ウェールズを知る
――コアな情報――



■ブリテン島バルズ団(The Gorsedd of Bards or Gorsedd y Beirdd )
 原語のGorseddは、玉座を示すウェールズ語。現在は、バルズの集団(もしくはコミュニティ)を表す言葉として使われている。

 ブリテン島バルズ団は1792年に、イオロ・モルガヌッグ(Iolo Morganwg)(本名:エドワード・ウィリアムス、1747-1826)が1792年に結成。目的は失われたバルズ(吟遊詩人)の復活。その儀式の多くは、モルガヌッグが生み出した。

 ブリテン島バルズ団は、ウェールズ語詩人、作家、音楽家、芸術家、そしてウェールズ語文化に貢献した人によって形成される。入団が許されるのは、ウェールズ語文化への功績が認められた人のみ。故にブリテン島バルズ団への入団は名誉なことと考えられる。

 ブリテン島バルズ団を束ねるのは、大ドルイド僧(Archdruid or Archdderwydd)。任期は3年。黄金に輝くローブを着ることが、唯一許される。

 その下に来る団員らは、位によって着るローブが異なる。白を着るのが、ドルイド僧(Druids)である。青がバルズ(Bardd)。そして緑色のローブを着ているのがオヴァテス(Ovates)だ。

 ブリテン島バルズ団の目的は、ウェールズ語文学と文化の継承および促進。1819年のアイステズヴォッドに登場して以来、アイステズヴォッドの中心的役割を果たすこととなった。現在でもその授賞式や入団式などで、活躍している。




新しい団員を迎える儀式
(撮影:2011年、アイステズヴォッド)


■ウェールズ党(Plaid Cymru)
 直訳では「ウェールズ党」だが、意訳として「ウェールズ愛国党」と訳されることもある。

 1925年、北ウェールズのプタリ(Pwllhei)で行われたアイステズヴォッドで、ウェールズ運動(Y Mudiad Cymreig)とウェールズ内政自治論者軍(Byddin Ymreolwyr Cymru)の代表者によって結成された。党としての目標は、ウェールズ独自議会の確立と、ウェールズ語およびウェールズの独自文化の保護である。

   ソーンダース・ルイスも創立メンバーの一人であり、後に党首も勤めている。またダヴィズ・イワンも長い間、党首を務めた。

■ウェールズ解放軍(Free Wales Army)
 ウェールズ解放軍は、活動家カヨ=エヴァンス(William Julian Cayo-Evans)によってランピター(Lampeter)で1963年に結成された。準軍事的な組織であり、アイルランドのIRAやスペインのバスク分離主義者らとの交流があると言われる。メンバーは独自にデザインした制服を着用、緑地にシンボル・マークである「スノードンの白鷲」をあしらった帽子をかぶる。略称はFWA。

 彼らの目的は、ウェールズのイギリスからの独立とウェールズ共和国の設立。そのためにはデモ行進や爆破事件などの暴力的行為もいとわない。

 その存在が、公式に明るみに出たのは、カペル・ケランにダムが開設された1965年。そのこけら落とし(1965年10月21日)に、数多くの反対者がつめかけた。その群衆の中から、ウェールズの旗をふり、緑地にシンボル・マークである「スノードンの白鷲」をあしらった帽子をかぶった3人の若者が現れた。これがFWAだ。

 この中心人物は背が高く、黒髪であった。名をカヨ=エヴァンスという。カヨはそれから後、これらの行動の中心人物となる。

 彼ら3人を、群衆を煽り、混乱を招いたとして警察は逮捕。しかしこのような事態を、マスコミが放っておくはずもなかった。すぐさま、その場でインタビューが行われた。この時、カヨ=エヴァンスは自らがウェールズ解放軍であることを告げる。この瞬間、ウェールズ解放軍の存在が明るみに出た。

 彼らは1966年、アイルランドでイースターの蜂起50周年を記念したデモ行進に参加。以後、ウェールズの各地でデモ行進を行い、また、暴力的行為にも及んでいるという。1969年のチャールズ皇太子のプリンス・オブ・ウェールズ戴冠式では、爆破未遂事件を起こし、メンバーが捕らえられた。

