ウェールズを感じる
――ウェールズから響く音楽1:ポピュラー・ミュージック――



■アンレーヴン(Anhrefn) 歌/ウェールズ語
 アンレーヴンとは、ウェールズ語で「無政府状態」(anarchy)、混乱(mess)などを意味する。これらの言葉から連想できるだろう。彼らが当初影響を受けたのは、セックス・ピストルズやクラッシュなどのパンク・ミュージックだった。

 アンレーヴンは、確かに同年代のパンク・バンド同様、行き場のない怒りを音楽にぶつけた。ただ、彼らが同時代のパンク・バンドと異なった点が、ひとつある。それは多くのパンク・バンドが、パンクという音楽形態を不満の捌け口としてのみ使用したという点だ。故にたとえ政治的な内容を歌っても、それは一過性のものにすぎなかった。従って彼らのほとんどは、ある一定時期を過ぎれば消えていった。喉もと過ぎれば熱さ忘れる、のごとし。

 しかしアンレーヴンの怒りは、真摯なものだった。彼らは自らの言葉である、ウェールズ語の置かれた現状に対し、怒りをぶつけた。そしてそのウェールズ語による音楽実践を、政治的なメッセージとして自らの音楽に乗せた。そして後の若者たちに「自分たちの手によるウェールズ語の新しい音楽」という道を開いた(詳しくは拙著『ケルトを旅する52章』(明石書店)参照のこと)。

 つまりアンレーヴンは、80年代にウェールズ語による音楽を提唱し、実践するにあたって重要な役割を果たした。その役割は、自らがバンドとしての活動を終えた後もひとつの道として残ることになる。それがアンレーヴンが他のパンク・バンドと異なるところであり、ウェールズ音楽においても重要なところである。

 アンレーヴンは北ウェールズのバンゴールを活動の拠点に、83年から93年まで精力的に活動した。そのライヴの数は、年間300を超えたとも言われている。結成当初のメンバーは、ウェールズ語を第1言語とするシオン・セボン(Sion Sebon)(Vo&G)、リース・ムーイーン(Rhys Mwyn)(B)、デウィ・グイーン(Dewi Gwyn)(G)、ヘヴィン・ヒュース(Hefin Huws)(Dr)だが、メンバーの入れ替わりが激しく、総勢15名もの人間が出入りした。

 アンレーヴンの音楽は、ウェールズ内に留まらない活動を目差していた。まずはアンダーグラウンド・シーンで成功を収めた彼らは、次いでデビュー・アルバムDefaid Skateboard a Wellies(87年)をリリースする。このアルバムで、彼らはオーヴァーグラウンドに踊り出た。更にはイギリスを飛び出し、ヨーロッパ各国で成功を収めることになる。翌88年には、ジョー・ストラマーとともにツアーに出ている。そして彼らは、英語の市場で初めて受け入れられたウェールズ語のバンドとなった。

 84年には、自身のレーベルRecordiau Anhrefnを設立し、数多くのLPをリリースする。このレーベルは同時に、ウェールズの新しいバンドの音楽を世に出す役目も果たした。このレーベルの活動がジョン・ピール(註:BBCで活躍する最も有名なDJ)の目にとまった。ピールは彼らのレーベルのレコードをBBC Radio 1で紹介し、更に、アンレーヴンをBBCの有名な音楽番組、ジョン・ピール・セッションに3回招待した。

 アンレーヴンは同時に1987年に海外のレーベルWorker's Playtimeと契約、ウェールズ語のバンドとしては初の海外レーベルと契約したバンドとなる。そのレーベルでDefaid, Skateboards & Wellies(1987年)と、Bwrw Cwrw(1989年)と題された2枚のアルバムをリリース。その後、ダヴィズ・イワンが若者向けの音楽のためにサイン・レーベルの傘下レーベルとして設立したCraiと契約、シングル“Rhedeg i Paris”(「フランスへの路」の意味)をリリースした。 この“Rhedeg i Paris”は、アンレーヴンの代表曲となる。


Defaid, Skateboards & Wellies

Bwrw Cwrw


 その後、中心人物のリース・ムーイーンは裏方に回り、Craiレーベルからウェールズの音楽家を排出した。その中にはカタトニアやビッグ・リーヴスなども含まれる。

 リース・ムーイーンのアンレーヴンでの活動やインディペンデント・レーベル設立、Craiでの活動などを高く評価したBBCラジオ・カムリは、2002年にウェールズ音楽への傑出した貢献への功労賞(the Outstanding Contribution to Welsh Music Award)を送った。同名の賞を、翌2003年にウェールズ音楽賞(Welsh Music Awards)から送られている。





[アルバム(選)]
hen wlad fy mamau (land of my mothers) - Post-Punk Post-House Post- Welsh (2000) (Crai/Sain / Crai CD071)
 アンレーヴンの作品のほとんどはLPだ。そのため、編集盤CDの本作をここにあげた。だが、正直言うと、今でも迷っている。それは、本作が編集盤である、という理由ではなく、ここに収められた曲の多くが、処女アルバムDefaid Skateboard a Welliesで聴かれる音楽とは、全く異なる性質のものだからだ。パンク然たる曲は、全18曲のうち(うち1曲は導入部)、12-16曲目の計5曲のみである。残る12曲は、全てデトロイト・テクノに通ずるようなハード・ハウス。だが、それが面白くないか、というと、その逆である。どれも楽曲の完成度が高い。そればかりか、むしろ、形態化したロックやパンクに背を向けるように、新しい音楽に果敢に挑む彼らの姿からは、真のパンク魂が見受けられる。特に、賛美歌の合唱を打ち砕くように始まる、4曲目のブレイク・ビーツの疾走感は、快感ですらある。緩やかな7、9曲目、アンビエントな8曲目、唯一英語で歌われる14曲目(コール・ポーターのカヴァー曲)など、楽曲のヴァラエティも富んでいる。アルバムとしては、お勧めだ。




[リンク]
 Anhrefn ... アンレーヴンの公式MySpace。

 Anhrefn ... Link2Wales内のアンレーヴンに関するページ。Link2Walesのトップはこちら

 Cafodd y cylchgrawn ... デウィ・グイーン(Dewi Gwyn)のサイト。アンレーヴンの処女アルバムの曲とライヴ演奏(ともにmp3)を聴くことができる。サイト中央の“Yr Anhrefn”をクリック。  ※残念ながらリンク切れになっています

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ウェールズ?! カムリ!
文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2003-2013: Yoshifum! Nagata








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