ウェールズを感じる
――ウェールズから響く音楽1:ポピュラー・ミュージック――



■マン(Man) 歌/英語
 ウェールズには、大きく分けてふたつのタイプのアーティストが存在する。ひとつはウェールズ語を使用により、ウェールズ性を強調するタイプだ。これはウェールズ内に留まる傾向がある。もうひとつは英語を使用し、ウェールズから外に出て行くタイプである。特に60年代から70年代にかけて、ウェールズのポピュラー音楽を演奏する音楽家は、このどちらか一方に属する傾向が強かった。マンは明らかに、後者に属するタイプである。マンは南ウェールズの出身でありながら、ドイツを活動の拠点にした――否、拠点にせざるおえなかったのだから。

 「人」という、他人が覚えやすい、あまりにも単純明快なバンド名を冠し、活動歴も長い。だがマンは、その一方で活動の実態が伝わっていない。その原因の一旦は情報の少なさによるものだが、何より、メンバーの入れ替わりが激しいことにある。唯一断言できることは、マンがプログレ、サイケデリック、そして、パブ・ロックを演奏するウェールズ生まれのバンドであるということだ。日本ではまるっきり噂も聞こえてこないので活動停止中かと思いきや、2005年にはコヴェントリー・ジャズ・フェスティヴァルでのトリを飾り、2008年3月には結成40周年記念ツアーを開催した。まだまだ現役なのだ。

 マンは母体はウェールズ出身のバンド、バイスタンダーズ(The Bystanders)だ。68年にそれまで在籍していたヴォーカルが脱退し、代わりに別のバンド、ザ・ドリーム(The Dream)から、ウェールズはスラネスリ出身のディーク・レナード(Deke Leonard)が合流した。ザ・ドリームには当時、後にマンの中心人物となるマーティン・エース(Martin Ace)(1945年12月31日生まれ)や、後にダイアー・ストレイツに加入するテリー・ウィリアムズ(Terry Williams)(1947年1月11日、スウオンジー生まれ)が在籍していた。このことからも、バイスタンダーズとザ・ドリームが合体して生まれたのが、このマンだと言ってもいいかもしれない。

 バイスタンダーズはロンドンに活動の基盤としていた。ヒットに恵まれないものの、優秀なハーモニーを聴かせるバンドだったといわれている。

 このバンドからヴォーカルが離れ、新たにギタリストが加入する。この時、彼らはバンド名を変え、音楽性も変えた。即ちポップ・グループから、当時、ロンドンのアンダーグラウンド・シーンで炎を燃やしていたサイケデリックを演奏するグループへと転身した。もっとも注目すべきは、その活動拠点の変化である。イングランドを離れ、故郷ウェールズはスウォンジーへと帰ってきたのだ。その時のラインナップは、ミッキー・ジョーンズ(Micky Jones)(1946年6月7日、マーサー・ティドヴィル生まれ)(G & Vo)、ディーク・レナード、クライヴ・ジョン(Clive John)(Keys & Vo)、ジェフ・ジョーンズ(Jeff Jones)(Dr)そしてレイ・ウィリアムス(Ray Williams)(B & Vo)だった。

 当時、スウォンジーなど南西ウェールズの村では、ドラッグを入手するのは容易なことだった。時代的に言って、サイケデリックやプログレッシヴ・ロックが、新しい音楽として形づくられつつあった。このような環境の下、マンのデビュー・アルバム『レヴェレーション』(REvelation)がリリースされる。収録曲の“Erotica”が放送禁止となるが、だからと言って注目を集めるわけでもなく、ひっそりとしたデビューだったようだ。なおメンバー全員がヌードというアルバム・ジャケットのアイデアは、ディーク・レナードのものだった。ついで2枚目『2オンス・オブ・プラスティック(ウィズ・ア・ホール・イン・ザ・ミドル)』(2 ozs of Plastic with a Hole in the Middle)を69年10月にリリースする。これも泣かず飛ばず。当初から財政難だったマンだが、ここにきて家庭の事情を理由にディークがバンドを去ってしまう。

 代わりに加入したのが、ディークと同じくザ・ドリームに在籍していたマーティン・エースである。そしてマンは、スイスやドイツなどヨーロッパの国々をツアーで回る。ようやく活動が軌道に載ったと思われたマンだったが、ベルギーではテロリストに間違われ、9日間もの間、監獄で過ごす羽目になる。またそのことが「ウェールズのバンド、ドラッグの罪でベルギーで逮捕される」と新聞の見出しを飾ったが、アルバムの売り上げには結びつかなかったようだ。

