『English Journal』((株)アルク)「イギリス・アイルランド紀行」特集ページ
――裏話と本誌では(マニアックすぎて)見られない写真を掲載!――



『English Journal』誌2005年12月号で、大変好評を得た特別企画
「ウェールズ・サウンド紀行」が、拡大企画として帰ってきました!

その名も、「イギリス&アイルランド紀行」。

前回はウェールズのみでしたが、今回はウェールズはもとより、
スコットランド、北アイルランド、アイルランド共和国という、現代ケルト4国を訪問。
そこで、前回同様、その町で普通に生きる、普通の人々に突撃取材を敢行。
もちろん、アポなし、台本なし、コネもなし。ただあるのは、共通するひとつの質問だけ。
「いつ、幸せだと感じますか?」

人々の生の声が聴かれる楽しさから、いつしか(最初から?!)仕事を忘れて話を聞いた人は、
なんと総勢40名。
その中から選りすぐりの9組の声を収録。
(選んでくださった編集の方、お疲れ様でした)

ウェールズのマークは、明日から短大入学を控えた新一年生。
英語とウェールズ語のバイリンガルで、音楽が大好き。実はバンドでテレビ出演経験あり。
スコットランドのマッキノンは、故国をこよなく愛すプロの バグパイプ奏者。
豪快で、優しき宿の主ボウは、非常に珍しい酒を振舞ってくれた。

諸外国を旅していると、初対面で、日本人だとわかってくれる人は本当に少ない。
しかしダブリンのパブで出遭った謎のドラッグ・ディーラーは、一発で私が日本人だと見抜いた。
そして私に「本当に幸せだった ことなんかないだろ」
と禅問答で詰め寄った。

白眉は、北アイルランドはデリーで出遭った女性アーティスト。
私が「困ったこと」程度の 意味で使った“trouble”から、彼女と彼女の家族が69年に受けた、
北アイルランド 紛争(“Trouble”)の傷が再び開く。
気づけば、そこは72年の血の日曜日の舞台から、わずか数分の距離だった。
言葉の重みを久方ぶりに感じた瞬間だった。

山あり谷ありで、様々な経験をした約3週間の旅が、ここに集約されています。
町の人の生の言葉と、旅行記、そして、写真が三つ巴になって、かの地の現在の姿を
浮かび上がらせます。

『English Journal』2006年12月号、是非ともお手にとってみてください。




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本誌では(マニアックすぎて)お見せできなかった写真一部大公開

スコットランド
グラスゴー大聖堂(クリックで拡大)/グラスゴー市内/ウォレス記念塔最頂部
北アイルランド
フリー・デリー・コーナー/ザ・ダイアモンド(デリー)/デヴェニッシュ島
(左)「血の日曜日」の惨劇があった場所。ミューラル(壁画)に当時の惨劇が描かれる。(クリックで拡大)
(中)北アイルランドでは戦没者慰霊碑に必ずと言っていいほど、戦士像が奉られる。
天使と戦士像のアンバランスが、この国の均衡の危うさを象徴しているかのようだ。
(右)島は世間から交通の面で修道士を隔離し、島を囲む水は俗から彼らを引き離した。
 ここデヴェニッシュ島には、ケルト・キリスト教の遺産が残る。
アイルランド共和国
タラの丘/モナスターボイス/クロンカ教会跡
(左)かつてここを治めたタラ王国を中心に、ケルトの社会が築かれた。
(中)モナスターボイスのケルト十字は、アイルランド中で一番大きい。
(右)アイルランド島には現在のケルト十字に行き着くまでの、様々な十字架が残っている。
クロンカ教会のそれは、そのひとつ。ひときわ背が高く、緑がかった独特の色合いが印象的だ。
ウェールズ
チャーク城/聖バイノの教会/中部ウェールズの丘の上にて(クリックで拡大)
聖バイノの教会(中央)の扉を開けたとたんに、強烈な匂いに包まれた。
床にハーブが敷き詰められたのである。
聞けば、古代ケルト・キリスト教の名残かもしれないという。
その出自は定かではないが、現在でもその伝統だけは守られている。

※本記事は次のように紹介されています。

昨年大好評を博した「ウェールズ サウンド紀行」の第二弾。明星大講師でウェールズ研究第一人者の永田喜文先生が、今年はさらに広く、ウェールズ、スコットランド、アイルランド、北アイルランドで、街の人の声を集めました。今年のテーマは「あなたが幸せを感じるのは、どんな時?」。老若男女、いろいろなアクセントで、悲喜こもごものライフストーリーを聴くことが出来ます。(Amazon.co.jp)




ウェールズ?! カムリ!
写真と文章:Yoshifum! Nagata
(c)&(p) 2006: Yoshifum! Nagata








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