B.C. 300-100 | 紀元前1000年ごろ大陸から渡ってきたケルト人の子孫が、ブリテン島南西部の山岳地帯を開拓し、定住する。ドルイド僧を中心とした社会が築かれる。 |
B.C. 54 | 第1回カエサルによるブリテン島侵攻。 |
B.C. 55 | 第2回カエサルによるブリテン島侵攻。 |
A.D. 43 | ローマのクラウディウス帝率いるローマ軍(レギオン)がブリテン島上陸。ローマのブリテン島支配時代がはじまる。 |
47 | ローマ軍のウェールズ攻撃が始まる。 |
59? | メナイ海峡を挟んで、ブリテン島側のローマ軍とアングルシー島側のケルト人の決戦。ローマ軍がケルトを破る。 |
-70 | ローマ軍が各地に要塞を建造。Deva(現在のチェスター)、Isca Silurum(現在のカエルレオン)そしてSegontium(現在のカーナヴォン)の要塞が支配の拠点となる。 |
78 | ケルト反乱軍の指導者カラドッグ(Caradog)がローマ軍に捕らえられ、ローマへと送られる。ローマのウェールズ支配開始。 |
410 | ローマ軍撤退。アングロ・サクソン人の移住。様々な王国が作られる。ブリテン島南西の山岳地帯に集ったケルト人が、自らを「同胞」を意味する「カムリ」(“Cymru”)と呼ぶ。アングロ・サクソン人は、彼らのことを「余所者」「外国人」を意味する、ウェリース(Weleas)と呼んだ。 |
462 | 後にウェールズの守護聖人となる、聖デヴィッドがペンブロークシャー(Penbrokeshire)に生まれる。 |
784 | マーシア王国の国王オッファ(Offa)によるオッファの堤防(Offa's Dyke)完成。 |
800年代 | アイルランドのヴァイキング(海賊)の襲撃に悩まされる。 |
844-78 | ロードリ・マール(Rhodri Mawr)がウェールズの王となる。ロードリはイングランドとの戦いにも譲らず、また、ヴァイキングの襲来も防いだ。一方、ロードリの宮廷はラテン文化を享受し、口伝のみだった英雄詩(サーガ)のいくつかが書き留められた。 |
900-50 | フーエル・ザ(Hywel Dda)がウェールズの王となる。ウェールズ内の各王国の法律をひとつに統一。 |
1039-63 | グリフィッズ・アプ・サウェリン(Gruffydd ap Llywelyn)がウェールズ統一。 |
1066 | ノルマン征服。ノルマンディー公ウィリアムが数千の騎士と民衆を従えてイングランドの南部に上陸。ウィリアムがイングランドの王となる。ノルマン人のブリテン島支配開始。 |
1176 | 最初のアイステズヴォッドが、カーディガン(Cardigan)で開催される。 |
1246-82 | 「最後の王子」サウェリン・アプ・グリフィッズ(Llywelyn ap Gruffydd)がウェールズ統一。 |
1267 | モントゴメリー条約。サウェリンは「ウェールズの王子」(Prince of Wales)を名乗る。ウェールズ内の諸国はスウェリンに進呈し、サウェリンはイングランドの王に進呈するという図式が出来上がる。この頃より海路と陸路による貿易が始まる。 |
1272 | エドワード1世がイングランド王に即位。サウェリンはエドワードと敵対し、進呈を止める。 |
1276-7 | 第一次ウェールズ独立戦争。ウェールズで内乱が起こり、サウェリンの領土はほとんどが奪われてしまう。サウェリンはエドワード1世に忠誠を誓うことで、エドワードと友好関係を結び、称号「プリンス・オブ・ウェールズ」の力はこれまで以上に強力なものとなる。 |
1282-3 | 第二次ウェールズ独立戦争。サウェリンの弟ダヴィズ(Dafydd)がイングランドに対して反旗を翻し、他の諸国がこれに追随。サウェリンもエドワードと築き上げた友好関係を反故にし、この戦いに参加せざる終えなくなる。82年12月にスウェリンは死亡。 |
1283 | サウェリンの弟ダヴィズ死亡。イングランド王エドワード1世によるウェールズ内での城建造計画が始まる。 |
1284 | イングランドによるウェールズ併合。 |
1294 | ウェールズによる反乱 |
1300?-1325? | 伝説をもとに『リーゼルッハの白本』(White Book of Rhydderch)が書き留められる。 |
1301 | イングランド王エドワード1世が息子のエドワード2世にプリンス・オブ・ウェールズの称号を与える。この時より、イングランドの王子にプリンス・オブ・ウェールズの称号が与えられるのが伝統となる。 |
1316 | ウェールズによる反乱 |
1375?-1425? | 伝説をもとに『ヘルゲストの赤本』(Red Book of Hergest)が書き留められる。 |
1400-15 | オーエン・グリンダーによる反乱と自治。 |
1468 | イングランドに対するウェールズ反乱の砦であったハーレフ城がイングランド側に受け渡される。 |
1534 | イングランドで宗教改革。英国国教会(聖公会)設立。 |
1536 | イングランドによるウェールズ統合。イングランドの法律がウェールズのそれと取って代わる。教会を除く公の場でのウェールズ語の禁止。 |
