イアーゴ・プリザーフとは何ものか?
――イアーゴ・プリザーフについての詩への案内――



Yoshifum! Nagata


はじめに

 高名なウェールズの宗教詩人であるR.S.トマスは、特にマナーヴォンとエグルイース・ヴァクで牧会していた時に、故郷ウェールズを自らの詩の主題とした。その時、丘の上で暮らすイアーゴ・プリザーフ(Iago Prytherch)と呼ばれるウェールズ人農夫を、トマスは詩に詠った。

 トマスは、中部ウェールズの丘の寂れた荒野でのプリザーフの生活を描く。だがプリザーフがその頭の中で、何を考えているかわからない。故にトマスは、プリザーフに数多の質問を投げかける。しかしプリザーフは、ほとんどそれに答えない。そしてその質問から、トマスの詩は創られた。

 プリザーフの農地から離れて立ち、トマスは彼が黙って働いている様子を観察する。一度トマスはプリザーフ自身とその知識を褒め称えながら、プリザーフに近寄ろうとするが、強く拒絶される。その時以来、トマスの言葉と質問は全て、プリザーフに無視される。そしてプリザーフのみが知ると思われる、ウェールズの丘の真実を求めたトマスの長い奮闘が、ここに始まる。




イアーゴ・プリザーフとは?

 イアーゴ・プリザーフは、トマスの初期の詩における主役である。トマスはその初期の詩において、他の丘の農夫たちも詠っている。だが登場し続けたのは、プリザーフ彼だけである。そして「イアーゴ・プリザーフ」(Iago Prytherch)という名は、中部ウェールズでは一般的な名前であり、トマスはこの名前を、ウェールズ人以外の読者が発音しやすいように選んだのである。事実、「イアーゴ」(Iago)はウェールズではありふれた名前で、英語のジェイムス(James)にあたる。また「プリザーフ」(Prytherch)は、英語を喋る丘の農夫たちによく見られるウェールズの名字だ1
 プリザーフには特別なモデルがいない。実際、彼は特定の人物ではない。英語を喋るウェールズの丘に住む農夫から生まれた、想像の産物なのである。トマスは次のように語っている――「私はイアーゴ・プリザーフという登場人物を考案した――イアーゴ・プリザーフとは、モントゴメリーシャーの丘陵の斜面で働いているのをよく見た、数人の農夫たちからの合成物である」2。トマスはまたその丘の斜面は「ウェールズ高地の大地域の原型(プロトタイプ)として働くだろう」3と信じ、「ある人たちの意見によれば、プリザーフはより偉大で重要なものの象徴へと発展していったとのことだ」と続ける。

 プリザーフの最初の詩は、1942年に書かれた「ある農夫」('A Peasant')である。プリザーフは約20年のもの間登場し続け、詩集『彼は花を持ってきたというわけではない』(Not That He Brought Flowers)(1968年)を最後に、その姿を忽然と消した。その後現れたのは、'Gone'という詩(Frequencies (1978年)収録)である。
 イアーゴ・プリザーフは、しかしながら、特殊な人間ではない。彼は「ウェールズの禿げた丘の単なる普通の人」("Just an ordinary man of the bald Welsh hills")だ。衣服は「何年にもわたる汗と動物との触れあいのために酸い臭いを放つ」( "sour with years of sweat/ And animal contact." )('A Peasant')。裕福でもなければ学があるわけでもなく、若くもない。貧しく、学もなく、年老い、貧相な体つきをしている。それがプリザーフである。ウェールズの丘の静寂を破るトラクターのような機械を、彼は決して所有しない4
 プリザーフは「世間の目から遠く離れた自分の小さな農地にいて」("so far in" his "small fields/ From the world's eye")('Iago Prytherch')、決して広い路地には立たない。彼は町や都市から遠く離れている。そして丘の上の畑で、遮るものもなく、詩人の凝視に曝される。

 「喜びもなく、悲しみもなく、子供も妻もなく」("Without joy, without sorrow,/ Without children, without wife" ('Affinity')、彼は黙ったまま働く。その瞳は「何も期待せず」("That expects nothing.")('The Face')また「生彩を欠いている」("the colourless eye,")('A Labourer')。その手は「皺が節くれだち、葉のように静脈が走る、震えた手」をしている("the twitching hands,/ Veined like a leaf, …/ Wrinkled and gnarled")('The Labourer')。

 夜、彼は勤勉ではない。彼は翌日の労働のために体を休め、「暖炉の炎に唾を吐こうと身を屈めることを除けば、椅子に固定されたように動かない」("fixed in his chair/ Motionless, except when he leans to gob in the fire" ('A Peasant'))。

