ウェールズを感じる
――ウェールズから響く音楽1:ポピュラー・ミュージック――



■60FT・ドールズ(60ft Dolls) 歌/英語
 ウェールズには生き急ぐような人々がいる。彼らは短命に終わりながらも、強烈に輝き、そして、唯一無二の個性を形見に残す。ディラン・トマスしかり。ヘッズ・ウィンしかり。この南ウェールズはニューポートの産業地帯から現れた60FT・ドールズ(60ft Dolls)も、短いバンド生命の中で強烈に輝き、そして、散っていった。その後に残されたアルバムは、紛れもない強烈な個性を放っている。

 元The Truthのリチャード・パーフィット(Richard Parfitt)(Vo & G)は、トラックの運転手だった。マイク・コール(Mike Cole)(B)は、製鉄所に勤めていた。ともに南ウェールズのニューポート出身である。彼ら2人はそのニューポートで出会い、そして、音楽活動をともにするようになる。

 南ウェールズのニューポートといえば、ステレオフォニックすらを排出した、今やウェールズ・ポップスの登竜門ライヴ・ハウスTJ'sがあることで音楽ファンには知られている。だが同時に、この町は鉄鋼業の町でもある。しかし彼らが出会った当時、すでにサッチャー政権が推し進めた合理化政策により、町の大部分の産業は日本企業に売り渡された後だった。町にあふれるのは、食わねばならぬために工場で単純作業にいそしむ人びとの姿ばかり。リチャードは、怒りを交えながら次のように語る――「サッチャーが俺らをジャップ(原文ママ)に売ったんだ。そして今、1時間3ポンドの金のために、男たちが電池を包んでいる。人びとは打ち負かされた表情をして、あたりを歩き回っている。ここは敗者が満ちた町なんだ」1

 リチャードとマイクも失業者だった。いわば、サッチャー政権合理化政策の被害者だったのだ。音楽の嗜好が共通した彼らは、政府が支給する失業手当を受けながらも、音楽活動を始める。93年の秋だと伝えられている。

 既にこの時、リチャードとマイクはともに20代半ばを過ぎていた。ここに、同じくニューポート出身だが、若い――21,2歳だったようだ――カール・ビイヴァン(Carl Bevan)(Dr)が加わる。そして60FT・ドールズが完成する。リチャードとマイクの2人は、ある種似た境遇を持つわけだが、カールは違う。カールは、「ロックする」牧師としても名を知られるレイ・ビイヴァン牧師(the Reverend Ray Bevan)2の息子である。年齢もおかれた境遇も異なる彼らだったが、音楽的嗜好が共通していたことが幸いした。

 60FT・ドールズは、地元ライヴ・ハウスTJ'sでのライヴを皮切りに、次第にウェールズ内外へと活動の場を広げていった。94年、インディーズ・レーベルのタウンヒル(Townhill)から“Happy Shopper/ London Breeds”でデビュー。翌95年にはラフ・トレード・レーベルと契約を結び、CDシングル“White Knuckle Ride”(95年5月)をリリース。このシングルでは、表題曲のほか、“No.1 Pure Alcohol”と“Piss Funk”の2曲が入っていた(“No.1 Pure Alcohol / White Knuckle Ride”の7インチ・シングルもある)。

 ラフ・トレードが倒産したがために、60FT・ドールズはインドレント・レーベル(Idolent label)に移る。同年10月の“Pig Valentine”を含む3枚のシングルをリリース。96年2月には、BBCの「ピール・セッションズ」にも出演した。そしてようやく96年5月(日本は6月、アメリカは翌年の1月)に、フル・アルバム『ザ・ビッグ・3』(The Big 3)(97年)がリリースされた。デビュー・シングルにもなった“Happy Shopper”の新録音も含めた本作を引っさげ、彼ら60FT・ドールズは早くも9月に来日公演を行った。そしてアメリカをツアーし、ヨーロッパのフェスティヴァルに出演するなど精力的な活動を続ける。

 98年4月、2種類の収録内容を持つシングル“Alison's room”をリリース。順調に思えた彼らだったが、2枚目のアルバム『ジョヤ・マジカ』(Joya Magica)の発売を控え、インドレント・レーベルから契約を解除される。プロモ盤も製作されながらも解雇された理由は、レーベルの建て直しを図るためだったらしい。

 その結果、『ジョヤ・マジカ』は日本でのみ、まずは98年に10月にリリースされた。翌99年3月には、彼らは再び来日公演を行っている。翌4月、リチャードは単独でカタトニアのスランゴレンでのショウにゲストとして出演。60FT・ドールズの曲を、アコースティックで披露している。

 イギリスでは、『ジョヤ・マジカ』は、この年の8月にリリースされた。そしてバンドは、解散した。

 2001年5月、60FT・ドールズのフロント・マンだったリチャード・パーフィットが、アージ・オーヴァーキルのナッシュ・カトウの個人的な要請により、ステージに戻ってきた。2002年3月には、初のソロ・アルバムHighlights in Slow Motionをリリースしている。


  註
  1. Emma Forest, "Land of my fathers, poets and punks"
  2. レイ・ビイヴァン牧師は、2006年2月現在でもニューポートのキング教会(King's Church)の牧師を勤める。キリスト教の福音をロックの曲に載せて伝えることで知られる。詳細は、教会の公式サイトにて。





[アルバム(選)]
the big 3 (96) (BMG / BVCP-938)
 冒頭からほとばしるエネルギーの激しさに、頭脳を吹っ飛ばされる。確かにヴォーカルは不安定なところもあるし、詞の稚拙さは隠せない。ギターの効果的なフィード・バックを除けば(このフィードバックのおかげで彼らのオリジナルティが出ている)、ギターにしてもベースにしても、演奏上の技巧においては特筆することもない。だがそれらの欠点を補っても有り余るほどのエネルギーが、このアルバムからはあふれてくる。サッチャーによって職を奪われた産業の町にたむろする、行き場のないフラストレーションの塊を、彼らはバンドという表現手段を用いて表現した。いや、表現したというよりは、噴出させたと言ったほうが良いかもしれない。個人的には「ハッピー・ショッパー」(幸せな買い物客)「No.1ピュア・アルコール」「ストリームラインド」(“stremlined”は「簡素化された」「新式の」という意味で、サッチャー政権がとった合理化政策につぶされた自分たちの町の産業のことを歌っている)「ルーザー」(敗者)に見られる、政府の合理化政策によってつぶされた町の姿を鮮明に描く彼らの力量を評価したい。





[リンク]
 60ft Dolls Memorial page ... 60FT・ドールズに捧げられた、英語によるファン・サイト。
 Unofficial 60ft Dolls Home Page ... 日本語ファン・サイト。かなり詳細なデーターが並んでいる。このページを書く際に、参考にさせてもらっています。

 King's Church ... カール・ビイヴァンの父親、レイ・ビイヴァンが牧師を勤めるニューポートの教会の公式英語サイト。




ウェールズ?! カムリ!
文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2006: Yoshifum! Nagata








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