • Manic Street Preachers, Lifeblood, (Sony Music, EICP 435) (力強いリズムと、翳りを帯びた綺麗なメロディのコンビネーションが魅力。朝によく聴いています)
  • Soft Machine, Breda Reactor, (Voiceprint, VP345CD) (なぜか今、再びカンタベリー・ミュージックのマイ・ブームが再燃。)
 次点。

  • Evan Parker Trio & Peter Brotzmann Trio, The Bishop's Move (総勢6名による集団即興演奏。息継ぎなしの怒涛の73分30秒!)
  • David Bowie, Stage (コンサートに忠実に曲が並び替えられた新盤。次点なのは、全部の曲を聴くわかではないので・・・ )
  • Pep Le Pew, Un Tro Yn Y Gorllewin (生演奏とサンプリングの比重が最高。)
 他には武満、佐藤茂の仕事シリーズ、ニューヨーク・キッチンのライヴ音源など。それにしてもウェールズ関連が2点なのは、残念!

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 時は1284年の今日。場所は北ウェールズのカナーヴォン。エドワード王とエレナーの子、エドワード2世が生まれた。そう、「『ウェールズに生まれ、英語を喋れない』王子」(a prince "that was born in Wales and could speak never a word of English")の誕生である。彼こそが、プリンス・オブ・ウェールズの称号を最初に戴いたイングランドの王子だ。

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 1868年の今日、近藤勇が斬罪梟首の刑に処せられた。享年35歳。合掌。

2005年4月24日(植物学の日)
 ここ日本では23日に、トレンドマイクロ社のウイルス対策ソフト「ウイルスバスター」の更新ソフトの不具合が原因で、パソコンが起動しなくなる、メールが送れなくなるなどのトラブルが発生した。打撃を受けたのは個人のパソコンのみならず、新聞社やJR、ホテルなどの大企業も含まれる。

 MacAfeeでは、公表されていないが、このようなトラブルは日常茶飯事である。現実にうちのファイアー・ウォールは、月に1回、大抵ソフト自動更新後に壊れる。

 偶然にも、同じ23日にこの症状が出た。このトラブルに対処するためには、全てのMacAfeeのソフトを再インストールしなければならない。アンインストールとダウン・ロードを何度も繰り返したおかげか、すこぶるハード・ディスクの調子が悪くなった。デフラグが完全に終了しない!

2005年4月18日(発明の日)
 数学で欠かせない記号「=」、即ちイコールは、デンビー(Denby)出身のウェールズ人のロバート・レコード(Robert Recorde)によって発明された。何も機械や道具を新たに作り出すことだけが、人類の文明に貢献するわけではない。

 下は、昨日、アップロード忘れ。

2005年4月17日(恐竜の日)
 1622年のこの日、ヘンリーとトマスの双子の兄弟がヴォーン家(Thomas & Henry Vaughan)が南ウェールズはブレコン(Brecon)で生まれた。

 兄ヘンリーは『火花散る火打石』(Silex Scintillans)などの作品を発表し、形而上派の詩人として世に名を残した。弟トマスは英国国教会の牧師だったが、飲酒、非道徳的な行為、そして、王に武器を提供したために、職を追われた。世は清教徒革命の勃発により、議会派と国王派が武器を携えて戦っていた頃の話である。

 内乱後、兄ヘンリーは医を職とした。弟トマスは錬金術を学び、書を残した。魔法や神秘体験が、科学と同じ次元で語られていた時代の話である。

 “I am dinosaur, somebody is digging my bones ... ”。恐竜と言えば、2005年恐竜博で展示されているSUE(スー)。世界最大のテラノサウルスである。一度は見てみたいものだ。テラノザウルス・レックスは、別に今更観たみたいとは思わないが。

2005年4月13日(喫茶店の日)
 1888年のこの日、東京は上野に日本初の喫茶店が開店したことを記念して、日本ではこの日を喫茶店の日とした。もりそばが1銭の時代に、コーヒー1杯の値段は1銭5厘だった。