 彼は文明化されていない一方で、他の誰よりもウェールズの丘の自然と密接に生きている。プリザーフは己の生涯が始まって以来、ここにいるのだ("He has been here since life began.")('The Labourer')。だがこの土地は、肥沃でもなければ豊かでもない。喜びや街での楽しみもない。ここは静かだが荒れ果てた土地だ――「美、愛、歓喜/そして喜びはそこでは場違いなのだ」("Beauty, love and mirth/ And joy are strangers there.")('Autumn on the Land')

 この苛酷な丘で、プリザーフは昼間、「雲の隙間に僅かな羊を囲っている。/満足気だが間抜けな笑みをうかべながら 飼料を短く切り、/黄色い骨から緑色の肌を切りとる。そうかと思うと/人の手の入っていない大地を風の中できらきらと輝く/雲の堅い海に向けて激しくかき回す」("pens a few sheep in a gap of cloud /Docking mangles chipping the green skin/ From the yellow bones with a half-witted grin/ Of satisfaction, or churning the crude earth/ To a stiff sea of clouds that glint in the wind")('A Peasant')。さもなければ「太陽という天体の/11月の微かな光線の下で君のゆっくりとした/辛抱強い外科手術に」("slow/ And patient surgery under the faint / November rays of the sun's lamp")('Iago Prytherch')身を屈める。なぜ11月なのか? これは1942年のある冷たい秋の日に、ある農夫が荒れ果てた土地で働いているのを見た、詩人の最初の経験に関係する。トマスがウェールズの貧困と現実に直面したのは、それが最初のことだった。この経験により、トマスはイアーゴ・プリザーフの最初の詩を書くこととなった。その詩は、「ある農夫」('A Peasant')と名づけられた。

 トマスは詩'A Peasant'について、次のように語っている。
 「より粗暴で力強い詩の可能性に私が目覚めたのは、1942年にモントゴメリーシャーの丘へと初めて教区牧師として引越した時だった。彼ら[丘の農夫たち]の生活と態度は、私のジョージア朝的な感覚に対して、衝撃を与えた。この類の農夫の原型となるイアーゴ・プリザーフについての最初の詩で、私はそれに返答した。その詩は「ある農夫」('A Peasant')と題された。」5
 「ある暗く、冷たい11月の日に・・・ 彼[トマス]は外の畑でその農夫の兄が、ビートの端を切り取っているのを見た。そのことは彼に深い印象を与え、そして農夫を訪れた後、家に帰り、自分の周りにある状況の現実に直面しようとした最初の詩、『ある農夫』('A Peasant')を書き始めた。」6

 トマスはまた、「ある農夫」('A Peasant')について、「丘の農夫の象徴であるイアーゴ・プリザーフについての、私の最初の詩」7と説明している。

 これらの引用からわかるように、1942年11月にトマスが受けた衝撃は非常に強く、そのために、イアーゴ・プリザーフは常に冷たい秋に現れるのだった。

 プリザーフは、「ウェールズ高地の大地域の原型」3であるモントゴメリーシャーの丘で働く、ウェールズの人々の原型である("Yet this is your prototype")('A Peasant')。従って彼は、最もウェールズ人らしいウェールズ人ということになる。そして「ある農夫」('A Peasant')の誕生とともに、詩人トマスは現代アングロ・ウェルッシュ詩8の扉を開いた。彼はまた本物のウェールズへの扉を私たちに開き、ウェールズの困窮という現実に読者を直面させた。プリザーフという人物を通じて、R.S.トマスは自分の故郷の現実をしっかりと認識するようになり、また、現代詩人として育っていった――ジョージア朝の詩人のように自然に田園的な美のみを見るのではなく、苛酷な現実を見るようになったのが、「現代」詩人である。




イアーゴ・プリザーフは何を考えているのか?

 プリザーフの「顔は日中は太陽に、夜は赤い炎に/何も遮るものもなく常に照らされる」("face is lit always from without,/ The sun by day, the red fire at night; Within is dark and bare.")('The Last of the Peasantry')。実際に農地の「垣根が頭の限界を決定する」("the hedge … defines/ The mind's limits") ('Soil')。そして「プリザーフの頭の空虚には驚くものがある」("There is something frightening in the vacancy of his mind." )('A Peasant')。

 プリザーフはカントに馴染みがない('Green Categories')。教育もなければ、キリスト教の教えもない。後にトマスは「彼が畑で何時間も汗をかいたり、震えたりしているのを見た時、私を悩ませることがあった。『彼は何を考えているのだ? 彼の骸骨の中では何が起っているのか?』  そう思ったものだ。そしてもちろん、その答えは――『何もない』('Nothing')、という恐ろしい可能性が常にあった。」9

