随想もしくは雑記
――ウェールズに関する、あるいは、ウェールズに関係ない、筆者の雑念・2014年度版――



2014年12月31日(大晦日)
 今年もあと60分を切った。皆様、良いお年を。

2014年05月03日(世界報道自由デー)
 @少しばかりの休日を楽しんでいる。相変わらず、感情は不安定だ。ストレスに急激に押しつぶされた(想像できます?)かと思うと、何も感じない瞬間が僅かながら訪れる。

 A『スターウォーズ』のエピソード7制作が、公表された。しかしながら『スターウォーズ』好きの私でも、全く食指が動かない。理由は簡単。ジョージ・ルーカスが全く関わらないからだ。『スターウォーズ』も『13日の金曜日』や『スパイ大作戦(ミッション・インポシブル)』と同じ道を歩むことになるとはね。残念でならない。かつてカーディフ市立図書館に勤務していた、ジャバザハットの人形師は乗り気だそうだが。

2014年05月02日(緑茶の日)
 過日、観た映画(DVD)より3本。まず1本目は、『10ミニッツ・オールダー』(2002年)。本作は15人の映画監督が、10分という制限時間の中で制作した短編を集めたオムニバス映画だ。共通するテーマは“時間”。映画は2本に分けられ、それぞれ「イデアの森」(原題:The Cello)と「人生のメビウス」(原題:The Trumpet)という副題がついている。「人生のメビウス」にはストーリー性のある作品が、「イデアの森」には映像の叙事詩とも呼べるような作品が集められている。

 中でも白眉はゴダールの「時間の闇の中で」。ここでゴダールは「10分の映画を1本」という依頼を逆手に取るように、「1分の映画を10本」作り、それをまとめている。ここで行われるのは様々な映像のコラージュだが、いずれもある場面の最後の瞬間を描いている。その迫力ある映像の連続には、圧倒される。妙な緊迫感と現実感、そして、それらが組み合わされることで得られる、非日常的な浮遊感に、作品の奥深さを感ずる。

 『地球、最後の男』。2011年、アメリカ。宇宙ステーションで、1人任務をこなす主人公。彼は孤独と疎外感を克服するために、想像の物語をつむいでいる。日課はステーションの維持と、地球との更新。しかしある時、突然、地球との交信が途絶える。そして6年の月日が過ぎ、男はついに、地球への帰還を試みる・・・。

 現代の『2001年宇宙の旅』と称される本作は、非常にしびれる映画だ。『2001年宇宙の旅』よりはるかにわかりやすいが、同等の深みもある。イメージの連続を、観客があとで頭の中で再構成するという楽しみがある、久方ぶりの映画だ。ラストはオープンエンド。一方で、普段、邦画やハリウッドしか観ない人には、辛いだろうなと思う。

 『恋のロンドン狂騒曲』。2010年。ウッディ・アレン監督・脚本の映画。離婚した老夫婦と、結婚の危機を迎えたその娘夫婦らが織りなす恋のドタバタ喜劇を、ウディ・アレンが描く。老夫婦の夫にアンソニー・ホプキンス、その娘にナオミ・ワッツと豪華共演陣も魅力。

 音楽にやや古くさを感じるが、そこはウディ・アレン。独特の世界へと観客を冒頭の数秒で引き込む。監督によってはシリアスに描きそうな(否、描くことしかできない)離婚した老夫婦の恋物語を、ウッディ・アレンならではの軽妙なタッチで描く。アンソニー・ホプキンスの絶妙な演技も、素晴らしい。おすすめ中のおすすめ。

2014年05月01日(メーデー)
 @本日の最高気温24度。晴天。爽やかな一日だ。そのような気候の中、某私鉄は冷房を入れている。寒くてたまらない。どうかしているんじゃないだろうか。

 この私鉄、昨年、神奈川県の横浜から東京を経由して埼玉まで、延々と路線をつなげたことでニュースでもしばし取り上げられた。しかし線路をつなげただけで、乗客の利便性などは一切、考慮していない。

