随想もしくは雑記
――ウェールズに関する、あるいは、ウェールズに関係ない、筆者の雑念・2015年度版――



2015年12月31日
 残りあと3分。武満の「エア」から「弦楽のためのレクイエム」を聴いている。

 久方ぶりに紅白を観た。否、正月料理をしながら聞いていた。最後にスコットランド民謡から、ドイツのベートーベンへの流れが何とも印象的だった。

 24日に主へ祈った。初めての心からの祈りだったかもしれない。

 そして今、新年を厳粛な思いで待つ。

 2016年が皆さまにとって良い年でありますように。

 汽笛が聞こえてきた。

2015年09月13日
 風に吹かれた。秋の風だった。

2015年09月08日
 少しは動けるようになった。少しばかり、断捨離の真似事をしてみる。

2015年08月31日
 10年以上ぶりになるだろうか。夏を日本で過ごしている。この暑さ、そして、湿気。堪える。どう対処してよいかわからない。

2015年08月27日
 酷いフラッシュバック。ウェールズの親友だけが助けになってくれる。

2015年08月17日
 @良くなった、と思ったら突然のフラッシュバック。

 A東京および近郊は、前日までで真夏日が連続29日。今日はひと段落。気温が、30度に届かなかったらしい。しかし、明日からはまた暑くなるらしい。どう対処して良いか、わからない。

2015年08月10日
 いつのころから、日本人は珈琲を好んで飲むようになったのだろう? 

2015年08月01日
 強烈な、フラッシュバックに襲われる。体が、軋み始める。痛みを通り越して、辛い。呼吸が浅いのが、幸いだ。これを越すと、呼吸を忘れてしまう。それにしても今回は、予め回避しようと思えば、できたはずだ。できずに、炎天下の中、同じ場所をぐるぐると、写真を撮りながら歩いていた。もうかなり回復したと思っていた。それだけに、辛い。きつい。一気に「音」も聴けなくなる。その中で、武満の「歌」のみが聴けるのが、幸いか。

 この文章を読み直してみても、今置かれた状況の異常さが際立っているのがわかる。それがまた、拍車をかけて辛い。否。文字が認識できるだけ、楽なのか。・・・ がほしかった。ただ、それだけだったのに。

2015年07月30日
 日付は便宜上の措置である。いずれも断片だが、書き上げることが出来なくなってしまったので、そのままあげておこうと思う。これでも、書こうと努力をしているのだ。

―― ―― ――

 最近、夢を見ることがある。それらの夢は、根底で世界観が繋がっている。

 眠っている間に見る夢とは、そういうものなのだろうか。これまで夢を見たことがほとんどないので、わからないのだが。

―― ―― ――

 cdを整理しつつ、専用の収納棚を眺める。今、大半のcdは売られていた時のケースから、薄いケースに入れ換えられ、棚に収まっている。

 よくこれだけのcdを聴いたと思う。同時に、もう一度聴きたいが、そのままになっているcdも数多いことを知る。

 まるで人生みたいだと思う。

―― ―― ――

料理をしている時が、もしかすると、一番幸せかもしれない、と、思う。

2015年07月18日
 10時間以上寝た。何年ぶりのことだろう。否。まったく、体が動かなかった。それほど、体が疲労していた――のか、耐性がなくなってしまったのか。

2015年07月17日
 2年という、年季の入った過度のストレスに、体が相当、やられてしまっている。そのため、耐性が非常に弱くなっている。ちょっとした負荷が、きつい。しかし体には、以前の姿が焼きついている。そのため、頭では今行動してはいけない、と思うのだが、体が無条件に動いている。その速度が、以前の2倍から3倍の遅さとなる。その遅さに驚く――ことに、慣れてしまった。