 これをイギリスで見ていた一人の男がいた。ディークだ。ディークは一度はバンドを離れ、定職についた。しかし上手くいかず、ヨーロッパから戻ってきたばかりのマンに電話をかける。そして復帰の意思を伝え、マンは彼を迎え入れた。当時の彼らは、イギリスでは小さなクラブで演奏する一方で(移動のガソリン代にも事欠く稼ぎだったらしい)、ヨーロッパの特にドイツではビッグ・スターとして受け入れられた。このためマンは、ヨーロッパでの活動が中心となる。だがこの生活に疲れたレイ・ウィリアムスとジェフ・ジョーンズが、脱退する。ジェフの代わりにテリー・ウィリアムスが加入し、レイのパートはマーティン・エースが引き継ぐことになる。

 マンはレコード・レーベルを当初のパイから、ユナイテッド・アーティスト・レコードに移籍。1970年10月に2週間で『マン』(Man)を録音。ドイツ・ツアー中に書いた曲の素材を、イギリスに持ち帰り、アルバムを完成させた形だ。その後再びドイツに渡り、ツアーに戻る忙しい日々を過ごした。翌71年3月のベルリンで開かれたロンドン・ウィーク・フェスティヴァルでは、イエスやソフト・マシーンらとともに出演。彼らの晴れ舞台となるはずだったが、何とテリー・ウィリアムスが出演の数日前にサッカーに興じ、つま先を骨折する。急遽ロン・ホウデン(Ron Howden)を代役に向かえ、何とかショウを成功させたマンだった。

 この頃になると、マンはドイツでの仕事が主となり、ドイツに彼らは居を移した。しかしアルバムの録音と製作はイギリスで行っていた。そのためマンは、レコーディングの目的だけにイギリスに戻り、そしてまたドイツに渡るという日々を過ごしていた。スタジオ・アルバムとしては4作目となる『ドゥ・ユー・ライク・イット・ヒア・ナウ』(Do You Like It Here Now, Are You Setting in Alright?)(71年)をウェールズのモンモースで録音。その期間はわずか1週間だったが、メンバーは皆、故郷の自然を楽しんだという。このアルバムは1971年11月にリリースされた。

 アルバムのリリースに伴うツアーでは、そのほとんどはヨーロッパだったが、12月にはイギリスを1ヶ月かけて回る。このツアーのおかげで、ようやくイギリス本土でもマンはカルト的な人気が出るようになってきた。だがこの状況の下、ツアーに疲れ果てたクライヴ・ジョンがバンドを脱退する。

 そこに元アイズ・オブ・ブルー(Eyes of Blue; ウェールズはニース出身のバンド)のフィル・リアン(Phil Ryan)(Keys & Vo)と、元クイックサンドのマイケル“ウィル”ヨウアット(Michael "Will" Youatt)(1950年2月10日、ニース生まれ)(B & Vo)が加わる。一方でマーティン・エースが愛妻のジョージと新しいバンド、フライング・エースズ(Flying Aces)結成のために脱退。クライヴが戻り、結果的にバンドは、ミッキー・ジョーンズ(G & Vo)、ウィル・ヨウアット(B & Vo)、クライヴ・ジョン(G & Vo)、テリー・ウィリアムス(Dr)、フィル・リアン(Keys & Vo)となる。

 再びドイツに戻った新生マンは、古くからのファンにも迎え入れられるが、ここでまたしてもクライヴ・ジョンが脱退を表明する。3週間、4人で活動したマンは、オーディションでスウォンジー生まれのアラン“トウィーキー”ルイス(Alan "Tweke" Lewis)(G)を迎え入れる。アランは何と当時19歳だった。そして2枚組みの『バック・イントゥ・ザ・フューチャー』(73年)を1973年9月にリリース。1枚目のLPにスタジオ録音(A面がルイス加入前の4人による録音で、B面がルイス加入後の録音)が、2枚目のLPにルイスを含めた5人によるロンドンでのライヴが収録された変則的な構成になっている。まさに過渡期のアルバムだが、メンバー・チェンジが多く、複雑なマンらしいアルバムと言えるかもしれない。

 この後もメンバーは安定しない。どうやら“人事異動”は、マンの活動内容の中心に据えられたようだ。73年の暮れにはフィル・リアンとウィル・ヨウアットがバンドを去る。代わりに、元ヘルプ・ユアセルフのマルコム・モーリー(Malcolm Morley)(Keys & Vo)とケン・ウェイリー(Ken Whaley)(B & Vo)が加わった。更にディーク・レナードが復帰(!)し、『ライノス・ワイノス・ルナティックス』(Rhinos, Winos and Lunatics)(1974年)を5月にリリース。だが夏にはマルコム・モーリーが脱退。残った4人で『スロウ・モーション』(Slow Motion)(1974年)を製作。これは10月にリリースされた。

 75年アメリカ・ツアー中には、ケン・ウェイリーが脱退。そこでテリー・ウィリアムスがウェイリーの代わりに白羽の矢を立てたのは、何と、マーティン・エースであった。エースはアメリカまで向かい,マンに合流。続くヨーロッパ・ツアーが終了すると、しかしながら、エースはまたもや脱退してしまう。