 文明化された世界や教会に通う人たちの見解からすれば、プリザーフの頭蓋骨の内部は「何もない」('Nothing')ように思える。しかしこれは間違いだ。もし同じ土地でプリザーフと肩を並べて立てば、彼の持つ自然に密接な知識が理解できることだろう。故に詩人は、プリザーフの「年代の定まらない思想、秘儀、無垢の本を明確にしながら、大地の称賛を歌うだろう」("I will sing/ The land's praises, making articulate … your thoughts of no date, … secret learning, innocent of books")('Memories')。それというのもここウェールズの丘では、「物事は肉体、石、樹そして花に根ざして存在している」("Things exist rooted in the flesh, / Stone, tree and flower")('Green Categories')からだ。プリザーフの肉体は、この荒れ果てた大地の土から形作られている。その大地は、ウェールズの偉大だが悲しい歴史の目撃者である。故にプリザーフの心は「一滴一滴、その男の種族の恐ろしい詩を汲み上げる暗き井戸」("is the dark well/ From which to draw, drop after drop,/ The terrible poetry of his kind")('The Dark Well')だ。そしてまたその心は、「豊かでも、豊穣でもないが、真実のパンというひとつの穀物を受け入れることができる、痩せた土」("the thin/ Soil …, not rich, nor fertile,/ Yet capable of the one crop, / Which is the bread of truth")('Servant')からできている。つまりこの大地の秘密を知るのは、詩人ではない。この農夫である。
 トマスは、キリスト教の聖餐式のイメージを使うことがある。その時、プリザーフは牧師の役割を果たす。彼は「光のパンが夕暮れと夜明けに砕かれる石の祭壇」("stone alter on which the light's/ Bread is broken at dusk and dawn")に立つ。プリザーフだけが、ウェールズの丘の真実を知り、詩人が請う「真実のパン」("the bread of truth")を砕き、分け与えることができる。そして牧師であり詩人のトマスは、己の長い失敗を謝り、この農夫に「赦免」('Absolution')を請うのである。

 故にトマスはプリザーフを、「こちらがあなた方の原型です」("this is your prototype")('A Peasant')と、また、「あなた方民族の最後の人でもあるのです」("the last of your kind")('Iago Prytherch')と述べながら、ウェールズの民に紹介する。それにもかかわらず、プリザーフは「丘の農夫が語る」('The Hill Farmer Speaks')、「農地への侵入」('Invasion on the Farm')、「真実」('Truth')を除けば、詩人からの投げかけに対して、何か言及することもなければ、答えることもない。この3編の詩では、詩人が本当に必要としている真実へと、詩人を導く意図をプリザーフが持ち合わせていないことがわかる。プリザーフは詩人の接近をただ強く拒み、「儂にはあんたがいっとることわからん」("I don't know/ What you are talking about")('Invasion on the Farm')と告げる。

 トマスは、その拒絶によって挫かれたか? 否。トマスは忍耐強い。まるで自分が祈るために『田舎の教会で』「長い間跪いた」("he kneeled long")('In a Country Church')ように、プリザーフをじっと見る。「常に正しかったのは」("who were right the whole time")('Absolution')プリザーフであり、丘の地方での『真実』('Truth')を知るのはプリザーフだと、トマスはわかっている――「貴方の舌に載る正しい言葉全ては緑色の味わいをもっている」("Every right word on your tongue/ Has a green taste")('Truth')10。従って「あなたが働き始めた同じ畑で、一日の終わりにあなたが耕すのを見つけるのは正しい」("Right in this that the day's end/ Finds you still in the same field/ In which you started")('Absolution')とトマスは考える。そして何年か――ことによると何世紀か――後でさえも、「私が出掛けた時、彼はあの畑にいた。私が帰った時、彼はあの畑にいた」("He was in the fields, when I set out./ He was in the fields, when I came back.")('Truth')とトマスが心に思い描くように、プリザーフは同じ畑で労働を続ける。

 今やトマスは、あえて彼に近づこうとしない。ただ、「農夫のゆっくりと持ち上げられる手が赦しを示すことだけ」("to find the slow lifting up of your hand/ … only forgiveness")('Absolution')を期待する。しかし、「プリザーフの半ば挙げられた腕は」トマスの理想や「愚かさをより上手く払いのける」("His arm half/ Lifted was more to ward off/ My foolishness")('Truth')。