 そのひとつが料金。合計4つの鉄道会社の路線がつながったことになるのだが、料金は別途会計。たとえば横浜の先から乗車し、東京の池袋まで乗ったとする。すると3路線を乗車したことになり、初乗り運賃が3回課せられる。この春の消費税率値上げに伴う運賃改定の際にも、この点は全く改善されず。

 A今日は非常に不安定。夕方、頭の中でマニックスの「ジ・エヴァーラスティング」が鳴っていた。実際に、CDで聴いた。それだけで涙が出てきた。特に最初のシンセドラムの音。これが非常に静かな感動をよぶ。

 このストレス、何とかならんかな。

2014年04月27日(哲学の日)
 先日言われたのだが、私の普段の様子からはストレスが全く感じられないそうだ。良かった。いくら私のストレスがひどくても、他人には関係ないことだからね。ちなみに今日は仕事。日曜日に仕事とはね。他人には関係のないことだけどね。

2014年04月26日(世界知的所有権の日)
 @普段、絶対に公言は避けている類のことだが、どうしても一言だけ言いたい。今回の韓国での旅客船沈没事故は、あまりにも杜撰(ずさん)・悲惨すぎる。事故の原因、事故が起こった際の一部の行動、そして事後処理における数々の不祥事には、アジア独特のエゴを表面化させた。しかし同時にこの一連の事件を通じ、どれだけ着飾っても、本質は隠せないものだと改めて認識させられた。これが一部の人ではなく、民族全員にいきわたっているのだ。そのような本質だからこそ、事実や歴史を公然と捻じ曲げるのだろうか。ことによると分断もこれが一要因なのでは、とも思える。

 Aわが国の大統領が、わざわざ辺境である極東の地まで来てくださった。その際、銀座の高級寿司店でもてなしをうけたようだが、ここでもてなされて文句を言う人間はいないのではないか。

 これだけのもてなしをした上に、これまでいろいろと便宜をはかっているのだから、2016年の大統領選挙の際には、いい加減、日本にも選挙権をくれても良いと思う。大統領は国民投票で決めるきまりがあるのにも関わらず、極東にあるというだけで、選挙権がいただけないのは、やはり、口惜しい。また軍備費もこちらもちになっているが、もういい加減、合衆国の国費から出してくれてもいいのではないか。

 以上、強烈な皮肉でした。

 B過日、某Tower Records渋谷店に行った。何も選べなかった。ほぼ初めてに近い、経験である。ストレスなんだね。きつい。

2014年04月25日(DNAの日)
 ふいに朝、ビル・エヴァンスが聴きたくなった。駄目だろうな、と思った。それでも、「Here's That Rainy Day」で幕を開けるピアノ・ソロ(大好きだったアルバムだ)を聴いてみた。

 これまで同じ行為を繰り返していた。繰り返しては、ものの数秒で耐えられなくなり、辛い思いをしてきた。だが驚いたことに、聴くことができた。聴けたのは、3曲のみ。しかし、それでも、感動した。

2014年04月23日(世界図書・著作権デー)
 今更ながら、ストレスのすごさを身に染みて感じている。特に、つもりつもったストレスの弊害に悩まされている。すべての動きがスロウ。加えて、免疫力の低下。それよりもすごいのが、言葉の喪失だ。日常生活に支障はきたしていないが、何しろ、言葉の言い換えが浮かばなくなってしまった。辛い。

2014年04月16日(foursquareの日)
 先日、乙一『箱庭図書館』を読んだ。6篇の独立した短編小説が、その登場人物の数人ずつがクロスすることで、全体として一つの世界を構成するという一冊だ。この構造に惹かれた。それが読み始めた理由だ。短編ならば、何とか読めるかも、と思ったことも手を出したのも事実だ。

