ウェールズを感じる
――ウェールズから響く音楽2:クラシックおよび現代音楽関連――



■パンタケリンのウィリアム・ウィリアムス(William Williams, Pantycelyn) 賛美歌作者
 ウェールズにおいて最も有名で人気がある賛美歌の作者といえば、彼、パンタケリンのウィリアム・ウィリアムスである。しかしながら、ウェールズの民が賛美歌の合唱を通じてウェールズ魂を体得することを念頭に置けば、パンタケリンはそれ以上の人物であることがわかる。

 1717年、ケブン・コイド(Cefn-Coed)生まれ。父は農業に勤しむ傍ら、組合教会(Independent Church)の長老もつとめた。ウィリアムは当初医者を志し、スルアンスルイド(Llwynllwyd)の学校に通う。だが、メソジストによる宗教復興運動の指導者の一人、ハウエル・ハリス(Howel Harris)の説教を聴いてしまう。そしてメソジストの生みの親であるジョン・ウェスレーに影響を受け、医者の道を諦める。齢にして20前後と言われる。

 ハウエル・ハリスの手によって1737年に英国国教会に改宗したウィリアムは、メソジストでの活動を始める。しかし、当時、まだメソジストは英国国教会から独立しておらず、また、国教会指導部からは疎まれていたため、メソジストとして活動することは、出世の道を閉ざされることを意味した。しかし、ウィリアムの宗教熱は収まらず、1743年に司教への道が閉ざされてからは、メソジスト運動にその残りの生涯を捧げた。

 ウィリアムは1748年に結婚し、パンタケリンに居住まいを移す。そのことから、一般的にパンタケリンと呼ばれるようになった。

 英国国教会の中で牧師への道を自ら絶つことは、同時に、定住する教会や受け持つ教区がないことを意味する。だがメソジストは、その説教の場所を教会に限らなかった。むしろ個人宅や四辻での説法を得意とした。そしてパンタケリンは、その生涯を旅をしながら布教を続けることに費やした。パンタケリンは馬に乗り、ウェールズ中を布教して回った。自身の言によれば、15万マイルもの道のりを馬の背に乗り、布教して回ったという。


カーフィリーで行われたメソジストの集まり。
左から4番目がパンタケリン、一番右がハウエル・ハリスだと言われる。

 メソジストへの改宗は、主に5〜12人ほどで構成された小さな集団で行われた。ここでメンバーは自分の端や宗教的な罪、経験や恐れを告白し、神の恩恵を求め、改宗した。ここでの経験が、ウィリアムの賛美歌には反映されているという。

 1744年のAleluiaを筆頭にして、87年までの間に、8冊のウェールズ語讃美歌集と2冊の英語讃美歌集を出版した。900以上にものぼると言われる彼が残した讃美歌のうち、「ロンダの谷」(‘Cwm Rhondda’)の英詞や「喜びて」(‘Hyfrydol’)は、その中でも、最も人気の高い賛美歌だ。また、彼がメソジストの仲間へと捧げた哀歌(elegy)も30を超えている。1791年、没。




[リンク]
 The Christian Bookshop - William Williams of Pantycelyn ... パンタケリンについての解説。英語。
 William Williams ... パンタケリンについての英語解説。3曲だがMIDIでメロディを聴くこともできる。




ウェールズ?! カムリ!
文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2003-2011: Yoshifum! Nagata




主要参考文献
EMYNAU CYMRU / The Hymns of Wales, edited by Gwynn Ap Gwilym and Ifor Ap Gwilym, (Y Llolfa, 1995)
Jones, J. Graham, The History of Wales, (University of Wales Press, 1990)
Johnston, Dafydd, The Literature of Wales, (University of Wales Press, 1994)




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