FWA(ウェールズ解放軍)とそのスローガンが書かれた鉄道の高架橋。
写真左の右側、もしくは写真右の左端が「スノードンの白鷲」。
(クリックで拡大)
(撮影:アベリストウィスの近く、A4971国道にて。2011年8月13日)

■MAC(Mudiad Amddiffyn Cymru)
 Mudiad Amddiffyn Cymru(ウェールズ防衛運動;Movement for the Defence of Wales)は、ウェールズ愛国者による圧力団体。暴力的な組織であり、ウェールズ版IRAとも呼ばれる。略称はMAC。

 カペル・ケランのダム建築と開設に反対し、組織されたと言われる。ウェールズ解放軍の主要メンバーが警察に常にマークされる一方で、1968年になるまでその存在が闇の中に包まれたままだったMACは、警察組織の目をかいくぐり、数々の爆破事件を計画・実行。1968年のカーディフ税務署の爆破をはじめ、同年のカーディフでの36のオフィスを破壊した爆破事件、ヘルスビー(Helsby)でのパイプライン爆破事件は、彼らのものとされる。

 彼らの活動の頂点を極めたのが、1969年。すなわち、チャールズ皇太子の「プリンス・オブ・ウェールズ」戴冠式の年である。彼らMACはこれに反対し、爆破を計画。そのうちいくつかは実行された。しかしながら、警察は上手だった。1969年2月26日午前6時、警察はFREE WALES ARMYおよびMAC、その他圧力団体の主要メンバー9人を逮捕。おそらくアイルランド共和国や北アイルランドならば、根が深すぎ、このような暴挙は不可能だったのではないか。幸か不幸か。ウェールズでは、そこまで圧力団体の力が地元に根づいていなかった。この警察の英断により、結果的に、MACおよびFREE WALES ARMYの活動力は急激に低下する。ウェールズは北アイルランドと同じ状態に陥ることが防がれた。

■ウェールズ語文化圏(Welsh Welsh / Welsh Wales)
 ウェールズ語が根づいたウェールズの地域を、特にこう呼ぶ。主に北部や西部を指す。これらの地域は、古くからの伝統的なウェールズ文化が根づいていることが多い。

 残念ながら、これらの地域の一部は非常に土地が安い。そのために近年ではイングランド人らが多く移住し、伝統的な文化や風習を守り続けることが困難になってきている場所もある。1950年の時点で、西ウェールズのEglwys-fach村には、既に多くのイングランド人が引退後の余生を過ごす場所として移住していたことを、詩人であり、その教区に牧師として赴任したR.S.トマスが記している。また1983年には、北ウェールズのメナイ河にかかる橋の上で、ウェールズ語協会らによる英語話者移住反対運動が繰り広げられている。


ウェールズの最北端であり、港町でもあるホーリーヘッドでは、
土地の安さだけを求め、イングランド人が多く移住してくる・・・
(撮影2003年 ※写真はイメージです)

■英語文化圏(Anglo-Welsh / Anglicanized Wales)
 ウェールズ語ではなく、英語が比較的早くから根づいたウェールズの地域を特にこう呼ぶ。中部の国境地帯や南部、特に、『丘陵地帯』(the Valleys)と呼ばれる、18世紀から19世紀に鉱山や炭鉱で飛躍的に発達した工業・産業地帯(炭鉱地帯)を指す。

 かつてウェールズの指導者らはウェールズ語を愛国心の象徴とした。そのためこれらの地域は、解体すべきものと考えられた。しかしながら時が過ぎ、現在では、これら英語圏のウェールズで生まれた文化も根づき、以前のように軽視・唾棄することはできなくなっている。

■3つの言葉(three tongues)
 ウェールズで使用される言語は、公式にはふたつとされる。ウェールズ語と英語である。

 だがウェールズのシンボルである赤龍は、俗に3つの舌/言葉(three tongues)を持っているといわれる。それがウェールズ語(Welsh)、英語(English)、そしてウィングリッシュ(Wenglish)である。