 今、コーヒーは安いものであれば、180円からで飲める(不味いが)。だが、当時の金額よりも、遥かに高い金額のコーヒーを出す店もある。果たして、当時の味はいかほどのものだったのか。

 それにしても疲れた。メールの返信をせねば(もう少し待ってください)。

2005年4月12日(世界宇宙飛行の日)
 この「世界宇宙飛行の日」は、1961年のこの日に、世界ではじめて旧ソ連邦が有人宇宙船の飛行に成功したことに由来する。その乗組員である、ガガーリン少佐の発言「地球は青かった」は、有名だ。

 その20年後の同じ日に、アメリカ合衆国は初のスペースシャトルの打ち上げに成功した。これは偶然の一致か、それとも、冷戦時代に敵であるソ連邦をアメリカがけん制したのか。

 今、そのソ連はない。代りにアメリカは、イラクとの戦争を続けている。その様は殺人鬼が殺す快感を求め、次々と殺人を犯し、連続殺人鬼になる過程に似ている。そして切り裂きジャックのように、一度その快感が外部の手により遮られると、その次の行為はより周到に、より凄惨になる。

 確かに、2001年のアメリカ同時多発テロは、繰り返してはならない悲劇だ。だが、それ以上の惨劇がなぜ行われなければならないのだろう。なぜその惨劇を、いつまでも続けなければいけないのだろう。テロは数時間だった。イラク戦争は2年の歳月を費やしても、まだその出口を見せない。

 イギリスでは5月5日に、総選挙が行われる。イギリスのブレア首相はアメリカ同時多発テロ後、アメリカを支持した。そしてイラクを「大量破壊兵器を保持する中東の脅威」とし、戦争に加わることを決断した。そのブレア首相の責任に対して、イギリス国民が審判を下す時だ。アメリカ大統領選挙の時に、ブッシュ再選反対を主張したウェールズ党の党首ダヴィズ・イウーアンは、どう出るか。

2005年4月1日(エイプリル・フール)
 Three things at which a fool laughs - what is good, what is bad and what he cannot understand.
 愚者が嗤う3つのこと。良いこと、悪いこと、自分が理解できないこと。

 A fool has an opinion but it is the opinion of a fool.
 愚者には意見がある。愚か者の意見が。

 The fool's success will kill him in the end.
 愚者の成功は仕舞いに己を滅ぼす。

 以上、ウェールズの諺より。(参考:Paul Barret, The Wisdom of Wales - A collection of proverbs, (UWIC Press, 2001))

2005年3月31日(教育基本法・学校教育法公布記念日)
 話題1。実に数年ぶりに、愛車の洗車とワックスがけを自分の手でやろう、と、思い立った。思いついたが吉日とばかりに、洗車に必要なシャンプーやワックスを探す。

 ようやく発見したワックスは、缶の蓋が開いていた。どうも、かなり長い間そのままの状態だったようだ。その中身はまるで、アイスホッケーで使うパックのような形でカチカチに固まっていた。私がそれを見て、更に固まったのはいうまでもない。洗車は延期である。

 話題2。1920の今日、ウェールズ聖公会(Church of Wales)が英国国教会より分離、独立した。このことは、19世紀末から起ったウェールズ独立運動で、初めての快挙だったと言っても過言でないかもしれない。

2005年3月27日(桜の日)
 失せモノその1。読書の前に少々調べものを、と、ネットサーフィンを始めて気づけば半日が経過した。もう十分に資料を読んだので、読書をする気が失せた。

 失せモノその2。パソコンのハード・ディスクのバック・アップは、定期的にしなければいけない。しかしそのデーターを記録したCD-R自体を紛失すれば、元も子もない。

2005年3月26日(3月最後の土曜日)
 1945年の今日、イギリスの首相まで登りつめたウェールズ人のデヴィッド・ロイド=ジョージが、死亡した。

 歌を歌うことで民族性と言葉を同時に教え込むことができ、また、合唱することで仲間意識や民族意識を高めることを、ロイド=ジョージは知っていたのだろう。彼はウェールズの民族意識を高めるために、賛美歌の合唱を強く推奨したという。20世紀になってから下火となったウェールズ人の宗教熱だが、彼の勧めもあったためか、ウェールズ人らしさをその歌詞に詠み込んだウェールズ語の賛美歌の合唱だけは、ウェールズの民の中から失われなかった。ウェールズ人が、内外から「歌好き」と呼ばれる所以である。