 そして詩人トマスにとって、プリザーフは「謎」('Enigma')のままとなる。他の誰よりもその土地に密接に暮らしているにも関らず、彼は「自然の花で印刷された本を読むことが出来なければ、鳥がもたらす小さな歌を聞き分けることも出来ない」("cannot read the flower-printed book/ Of nature, nor distinguish the small songs / The birds bring him")からだ。また、「自分の足の下で踏み砕かれた柔らかい形あるものや、パンを生み出す素晴らしい懐妊に対する、愛、希望、そしてどんな思想も」彼は決して持たない。トマスの疑問は解決されぬままに放置され、プリザーフはそれに対して如何なる解答や解決の糸口も与えない。

 そして詩人は、農夫の「暗い影が虚ろな疑問符で四角い畑の簡単な幾何学を、滅茶苦茶している」("dark figure/ Marring the simple geometry / Of the square fields with its gaunt question")のを見る。彼の詩は「その大地のページ中に冷たく落ちる、長い影から作られたのだ」("My poems were made in its long shadow/ Falling coldly across the page.")('Iago Prytherch')。詩人には、農夫が何を考えているのか全く見当もつかない。2人の間には、埋めようもない大きな隔たりがある。




隔たりの間で

 ここまで私たちは詩人と農夫の間にある、信じられないほどの隔たりを見てきた。しかしここで、現代ウェールズと古代ウェールズの間にある隔たりを見てみよう。

 イギリスの産業革命が起ってすぐ後、特に南ウェールズとウェールズとイングランドの境で、多くの炭鉱がイングランド人によって開かれた。炭鉱での職を求め、イングランドや他のヨーロッパ諸国から多くの人が移住した。そのためウェールズの人口は、この移民のために急激に増加したのである。彼らはウェールズに定住し、炭鉱夫として働いた。ウェールズ人と結婚したものもいた。人口調査によれば、1801年のウェールズの人口は587,128人である。しかしその40年後には1,045,958にまで急激に増え、1921年には2,656,474人となった。加えて、彼ら、特に炭鉱夫らは、メソジストの影響で合唱を好み、そしてウェールズはその男声合唱団のために、歌の国と呼ばれるようになった。従って「炭鉱夫」は、産業革命後のウェールズ人を象徴するようになったのである。

 しかしながら、ウェールズ人の祖先――トマスの言葉でいえば、プロトタイプ――となったケルト人は、紀元前300年から紀元前100年の間にブリテン島にやって来た時、大地を耕す良い技術をもっていた。ウェールズ人特有の生活と文化が決定づけられたのは、その時のことである11

 従ってケルトの血を直接引くウェールズの民の子孫であるプリザーフは、その体の中深くに、本物のウェールズ人らしさを維持・保存している。彼はまた、長い間イングランドからの支配下にある王国ウェールズの象徴でもある。トマスは生涯、ウェールズの王国としての復活を願い、プリザーフが「その新しい共同体の最初の男」("The first man of the new community.") ('Iago Prytherch'("Ah, Iago, my friend …"))であるべきだと信じた。

 即ちプリザーフの役割は、現代のウェールズと古代の――詩人の言葉で言えば、本物の――ウェールズの間にある、深い隔たりにかかる一本の橋となることだった。

 しかしプリザーフは「最初の男」にはならず、不幸にも現在もウェールズは独立王国ではない。詩人トマスは、暗くまた悲しみに満ちたウェールズの歴史を、プリザーフが内に持つ「一滴一滴、その男の種族の恐ろしい詩を汲み上げる暗き井戸」("whose heart … is the dark well/ From which to draw, drop after drop,/ The terrible poetry of his kind")('The Dark Well')に見るが、プリザーフは自分について語らない。ただ、自分の畑を耕すだけだ。故に詩人は、ただその農夫を観察し、そして、答えが返ってこない非常に多くの質問を、その農夫に投げかける。


むすびとして

 イアーゴ・プリザーフは、トマスの質問や疑念を上手く遇した。しかし「完全なる答」("the whole answer")('Servant')を決して与えなかった。農夫はウェールズの丘の上にある同じ畑で、ただ黙って働くだけで、詩人の多くの質問は未だ答えられないままとなっている。しかしながら、確実なことがひとつある――「彼プリザーフは決して[あの丸裸の丘の上から]姿を消さない。まるで秋が知りうる唯一の季節のように、永劫に終ることなく、畑を耕してゆく」("He is never absent, [on that bare hill] …/ Endlessly ploughing as though autumn/ Were the one season he know.")('The Face')。2000年の詩人トマスの死後でさえ、それは変らない。トマスの本をめくれば、そのページの間でイアーゴ・プリザーフがまだ同じ土地にいることがわかる、そして――

     名もなき天使との彼の長い
  格闘を賞賛するものなど何もない。私には見える
  その男の何も期待しない瞳が、雨のように生彩を
  欠いた瞳が私には見える。その手は傷ついているが
  魂は傷ついていない。その男はまるで 己が種族の樹肌で
  枯れている樹皮のようだ。

  彼は野での労働を続けるだろう。その多くは確かだ。

      there is no applause
   For his long wrestling with the angel
   Of no name. I can see his eye
   That expects nothing, that has the rain's
   Colourlessness. His hands are broken
   But not his spirit. He is like bark
   Weathering on the tree of his kind.