 ウィングリッシュとは、英語文化圏の『丘陵地帯』で生まれ、根づいた話し言葉である。ウェールズ語と英語が混ざった言葉だ。スコットランドの南部(低地/lowland)で根づいたスコティッシュ・イングリッシュ(スコットランド風英語)という、強烈に訛った英語の方言があるが、感覚としてはこれが近いかな。

 ただ、形成過程はかなり異なる。スコティッシュ・イングリッシュは、基本的に英語である。近隣の北部イングランド人がしゃべる英語を、スコットランドの低地に住む人々が好んで取り入れることで生まれた。いわば外来語・借用語が、その土地の言葉に取って代わった形だ(詳しくは拙著『ケルトを旅する52章』を参照してください)。それに対し、ウィングリッシュは『丘陵地帯』に持ち寄られた言葉から形成された。

 ウィングリッシュ形成過程を見るためにも、少し歴史を紐解こう。時は18世紀に遡る。この時、『丘陵地帯』に眠る良質な石炭資源に、イングランド人が目をつけた。彼らは自らオーナーとなり、次々と炭鉱を開発する。『丘陵地帯』は瞬く間に一大産業地帯になるが、そこでの成功を夢見て、ウェールズ各地から人々が集まる。同時に、オーナーがイングランド人だったことから、英語をしゃべる人々(主にイングランド人)が職を求め、移住してくる。ここでウェールズ人労働者らが喋っていたウェールズ語と、各地から来た英語が混ざった結果生まれたのが、ウィングリッシュである。

 なおウェールズ語がウェールズ人の愛国心の象徴であり、アイデンティティとなったように、ウィングリッシュは『丘陵地帯』の「話し言葉によるアイデンティティの象徴」(oral bedge of identity)となっている。

■ウィングリッシュの例
 ウィングリッシュでは、やはり、英語から派生した言葉が多い。だが英語としてお馴染みの言葉でも、かなり意味が異なるものがある。たとえば“deep”は英語では「深い」を意味するが、ウィングリッシュでは「理解しがたい」となる。“easy”は、「確かに、間違いなく」。“She is easy sixty.”のように使う。“sharp”は副詞として「きびしく」や、形容詞として「冷たい」。“It's a sharp one this morning!”といえば、「今朝は冷たいね!」になる。

 短縮形もある。“Innit?”は“Isn't it?”、“cmon!(c'mon!)”は“come on!”。後者はマン(バンド)の曲にあったね。“dunno”は“don't know”。この“dunnno”はよく会話で使われる。

 “neely”は“nearly”。“small, samll”は、ウェールズ語で形容詞を重ねて使う習慣からきている言い回し。“Oh, it's small, small -- you could hardly see it(それは小さい、小さい――ほとんど見えないよ)”のように使う。

 炭鉱の村ならでは言葉もある。“sleish”は石炭やその燃えかすを集めたりするのに使う、小さいシャベルのこと。“apartments”は、最初の音を落とし“partmunts”と発音される。意味は誰かの家に間借りしてすむこと。この際、間借り人はひとつの部屋を与えられていることを意味する。対して“through and through”は、別個の部屋を与えられずに、ひとつの部屋に間借りさせてもらうことを意味する。同時にこの言い回しは、石炭の塊と小さな石炭が一緒くたになっている状態を指す言葉にもなる。

 “cwtch”はウェールズ語の“cwt(小屋、格納庫、傷の意味)”から来ている。“the coal cwtch”として使えば「石炭をしまう場所」。動詞として使うと、「隠し続ける」の意味になる。

 “cwtch”のように、少ないながらも、ウェールズ語から派生した言葉もある。“siop”はウェールズ語の「店」だが、ウィングリッシュでは「何でも扱う店」の意味。“eisht”もしくは“heisht”は、ウェールズ語の“Ust”から派生している。これは、うるさい人に向って黙るように言うときに使われる。日本語の「シー!」にあたる。“Duw!”はウェールズ語で「神」。だがここでは英語の“God!”のように感嘆詞/間投詞として使われる。つまり「ああ、何てことだ!」「おやおや」の意味だ。

 慣用句的な独特の言い回しもある。“Early days yet”は「言うには早すぎる」。“It's emptying down”は、ウェールズならではかな。「ひどく雨が降っている」(It's raining very heavily”)の意味だ。