1976年頃

 フィル・リアンが復帰し、オーディションでジョン・マッケンジー(John McKenzie)が加入する。そして70年代最後のスタジオ・アルバムとなる『ウェールズの魔術師』(Welsh Connection)(76年)を1976年3月にリリース。この年の暮れ、ディーク・レナードが再び脱退を決意し、マンはついに解散に至った。

 1976年12月10日から12日に、最後となるコンサートが、解散を公表した上で開かれた。その時の模様は『オールズ・ウェル・ザット・エンズ・ウェル』(All’s Well That Ends Well;終わりよければ全てよし、の意味)(77年)として翌年にリリースされた。なお、この解散コンサート後も数公演をマンはこなし(!)、最終的には1976年12月16日が彼らの最終公演となった。

 ここで終わりと思いきや、83年にマンはミッキー・ジョーンズ、ディーク・レナード、マーティン・エース、ジョン・ウェザースのメンバーで再結成をし、再びシーンに返り咲く。

 しかし恒例の(?)脱退/交代劇は続き、まずは96年にウェザースは頸。代わりにテリー・ウィリアムスが復帰。だがそのウィリアムスも、翌97年には脱退する。その穴を埋める役割として、ボブ・リチャーズ(Bob Richards)が加入。98年にはフィル・リアンも復帰するが、ミッキー・ジョーンズが脳腫瘍を患い、脱退。息子のジョージ・ジョーンズ(George Jones)がその代りを務める。ミッキー・ジョーンズは治療が終わるとバンドに復帰。だがその日にディークが脱退。2005年にはミッキー・ジョーンズの脳腫瘍が再発し、彼の代わりにエースの息子、ジョシュ・エース(Josh Ace)が加入した。このメンバーで『ダイアモンドと石炭』(Diamonds and Coal)をリリースした。

 そして2008年10-11月にマンは、マニック・ストリート・プリーチャーズの故郷でもあるブラックウッドのスタジオに入る。だが結果は惨憺たるものだった。アルバムが生まれないばかりか、バンドのメンバー間の仲まで険悪になる。結果、ボブ・リチャーズとジョージ・ジョーンズがバンドを去り、マーティンらは新たにメンバーを加え、活動を再開。ドイツで新曲を録音し、2010年4月にKingdom of Noiseをリリースする運びとなる。

 2017年1月31日、訃報が届いた。長年、バンドの立役者の一人でもあったディーク・レナードがなくなった。享年72歳。2004年にバンド、Icebergsを結成し、2012年まで現役で活動していた。





[アルバム(選)]
Revelation (68)
 いい意味で、時代を封じ込めた作品だ。残響音をたっぷりかけたドラムや、左右のチャンネルに降られた神経を細かく刺激し続けるギターとオルガンなど、スペイシーなサイケデリックが冒頭から存分に展開されている。だがそれはマンの世界への招待券でしかない。その音楽は猥雑さな"Erotica"(家族のいる人は大音量でかけないほうが無難!)やパブ・ロックの"Blind Man"、チャイコフスキーのピアノ協奏曲の冒頭のメロディをアレンジした"And Casles Rise in Children's Eye"やバッハをもじったメロディも入れた"Don't Just Stand There"など、次々と姿を変えていく。ヴァラエティに富んでいるが、マンの音楽に馴染みない人には散漫に聞こえるか。

2 ozs of Plastic with a Hole in the Middle (69) (レーベル名 / カタログ番号)
 カモメがなき、ギターの描く丘の田園風景が、牧歌的に流れていく。これが"The Storm"と名づけられているので、首をかしげてしまう。だが、これがマンの面白いところなのだろう。だがRevelation に較べると、灰汁が弱くなっているのは否めない。Revelation がアイデアの宝庫だとすれば、こちらはその中で聴き易い部分を取り出し、噛み砕き、チューインガムのように引き伸ばせるだけ伸ばしたような印象を受ける。決して悪い作品ではない。だが、人をひきつける強烈な個性が薄いのも事実。

Man (70)
 セルフ・タイトルのアルバムは、通常、ファースト・アルバムや自信作に使われる。ここではやはり、前2作の営業的な失敗において、レコード・レーベルも代わり、仕切りなおしということなのだろう。仕切りなおし1作目と本来のファースト・アルバムのジャケットがともにヌード(こちらは絵画だが)という共通点が面白い。全5曲収録のうち、3曲がパブ・ロックで、2曲がサイケデリックな器楽曲という構成だ。こう書くと、パブ・ロックのテイストが強いように思えるかもしれない。だが器楽曲の1曲"Alchemist"は20分を超える、LP片面を占める大曲だ。どこか茫洋としているこのB面を聴いていると、これが不思議と雲が垂れ込めるウェールズの丘にも思えてくる。
 2006年から2007年にかけて、本作はCD化されている。欧州盤は通常のCDケースで、豪華なカラー・ブックレットとボーナストラック付だった。もちろん、リマスターされている。一方日本盤は24ビット・リマスターだがこれは日本人の手によるもので、紙ジャケを採用した。1枚の紙にモノクロ印刷された解説が封入されていたが、ボーナストラックはない。