 幕開けの1篇を除けば、前半は期待外れだった。同人誌か漫画を読んでいるようにしか感じられないのだ。

 だが猟奇殺人が出てくる「ワンダーランド」以降の後半は、一気に読めた。しかし疑問に思うのは、この「ワンダーランド」で出てきた伏線のほとんどが、それよりのちの作品に生かされていないことだ。もしかするとこの「伏線」は、読者を惑わせる仕掛けにしかすぎないのかもしれない。そう思わせるほど、ここで張られた伏線は、ぷつっと途切れてしまう。これは残念だ。

 あとがきを読んで驚いたことがひとつ。この作品、作者のオリジナルではない。インターネットで素人から小説を募集し、それを書き直したというのだ。かつて漫画の世界では、「原作募集」「キャラクター募集」など読者企画があったが、それを小説でやってしまったのか。驚いた。

 作者本人自らこれを「リメイク」と語り、この作業が正当のものであるとしている。その是非はともかく、それならば作者自ら他者の目で作品を眺めることができるので、もっと鳥瞰できたはず。そうすることによって、伏線を絡ませるなどし、作品全体の世界を大きくすることも可能だったはずだ。

 しかしそれをしないところが、現代のエンターテイメント小説なのだろうか。

2014年04月14日(タイタニック号の日)
 きつい。すべてが。

2014年04月06日(新聞をヨム日)
 @音は、そもそも、調性がとれていない。ゆえに雑然と鳴らせば、時にそれは不快に聞こえる。

 それを数学的に整理し、人の耳に心地よく響くようにしたのが、音楽である。古代の哲学者は、完全なる音の美を神の領域とした。そして美しい音の組み合わせで、神に近づくことができるとした。その組み合わせとは当初は旋律であり、後に和音になった。グレゴリオ聖歌やバッハの教会音楽が美しいのも、そこに端を発する。

 しかし時代が下るにつれ、音楽は宗教的側面から、そのものの美へと昇華していった。当初は三和音以外は不協和音とされた。場合によっては、不協和音は悪魔の音と見做された。しかし20世紀には、不協和音こそが最も美しい音であるとの見解にたどり着く。ここで勘違い・混同されやすいのが、騒音と不協和音だ。一般的にはその両者は同一レベルで語られる。しかしこのふたつは、似て非なるものだ。だがここでいう不協和音とは、調性のとられた音の積み重ねが生み出す和音だ。対して騒音は、調性のとられていない音が無茶苦茶に鳴るさまである。

 この不協和音の登場により、現代音楽はより幅広い表現と、より美しい和音・旋律を手に入れることができたのである。

 その一方で、複雑化する和音に対するアンチテーゼも現れる。それがミニマル音楽である。

 一般にミニマル音楽とは、「ひとつのフレーズを延々と繰り返す音楽」と受け取られている。これは、間違いとは言わないが、本質からはそれている。実際、ミニマル音楽とは、その言葉がさす通り、最小限度の音で構成された音楽である。しかしそれでは一瞬で曲が終わってしまう。そこで一つのフレーズの繰り返しが行われることになる。スティーヴ・ライヒやテリー・ライリーの音楽には、その音楽的特徴が良く表れている。

 しかし90年代に来て、そこに変化が現れる。パーソナル・コンピューターでの音楽が、本当の意味で「可能」になったとき、ミニマル音楽は究極の変貌を遂げる。それが、パルスとサイン波の組み合わせによる音楽形態である。

 長くなったが、Ryoji Ikedaの『supercodex』(2013年)は、その最高峰である。Ikeda氏はここで、前2作『dataplex』『test pattern』で突き詰めてきたパルスとサイン波が織りなす、dataから作成される音楽を統合し、再構築した。その結果、唯一無二のミニマル音楽が完成したのである。ここには、不協和音を追求していった現代音楽や、聴きやすさ/大衆受けを追求したロック・ポップスらとは、真逆の美がある。そしてそれは、最小限の音で紡がれる永遠の美である。本当に素晴らしい。日本人がこのような音楽を作ったことに、深い感銘を覚える。