2015年07月13日
 状況は一進一退。非常に良い日もあれば、その逆もある。ただ共通しているのが、時間の経過の速さ。否。私の行動が緩慢なのだ。過去の過度のストレスのおかげで、免疫力というか、対抗力をほとんどなくしてしまったのだが、その煽りを喰らって、行動が緩慢になってしまっている。はっきり言えば、鈍い。それを、以前と無意識のうちに比べてしまう。それがつらい。

2015年06月29日
 @イギリスのバンド、イエスのベーシスト、クリス・スクワイア死去。あまりの突然のことに驚いた。スクワイアの功績は、70年代にリッケンバーガーを軽く歪ませた音で、唯一無二のフレーズを生み出したことに端を発する。「ラウンドアバウト」での空ピックを入れた奏法や、「危機」「燃える朝焼け」で聴かれるメロディアスなフレーズの数々は、それまでの「低音を支えるリズム楽器」でしかなかったベースを、「メロディ、ハーモニー、リズムを打ち出す」楽器という地位まで押し上げた。ある種孤高の存在であり、唯一無二の存在だった。冥福を祈る。

 A私自身かなり良くなっていた。だが、フィードバックは突然、訪れる。一進一退よりも、フィードバックがあると、多退になってしまう。

2015年06月11日
 これは再生の物語だ。

 深く傷ついた、一人の人間の再生の物語である。

2015年06月08日
 ここ数日、また書こうかな、と思い始めた。ここしばらく、本当に書けないでいたのである。しばらくとは――2年か。それとも、数週間か。またいつまで書けるだろうか、とも、思う。明日か。数日か。それとも、1年か。数か月前は、答えの出ない質問に絶望していた。今は、かるく受け流せる。少しは回復したようだ。――一時的であれ、うれしいことだ。

 それでもこれだけを書くのに、数日を要する。しかし、たとえ仮初であっても、書けることは嬉しい。

2015年03月19日
 時間的には、20日。日付変更線を越えた。だが、今の私には未だ19日だ。

 10ヶ月近く、ここに書いていなかった。書けなかった。確かにメールは書いている。原稿も、書いた。だが、普段の倍以上の時間がかかる。それと、友人の一言。

 加えて、突然、文字が認識できなくなる。先日はアラビア数字と漢数字が原稿に混在した。指摘を受けた。しかし、何のことだが、わからない。わかったのは、2日後。

 著作家としては、致命的である。

 いずれもストレスが原因。いや、確かに一時期と比べると、随分と軽くなった。しかし、体は2年、過度のストレスを体験して来ている。精神も2年、過度のストレスを経験してきている。体も、精神も、弱っている。

 その状態での、ストレスだ。

 幸い、見た目には私が苦しんでいることは、わからないらしい。良かった。だが、まとまった文章が以前のように書けなくなったのも、事実である。

2015年03月10日
 ストレスというのは、目に見えないから恐ろしい。また風邪や病のように、症状として表出しないから、理解されない。自分で一番わかるのが、呼吸のリズム。乱れたリズムの、浅い呼吸音を、他に音のしない部屋で意識する。すると、さらに辛くなる。

 もうひとつ、自覚するのが、行動の遅さ。たかだか数分でやっていことが、1時間かかる。気づくと、しゃがみ、うずくまっている。何を聴こうか考え、数10分がすぎる。これが自分の感覚としては、自分の周りで時間だけが過ぎていると感ずる。これが、実は怖い。

2015年01月01日(元旦)
 2015年は年跨ぎで、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」を聴いた。武満はこの曲のタイトルについて、「『レクイエム』という題をメディテーションとしても良かった」と述べている。古くなってしまった年へのレクイエム≪鎮魂歌≫として、新しい年へのメディテーション≪瞑想≫として聴く一方で、その逆の思いでも聴く。

 現在、3:14。初日の出まで、数時間ある。そのような時間ながら、時折、外からは笑い声が聞こえる。若者かな。楽しそうだ。新しい年に、そして、この元旦という日に、希望を無意識のうちに感じているのだろう。良いことだ。

 皆様にとって、本年が良い1年でありますように。







文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2015: Yoshifum! Nagata






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