 そして代々受け継がれてきた「歌好き」というウェールズ人気質は、現在でも途絶えることなく、続いている。そしてその気質は、現在の、特に90年代以降の、ウェールズのロックやポップスに綿々と流れている。そしてそれが、ウェールズ音楽の独自性を生み出しているのだ。

2005年3月21日(国際人種差別撤廃デー)
 ライヴドアの堀江社長の「インターネットがあれば新聞は不要」発言が、物議をかもし出している。確かにインターネットがあれば、日本にいながらにして、ウェールズなど海外の新聞の記事を部分的にでも読むことはできる。だが堀江社長は忘れている、インターネットの新聞は満員電車の中で読むことができないことを・・・ 。

2005年3月20日(LPレコードの日)
 テレビや雑誌、写真集などで、特に建物や食べ物の写真を見ると、我知らずのうちに、写真の構図や撮り方に注目している自分に気づいた。授業や併サイトで写真を使ってはいるが、もちろん私はプロのカメラマンでもないし、そうなるつもりもない。思わず苦笑したが、これも向上心の現れと肯定的に受け止めよう。

 LPレコードの日とは、1951年に日本コロンビアが日本で初めてLPレコードを発売したことに由来する。なお、 LPとはLong Playing(長時間演奏)の省略形で、SP盤より収録時間が長いのでこう呼ばれた。

 ついでに書いておくと、SPとはStandard Playingの省略形で、78回転のレコード盤のことを指す。いわゆるシングル盤と言われるのはEPで、これはExtended Playingの省略形。SPより収録時間が拡大された(Extended)ために、こう呼ばれた。

 もちろん、今年、日本では春分の日でもある。春分の日は3月20日から21日のどちらかで、毎年国が決定している。統計的に見ると、21日のほうが多いようだ。

 英語ではthe spring equinox。R.S. Thomasが何度かその詩に、equinoxのことを詠んでいる。

2005年3月18日(精霊の日)
 うっかりした。昨日はアイルランドの守護聖人、聖パトリックの日ではないか。東京某所のイギリス系パブに偶然立ち寄り、ギネスを一口啜り、思い出した次第。

2005年3月17日(世界海の日)
 海といえば、北ウェールズ最西端の村、アバーダロンの海岸が懐かしい。去年訪れたウェールズの海の風景としては、マール山から見た海に浮かぶバードセイ島や、ボシャーストンの海に面した岸壁にある聖ゴヴァーン教会、ナショナル・トラスト保護下にあるフレッシュウオーター・ウェストが素晴らしかった。いずれも訪れるのには車が必要だが、それだけに、自然破壊の手から逃れてきたのかもしれない。

 そのウェールズでは、今日は聖スリオニオ(Llionio)の日である。聖スリオニオは、中部ウェールズの村スランディナム(Llandinam)の教会の創立者として、伝えられている。

 一方で極東の地ここ東京では、春めいてきた。しかし、本当に春など来るのだろうか。物理的な意味ではなく、晴れやかな新スタートの象徴としての春の意味だが。全てが混迷を極めている。それにしても少し休みたい。

2005年3月16日(アメリカ奴隷解放記念日)
 1985年のこの日、その年の8月に行われるアイステズヴォッドで、ウェールズ語習得合宿コースが開催されることが報じられた。アイステズヴォッドで、このような合宿コースが行われるのは、実に初めてのことであった。

 81年にはウェールズ語の使用者は、全人口の18.9%まで落ち込んだ。一時はウェールズ語絶滅説まで、学会で報告されたが、その20年後、使用者は23.5%まで快復した。もちろん、先の合宿コースだけがこの結果をもたらしたわけではない。この間の20年にも渡る、地道な活動/行動の積み重ねの結果である。