   He will go on; that much is certain.






1.  Anne Stevenson, 'The Uses of Prytherch', The Page's Drift : R.S.Thomas at Eighty, edited by M. Wynn Thomas, (Seren, 1993), p.40
2.  R.S.Thomas, 'Abercuawg', R.S.Thomas Selected Prose, edited by Sandra Anstey, (seren, 1993-1995), p.126
3.  R.S.Thomas, 'The Depopulation of the Welsh Hill Country', R.S.Thomas Selected Prose, edited by Sandra Anstey, (seren, 1993-1995), p.17
4.  トマスが教区牧師としてマナーヴォンに仕えた時には、ほとんどトラクターがなかったということは注目に値する。また、当時、村では電気もなかったのである。トマスはプリザーフとは異なった種類の農夫についての詩「トラクターに乗ったクンズーラン」('Cynddylan on a Tractor' )を残している。そこには、次のようにある。「ああ、君はトラクターに乗ったクンズーランを見るべきだ。・・・ 偉大なる男がするように乗り仕事に出かける。彼は武装した騎士なのだ。そして土地の静寂の鏡を割り、狐やリス、輝かしいカケスを追い払い森を空っぽにする」( "Ah, you should see Cynddylan on a tractor. … Riding to work as a great man should, He is the knight at arms breaking the fields'/ Mirror of silence, emptying the wood/ Of foxes and squirrels and bright jays.")
5.  From a tape of R.S.Thomas reading and discussing his own poems, 'Norwich Tapes Ltd; The Critical Forum', 1978;cf., Sandra Anstey, "Uncollected Poems and Variant Readings", The Pages Drift: R.S. Thomas at Eighty, (seren, 1993), p.28 & note no.3
6.  R.S.Thomas,'No One', Autobiographies ,translated from the Welsh by Janson Walford Davies, (J.M.Dent,1997),p.52
7.  R.S.Thomas, "Autobiographical Essay", Miraculous Simplicity, p.9-10
8.  トマスのように英語で書くウェールズ人の文学のことを、アングロ=サクソン人のアングロをとりアングロ・ウェルッシュ文学(Anglo-Welsh Literature)と呼ぶ。即ちアングロ・ウェルッシュ詩(Anglo-Welsh poetry)とは、英語で書くウェールズ人によって書かれた詩を指す。
9.  R.S.Thomas, 'Abercuawg', R.S.Thomas Selected Prose, edited by Sandra Anstey, (seren, 1993-1995), p.126
10.  トマスは、特にエグルース・ヴァク時代に、よく「緑(色)」をウェールズの象徴として使った。その色は、ウェールズの緑の丘か、もしくは、背景を白と緑で二分するウェールズの国旗から、由来しているのかもしれない。
11.  cf., Jones, J. Graham, The History of Wales, (University of Wales Press, 1990), p. 4



さらに知りたい方へ

R. George Thomas, 'Humans Sum: A Second Look at R.S.Thomas', Critical Writings on R.S. Thomas, edited by Sandra Anstey, (Seren Books, 1992)
H.J. Savill, 'The Iago Prytherch Poems of R.S.Thomas', Critical Writings on R.S. Thomas, (op.cit)
Anne Stevenson, 'The Uses of Prytherch', The Pages Drift, edited by M. Wynn Thomas, (Seren, 1993)
John Powell Ward, The Poetry of R.S. Thomas, (Seren, 1987 & 2001)
Patrick Crotty, 'Extraordinary Man of the Bald Welsh Hills: The Iago Prytherch Poems', Echoes to the Amen: Essays After R.S. Thomas, (University of Wales Press, Cardiff, 2003)


(c)&(p) 2005 Yoshifum! Nagata(文章と写真)
写真:マナーヴォンおよび中部ウェールズにて撮影






R.S.Thomas, priest and poet
Text and photos (otherwise noticed)
by Yoshifum! Nagata

(c)&(p)Yoshifum! Nagata

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