 Aストレスの波は、相変わらず激しい。昨日と今日は、比較的軽い。しかしその前日、前々日は物事も考えられないほどひどかった。

 B「八百屋お七」とは、恋人逢いたさに江戸の町に火をつけた女性である。

2014年03月29日(八百屋お七の日)
 考えられないほどのストレスに、午後、襲われる。これまでのもすごかった。それを遥かに凌駕する。

2014年03月28日(シルクロードの日)
 明後日3月30日は、関西ウェールズ会主催、毎年恒例の「ウェールズ文化祭」だね。場所は大阪は千里文化センター『コラボ』。開催時間は11:00から18:00。今年のテーマは「食文化」。年に1回だけだもの。楽しみにしていた人も多いだろうね。こりゃ、いくっきゃないね。

2014年03月27日(さくらの日)
 最近、本当にふり幅が激しい。昨日は比較的楽だった。今朝は、ひどくきつい。「音(楽)」が聴けなくなってしまった。それがつらい。

2014年03月26日(楽聖忌)
 明日はさくらの日である。それを待たずして、昨日、東京では桜の開花宣言があった。2週間前、あれだけ気候が寒かく、つぼみが堅かった。それにもかかわらず、開花である。気づけば、近くの桜(早咲きの桜の樹なのだろう)5分咲きである。この自然の遷移の速さは驚異的である。

 春なんだね。たどりつくことができないだろうと思っていたが。

2014年03月24日(世界結核デー)
 明日25日にイギリスで、記念切手が発売される。イギリスに貢献した10人を描いた切手だ。その一人に、ウェールズはカーマーゼン出身の詩人ディラン・トマスが採用されることになった。おめでとう。それにしても、トマスはトマスでも、R.S.じゃないのね…。残念。

2014年03月18日(精霊の日)
 暖かくなった。つい先日までは、近くの海岸で佇むのは、海から吹く強く、冷たい風のために困難だった。今日も風がある。だがそこに佇み、波の音を聞いていられる。風が冷たくないのだ。いつの間にか、春が訪れようとしているのだな。

 ストレスがひどい。それは変わらない。差が激しいのも事実。だが、今日は軽い。何しろモノを書けるほどだ。先はわからないが。

2014年03月11日(3.11)
 只今、20:41。現時点で、何も起こっていない。それに感謝。そして、3年前の今日が金曜日であったことと、あの時味わった恐怖をストレスが響く体で思い起こしてみる。改めて、無事なことに感謝。

 マスコミ報道で、「復興を遅らせている復興五輪」という記事があった。遅れている事業に対し、外野がとやかく言うことは簡単。だから普段は言わない。だが今日は、敢えて言いたい。「復興を遅らせている復興五輪」。本来、復興に力を注ぐべきなのに、その予算や労力が復興五輪という祭典に注がれている。これはまぎれもない事実だ。

 東京五輪をかねてより強く推し、その直前に自分が出ないほうが得策と考えたか、身を引いた某政治家(かつての某都知事)が、今、この現状で原発再開をゴリ押ししている。ついには所属党内での会議で、反対派の議員に対し逆切れを起こしている。日本の政治家がここまで浅はかかと改めて思わせる。

2014年03月10日(横浜三塔の日)
 ストレスがひどい。それも、これほどまでにないほど。時間帯や日によって、その差はある。人に心配をかけさせたくない、と思って、見せないように(そしてここにも書かないように)している/していた。だが、気づかぬところで見せてしまっていることもあるらしい。

2014年02月27日(新撰組の日)
 雨が降る。その雨音を独りで、聴いている。雨が先日の残雪を、溶かしてゆく。それにしても暖かい。雨音が春の足音に聞こえてくる。春を見ることはないと思っていたが。

 ビル・エヴァンスの『You Must Believe In Spring』のジャケットを、冬に入って以来、飾っている。エヴァンスは死の直前、スタジオに入りこのアルバムを録音した。そしてこれが、エヴァンス最後のスタジオアルバムとなった。