 たまったメールへの返事を、少しづつではあるが書いている。しかし、まだ先は長いな。申し訳ない。

2005年3月3日(雛祭り/桃の節句)
 ウェールズでは、聖スリリー(St. Llily)の日だ。7世紀の聖人で、死の床にあった聖デヴィッドの看病をしたといわれている。

 2月中に時間を削っては書いたページを、一気にアップ・ロードした。本当はステレオフォニックスの新作レビューと一緒に、と、思っていたのだが、発売が延期されたのではどうしようもない。

 一方で、数人の方にメールの返事が書けないでいる。本当に申し訳ない。近いうちに必ず書きます。

2005年3月1日(労働組合法施行記念日)
 ステレオフォニックスの最新アルバムの発売が、3月9日に延期となったらしい。楽しみにしていたのに、残念だ。

 労働組合といえば、ウェールズの炭鉱を思い出す。1926年5月と1984年3月には、彼らは大規模なストライキを行った。後者は約1年間、炭鉱の閉鎖に対して闘ったが、結果は無念にも組合側の敗北に終った。そしてサッチャー首相の命令の下、多くの炭鉱が閉鎖され、炭鉱夫たちは仕事ばかりか誇りまでも奪われた。

 それにしてもこの日は、いろいろなことがあったものだ。ショパン、グレン・ミラー、芥川竜之介が生まれ、アンネ・フランクが死んだ。水野忠邦が老中となり、硫黄島の日本軍が全滅し、ビキニ島で水爆実験が行われ・・・ 。そしてウェールズでは、守護聖人である聖デイヴィッドの日である。

2005年2月27日(新撰組の日)
 ステレオフォニックスの最新アルバムの発売日まで、あと3日と迫った(3月2日予定)。さて、前作ではアメリカ的な音楽に傾倒しつつも、ウェールズ人らしいヒラエスを感じさせた彼らだったが、果たして今作はどのような音を届けてくれるのか。楽しみだ。

 去年の暮からウェールズ・ポップスの活躍が目覚しい。歌好きの民族ゆえか、「歌」にこだわりつつも、演奏の面でも個性的なアーティストが多いのがウェールズ・ポップスの特徴のひとつだ。さてこのシーンは、どこまで世界で受け止められるか。カンタベリー・ミュージックのように、ひとつの音楽シーンとして確立できるか否かは、ここ数年の活動にかかってくるように思える。

 話は代るが、ようやくデヴィッド・ボウイのリイシューCD『ステージ』(輸入盤)を手に入れた。これまでの版では曲がほぼ年代順に並べられていたが、今回は、未発表曲も含め演奏曲順に並べ直された。

 このライヴ通りの曲順で『ステージ』を聴くことは、多くの人の念願だったに違いない。かくいう私もその一人だ。そしてその期待は、裏切られなかった。これまでは聴くことが出来なかったオープニングの「ワルシャワ」から「ヒーローズ」へと雪崩れ込む演奏を聴いた瞬間に、体内のアドレナリンが急上昇した。聴き終ってから時間が経つが、今でも興奮鮫やらない。

 それにしても、この時のボウイのライヴはすごいの一言。特に過激なエイドリアン・ブリューのギターが、冴え渡っている。

2005年2月25日(夕刊紙の日)
 1570年の今日、英国国教会の第1子エリザベス1世が、ローマ・カソリック教会より破門された。それより以前の1563年にエリザベス1世の勅命により、聖書と祈祷書のウェールズ語への翻訳が開始された。その命を受け、1588年に完成したウェールズ語版聖書と祈祷書のおかげで、今日までウェールズ語は生き延びたと言われている。

