ウェールズを感じる
――ウェールズから響く音楽2:クラシックおよび現代音楽――



■アン・グリフィスズ(Ann Griffiths) 賛美歌作家
 パンティーケランと並んで愛される、名高い賛美歌作家のアン・グリフィススは、現在のウェルッシュプールの近くでその生涯を過ごした。

 1776年、ドルアル・ヴァク(Dolwar Fach)の裕福な家に生まれる。アンは病気がちな子供であったが、その一方で知的で、特に踊りを好んだという。

 アンの家族で最も早くメソジストに加わったのは、兄のジョンだったという。また父親は元来熱心な信者であったが、ジョンに続きメソジストの説教を聴き、回心体験を得る。そして家族をメソジストのメンバーに入れるようになる。

 アン自身の回心経験は、1796年となる。この時、スランヴィスリン(Llynfyllin)でプタリ(Pwllheli)のベンジャミン・ジョーンズ(Benjamin Jones)の説教を聴く。そして翌97年にメソジストに加わった。その後のアンの人生は、神への堅信とメソジストとしての活動にささげられることになる。そして彼女の暮らすドルアル・ヴァクはメソジストの布教と説教の中心地となり、1803年には正式に礼拝の場所となる。

 父親が1804年2月に死去すると、その年の10月に結婚し、翌年7月に娘を出産する。だが娘は2週間後に死亡。アン自身も、それから程なくして死去した。その亡骸はスランヴィハンゲル・アング・ングインヴァ(Llanfihangel yng Ngwynfa)の教会の庭に埋められた。

 聖書的なイメージとカルビン派メソジストの理論を基本としながらも、自分の宗教経験やメソジストの集会の雰囲気を反映させた彼女の賛美歌は、しかしながら、自身のために書かれたものだと思われる。だが非常に残念にことに、そのほとんどが書き留めらなかった。

 現在残っている作品は、アンの死後、アンのメイドでもあったルス・エヴァンス(Ruth Evans)が、アンの死を悼みまとめたものだ。その数、74。自身の霊感を信じ、その赴くままに宗教体験を告白するメソジストだけに、アンは即興に近い形で賛美歌を生み出していったのではないか。だとすれば相当数の賛美歌が生まれ、そして、書き留められないまま失われていったのかもしれない。だとすればまことに残念だ。

 アンの書いた讃美歌はどれも評価が高い。その中でも“Er mai cwbl groes i natur ...”“O! am gael ffydd i edrych...”が傑作とされている。またソーンダース・ルイスは、アンの最も長い詩となる“Wele'n sefyll rhwng myrtwydd ...”を、ヨーロッパで書かれた最もすばらしい宗教詩と評価している。

註・・・ 当時、メソジストは独立した宗派ではなく、英国国教会の中の一集団だった。




[アルバム(選)]
Ann! / Cwmni Theatr Maldwyn(2004) (sain / SCD2446)
 本作はウェールズ語民間放送局S4Cが、2003年のアイステズヴォッドのために企画・製作したアン・グリフィスズの生涯を描いたミュージカルを元に製作された。ミュージカルの台本および楽曲を手がけたのは、ペンリ・ロバーツと総合監督でもあるデレク・ウィリアムス、更に音楽監督を勤めたリンダ・ギッティンスの三人。ここで聴かれる曲は、どれもオリジナル(一部の曲ではアンの名前もクレジットされている)。曲は基本的にポップスだが、時に合唱が混ざり、非常に聴きやすい。曲はこのCDのために、オリジナル・キャスト200名で新たにスタジオで録音された。また台詞は一切排除。そのため非常に綺麗な音で、純粋に音楽のみを楽しむことができる。



[リンク]
 Cardiff University - Ann Griffiths Digital Website ... アン・グリフィスズに関する研究をまとめた英語サイト。カーディフ大学に基盤を置く、研究者たちが数多くの研究を公表してくれている。




ウェールズ?! カムリ!
文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2003-2012: Yoshifum! Nagata




主要参考文献
Jones, J. Graham, The History of Wales, (University of Wales Press, 1990)
Johnston, Dafydd, The Literature of Wales, (University of Wales Press, 1994)




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