2014年02月21日(国際母語デー)
 ここ1年以上、限られた音楽しか聴いていない。否。特定の音楽ジャンルしか、聴けない。過度のストレスが原因。現代音楽は、武満以外はほぼ駄目。クラシックも、いつの間にかオペラが駄目になっていた。ロックは、それでも昔聴いたものは聴ける。だが新作はきつい。一番困っているのが、ジャズ。聴きたくてたまらない。だが、全然駄目。唯一、聴くことができたのがフュージョンに、マイルス・デイヴィスの「コール・イット・エニシング」。どちらもジャズではない。

 その中で、過日、傑作と出会った。渋谷慶一郎が初音ミクを「迎えた」作品『The End』。初音ミクとは、ヴォーカロイドによる仮想キャラクター。ヴォーカロイドとは、現実の女性歌手の声をサンプリングした、いわば声のシンセサイザーだ。そしてユーザーは専用の音楽ソフトに譜面を打ち込むことで、初音ミクを「歌わせる」ことができる。

 つまり端的に言って、初音ミクは音楽用コンピューターソフトであり、現実の世の中には存在しない。しかし様々なユーザーが初音ミクを使用し、楽曲を自由に発表することで、1人の「アイドル」としてあたかも現実の世の中に存在している――ような現象が起きている。実際、彼女が実在するかのように語る「ファン」がいる。

 その初音ミクを使い、渋谷はオペラ『The End』を書き上げた(実際には渋谷を中心としたチームがいるわけだが)。その作品の中で、初音ミクは「死」について問う。「死」とは何か、そして、「自分は死ねるのか」と問う。

 仮想の世界にしか存在しない初音ミク。彼女に、現実世界での死はあり得ない。しかしこのオペラでは、それを前提に、初音ミクに死を問わせる。初音ミク自身に自分が架空の存在であることを語らせたうえで、「死」とは何かを問わせる。これがすごい。もちろん、楽曲のレベルは非常に高い。傑作である。

2014年02月20日(旅券の日)
 ストレスが酷かった。ほぼ療養に近い毎日。とにかく、言葉が纏まらない。それでも書くのが仕事だから、書いてはいた。不思議と、何とか形にはなるものだ。勿論、私の文章レベルではない。だがそれでも、読めるものは書いた。少なくとも、そのつもりである。

 先日、友人らと会食をした。会食自体は、別段、珍しいことではない。だが、一時でもストレスが軽くなる。帰宅後、その反動は大きい。これが辛い。

2014年02月02日(情報セキュリティの日)
 昨日、今日と暖かい。特に本日は室内で17度。季節外れという言葉が、天気予報でも飛び交う。今年は春が早いのかな。私には随分と遠くに感じるが。

2014年01月31日(晦日正月)
 @お年玉くじ付き年賀はがきの当選番号が、年々減ってきていると思ったら、今年は4つだ。3等が2つで、あとは1等と2等がひとつづつ。これでは当たるわけがない。この商品の少なさは、年賀はがきの売り上げを反映しているのかもしれない。しかしこれでは逆に、はがきそのものが売れるわけがない。また1等の商品が、現金1万円。身もふたもない。ひどいものだ。

 Aこのところストレスの波が激しい。昨日、今日の昼間は比較的軽かった。ほかに集中してやらねばならぬことがある時、これはありがたい。ただ、家で1人になる瞬間、あまりの無音さにストレスが一挙にぶり返す。反動はつらい。

 B昨日、今日と暖かい。そこで近くまで、海を見に歩いて行った。海が歩いて数分の距離にある。浜はない。だが波の音が聴かれる。暖かければ、潮が香る。これが嬉しい。それにしても数日前に、海に寒くていられなかったのが嘘のようだ。春かと思った。でも実際には、春は随分と先だ。それも、かなり遠い。

2014年01月30日(3分間電話の日)
 もうかなりになるが、長いものが読めなくなっている。長編小説はもってのほか。短編も駄目。仕方がないので、ショートショートばかり読む。そうすると読む作家・作品も相当、限られる。