 昨夜から今日の夜中にかけての東京は、雪化粧をした。降り積もったのが夜中だったのが、幸いした。深夜、誰も邪魔することのない白い道は、殊のほか美しかった。

2005年2月21日(日刊新聞創刊の日)
 前回の更新日、実は頭の中で除夜の鐘が鳴っていた。考えるのも億劫なほど、痛みがあった。熱も出ていたと思う(体温計不所持のため計れず)。しかし眠れず。眠れないのに寝ていても暇なだけなので、本を読み(途中、うたた寝あり)、ネット・サーフィンをした。

 考えるのも億劫なほどだったので、大して頭には入らなかったが、それでもいくらかは頭の片隅にでも残っているから不思議だ。不思議といえば、今年の風邪は不思議だ。何しろ、強い。○×を風邪でダウンさせるのだから。加えて、未だに体調がおかしい。

 日刊新聞創刊の日とは、1872年に現在の毎日新聞が創刊されたことに由来するらしい。

2005年2月15日(コマーシャルフォトの日)
 風邪は思ったより軽かった。だが、来た。花粉症だ。今日、外出した途端に襲われた。今年はすごい、と、聞いてはいたものの、ここ数年症状らしい症状があらわれなかったので、油断していた。ツボ押しとアロマ・オイルで乗り切る・・・ いや、乗り切ってやる!

2005年2月12日(パンの日)
 風邪だ。朝から頭が痛い。咳も出る。悪寒もする。「○×は風邪をひかない」の定説、覆り。

 しかし休んではいられず、電話にメール。電話の向こうの方やメールの送った先に方に、伝染らなければ良い、が・・・ ?

 それにしても、チャールズ・ダーウィンとリンカーンの生まれ年と誕生日が一緒とはね・・・ (2人とも1809年の今日に生まれた)。

2005年2月11日(日本の建国記念日)
 外出すれば、街は人で溢れている。商店は聖バレンタイン・デーの商戦で忙しい。人気の食べ物屋には、行列が出来ている。しかし、日の丸を見ない。旗日、しかも日本の建国記念日だというのに。ウェールズをはじめイギリスの特に都市部では、祝日でなくとも、国旗をよく見かけたものだが。

 帰宅すると、咳がでる。だるい。熱っぽい。寒気もする。風邪か? 何とかは風邪をひかない、と、言うが・・・ 。その「何やら」も貶めるほど、今年の風邪は強いのか? 普通の方はお気をつけあれ。

 下は、携帯電話を持たない者の戯言。

2005年2月7日(北方領土の日)
 昨日、テレビのスポーツ・ニュースで、テニス決勝戦のハイライトを観た。その試合終了後、観客(応援客)が一斉に携帯電話をコート内の選手に向けた。

 写メールをしているわけだ。だがその姿が新手の宗教儀式のようにみえて、異様に感じた。

2005年2月6日(海苔の日)
 ここ数年、文庫本の値段は高くなった。800円、900円はざら。1000円を超えるものの珍しくない。昔は、300円から500円ぐらいが相場だったように思うのだが。古い話かな。

 とりあえず、ここ2週間ほどの間に、時間を見ては書きためたものの一部を、アップ・ロードする。裏のとれていない情報は、後回し。

 ケルトの神話の時代について書くために、昔から集めてある参考文献を開いたりもするのだが、どの文献もアイルランド、ウェールズ、スコットランドその全てを「ケルト」一括りに、時に一緒くたに論じているのが、気になる。細かいことかもしれないが、同じ民族でも、別の大地で別の王国を築いたのだから、分けるべきところは分けるべきだ。と、文学者の端くれは思う。しかし、今朝の新聞の記事によると、全体を包括しようとするのが歴史学者で、細かいことに拘るのが文学者の特質だとか。いやいや、まったく。

2005年1月30日(みその日)
 昨日が賢人ギルダス(Gildas the Wise)の日で、明日はマドック(Madoc)の日だ。2人はいずれもウェールズの聖人である。一方でその間に挟まれ、ギルダスからマドックへと橋渡しする今日という日は、特別な日には指定されていない。しかしながら1826年の今日に、ウェールズ本土とアングルシー島の間を流れるメナイ海峡に、橋がかけられた。全長579フィート(約176メートル)におよぶその鉄橋は、世界初の鉄橋と言われている。