1567 | 祈祷書と新約聖書のウェールズ語訳完成。ただし使い物にならない代物だった。 |
1588 | 英国国教会牧師ウィリアム・モルガンによる旧約聖書のウェールズ語訳、および新約聖書のウェールズ語訳の改訂完了。これによりウェールズ語は現在まで生き延びることができた。 |
1642-45 | イングランドで内乱(Civil War)勃発。議会派と国王派に分かれての戦いは、議会派が勝利を治める。 |
1647 | 国王派の最後の砦であったハーレフ城陥落。議会軍指揮官オリバー・クロムウェルに明渡される。 |
1648 | 第二次内乱勃発。 |
1649 | 国王チャールズ1世が処刑される。君主制が廃止され共和国宣言がなされる。 |
1660 | 王政復古。チャールズ2世が王位につく。 |
1674 | ウェールズの苦境に興味を示したトマス・ゴーグによって、ウェールズでの英語教育の確立とウェールズ語の本を出版するためにウェルッシュ・トラスト(Welsh Trust)が設立される。 |
1699 | ウェルッシュ・トラストに代る教育として、学校でのウェールズ語教育を許したSPCK(キリスト教知識促進協会)がはじまる。 |
1701 | 5月1日、イングランド、ウェールズ、スコットランドにより現在のイギリスの母体となる連合王国(United Kingdom)が形成される。 |
1700年代初頭 | 教会を通じて様々なウェールズ語の本が出版される。 |
1731 | グリフィス・ジョーンズによる巡回学校計画が始まる。聖書を使ったウェールズ語教育がなされる。 |
1743 | メソジスト・ウェールズ教会設立。 |
1756 | 南ウェールズのマーサー・ティドヴィルで鉄鋼業が始まる。 |
1762 | 第二次メソジスト宗教改革。 |
1785 | メソジスト派のトマス・チャールズによる巡回学校運動がはじまる。これが教会の日曜学校のはじまりとなる。 |
1801 | 人口調査が行われる。ウェールズの全人口は587,128人だった。 |
1804 | 最初の鉄道(蒸気機関車)の路線が敷かれる。旅客サーヴィスはなく、炭鉱の資源を運ぶ手段として敷かれた。 |
1807 | 最初の旅客サーヴィスの鉄道路線がスウオンジー・ベイに沿って敷かれる。 |
1811 | メソジストが英国国教会より独立。 |
1827 | イギリス全土の鉄輸出量の半分を、南ウェールズの鉄産業がまかなうようになる。 |
1847 | 『青本』のウェールズに関する報告書が出版される。ここでウェールズ語は「隷属の言葉」(“the slavery language”)と評され、物議をかもす。 |
1851 | 信教の調査が行われる。国教徒が32%だったのに対して、メソジストは33パーセントだった。これにより、ウェールズでは非国教徒の割合が、国教徒の割合を上回ることが判明する。宗派まで問うた調査は、これが初めてであり唯一の調査である。 |
1859 | メソジスト宗教復興運動。五線譜の紹介と期せずして時を同じくした。これにより合唱が盛んになる。 |
1861 | 人口調査が行われる。ウェールズ全人口は1,286,413人。 |
1865 | アルゼンチンのパタゴニアにウェールズ人の植民地が設立される。 |
1870年代? | 悪名高い「ウェールズ語禁止」(“Welsh Not”)運動が民衆の間から広まる。 |
1871 | 人口調査が行われる。ウェールズ語の使用率は全人口の6割を超えるほどとなる。 |
1872 | アベリストウイス大学開校。 |
1877 | レディ・シャーロット・ゲスト(Lady Charlotte Guest)による『マビノギオン』の英語訳全集が完成する。この訳本によりウェールズの伝説とウェールズ語への関心が高まり、ウェールズ語がウェールズへの愛国心の象徴となる。 |
1880 | ナショナル・アイステズヴォッド会設立。この年より、毎年ナショナル・アイステズヴォッドが開催される(1914-40を除く)。 |
1883 | カーディフ大学付属カレッジ開校。 |
1884 | バンゴール大学付属カレッジ開校。 |
1890 | ロイド・ジョージがカエルナヴォンの選挙区で下院議員に当選する。 |
1893 | ウェールズ大学設立。ウェールズ文学復興運動及びウェールズ史編纂の幕開けとなる。 |
1894 | アルビオン炭鉱で事故。290人が亡くなる。規模としては2番目に大きい炭鉱での事故。 |
1900年代初頭 | 南ウェールズの鉄産業のほとんどが、石炭産業に変る。 |
1901 | 人口調査が行われる。ウェールズ全人口は2,012,876人。ウェールズ語を喋れる人は全人口の49.9%と初めて過半数を割る。 |
1904 | メソジスト宗教復興運動。 |
1913 | セングヘニズ炭鉱大惨事(Senghenydd Colliery Disaster)。439人の犠牲者を生みだす。イギリス史上およびウェールズ史上最大の炭鉱事故。 |
1916 | ウェールズ人のロイド・ジョージがイギリス首相となる。 |
1920 | ウェールズ聖公会設立(3月31日)。ウェールズ聖公会初の大主教(Archbishop)は4月7日に選出される。 |