 それでも読んでみると、つくづく、作品が短いだけに、各作家独自の世界を作り出していると思う。やはりフレドリック・ブラウンは偉大。筒井康隆はショートショートでも奇抜。そして星新一は、単純に面白い。中でも『妄想銀行』は最高の部類だ。傑作中の傑作と呼ばれる「鍵」「新しい人生」「古風な愛」をはじめ、「変な客」「美味の秘密」「黄金の惑星」など名作揃い。この時期は、まだ文体も枯れていない。ウィットな中に、日本人の琴線に触れるような文章がある。それが好まれる理由だろう。

2014年01月25日(鷽替え神事)
 @異様なまでに、行動が遅い。しかし正直なところ、その遅さを実感していない。強いて言えば周囲の時間が経つのが、早すぎる。だが時間が走馬灯のように過ぎ去るのではない。時間の流れは変わらぬのに、いつの間にか1時間、2時間が経過している。そこで気付く。

 たとえば前日の文章。書き始めに、アルバムをかけた。書き終わったときに、アルバム1枚が終わっていることに気付く。そのような状況なのだ。たったこれだけの文章を書くのに、アルバム1枚分の時間が経過した。加えて、そこから何の発展もない文章を書いてしまった。何も考えられないゆえだ。

 これまで“過度”と形容していたストレスが、それを超えてしまっているのだろう。仕事には影響がないようにしているつもりだが、実のところ、弊害が出ているかどうかわからない。

 A鷽替え<うそがえ>の神事というのがある。天神様ゆかりの鳥である鷽を象った木彫りの神符を納め、旧年中に起こった悪い出来事を“嘘”として祓い清めるという神事だ。その神符が手に入るのが、1月25日のみ。これを前日に知った。そして予定を押しのけて、天神様を訪れた。

 昼過ぎにはついたのだが、境内はどちらかというと閑散としている。社務所を訪れれば、すでに神符は全てはけた後だという。聞けば9時の配布に対し、早い人は7時から並んでいたという。

 もっとも鷽替えの神事に納める神符は、旧年中にお守りとしてもっていた神符でなければならないという。それを知ったのは、これを書いている最中だ。どうにも嘘にはならないならしい。

2014年01月24日(郵便制度施行記念日)
 アメリカでは寒波が襲っている。マイナス25度以下だという。

 オーストラリアでは干ばつが襲っている。温暖化の影響か、6年続きであるという。

 ウェールズでは、強風と雨が襲ったのち、さらなる寒波が襲うという。来週にはこれまでで最も寒い冬となる予報が出ている。加えて一部海岸線では、日曜日には時速50マイルの風速を観測する模様という。

2014年01月23日(八甲田山の日)
 @今日は意外なことに、ストレスが軽い。ただ唯一の欠点は、時間がかかりすぎること。全て2時間から3時間遅れで進行する。

 A佐久間正英が亡くなった。1月16日のこと。マルチミュージシャンであり、伝説的な日本のバンド四人囃子に参加したことでも知られる佐久間は、日本の名プロデューサーとしても大活躍した。私自身、彼のギターやベースには大変影響を受けた。四人囃子の『Dance』、ソロ作品『inagarden』『正気の夢』は、実に私のオールタイム・ベストである。

 佐久間は、去年8月に胃癌であることを公表した。その後、<Last Days>と名付けたプロジェクトを行ってきた。自身の死を見つめてのプロジェクト。その過程では、本人しか知りえぬ様々な葛藤があったと推察する。しかしこのような最期を送りたくもある。ご冥福をお祈りする。

2014年01月21日(ライバルが手を結ぶ日)
 急に聴きたくなったのが、ピンク・フロイドの「原子心母」。理由は不明。

 急に食べたくなったのが、のびる味噌。懐かしいな。でも、春まで無理か。春か。随分と先だな。

2014年01月20日(二十日正月)
 どうにも時間が経つのが早い。否。逆だ。全ての行動が非常に緩慢になってしまっている。原因は、過度のストレス。その結果、時の流れが速く感じる。それについ先ほどまで、気づかなかった。油断していた。何もやっていなくても、30分や1時間が、あっという間にすぎる。つまりまだ10時だと思っていたのに、時計の針は10時30分をさしている。加えて本人は、それだけの時間が経過したという実感がない。そのような状況なのだ。まずい。