 現在では、車はメナイ橋や後に建てられたブリタニア橋を使い、メナイ海峡を楽に渡ることができる。しかしそれ以前、中世の時代といえども、この海峡を渡るのは容易いことではなかった。潮流の衝突が非常に激しく、フェリーで渡ることすら危険だったのである。

 それにもかかわらず、紀元前300年から100年の間にブリテン島に渡ったケルト民族の一部が、この海峡を渡り、アングルシー島でドルイド僧を中心とした社会を築いたと言われている。そして紀元59年ごろ、このメナイ海峡を挟んで、ケルトの戦士たちとブリテン島に渡ってきたローマ軍とが対峙した。そしてこの戦いで勝利を収めたのは、メナイ海峡を渡ったローマ軍だ。まさにメナイ海峡を制したものが、相手を制圧したのである。

 ローマ軍とケルトの民の支配関係は、友好的なものだったと伝えられている。後にイングランドがウェールズをイングランド化したのとは対称的に、ローマ軍はケルトをローマ化しなかった。むしろ大陸の進んだ文化をケルトの民に紹介することで、ケルトの文化に進化をもたらしたと言われている。このため、後にウェールズと呼ばれるブリテン島南西部に定住したケルトは、ローマ支配の時代にその民族性を失うことがなかった。

 ウェールズの諺には、「汝隣人を愛せ。だが垣根は高くせよ」("Car dy gymydog ond cadw dy glawdd")("Love your neighbour but maintain your hedge")がある。この諺は聖書から来ているのかもしれないが、支配者との長い闘いが続いているウェールズの歴史を思えば、支配されても民族性は失わず、と私は深読みする。

 「昼間は長くとも、夕べは必ず来る」("Cyd bo hirddydd, daw ucher")("Though the day be long, evening will come")も、ウェールズの諺である。辛い支配の時代は長くとも、王国独立の時は必ず来る、と、私には読める。メナイ海峡はもう制されている。後は制したものが勝利を手にするのを待つばかり、と、思いたい。

2005年1月24日(ゴールドラッシュの日)
 ものが壊れる。しかも、たて続けに。22日から23日にかけて、割った皿の総数3枚。切れた電球、ひとつ。行方不明の本1冊。暴れているのではないので、お間違えのなきよう。どれも、自然に起ったのだ。皿なんぞ、お盆から逃げるように転げ落ちたのだから。

 この世とは不思議なもので、プラスとマイナスのバランスをとろうとする。賭け事が、最終的には大勝で終らないように。以前、アップライト・ベースを購入した日に、手も触れていないのに愛機のベースのブリッジ(ボディ側で弦を留める部品)の部品が、弾け飛んだことがある。

 これを書き終わった直後、本は見つかった。しかし、ファイアー・ウォールが壊れた。何てことだ。

2005年1月23日(電子メールの日)
 I got it! Thaaaaaaaaaank you, Mr. Hirokara!

 この「電子メールの日」を制定したのは、日本電子メール協議会である。つまり、日本独自の日というわけ。それにしても、ここ1、2週間の間に頂いたメールに、返事が書けていない。申し訳ない。近いうちに必ず書きます。もうしばらくお待ちを。

 1879年のこの日、ズール戦争で出兵した南ウェールズ出身の600人の兵士が、南アフリカで帰らぬ人となった。戦争とは、嫌なものだ。戦時下の今では、特に強く思う。

2005年1月20日(二十日正月)
 かつて日本では生類憐れみの令が廃止され、ドイツではナチスがユダヤ人殺害を決定し、アメリカではケネディ大統領が就任したこの日、1969年のウェールズはブラックウッドという炭鉱の村に住むワイアー家で、一人の男の赤子が産み落とされた。彼はニッキーと呼ばれ、後にマニック・ストリート・プリーチャーズを結成することになる。ハッピー・バースデイ、ニッキー!

