ウェールズを感じる
――ウェールズから響く音楽2:クラシックおよび現代音楽――



■ジョセフ・パリー(Joseph Parry) 作曲家
 イギリスの合唱好きの人ならば、一度は賛美歌の「アベリストウィス」を耳にしたことがあるだろう。ウェールズの音楽が好きならば、幾度となく聴いたことがあるはずだ。この「アベリストウィス」を書いた人こそが、非保守的で自由奔放なこの人物、ジョセフ・パリーである。

 ジョセフ・パリーは南ウェールズの鉱山の村、マーサーティドヴィル(Merthyr Tydfil)に1841年に生まれる。幼少期をそこで過ごしながら、自然と炭鉱業に従事するようになる。最初にこの業界に関わったのは、9歳だったそうだ。

 1854年、バリー13歳の時、家族とともにパリーはアメリカのペンシルヴァニア洲ダンヴィルへと渡る。当時はアイルランドのみならずウェールズからも、より良い生活をアメリカ大陸に求め、移民を試みるものも少なからずいた。余談ながらウェールズ人入植者の居住区としては有名なアルゼンチンのパタゴニアに、ウェールズ人の居住区が出来たのは1865年である。

 ダンヴィルは様々な意味で、バリーを成長させた。彼はここで鉄鋼業に従事する傍ら、音楽に目覚め、音楽を学ぶようになる。この地で後に生涯の伴侶となるジェーン・トマスと知り合い、結婚している。1867年にフリーメイソンに参加したのも、この地だ。だがバリーにこの地区が与えたもっとも大きなものは、ウェールズ文化だった。

 ダンヴィルの地では、大規模なウェールズ・コミュニティを開いた。当然のごとく、このコミュニティはウェールズ文化を大切にし、コミュニティが子どもたちに自国ウェールズの文化を教える役目を果たしたのだ。パリーはそのコミュニティの中でウェールズ文化に取り囲まれ、自然に自国の文化を吸収していく。

 このコミュニティがウェールズ文化の伝承に熱心だったことの現われとして挙げられるのが、アイステズヴォッドの開催である。もともとアイステズヴォッドは、村や地域ごとで予選として、小規模のアイステズヴォッドを開催し(小文字の"eisteddfod"と表現される)、この地方予選を勝ち抜いたものだけが、全国規模のアイステズヴォッド(頭文字が大文字の"Eisteddfod"と表記される)に出場することができた。ダンヴィルのウェールズ・コミュニティは、小規模のアイステズヴォッドを開催したのである。

 パリーはここで賞を勝ち得、更に故郷ウェールズの全国規模のアイステズヴォッドにも出場。1863年にスウォンジーで開催されたアイステズヴォッドで、パリーは賞を勝ち得た。翌年のスランデュノで開催されたアイステズヴォッドでも入賞していることからも、パリーの手腕の高さが伺えよう。彼はこの手腕を買われ、「バルズの玉座」(Gorsedd)と呼ばれるバルズの集団に加わっている。ここでパリーは、「アメリカのペンケルズ」と名乗った。

 1868年から1871年の間、ロンドンの王立音楽大学で学んだ後、バリーはアベリストウィスに移住。アベリストウィス大学の初の音楽教授となる(1873年-1881年)。保守的な大学経営陣とは、幾度となく対立したようだが、その一方で、この時期は音楽的にも充実した時期であった。バリーは1875年には彼の人気作品である「マヴァヌイー」が出版され、フリーメイソンとの関係を示唆する「握手」("Ysgytwad y Llaw")も作曲されている。

 翌1876年には初のウェールズ語オペラとなる『ブロドウェン』が完成した。『ブロドウェン』は1878年5月21日にアベリストウィスのテンペランス・ホールで初演され、以来非常に好まれ、1896年までに世界中で500回以上演奏されている。翌1879年には、チャールズ・ウェスレー(※メソジストの創始者ジョン・ウェスレーの弟で、数多くの讃美歌を残している)の英詩に曲をつけ、「アベリストウィス」の名の下発表している。

 大学を辞職したパリーは、スゥオンジーに移り、1888年までそこで過ごす。ここで彼は私立の短期大学を設立している。その後、新設されたカーディフ大学で音楽講師の職を得た。

 1903年2月17日、61歳の若さでパリーは亡くなった。生涯で6つのオペラ、オラトリオを2曲、さらには「アベリストウィス」や「マヴァヌイー」などの人気の高い賛美歌を残している。

 



[アルバム(選)]
Blodwen (2006) (Sain / SCD2405)
 1978年にBBC Walesによる録音(当時、この演奏はラジオで生中継された。)をウェールズ最有力レコード・レーベルのSainが、ようやくリリースしてくれた。ジョセフ・パリーによる最初のウェールズ語オペラ『ブロドウェン』は、意外にもCDリリースはこれが始めてである。演奏はメナイ・ミュージック・フェスティヴァル・オーケストラで指揮はジョン・ハウエル。主人公のブロドウェンを演じるのは、ソプラノ歌手であり、現在はBBCウェールズ合唱団の指導も務めるミリアム・ボウェンだ。
 全3幕にわたるこのオペラは、マエロル城でのアルスルとエレンの結婚式で幕を開ける。全体を通して非常に華やかである。話の筋は以下のようなものだ。ハウエル卿はブロドウェンに愛を告白するが、折り悪くイングランド王ヘンリーがウェールズへと侵攻してくる。ウェールズ大公の呼びかけの下、アルスル、ハウエル卿らは戦いに赴く。だがアルスルは戦いの傷がもとで死に、ハウエルは捕われの身となる。特別な許可を得てブロドウェンは獄中のハウエルを訪れるが、アルスル同様傷を負ったハウエルの死期もまた近づいていた。嘆き悲しむ彼らのところに届いたのは、イングランド王死去の報せ――と、恩赦による囚人釈放の報せであった。





[リンク]
 Merthyr Tydfil Museum... マーサー・ティドヴィルにあるジョセフ・パリー・コテージの行政側による紹介サイト。英語とウェールズ語のバイリンガル。(※サイト名が表記されていないので仮のものを紹介しておきます)

 この作曲家に関するウェブ・サイトの情報をお待ちしております。




ウェールズ?! カムリ!
文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2008-2010: Yoshifum! Nagata








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