W.B.イエイツ(註:アイルランドの劇作家であり詩人)のように、トマスはその晩年において最も力強い作品を創り出してきた。『復讐の女神に真実はない』(No Truce with the Furies)は私に、生命と死の神秘を恐れなく探求したことにおいて、ベートーヴェンの最後の四重奏曲を思い起こさせる。
デニス・ヒーレイ(DENIS HEALEY)
トマスは、現在英語で書いている重要な詩人と呼ばれてきた。そして今、同世紀最大の詩人たちとともに列せられる。トマスの偉業は、W.B.イエイツやT.S.エリオット(註:イマジスト詩人であり批評家)と同じである。
『ウェスターン・メイル』(Western Mail)
R.S.トマスは、1913年3月29日に、ウェールズはカーディフで生まれた。しかし、父親の船員としての仕事のために、リヴァプールやロンドンといった様々な場所で育てられた。家族が、父の後を追って、港から港へと移り住んだためだ。ようやく家族が、ウェールズはアングルジー島のホーリーヘッドに定住するようになったのは、1918年のクリスマスの直前のことであった。トマスはこの村で、英語で育てられ、教育を受けることになる。父親は、多くの時間を、船員として海の上で過ごした。そのため、トマスはウェールズ大学に入学するために、一人でバンゴールに移り住むまで、少年時代の多くの時間を、母親とともに過ごすことになる。
大学では古典を専攻した。その大学を卒業後、1935年の10月、トマスは、神学を専門的に学ぶために、聖ミカエル大学に入学する。2部構成の、一般聖職受任試験の第1部に合格した直後、1936年の10月、トマスはウェールズ英国国教会の副牧師に任命され、教区チャークに赴任する。トマスはこの村で、エルシという、既にその活動を認められていた女性画家と、出会う。そして2人は1940年に、結婚した。
しかしチャークでの上司である教区牧師は、結婚した副牧師を必要としなかった。そのため、2人はマーロール・サースネグにある、ハマーに移る。この教区で、トマスは、真剣にウェールズ語を学び始めた。
1942年、トマスは教区牧師に昇任。妻とともにマナーヴォンに移った。1978年の復活祭(イースター)に引退するまで、トマスはイグルーイース・ヴァフとアバーダロンの教区にも仕えた。
1946年にトマスの処女詩集、『原野の石』(The Stones of the Field)がお目見えして以来、トマスは20冊以上の詩集と、数冊の散文の本を出版した。彼はまた、1964年の『イギリス女王の金メダル(詩部門)』など、いくつかの賞を受賞している。1985年には、ウェールズ語で書かれた初めての散文、『何者でもない』(Neb)が、一冊の本として出版されている。
ウェールズ英国国教会から引退後、トマスとその妻は、サーヌ・プラスと呼ばれる、小さな石の小屋に隠棲した。このサーヌ・プラスは、ウー・リウーにあるプラス・ウーン・リウー邸宅の近くにある。1991年、ここで彼の妻は、死んだ。
トマスは1994年に、アングルジー島のキャメル・ヘッドにある、小さな村、スランヴァイルーンホーヌウーに移り住み、1996年、ここで2人目の妻、エリザベス(ベティ)と結婚した。この年には、生涯偉業詩歌賞とホースト・ビーニック詩歌賞を受賞。また同年、ノーベル文学賞にノミネートされてもいる。
2000年7月、トマスの「ウェールズの生活への特出した貢献」を称え、ロンドンに基盤を置く、ウェールズ人同胞名誉協会からメダルを贈られ、BBCウェールズからインタビューを受けている。
しかし2000年9月、心臓の病気が悪化、ペントレヴェリンの病院に入院することになる。その2週間後の9月25日、彼は天に召される。享年、87歳であった。
トマスは現在、ポースマドックにある、聖ヨハネ教会の墓の下で、眠っている。
最後の詩集、『残余』(Residues)が、2002年に死後出版された。
日本版のみの註:上記の地名のうち、ロンドンとリヴァプール以外のものは全てウェールズ内のものである。R.S.トマスは多くの美しい、そして感動的な詩を残している。だがその一方で、彼の詩には常に緊張が存在した。詩の多くは、そこから生まれもしたのである。しかしその緊張感が、彼の詩を輝かせ、更に、強い印象を与えもするのだ。
彼の初期の詩の主題は、ウェールズ、ウェールズの丘の村、土にその足を根のようにはわせて働く、農夫であった。トマスは、ウェールズの荒れ果てた丘で働く農夫たちの苦境を詩情豊かに歌う一方で、徐々に自分のウェールズ人らしさを、英語で強調し始めるようになる。同時に、彼はまた、自分が本当のウェールズ人であることを証明するために、ウェールズ語で詩を書きたいと願う。しかし、それは叶わぬことだった。ここに隔たりが生まれる。そしてその隔たりに、緊張が生まれたのだ。
詩集『H'm』(H'm)(1972)で、トマスの詩が変わった。ウェールズのアバーダロンに着き、ウェールズ語を日常的に喋る優しい村人達に囲まれ、トマスはそれまでの主題を追い続ける必要性を、感じなくなった。そして「暗い」もしくは「不在の(しかしそれこそが神の存在である)」神について、熟考するようになったのだ。
彼はその問題について考えれば考えるほど、神と現代的な科学技術の間に、新しい緊張感を感じ取るようになる。その時、以前の音楽的な詩は、失われた。静かに、彼は詩の文章を砕いた。豊穣な言葉を拒否した。詩は、静寂に、そして、骨のように硬くなった。
従って、解決されない緊張感が、彼の思想と詩の両方に残った。しかしながら、その緊張感のために、彼の詩はより壮烈な輝きを放つのである。