2014年01月17日(今月今夜の月の日)
 予想だにしなかったほど、ストレスの反動がひどい。ギシギシと、体が、精神が、音を立てる。

2014年01月14日(どんと焼き)
 キリストの磔像のペンダントを、かつてつけていた。聖公会の総本山であるカンタベリー大聖堂で購入したものだ。1年と少し前に、別のペンダントに替えた。その後、その磔像のペンダントは、いつも持ち歩いている鞄に入れておいた。万一のことを考えて、損傷しないような場所に入れておいた。

 今日、たまたまその鞄の中を掃除した。その時、十字架がまっぷたつに折れているのを、発見した。驚いた。

 さらに驚いたことには、中心にあったキリスト像が無傷だった。何と十字架より細いキリストが、十字架から降ろされ(はずれ)、折れていなかったのである。最後に完全な姿を拝んだのは、去年の夏以来のように思う。きっと何かから守ってくれたのだね。ありがとう。

2014年01月13日(成人の日)
 どうも朝からふらふらする。おかげで、ほとんど役に立たない状態だ。風邪というやつなのだろうか。ほとんどなったことがないので、よくわからないのだが。考えてみれば、過度のストレスのおかげで免疫力が落ちているからな。風邪になってもおかしくない。

2014年01月10日(十日戎)
 今年初めて海を観に行った。折しも今日は、この冬で一番の寒さを記録した日。また普段よりも、波が高い。波打ち際まで歩くのですら、寒さに震えた。刺すような冷たい風に吹かれ、自然の力を改めて感じた。

2014年01月09日(とんちの日)
 昨日、ふいにマイク・スティーヴンス(Meic Stevens)のアルバムを聴いた。続けて、ケヴィン・エアーズの『スティル・ライフ・ウィズ・ギター』を聴く。どちらもアコースティックな音だ。特に前者は、土の香りが強い。実はこのところ、まったく音楽が聴けなかった。だがこの二作だけは、吸い込まれるように入ってきた。その後、再び聴けるようになった。

2014年01月08日(ロックの日)
 久方ぶりに雨だれを聴く。しん、と静まり返った部屋に、雨だれの音が響く。その冷たい音は、独りの時間を特に際立たせる。

2014年01月02日(初夢)
 能劇『高砂』を観る。能とは、心底、美しい劇だと思う。踊り、謡い、音楽とどれをとっても美そのものだ。純然たる美だ。イエイツら本物のイマジストが称賛したのも、よくわかる。このような美を生んだ国に生まれたことに、感謝する。

2014年01月01日(元旦)
 あの後、武満徹の「エア」を聴いた。その後、「系図」を聴く。何とも優しい音楽だ。この音を、忘れていた。実は武満も聴けなくなっていたのだ。

 そしてその流れで、「エクリプス[蝕]」を聴いた。琵琶と尺八によるデュオ曲だ。

 実に今まで気づかなかったのだが、何とこの二つの楽器の繊細なことか。特に琵琶。弦をバチでこすったり、スライドやチョーキングという左手のテクニックから生み出される、微妙な音程が何とも繊細で、美しい。また弦がネックや楽器のボディでこすれる音の、枯れた味わいが殊の外素晴らしい。

 これに加え、音の強弱のダイナミクスがすごい。これほどまでにその差が大きい楽器が他にあろうか。新年にふさわしい。

 そして今、ロバート・フリップの「Sometimes God Hides」を聴いている。ことによると昨年、一番聴いた曲かもしれない。

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 今年の年明けは、去年以上に外が騒がしい。ベランダから表通りをのぞいてみると、車の量がかなり多い。昼間の量に匹敵しないまでも、近い量だ。また初詣の客だろうか。人もかなり見かける。景気が良いのだろうか。

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 今年が皆様にとって良いお年でありますように。また、例年と変わらず、今年も弊サイトを宜しくお願いいたします。







文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2014: Yoshifum! Nagata






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