■失業中(I'm on the dole)
 一時期、隆盛を誇った炭鉱。それもふたつの大戦が終わり、エネルギーが石炭から石油へと移り変るにつれて、業界そのものに翳りが見えるようになる。

 加えてアフリカから安価な石炭が輸入されるようになると、これが石炭業界に大打撃を与えた。炭鉱は次々と閉鎖されるようになる。そして決定的だったのが、マーガレット・サッチャー元首相による国営企業の大規模廃止である。当時国営企業だった炭鉱は、閉鎖されることになる。

 炭鉱夫の多くは再就職の道を選んだ。だが、職のないものもいた。彼らは失業手当“the dole”で糊口をしのいだ。そして“on the dole”という口語表現が生まれる。つまり“I'm on the dole”で「失業中」を表す表現となる。そして特に『丘陵地帯』では、1985年に炭鉱のほとんどが閉鎖されると、失業者は村中にあふれることとなった。職を失った炭鉱夫らの多くは、再就職先もないまま、こう呟いたのである――“I'm on the dole”と。以来この言葉は、炭鉱を失った南部『丘陵地帯』のシンボルになる。

■ウェールズの七不思議(Seven Wonders of Wales)
 Terry Brevertonによれば、ウェールズの七不思議は以下のようになる。ひとつ物は試しで、行かれてみては?!(「これが七不思議?!」といういのは、ウェールズ八番目の不思議・・・ )

  1. ピスティル・ライアドル(Pistyll Rhaeadr)・・・ 中部ウェールズはLlanrhaeadr ym Mochnant村の滝。ウェールズの中では最も標高が高い。
  2. レクサム尖塔(Wrexham Steeple)・・・ 中部ウールズはレクサムにある、聖ジャイルズ教会(the Church of St Giles)の塔。1520年に完成し、41メートルの高さを誇る。
  3. スノードン山(Snowdon)・・・ 北部ウェールズの顔であるスノードニア山脈の中で最も高い山。イングランドとウェールズを合わせて、最も標高が高い山でもある。
  4. イチイの樹(Yew Tree)・・・ オヴァートン(Overton)の聖メリーの教会(St. Mary's Church)の敷地内にある21本のイチイの樹。植えられた時期は様々だが、3世紀から12世紀の間といわれる。
  5. 聖ウィニフレッドの井戸(St. Winifrede's Well)・・・ ホーリーウェル(Holywell)にある聖なる井戸。詳しくは「伝説と民話」の*井戸・泉参照のこと
  6. スランゴスレンのトレヴァー橋(Llangollen's Trefor Bridge)・・・ 1345年にジョン・トレヴァー(後の聖アサフ大聖堂の司教)によって建てられた。16世紀に改装され、1960年代に拡張された。
  7. グレスフォード教区教会の鐘(The bells at Gresford Parish Church)・・・ クロイド(Clwyd)にある。この教会は中世のステンドグラスと、樹齢1400歳のイチイの樹でも有名。

スランゴスレンのトレヴァー橋
(撮影:2006年)


レクサム尖塔のある聖ジャイルズ教会
(撮影:2011年)





ウェールズ?! カムリ!
写真と文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2012-2014: Yoshifum! Nagata




主要参考文献
The Green Guide: Wales, (Michelin Travel Publications, 2001)
Breverton, Terry, An A to Z of Wales and the Welsh,(Christopher Davies Ltd, 2000)
Clews, Roy, To Dream of Freedom - The Story of MAC and Free Wales Army, (Y Llolfa, 1980)
Davies, Biran, Welsh Place-Names Unzipped, (Y Llolfa, 2001)
Edwards, John, 'Talk Tidy' - The art of speaking Wenglish, (Tidyprint Publications, 2003)
Edwards, John, More 'Talk Tidy' - The Hilarious Sequel to 'Talk Tidy', (Tidyprint Publications, 2003)
Jones, J. Graham, The History of Wales, (University of Wales Press, 1990)
Sager, Peter, translated by David Henry Wilson, Pallas Wales, (Pallas Athene, London, 1991)




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