Do You Like It Here Now, Are You Setting in Alright? (71)
 4作目。ここで再び、音楽の方向性が変わる。これまで曲の多くにみられたメジャー・キーではなく、マイナー・キーの大幅採用である。実際、これまでのマンの作品はメジャー・キーが大半を占めた。同時に、その緩やかなテンポから、作風は茫洋とした印象があった。しかしながらこのアルバムの曲のうち半分がマイナー・キーを占める。これが緊張感を生み、更にブリティッシュ・サイケデリック風の音と相俟って、非常によい音を作り出している。欧州盤にのみ収録されたボーナス・トラックの"Romain"のライブ演奏(原曲はManに収録)は、18分近い熱演だ。パブ・ロックに始まり、次第に器楽曲へと流れていくが、これが実に素晴らしい。退屈とは無縁である。
 2006年から2007年にかけて、本作はリマスターされた上で、CD化されている。欧州盤は通常のCDケースで、豪華なカラー・ブックレットとボーナストラック付だった。なお日本盤は仕様が異なり、日本人エンジニアによる24ビット・リマスターで、紙ジャケを採用した。1枚の紙にモノクロ印刷された解説が封入されていたが、ボーナストラックはない。

The Welsh Connection (76)
 なぜか日本盤のタイトルは『ウェールズの魔術師』となっている。原題を訳せば『ウェールズつながり』。パブ・ロック然たる曲ばかりが並んでいるが、ところどころでサイケデリック風のメロディが顔を出す(特に3曲目!)。何でもごちゃまぜにするマンらしくて面白い。やや長めのアナログ・シンセのソロなど、時代を感じずにはいられないが、マンの中では非常に落ち着いたアルバムとなった。一方で、歌詞には未来のないウェールズの姿が投影されており('The Ride and the View'、'Welsh Connection'、'Born With a Future'など)、これがマン自身の姿にも重なってくる(実際、このアルバムをリリースした後、マンは解散に踏み切るわけだが)。アルバム全体を貫くある種の「暗さ」は、このようなところからきているのかもしれない。

All's Well That Ends Well (77)
 1976年12月10日から12日にかけて行われた、解散コンサート(実際の最終コンサートは12月16日だが)を収めたのが本作だ。タイトルのAll's Well That Ends Wellは、シェイクスピアの同名劇からの引用。ちなみにシェイクスピアの劇のほうは問題作で、劇中の混乱がタイトルにもなった台詞で全てチャラにされる。マンのほうはというと、解散コンサートながら(くどいようだが、その後、数公演を彼らはこなしている)バンドの歴史集大成的な雰囲気も、また、悲惨な雰囲気もない。どちらかというと、解散も決まり、その開放感からか、タイトルの通りの「終わりよければすべて良し」とばかりに、かなりリラックスした音を聴かせる。肩の力が抜けている分、演奏に余裕が感じられる。ロックであれば全て良し、という感じだ。5曲目から8曲目(アナログならばB面)では、其々がアドリブをかまし、各演奏時間が7分から8分におよぶ熱演だ。通常、ラスト・アルバムは(特にライブ盤は)初心者には勧められない。だがこのアルバムには別。最高にノリのいい演奏を聴かせてくれる。もっともこれがマンの音楽全てだと思いこむと、最初期のサイケデリックに触れた時に面食らうだろうが。

Kingdom of Noise (2010) (POiNT / PNTVP135CD)
 長いバンド活動の中には、様々なことが起きるが、マンはそれが常套化しているようだ。アルバム製作中に二人がバンドを脱退し、そのため、ドラムは二人の別々の奏者が叩いている。音はマンらしいパブロックが中心。一方で4曲目“Russian Roulette”は展開の早く、大仰なブラス(シンセサイザーによるものだろう)を迎えた1曲で、バンドの音に変化を与えている。また表題曲“Kingdom of Noise”ではジャジィな楽器に、60年代風のメロディが被さる。一筋縄ではいかない音だ。なお全曲エース親子のペンによる。





[リンク]
 The Man Homepage ... オフィシャルかと思いきや、熱心なファンによるサイトのようだ。
 The Manband Archive ... マンに関する英語サイト。バンドの歴史も細かく書かれ、かなり充実している。




ウェールズ?! カムリ!
文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2008-2018: Yoshifum! Nagata








「ウェールズを感じる――ウェールズから響く音楽――」へ。
サイト・トップはこちら。