1921 | 人口調査が行われる。ウェールズ語の使用者が全人口の37.1%となる。 |
1922 | ウェールズ語の使用を義務付けたウェールズ青年連盟(Welsh League of Youth)設立。 |
1925 | ウェールズ国民党(Plaid Genedlaethol CymruまたはPlaid Cymru)結成。 |
1926 | 炭鉱で大規模なストライキが行われる。元炭鉱夫のアニュエリン・ベヴァン(Aneurin Bevan)がこのストライキの中心的な役割を果たした。 |
1946 | ウェールズ・ナショナル・オペラ・カンパニー設立。。 |
1947 | スランゴレン国際音楽アイステズヴォッド初開催。BBCウェールズ・オーケストラ結成。 |
1954 | カーディフ空港(Cardiff Airport / Maes Awyr Caerdydd)が開港される |
1955 | カーディフがウェールズの首都となる。 |
1956 | ウェールズ語と英語のバイリンガルで教育を行う初めての公立中学校Ysgol Glan Clwydがフリントシャーに開校。 |
1959 | ウェールズ国旗認定。 |
1961 | 人口調査が行われる。ウェールズ語使用者の割合が26%となる。 |
1962 | ソーンダース・ルイスが2月13日に「言葉の運命」(Tynged Yr Iaith)と題したラジオ講義を行う。8月、非暴力的な活動を謳ったウェールズ語協会(Welsh Language Society)が設立される。 |
1963 | ウェールズ解放軍(Free Wales Army)がカヨ=エヴァンスによって結成。 |
1965 | ウェールズ語で生活を営んでいた村カペル・ケランが、リバプールに水を供給するためとして、ダムの底に沈められる。このこけら落とし(10月21日)には、数多くの反対者が詰めかけ、暴動がおこる。同時にイギリス政府に対する反対の機運が、ウェールズの一般民衆の間でも広まる。 |
1966 | グインヴォール・エヴァンスがウェールズ党初のイギリス国会議員として選出される。 |
1967 | ウェールズ語法令通過。一部の制限を持ちながらウェールズ語が公式言語となる。 |
1968 | ウェールズ版IRAとの異名を持つMACの活動が、初めて公にされる。カーディフでの36のオフィスを破壊した爆破事件、ヘルスビー(Helsby)でのパイプライン爆破事件は、彼らのものとされる。 |
1969 | ダヴィズ・イワンらによって、ウェールズ最有力レコード・レーベルとなるサイン(sain)・レーベルが設立される。 |
1972 | 地方自治体法(The Local Government Act 1972)可決。ウェールズは8つの州(county)に分けられる。 |
1977 | ウェールズ語協会の強い働きかけで「ラジオ・カムリ」(Radio Cymru)がBBCによって設立される。 |
1979 | イギリス中央政府第1党労働党よりウェールズとスコットランドへの自治権委譲が提案される。国民投票が行われ、20.3%の賛成票に対して反対票が79.7%ととなり、案は棄却される。総選挙で政権が労働党より保守党に変わる。 |
1981 | 人口調査が行われる。ウェールズ語の使用者は全人口の18.9%となる。ウェールズ語しか喋れない人は、0.8%となる。 |
1982 | ウェールズ語の番組放送(S4C)がはじまる。 |
1983 | ニール・キノックが労働党党首となる。 |
1984-85 | 炭鉱閉鎖に対する炭鉱夫のストライキ。84年3月12日に始まり、85年3月5日に炭鉱夫側の敗北と言う形で終結する。 |
1988 | 諮問機関としてウェールズ語委員会設立。 |
1991 | 人口調査が行われる。ウェールズ全人口2,811,865人。 |
1992 | ウェールズでの非雇用率が10パーセントに達する。 |
1993 | ウェールズ語法令通過。英語とウェールズ語の価値が同等であると完全に認められる。同時にウェールズ語委員会は、法律により、公的機関として定められる。 |
1997 | 時の首相トニー・ブレアよりウェールズへの自治権委譲が提案される。9月18日の国民投票で賛成票50.3%、反対票49.7%の結果が出る。11月、法案通過。 |
1999 | ウェールズ議会設立。 |
2001 | 人口調査が行われる。ウェールズ語を喋られる人の割合は全人口の23.5%となる。 |
2003 | ローワン・ウィリアムスがウェールズ人初のカンタベリー大司教に任命される。式典ではケルズ・ダントで就任を祝った。 |
2006 | カーディフにウェールズ議会の議事堂Seneddが開かれる。 |
2008 | 85年の大規模炭鉱閉鎖の中で唯一残った炭鉱、タワー炭鉱が閉鎖される。 |
2012 | ウェールズ語委員会の廃止。同時にその役割を引き継ぐポストとして、ウェールズ語コミッショナーが法律によって制定される。
ブリテン島バルズ団を束ねる大ドルイド僧(Archdruid)にChristine Jamesとなる。初の女性大ドルイド僧の誕生だ。 |