2005年1月12日(スキーの日)
 帰宅後、急に右目に違和感を覚えた。細かいゴミが入ったような感触が、そのうち、痛みに変った。洗面器に水を張り、目を洗ってから約1時間が経過。しかし、未だに思い出したように痛む。困った。

 さて年明け早々だが、大学では試験が始まっている。昼間は試験の監督。夜は採点。その採点だが、困った。解答用紙に目を通すと、カット・アップされたような半ば芸術的な言葉が目につく。困った(笑)。

2005年1月10日(成人の日)
 新成人の皆さま、おめでとうございます。この日本独自の祭日である成人の日だが、調べたところによると比較的日が浅いらしい。国民の祝日として制定されたのが、1948年とのことだ。

 久しぶりに英語で書いたエッセイをホーム・ページにアップしたのだが、実は苦労したのはそこから訳した日本語。自分で書いた文章ながら、原文(英語)に引っ張られて、思うように日本語が綴れない。日本語が自由に動き出すと、今度は英語の原文とニュアンスがかけ離れてこないか、と、気になってくる。困ったものだ。

2005年1月5日(最初の水曜日)
 ネット・サーフィンをしていると、「イングランドのウェールズ地方」という日本語による表現にしばし出会う。中には、「イングランドのウェールズ州」といった表現もある。

 前者の表現は、必ずしも誤りではない。しかしながら「王国」という観点からすると、やはり、避けるべき表現だと思う。対して、後者は明らかに誤りだ。

 異論はあるかもしれないが、「イギリスのウェールズ」が最も適切な表記ではないかと思う。そろそろこ手の訂正が、日本に根づいてもいい頃だと思う。これを日本に定着させることが、どうも今年の課題になりそうだ。

 全く異なる話だが、先ほどテレビをつけると、『報道ステーション』(テレビ朝日系列)が、スマトラ沖地震による津波の被害を、報道していた。日本語の「津波」が、英語“Tsunami”として定着していたのは驚いた――マニック・ストリート・プリーチャーズにも‘Tsunami’という曲はあったが。

 それ以上に驚いたのは、キャスターの古舘伊知郎のバック・パッカーに対する発言だ。彼は、貧しい国の人たち出稼ぎに出ている一方で、豊かな国の若者は出歩いて遊んでいる、と指摘。そしてバック・パッカーを、出稼ぎに対する「出歩き」と呼び、さらには、「ニートやフリーターに根底でつながる」と批難・卑下した。バック・パッカーを一括して、一刀両断である。何とも、ニュース番組のキャスター様とは偉いものだ。

 確かに、どうしようもないバック・パッカーもいる。手癖の悪いものもいる。騙すものもいる。麻薬に手を染め、溺れ、それを自慢するものもいる。必要以上にアジアの「無垢の素晴らしさ」を、声高に言うものもいる。しかし個人旅行には、個人旅行でなければ得られない体験が多い。

 本当の自然や各民族の文化に触れるには、パック・ツアーで嵐のように通り過ぎるのでは無理だ。緩やかに揺れる自然のリズムに身を委ねるのは、個人旅行ならではである。また、個人旅行は孤独ゆえ、その孤独な時間を通じて自分の立ち居・振る舞いを見直すこともある。つまり、個人旅行が自分発見の旅になることもあるのだ。禅寺の雲水が、諸国行脚をすることで己を磨くように。

 また世界で体験したことを、日本に持ち帰り、広める旅行者もいる。現地調査(フィールド・ワーク)の重要性が叫ばれて久しいが、これは個人旅行でなければ無理だ。まるで見てきたかのように、バック・パッカーを一括りにし、全体を批難・卑下などしないでもらいたい。

2005年元旦
 東京で大晦日に雪が降ったのは、21年ぶりのことだという。その昨日の東京の夜は、銀世界に星空という、神秘的な年の暮れだった。今朝の東京は快晴。今年1年の幸運を期待させる、素晴らしい1年の幕開けである。本当に今年1年が良い年でありますように。

 本日より、雑記を去年のものと今年のものにわけさせていただいた。これからも当サイトを末永くお願いします。





文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2005: Yoshifum! Nagata






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