ウェールズを感じる
――ウェールズから響く音楽1:ポピュラー・ミュージック――



■メアリー・ホプキン(Mary Hopkin) 歌/ウェールズ語(-68年)から英語(68-)
 メアリー・ホプキンの名は、彼女を見出したポール・マッカートニーや、彼女のかつての伴侶トニー・ヴィンスコッティ、またはヒット曲「悲しき天使」と結びつくことが多い。だが彼女もれっきとしたウェールズ人であり、また、ウェールズ語の曲も歌っている。

 メアリー・ホプキンは50年5月3日に、南ウェールズのポンタダーウェ(Pontardawe)で生まれる。学校に通うころから歌を歌い始め、ウェールズ語の歌詞をギター1本で弾き語ることで頭角を現した。
 数枚のウェールズ語のアルバムを、地元のカンブリアン・レーベルから出した後、68年にポール・マッカートニーに見出される。ビートルズのアップル・レコードと契約した彼女は、英語で歌を歌い始める。シングル「悲しき天使」(“Those Were The Days”)がリリースされ、UKチャートの1位に輝いたこの時、彼女は弱冠18歳だった。2枚目のシングルと処女アルバムは、ポール・マッカートニーによってプロデュースされ、彼女は世界的な成功を収めることとなる。
 アップル・レーベルからは9枚のシングルと、3枚目のアルバム(うち1枚はベスト盤)をリリースし、業界から引退した。71年11月に、デヴィッド・ボウイのプロデュースなどで知られるトニー・ヴィンスコッティと結婚した。なお、70年7月には来日公演を行っている。


註・・・ ウェールズ語の発音に近い形で表記。これまでの日本語ではポンタードウと表記されてきた。


y caneuon cynnar - the early recordings (96) (Musical Scene Inc / MSI 15112)
 かつて日本でも『愛の喜び』(71年)として東芝からリリースされていたLPに、1曲新たに加えCD化したのが本作だ。全11曲31分は全てウェールズ語で歌われているが、このうちハープの伴奏で歌う1曲「涙の教会」を除けば、全て既存の曲のウェールズ語カヴァーである。これら全てはメアリー・ホプキンがアップル・デビュー以前の68年に、録音されている。68年というと、ウェールズ語法令が通過し、事実上ウェールズ語が公式言語として認められた翌年である。ようやく誰の――特に隣国の――目もはばからず、自分たちの言葉を使える自由を謳歌していた時のことだろう。そのような喜びが、彼女の清涼感溢れる声から感じられるのは、気のせいだろうか。

Post Card (1969) (EMI / CDP 7975782)
 アップル・レコード・メジャー・デビュー1作目。さすがに今聴くと時代を感じるが、それでもメアリー・ホプキンの音は時代を超えて訴えてくるものがある。特に1曲目「悲しき天使」。この曲の壮大なアレンジもさることながら、メアリーの伸びやかな歌声は見事。この曲にノック・アウトされる方も、いまだに多いのではないか。アルバム全体の音は牧歌的なフォークソングでありながら、メアリーの幼くも聴こえる若々しい歌声のために、アルバムのそこかしこに瑞々しい魅力があふれている。このあたりの瑞々しさが、同時代の他のフォークソングのアルバムと一線を画すと同時に、このアルバムを名作へと押し上げている。ウェールズ語の曲も1曲収録。





[リンク]
 The New Mary Hopkin Friendly Society ... イギリスにある私設ファン・クラブのサイト。膨大なページを誇る。
 Mary Hopkin International Site ... 英語のファン・サイト。内容は充実している。

 Mary Hopkin Unofficial Japanese Web Site ... 日本人によるファン・サイト。ホプキンへの愛が溢れている。70年来日時の、貴重な写真など見所も多い。




ウェールズ?! カムリ!
文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2003-2011: Yoshifum! Nagata








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